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「……っっ」
視界が暗転したかと思うと、どうやら梓に全てを話した日の夜まで戻っていた。目の前には、さっきまで僕の真上で息を絶やしかけていた……いや、絶やしたのかもしれない梓が、グラスに注いだソーダを飲んでいる。
戻ってる、戻ってるけど……!
「……こ、これじゃ……」
この分岐じゃ……この時点に戻るんじゃ、また夏祭りの日で梓が爆発に巻き込まれて死んでしまう。
なんだよ、こんなの、こんな仕打ちないよ。まるで、これじゃあ、
「……諦めろって……言っているようなものじゃないか……」
目の当たりになっている詰みの局面に、僕は思わず両膝の上にポロポロと涙を零し始める。
「凌佑? きっ、急にどうしたの? な、何かあったの?」
梓にしてみれば、いきなり目の前で男が外見を憚らず泣き始めたものだから、あわあわと右手を僕に差し出そうとする。
「……たった今、過去に戻ってきたんだ」
「へ……? 今?」
「……この後、佑太から週末の夏祭りに誘われて、みんなでそれに行くんだけど、そこで、爆発に遭って、梓が……死んだ」
「じゃ、じゃあ」
「……僕と梓が付き合うことが問題なんじゃない。僕と梓がふたりで幸せになることが問題だったんだ」
そうとしか思えない。でなければ、四度目の世界なんて生まれるはずがなかったんだ。
「そ、そんな」
僕の話を聞き、梓は肩を震わせて何も掴んでいない両手を遠い目で見つめる。
「……それじゃ、私たち、やっぱり……」
再度、悲しみの淵に叩き落とされた梓は、きっと前と同じように孤独になることを選ぶつもりだ。
「……待って、まだ、まだ話は終わってないんだ」
梓が言葉の続きを紡ぐ前に、僕は涙で潤んでしまった声で、遮る。
「梓が……『あの言葉』が足枷になってるから、それさえやり直せたら、全部終わるって、言って」
「……『あの言葉』って、幼稚園のときに私が言った? 十年以上、やり直さないと駄目って、私が言ったってことなの……?」
「……そ、そういうこと……になるかな」
もう、よりどころが梓の遺言しかない。なんでそんなことを口走ったかはわからないけど、状況を理解している梓が、死の直前で適当なことを言うはずがない。
方法は、それしかないんだ。
「じゅ、十年も時間、巻き戻せるのかな……。私がやったことあるのは、一年くらいが最長だし……」
「……二年半は巻き戻る。十年はわからない。わからないけど……やらないと……」
迎える未来は、
「梓が死ぬか、僕らが諦めるかの二択しかないんだ……」
この二通りだけ。
「……でも、なんで急に幼稚園のことを……私は……」
梓が善意で言った「死んじゃったお母さんの代わりに僕を幸せにできるね」という言葉。そんな言葉ひとつで何かが変わってしまうのか、とも思えてしまうけど、言霊って単語が存在するくらいだし、しかもそれを発したのは神社でだ。もう既に時間遡行っていうぶっ飛んだことを経験している身からすれば、多少のことには驚かないけど。
「……それは……僕にもよくわからない」
あの言葉に、一体何の意味があったというんだ。それを十年経った今掘り返して、何をしろって言うんだ。
「あっ」
ふたりして考えに考え込んでいると、ふと、梓が何か思い出したように、声をあげた。
「梓? どうかした? 何か、わかったの?」
僕が尋ねると、梓は申し訳なさそうに首をすくめてみせては、
「……もしかしたら……だけどね」
ゴクリとか細い喉を鳴らし、
「……凌佑が言い返したほうに、原因があるのかも……って思って」
「……ぼ、僕が……?」
空気に溶けてしまいそうな大きさで、呟いた。
「あっ、いやっ、いやねっ? べ、別に凌佑のせいって言いたいわけじゃなくてっ。……そもそもあんなひどいこと言った私のせいなんだけど」
あのとき、僕、なんて言い返したんだ? 怒ったのは覚えている。でも、頭に血が上ってカッとなったから、具体的な言葉までは記憶していない。
「……な、何を言ったの、僕」
それがこの地獄のような繰り返しに繋がっているかと思うと、身構えずにはいられない。
「……えっと、ね。……『梓なんて大嫌いだ。絶対梓のお世話になんかならないもん』だったかな」
「……それは……なんていうか……ごめん」
張本人の僕が聞いてもえげつない。お世話にならないって、医者嫌いが言う台詞なんじゃ……。
