次の日の部活も星田先生が指導に来た。昨日と同じように合唱部らしい活動をして、もらった楽譜の歌を最後に一度歌った。やっぱりいい曲だな、と雷閃はじんわりと心に広がる感動を味わった。
「あら、もうこんな時間ね。遅くなっちゃったわねぇ」
星田先生が時計を見たとき、部活の終了時間を五分超えていた。
「親御さんが心配しちゃうわね。早く帰る準備しましょうか」
ピアノや机に散らばった楽譜を集め、動かした机と椅子を元通りにする。外はまだ明るいが、夏の夜は午後七時を超えるとすぐに真っ暗になる。
「里穂子ちゃんも、ごめんねぇ。入部したばかりでこんなに遅くなったら、お父さんとお母さんに怒られちゃうかしら」
星田先生の申し訳なさそうな謝罪に、里穂子はぶんぶんと首を横に振る。
「大丈夫です! 中学のころもこんな感じでしたし! それにあたし、両親からは全然心配されてないんで!」
「あら、そうなの? 里穂子ちゃんはやんちゃなのね」
「うーん、やんちゃっていうか……うちの親はあたしのこと嫌いだから」
一瞬、音楽室がしんと静まった。その気配を察知した里穂子は慌てたように明るく「でも大丈夫なんで!」と言った。
「別に虐待とかじゃないんで! ちょっと仲悪くて……あたしがどこで何してようがどうでもいいってだけなんて、そんな暗くならなくていいです!」
準備室の鍵を閉めた琴が里穂子に歩み寄った。里穂子は気まずそうに苦笑いする。
「それなら、これからはわたしが心配します」
「……えっ?」
里穂子はきょとんとして琴を見上げる。
「帰りが遅くなって中本さんに何かあったらどうしようって、わたしが心配します。だから早く帰りましょう、ね?」
琴の優しい声に、里穂子は固まってしまった。憧れている先輩にこんなに優しくされたら、さぞ嬉しいだろう。少しだけ丈の短いスカートをぎゅっと握って、里穂子は困り顔で笑った。
「琴先輩って、優しくて、きれいで、そのうえ頼もしいなんて、ほんと尊敬します」
里穂子の率直な誉め言葉に、今度は琴が固まる番だった。永海はふたりの様子を珍しそうに見つめながら、てきぱきと音楽室を片づけていった。雷閃はこっちまで恥ずかしくなってしまって、早く帰るぞと促すように音楽室の電気を消した。急に暗くなったことで、それぞれ急いで荷物を取りに行った。
昨夜、雷閃はメッセージアプリで永海に「ハイルに会いました」と連絡した。永海からは「わかった」とだけ返事があった。雷閃は文字で感情を伝えることが苦手だ。だからそれ以上は何も返信しなかった。
雷閃は、今日も変わらず、足を引っかける椅子の方を通って音楽室を出ようとする永海の腕を引いた。くい、と永海は簡単に歩みを阻止された。
「……?」
「あの、俺、自分なりに考えたり、調べたりしたんですよ」
「なにを?」
星田先生と琴と里穂子はすでに音楽室から出て、ふたりを待ちながら喋っている。こちらの会話は気にしていないようだ。
「どうすれば安良田先輩は幸せになれるのかって。でも幸福は結局ひとそれぞれ違うから、一概にどうとも言えないんですけど」
「う、うん」
「音楽室に出入りするときは、後ろの方を通って、机や椅子にぶつからないようにするべきだと思うんですよ」
光の届かなくなった音楽室は暗く静かだ。深海を映しているような永海の瞳は、明るい場所で見た方がずっときれいだ。雷閃は掴んだままだった永海の腕を引っ張って音楽室の後ろへ連れて行った。
「こっちの方が通路が広いし」
永海は無言のまま雷閃に従った。音楽室を出ると星田先生は鍵を閉めて職員室に戻って行った。非常勤なのでいつもいるわけではないけど、来られる日は来るから、と言って手を振っていた。
校舎を出て駐輪場へ向かう。里穂子は琴に好きなバンドの話をしている。琴は後輩に慕われて照れくさそうだ。その二人からすこし間を開けた後ろを雷閃と永海が続く。
「……朝来くんってさぁ、なんかさ、アレだよね」
永海は雷閃の方を見ずに言った。
「アレってなんですか。悪口なら聞きませんよ」
「ちょっとだけかっこいいとき、あるよね」
「そ、……うですか。ありがとうございます」
太陽が落ちてしまっていてよかった、と雷閃は遅くまで指導をしてくれた星田先生に感謝した。まだ梅雨はあけていないが真夏のような暑さを感じる。
こういう気まずさは知らない。
雷閃は歩き方を忘れたようなぎこちなさで駐輪場を目指した。