それから、さして名案が浮かぶわけでもなく、迎えた夏祭りの日当日。
 待ち合わせ場所に僕と梓、ふたりで行くと、もう既に佑太と羽季は到着していて、
「おーい、こっちこっちー」
 人混みのなかでも一段と通る声で佑太が僕らに手を振った。なお、今日の彼のシャツの文字は……「初物」。
 ……え? どういう意味で? 自虐しているのそれって? とかなんとか僕らが来る前に羽季がいじっているだろうから、僕はあえて触れないでおいた。
「あれ、梓浴衣じゃないの? 梓は着てくると思ったんだけどなー」
 羽季はシンプルな白地のシャツに、足首くらいの丈のスカートを合わせてきていた梓の格好を見て、若干不満そうな顔をする。
「だ、だって……はっ、恥ずかしいし、羽季は普段着で行くって言ってたから……」
「保谷だって、梓の浴衣見たかったよね?」
「えっ? あ、いや、僕はどっちでも……」
 前の世界線で既に見たことがあります、とは羽季に言うわけにはいかない。それに、梓が浴衣を着るとどこか残っているあどけなさとか子供っぽさが際立って似合いすぎてしまう。独占欲とかじゃないけど、あの姿は、僕だけの記憶にとどめておきたい、とか思う。
「そこは見たかったって言うところでしょ、保谷」
「あーはいはい、その見ていてじれったいふたりは置いておいて、とりあえず行こうぜ? 俺、腹減ってさあ」
「練馬は食い意地張りすぎ」
 と、出だしからそれなりに騒がしいコミュニケーションを取りつつ、僕ら四人は、屋台が並ぶ会場内へと足を踏み入れた。

「いやー、やっぱり祭りは焼きそばに限るよなー、うま、はふはふ」
「……焼きそばに限らず色々食べてるじゃない……練馬」
 祭り会場に入るなり、相当お腹が空いていた佑太は、目についた屋台に次々に入っていき、ありとあらゆるご飯を食べ尽くしていた。
 焼きそば、たこ焼き、クレープ、りんご飴、わたあめ、かき氷……エトセトラエトセトラ。そんな彼を渋い顔で眺めながら羽季は、
「梓と凌佑も、このままこの食いしん坊に付き合っていると、一緒に食い倒れるから、今のうちに遊びに行きたいところ行ったほうがいいと思うよ?」
 僕らふたりの顔を交互に見回してそう提案する。
「ほら、早く行った行ったっ。あ、ちゃんとはぐれないように手は繋ぐんだよー」
「おっ、おわっ」「はわわっ」
 僕らふたりの返事を待つことなく、羽季は半ば強引に背中を押して、人波押し寄せている屋台通りに流し込んだ。
 羽季のなすがまま、僕は梓と一緒に夏祭りを回ることになってしまった。いや、別に嫌なわけではないんだけど。
「……な、なんか、ふたりきり、にさせられちゃったね……」
 すぐ隣を歩く梓は、どこか申し訳なさそうに後ろを気にしつつ口にした。
「……佑太と羽季、僕らに気を回しすぎな気もするんだけどね」
「……それだけ、私たちがじれったい、ってことなんじゃないかな」
 梓が夏の夜空に浮かぶ月を見上げながら放った一言に、僕はチクリと心を痛める。
 わかっている。佑太や羽季に他意なんてない。純粋に僕らに上手くいって欲しいと思っての行動なんだ。
 でもそれは紛れもなく、僕も、梓にも、心に若干のやるせなさを生んでいた。
「あ、凌佑、射的。射的やろうよっ」
 そんな、共通した沈んだ気持ちを晴らすべく、梓はわざとらしく明るい声音で言っては、すぐ近くにある射的屋へと入っていった。
「すみません、一回お願いします」
「はいよ、お嬢ちゃん」
 僕が追いついた頃にはもうお金を払い終わっていて、梓はおもちゃの銃を構えて狙いを定めていた。
「何が欲しいの?」
「えっと、そうだね……狙いは大きくゲーム! って言いたいところだけど、落とせる気がしないから、あの小さなぬいぐるみかな」
「妥当なところかもね」
「よし、じゃあ……!」
 梓はそうして、手のひらサイズの小さなぬいぐるみめがけて引き金を引くも、なかなか弾は当たってくれず、明後日の方向へと飛んでしまう。
「あ、あれ、ぜ、全然当たらないや……」
 見かねた僕は、梓の横にすっと立っては、
「……梓、ちゃんと脇締めて銃を固定しないと、ブレて狙い通り飛ばない」
 彼女の腕をそっとずらしては、姿勢を変えさせてみる。
「え、あっ、そ、そうなんだ」
「あと、引き金はなるべくゆっくり引いたほうがいい、それで少しは狙えるようになるはず」
「へえ……あっ、ほんとだ、さっきよりも良くなったっ」
 梓が撃った弾は、今度はぬいぐるみのすぐ側を掠めたようで、多少は改善されたみたいだ。
「次が、ラストか」
「うん、今度こそ……」
 真剣な面持ちの梓が構えた銃から放たれた、最後の一発は、
「あっ、当たった!」
 見事に狙いのぬいぐるみに的中こそしたけど、
「あ、あれ、た、倒れない……」
 当たりどころが悪かったみたいで、少し位置がずれた程度で、ぬいぐるみを倒すところまではいかなかった。
「んんー、惜しいねえ。もう一回やってくかい?」
 射的屋のおじさんが梓に尋ねると、苦笑いをした彼女は、そっと銃を置いて、
「いえ、これでやめておきます、ありがとうございました」
 そう言って、僕の手を引いて屋台を後にした。