「ううん、全然っ。……しばらくして仲直りしたし、それに、軽はずみであんなこと言った私だって、悪いし……」
……もし言霊が本当にあるのなら、今僕は完璧に怒られても仕方ない状況だよね。もろ梓に日々お世話になっているし。
「……じゃあ、この現象は、本当に神様の意地悪か何か、ってこと……になるのかな」
「そう、なんじゃないかな……」
「時間を、巻き戻せるのも……それと同じで」
「……ただ、私たちを痛い目に遭わせるためだけなら、こんな力与えなくてもいい。一度目の世界で凌佑が死んだ世界線で進行させ続ければいいだけの話だった。きっと、試練か何か、なんじゃないかな……。そして、タイムリープは、それを乗り越えるための、道具」
「……梓が嫌いだなんて、思ったことない、けど」
一度でも言い放ってしまったそれが、梓の言う足枷になっているとするなら、
「……やり直す、しかないのか……」
十年という、とんでもない期間になるけど。梓との未来を望むのであるなら、やるしかない。
「そ、そうだよね」
梓は、強張った顔で自分のスマホを手に取っては、僕の左手を取って繋ごうとする。
「……ふたり、一緒にやり直せるのが一番いいし、試すだけやってみない……? 今までだと、凌佑が不幸にならないと私はタイムリープできなかったけど、ひょっとしたらできるかもしれないし」
「……僕も同じだった。……ま、まあ、試す価値はある、よね」
しかし、ふたりの手を重ねてみても、なかなか意識は反転しない。あの、ぐるぐると世界がひっくり返るような感覚は、僕にも梓にも、訪れなかった。
「……や、やっぱり、いざっていうときじゃないと、駄目なのかな……」
萎れた様子で口にする梓。なんとなく、理解はしていたけど……。
「……とりあえず、明日っ。明日も試してみよう?」
気を取り直し、僕がそう言うと、梓は困ったような笑みを浮かべては、
「わかった。明日、ね」
と言い残し、前回の世界線よりも早い時間に僕の家を後にしていった。その後、佑太から届いた夏祭りのお誘いは、意味があるかはわからないけど、何も対策をせずに行くと同じ轍を踏むのはわかりきっているので、用事がある、ということにして行かないことにした。
「……っっ」
視界が暗転したかと思うと、どうやら梓に全てを話した日の夜まで戻っていた。目の前には、さっきまで僕の真上で息を絶やしかけていた……いや、絶やしたのかもしれない梓が、グラスに注いだソーダを飲んでいる。
戻ってる、戻ってるけど……!
「……こ、これじゃ……」
この分岐じゃ……この時点に戻るんじゃ、また夏祭りの日で梓が爆発に巻き込まれて死んでしまう。
なんだよ、こんなの、こんな仕打ちないよ。まるで、これじゃあ、
「……諦めろって……言っているようなものじゃないか……」
目の当たりになっている詰みの局面に、僕は思わず両膝の上にポロポロと涙を零し始める。
「凌佑? きっ、急にどうしたの? な、何かあったの?」
梓にしてみれば、いきなり目の前で男が外見を憚らず泣き始めたものだから、あわあわと右手を僕に差し出そうとする。
「……たった今、過去に戻ってきたんだ」
「へ……? 今?」
「……この後、佑太から週末の夏祭りに誘われて、みんなでそれに行くんだけど、そこで、爆発に遭って、梓が……死んだ」
「じゃ、じゃあ」
「……僕と梓が付き合うことが問題なんじゃない。僕と梓がふたりで幸せになることが問題だったんだ」
そうとしか思えない。でなければ、四度目の世界なんて生まれるはずがなかったんだ。
「そ、そんな」
僕の話を聞き、梓は肩を震わせて何も掴んでいない両手を遠い目で見つめる。
「……それじゃ、私たち、やっぱり……」
再度、悲しみの淵に叩き落とされた梓は、きっと前と同じように孤独になることを選ぶつもりだ。
「……待って、まだ、まだ話は終わってないんだ」
梓が言葉の続きを紡ぐ前に、僕は涙で潤んでしまった声で、遮る。
「梓が……『あの言葉』が足枷になってるから、それさえやり直せたら、全部終わるって、言って」
「……『あの言葉』って、幼稚園のときに私が言った? 十年以上、やり直さないと駄目って、私が言ったってことなの……?」
「……そ、そういうこと……になるかな」
もう、よりどころが梓の遺言しかない。なんでそんなことを口走ったかはわからないけど、状況を理解している梓が、死の直前で適当なことを言うはずがない。
