試験最終日、全ての科目が終了すると、どっと疲れが押し寄せた。雷閃は脱力して机に伏せ、使いすぎた頭を休ませる。
この二週間、永海を救う方法を探すことばかりに時間を使うわけにもいかなかった。自分の試験勉強をおろそかにしては、自分のことすら何もできない人間に成り下がってしまう。他人を救うためにはまず、雷閃自身の問題を自分で解決できなければいけない。赤点なんて取っているようでは他人の問題に口出しできない。
「壮介、大丈夫か?」
上体を起こして後ろの席を見たら、壮介の方がもっと脱力していた。雷閃が声をかけると壮介は緩慢な動きで顔を上げた。
「大丈夫だった~。実は先輩から英語の勉強教わってたからさ、悪い点数だと顔向けできねーって不安だったんだよ。でも案外、難しくなかった……」
「そりゃよかった。あとで甘いものでも食おうぜ。俺も疲れた」
ホームルームで柳先生は、試験は来週中に全て採点が終わるだろうと言った。その結果が返ってきたら、もう夏休みだ。西日本は梅雨明けしたらしく、雷閃の住む地域も梅雨明けが近い。
部活は今日から解禁される。雷閃は試験期間中、永海に何度か連絡を取った。永海は「今のところハイルは何も言ってこないから大丈夫だけど、私の日本史は大丈夫じゃない」と送ってきた。頑張ってくださいとしか返信できなかった。
掃除のゴミを捨てに行った帰りに壮介と食堂で白身魚の定食と、ドーナツを食べた。壮介はこのあと両親と祖父母の家に行く予定があるから帰ると言った。
「なー、夏休みどっか行こうぜ」
壮介は自転車に乗ると、試験終わりの晴れやかな表情で二週間後の話をした。夏休みは全員補講を何度か受けることになっているから、中学までのような長い休みではなくなる。だが、毎日顔を合わせているクラスメイトと急に何日も会えなくなるのは寂しい。
「どっかって? プールとか?」
「体育の授業で俺が泳げないとこ、いっぱい見たじゃん。まだ見たいの?」
「いや、一生分見たからいいわ。じゃあカラオケとか? ほかにも誰か誘って行くか?」
「いいね。まだ入学して半年も経ってないからさ、もっとクラスのひとと話したいよね」
楽しみを計画できる楽しみを、雷閃は入学してからの短い時間で体験した。環境だけ変わっても駄目だ。雷閃は強く、そう思う。
壮介を見送ったのち、第二音楽室の扉を開けた。永海と琴が窓を開けて空を見上げていた。雷閃に気づいた永海は振り向いて「雨、降るかな?」と首をかしげた。
無くなると悲しくなるもの。それは雷閃にとって家族であったり、友人であったり、スマホであったりする。永海も、雷閃の世界からいなくなったとしたら、悲しい。
だけど少しだけ、ほかのものと違っている。雷閃は永海を「無くしたくない」と思うと同時に、それよりも強く「もっと得たい」とも思う。あの子の何が欲しいのかはわからない。ただスマホに表示される永海からのメッセージを眺めていると、これだけでは足りないと感じた。もどかしくて不明瞭な渇望だった。
「雨は……降るんじゃないですかね。傘持ってきました?」
雷閃が音楽室に入るとふたりは窓を閉めた。エアコンは稼働していない。鍵を取りに行く際にいつも、永海はエアコンをつけてくださいとお願いしているはずなのに。
「ちゃんと持ってきたよ。折りたたみの傘、買ってもらったの」
「朝来くん、今日は永海がお腹をすかせているので、試験が終わった記念に何か食べに行きたいそうです」
琴がそう説明したから、エアコンがついていない理由が判明した。最初から外に出るつもりだったのか。
「あんたいつもお腹すかせてますね」
「いつもじゃないよ! 試験のあいだはお昼までだったからお弁当持ってきてないし! もうお昼だし!」
「はいはい。ところで中本は……」
「里穂子ちゃんは今日お休みだよー。妹さんとお出かけの予定なんだって」
「じゃあ俺待ちでしたか。だったらすいません、俺、さっき食堂で食べてきまして」
雷閃の声を遮って、永海は「えぇ!」と残念そうに口を覆った。「だからふたりでどうぞ」と続けようとした雷閃は無理やり方向を転換させざるを得なかった。
「……デザートくらいしか食えませんけど、それでもよければ」
「いいよ! だったら今日は喫茶店とか行く?」
永海の提案に琴は「いいですね」と賛同した。
「おいしいコーヒーも飲みたいですね」
話がまとまったので今日は三人で外に出た。空はひどく曇り始めた。遠くで雷の音がする。喫茶店には琴が先導した。大きな公園のそばを通り過ぎようとしたときだった。雷鳴と共に笑い声がした。それは雷閃を不愉快にさせる声だった。
公園を囲むように植えられた数十本の木々が、ただでさえ曇り空で暗い道をさらに陰鬱にさせている。琴がブレーキをかけた。後ろにいた雷閃と琴も自転車を停止させる。
公園には誰もいない。強い雨の予報が人払いをさせた。
琴の前に背の高い男が立っている。ひとまとめにされた長い金髪が雨交じりの風になびく。アンティックゴールドのスーツ。倫理を焼き払った瞳。
しかし、もはや雷閃はこの魔人に、脅威など微塵も感じていなかった。