「毎度ありー」
「いいの? 梓」
 射的屋を後にして、また人波激しい通りに戻る。そろそろ花火の打ち上げの時間も近いようで、さっきよりも人の数が増えている気もする。
「うん。そこまでしてぬいぐるみが欲しかったわけじゃないし、楽しかったから全然大丈夫」
「梓がそう言うなら、まあ……」
「……ちょっと、休憩しない? 人混み凄くて、疲れちゃった私」
「う、うん。僕は別に……」
 そうして、僕と梓は混雑度合いが激しいメインの通りを外れて、いくらか混み具合がマシな脇道に逸れた。
 脇にずれるだけで大分人の数は減って、空いているベンチを見つけて一休みすることもできた。
「はい、梓。ジュース」
 僕は、近くの自販機で買ったオレンジジュースを梓に手渡す。喉が渇いた、って話だったので、休憩がてらにジュースで一杯することに。
「ありがとう、凌佑。はい、これお金」
 梓からジュース代を受け取り、僕は自分で買ってきたメロンソーダ、梓はオレンジジュースをそれぞれ開けて、ひとくち呷る。
「……花火の時間になる前に、練馬君や羽季たちと合流したほうがいいよね、多分」
「そうかもね。人多くて電波通じないし、花火始まると身動きとれなくなるだろうし」
「じゃあ、一休み終わったら、ふたりのところ戻ろっか」
「オッケー」
 特に取り留めのない話をいくつかして、お互いジュースを半分くらい飲み干したタイミング。ふと、隣に座る梓が、
「……来年も、再来年も、こんなふうにできていたら、いいのにな」
 いつかの夏と同じようなことを、呟いた。
「これから先も、凌佑と、どこか出かけて、羽季や、練馬君とも、遊べたら……どれだけ、いいんだろう」
 彼女の言葉に、僕は何も返すことができなかった。
 その願いは、僕も同じであるのにもかかわらず。
「ねえ、凌佑、これからなんだけど──」
 梓がくるっと隣の僕のほうを向いて、何か大事なことを話そうとした瞬間、刺激的な香りが鼻腔をくすぐった。
 あまりにも一瞬の出来事だったので、それが何の香りかはわからなかった。それよりも、次のときには、耳を疑うような爆発音が至近距離で鳴り響いた。
 文字通り、ドカン、と近くにあるものを吹き飛ばすような音が。
 気がつけば、ベンチに座っていたはずの僕は、地面に仰向けになって倒れていたし、僕の体を覆いかぶさるように、梓もその上に重なっていた。
「……い、一体何が……」
 辺りを見回すと、僕らの座っていたベンチの真後ろの屋台が、今まさに火に包まれていた。比喩とかそういうのではなく、火災が、発生していた。
 その様子を見て、ようやく僕は何が起きたのかを、ある程度理解することができた。
 ……ガスか何かが漏れて、それが引火したんだ。
 そんなことより、早くこの場を離れないと、焼け死んでしまう。
「梓、大丈夫? 起き上が……」
 僕は覆いかぶさっている梓に声をかけて、地面から立ち上がろうとしたのだけど、彼女から返事がなかったことに、戦慄した。
「梓……? 梓? 大丈夫? 大丈夫だよね?」
「……り、凌佑……」
 ようやく聞こえた梓の声は、お世辞にも無事と言えるようなものではなく、よく見ると、彼女の首筋から血が流れているのが確認できた。
 そして、梓の背中近くに、屋台の骨となっていたはずの、一本の鉄パイプが、赤黒く塗られ転がっているのも。
「……う、嘘だろ」
 なんで、だって、告白を回避したのに、どうして。
「あ、梓っ! しっかりしろ! 大丈夫か? 大丈夫だよね? 梓!」
 今ここで、梓がこんな目に遭っているんだ。
 もしかして、僕らが付き合わなくても、ふたりで協力して望む未来を探そうとすることさえも、許してくれないのか。
「……凌佑、ご、ごめんね……に、二十回目、になっちゃって……」
 僕の胸元に力なく倒れ込んだままの梓が、掠れた声で謝る。
「そ、そんな縁起でもないこと言うな! まだ、だって、まだ!」
 取り乱す僕を落ち着かせるためか、梓は残された力を振り絞って、右手で僕の頬に触れる。……生ぬるい、血の感触がした。
「……聞いて、ね。……あ、あの言葉。あの言葉が……足枷に……」
「あ、あの言葉って……。……梓? 梓! 駄目だ、死んじゃだめだ! 梓っ!」
 だけど、今にも目前で幼馴染が死にそうになっているのに、落ち着いていられるはずもなく。
「……だ、だから……それさえ、やり直せたら……きっと……」
「っっっ!」
「……ぜ、ぜんぶ、おわるから──」
 梓がそう言いかけた瞬間、僕の頬に触れていたはずの右手が、支える力を失って、バタンと音を立てて地面を叩きつけた。
「……梓。嘘だって言ってよ、梓」
 ついさっきまで、隣で笑っていたはずの彼女は、目を閉じたまま、何も返事をしてくれない。つまるところ、それは、
「あああああああ!」
 僕にもう一度、過去に飛ぶ覚悟をさせるには十分なものだった。
 梓の持っていた小さなカバンから、あのストラップがついたスマホを取り出しては、僕は祈り始める。
 戻して、戻してください!
 何を、何を間違ったんだ、僕は……! もう、どうすればいいんだ、どうしたら!
 僕らは、幸せになれるんだ。