方法は、それしかないんだ。
「じゅ、十年も時間、巻き戻せるのかな……。私がやったことあるのは、一年くらいが最長だし……」
「……二年半は巻き戻る。十年はわからない。わからないけど……やらないと……」
迎える未来は、
「梓が死ぬか、僕らが諦めるかの二択しかないんだ……」
この二通りだけ。
「……でも、なんで急に幼稚園のことを……私は……」
梓が善意で言った「死んじゃったお母さんの代わりに僕を幸せにできるね」という言葉。そんな言葉ひとつで何かが変わってしまうのか、とも思えてしまうけど、言霊って単語が存在するくらいだし、しかもそれを発したのは神社でだ。もう既に時間遡行っていうぶっ飛んだことを経験している身からすれば、多少のことには驚かないけど。
「……それは……僕にもよくわからない」
あの言葉に、一体何の意味があったというんだ。それを十年経った今掘り返して、何をしろって言うんだ。
「あっ」
ふたりして考えに考え込んでいると、ふと、梓が何か思い出したように、声をあげた。
「梓? どうかした? 何か、わかったの?」
僕が尋ねると、梓は申し訳なさそうに首をすくめてみせては、
「……もしかしたら……だけどね」
ゴクリとか細い喉を鳴らし、
「……凌佑が言い返したほうに、原因があるのかも……って思って」
「……ぼ、僕が……?」
空気に溶けてしまいそうな大きさで、呟いた。
「あっ、いやっ、いやねっ? べ、別に凌佑のせいって言いたいわけじゃなくてっ。……そもそもあんなひどいこと言った私のせいなんだけど」
あのとき、僕、なんて言い返したんだ? 怒ったのは覚えている。でも、頭に血が上ってカッとなったから、具体的な言葉までは記憶していない。
「……な、何を言ったの、僕」
それがこの地獄のような繰り返しに繋がっているかと思うと、身構えずにはいられない。
「……えっと、ね。……『梓なんて大嫌いだ。絶対梓のお世話になんかならないもん』だったかな」
「……それは……なんていうか……ごめん」
張本人の僕が聞いてもえげつない。お世話にならないって、医者嫌いが言う台詞なんじゃ……。
「ううん、全然っ。……しばらくして仲直りしたし、それに、軽はずみであんなこと言った私だって、悪いし……」
……もし言霊が本当にあるのなら、今僕は完璧に怒られても仕方ない状況だよね。もろ梓に日々お世話になっているし。
「……じゃあ、この現象は、本当に神様の意地悪か何か、ってこと……になるのかな」
「そう、なんじゃないかな……」
「時間を、巻き戻せるのも……それと同じで」
「……ただ、私たちを痛い目に遭わせるためだけなら、こんな力与えなくてもいい。一度目の世界で凌佑が死んだ世界線で進行させ続ければいいだけの話だった。きっと、試練か何か、なんじゃないかな……。そして、タイムリープは、それを乗り越えるための、道具」
「……梓が嫌いだなんて、思ったことない、けど」
一度でも言い放ってしまったそれが、梓の言う足枷になっているとするなら、
「……やり直す、しかないのか……」
十年という、とんでもない期間になるけど。梓との未来を望むのであるなら、やるしかない。
「そ、そうだよね」
梓は、強張った顔で自分のスマホを手に取っては、僕の左手を取って繋ごうとする。
「……ふたり、一緒にやり直せるのが一番いいし、試すだけやってみない……? 今までだと、凌佑が不幸にならないと私はタイムリープできなかったけど、ひょっとしたらできるかもしれないし」
「……僕も同じだった。……ま、まあ、試す価値はある、よね」
しかし、ふたりの手を重ねてみても、なかなか意識は反転しない。あの、ぐるぐると世界がひっくり返るような感覚は、僕にも梓にも、訪れなかった。
「……や、やっぱり、いざっていうときじゃないと、駄目なのかな……」
萎れた様子で口にする梓。なんとなく、理解はしていたけど……。
「……とりあえず、明日っ。明日も試してみよう?」
気を取り直し、僕がそう言うと、梓は困ったような笑みを浮かべては、
「わかった。明日、ね」
と言い残し、前回の世界線よりも早い時間に僕の家を後にしていった。その後、佑太から届いた夏祭りのお誘いは、意味があるかはわからないけど、何も対策をせずに行くと同じ轍を踏むのはわかりきっているので、用事がある、ということにして行かないことにした。