今日はサボりです、と永海は音楽室の前で腕を組んだ。その隣で琴がにこにこと笑っている。
「サボり、ですか」
「サボり、です。お腹すいたのでサボります」
「また弁当食い損ねたんですか」
「んーん。食べたけどお腹はすくよ」
当然のように言い放って永海は雷閃と琴を引き連れ学校を出た。琴も自転車通学だった。別に偏見というわけではないが琴は自転車には乗らないと思っていた。風になびく黒髪は芸術品のようだった。
「なに食べる?」
「あー。ラーメンにします」
「いいね! 琴ちゃんは?」
「わたしもラーメンにしましょうか」
「えっ⁉」
雷閃が驚きの声を上げると琴は意味深に微笑んだ。
「なにか?」
「いや、その……夕飯前じゃないですか」
「夕飯を食べるとしても今はお腹が減っていますよ」
とてもラーメンなんて食べるようなひとではないと思った。これは偏見。高級な喫茶店で優雅に紅茶を飲んでいそうなイメージだった。意外と庶民的らしい。
「琴ちゃんはすぐお腹すいちゃうんだよね」
悪気のない永海の言葉には琴も若干の引っかかりを感じたようだ。
「……えぇ、わたしは頭脳の方に大量のエネルギーを使っていますからね。それだけ補給も必要なんですよ」
オン太のフードコートのテーブルに水を置いて席を確保する。永海は今日もポテトを食べたいと言ってファーストフード店に向かった。雷閃は琴と一緒にラーメン屋の列に並ぶ。
「五月女先輩って大食いなんですね」
「もう一度仰ってみなさい」
「すんません。でもいいじゃないですか。好きなもんいっぱい食えるって嬉しいでしょ」
「……それには共感しますけれど」
雷閃は醤油ラーメンを、琴は塩ラーメンを注文した。ふたりがテーブルに戻ろうと振り向いたら、永海が先に戻っているのが見えた。Mサイズのポテトを手に何か考えている。
そしてテーブルの端の方にポテトを置いた。落ちてしまうぎりぎりに置かれたポテトは不安定に揺れている。
雷閃は早足で席に戻った。琴が小さく「待って」と言ったのは聞こえないふりをした。
「落としますよ」
今にも落ちそうなポテトをテーブルの真ん中に置きなおす。永海はまるでいたずらを叱られた子供のような顔で「え……あ、ありがと」と気まずそうに言った。
「食べものを無駄にするのは褒められないことだと思いますけど」
「……ッ、あ、うん。ごめんね。違うの。あの」
うろたえる永海は、ぜんぜん「かわいそうでかわいい子」なんかじゃなかった。不幸な目に遭えば悲しそうにするくせに、その悲しみを得るために不幸を作り出している。雷閃には理解できない。
「永海、冷める前に食べましょう?」
隣に座った琴は永海をなだめるように言った。琴は雷閃と同じく、永海が不幸を生み出そうとする瞬間を目撃したはずだ。琴はそれでいいと思っているらしい。どうせ永海がポテトを台無しにしたって、自分がラーメンをわけてあげればいいと思っているんだろう。
不可解だ。どうして彼女らは幸福であろうとしないのか。
「朝来くんは醤油ラーメンが好きなの?」
無事救われたポテトをほおばって永海が尋ねた。先ほどの奇行なんてさっぱり忘れた顔で。
「なんでも好きですよ。塩もとんこつも、美味ければなんでも」
ここのラーメンは初めて食べたが、なかなかおいしい。以前壮介と来たときは豚丼を食べたが、学生向けの大盛な上においしくて最高の一品だと思った。
「安良田先輩って腹減ったって言う割に小食なんですね」
雷閃が指摘すると、永海はかちりと動きを止めた。しかしそれは一瞬で、すぐに笑顔になった。へたくそな笑顔だ。雷閃は壮介の上手な笑顔を知っているから永海の不自然さに気づいてしまう。
「そうなの。わたしも琴ちゃんみたいにいっぱい食べられ……たら……」
あっ、という顔で永海は言葉を切った。しまった、とでも言いたげにうつむく。触れてはいけない話題が多すぎる。雷閃は攻撃的な気持ちになる。
「……あの、もしかして、なんですけど」
「永海は昔から小食なんですよ」
雷閃を遮って琴は永海に微笑みかけた。永海はぎこちなく笑ってうなずいた。雷閃はラーメンを食べるついでにため息をつく。関わって欲しくないなら誘わないで欲しい。
全員が食べ終えるとトレーを返却してオン太を出た。全員が気まずさを抱えている。五月が終わる。また一年生の内に退部だろうか、と雷閃は夏に向けてぎらぎらと輝きを増す太陽を憎く思った。