日曜日。雷閃は目覚ましのない朝が苦手だ。休日だから寝ていてもいいのに、何かをしなければならない気がして目が覚める。宿題も予習も済ませてあるから何もしなくていいはずなのに焦燥感に駆られてベッドを出る。
 母はパート。父は仕事。家には誰もいない。母は休日が固定ではないので出勤、父は休日出勤。小学生のころまでは、日曜日は家族で遊ぶ日だった。公園に行ったり、夏はプールに、冬はスキー場に。雷閃は自分が愛された子供だと自覚している。
 だから琴の言った「家族を守るために不幸になる」という理論も理解できないことはない。家族のために働く。家族を守るために保険に入る。そういう話はきっと誰もが理解できる。
 しかし「家族のために不幸になる」とは、どういうことだろうか。永海の家族は娘の不幸を嗤って快楽を得るような、最低のクズなんだろうか。そうとは思えない。永海の髪はいつでもさらさらで手入れがされている。制服にもアイロンがかけられていて、ぴしりとしている。育児放棄されていたような過去もうかがえない。
 永海の母親は娘に弁当を作ってくれるひとだ。親だからという義務だけで高校生の娘に弁当は作れまい。食堂もあるし、購買もある。娘への愛情がなければ朝早く起きて自分が食べない弁当なんて作れはしないだろう。
 雷閃は一階に降りて冷蔵庫を開けた。朝に母が作っておいてくれたチャーハンを温めて食べる。雷閃の母は総菜があまり好きではない。昔から、お母さんの方がおいしいからね、と言って対抗心を燃やしていた。
 最近、雷閃は購買やコンビニで総菜パンなんかを買って食べるようになった。母のチャーハンを口に入れながら、母の言葉は本当だな、と実感した。