翌朝。梓はいつもと同じ時間に僕の家にやって来て、ベッドの上で眠っている僕を優しく揺り起こした。
「……凌佑、凌佑。朝だよ、遅刻するよ」
朝とはいえ夏の陽射しがモロにカーテンの隙間から差し込んでいて、うっすらと寝汗が浮かんでいるのが気持ち悪い。
「ん……あ、ありがとう……」
夏服の制服姿の梓を見上げると、伸ばしている右腕の袖から、普段彼女の目にすることのない部分の真っ白な肌が視界に入り、慌ててベッドから起き上がる。
「……ちょ、ちょっとシャワー浴びてくる」
「うん。朝ご飯、もうそろそろ出来上がるから」
「……ありがと」
昨日のこともあるので、やや張りついた顔色でふらふらと浴室に入った僕は、熱いお湯で汗と一緒に余計な思考を全て洗い流した。
……こんな状態じゃ、梓に何かあったとき、対応できない。
梓に何と言われようと、いずれ起きる事故から、守らないといけないんだ。
「……これだって、我慢すれば……我慢すれば」
梓が死ぬ未来を迎えるよりは、幾分かマシな現在だ。
朝シャンから手早くドライヤーで髪を乾かし、制服に着替えた僕は、ぱっちり目覚めた状態でリビングに入り、梓の作った朝ご飯を食べた。
どこかぎこちない空気に梓となってしまったのは否めない。食事中も、登校中も、梓は一言も口を開かなかった。ずーっと、斜め下を向いて、何か考えている様子で。
僕も僕で、そんな無口の彼女に話しかける余裕を持ち合わせてはおらず、ただただひたすら、周囲の様子を警戒する機械と化していた。
学校に着き、まずひとつ安心だ、と胸を撫で下ろした僕が下駄箱を開けると、僕の背筋が凍る光景がそこにあった。
「…………」
上履きが、ボロボロになっていた。正確に言うなら、ハサミかナイフで靴紐とか、かかとの部分を切り刻んでいて、しかも、
「……水でもぶっかけたのかな」
およそ無縁のはずの、びしょ濡れという概念が、僕の上靴には当てはまっていた。
「……凌佑?」
僕が下駄箱で長い間固まって靴を履き替えなかったことに梓は気づき、件の下駄箱のなかを覗き込む。
「っっっ──」
瞬間、すぐに顔を真っ赤にした彼女は、駆け足で職員玄関のほうへと向かっていき、帰って来た際には、両手にスリッパを持っていた。
「……これ」
「……あ、ありがと」
「……酷いよ、こんなの、いくらなんでも」
僕がスリッパに履き替えるより先に、上気しきった頬の梓は、掠れた声で呟いてから、
「ちょっと、私言ってくる」
完全に怒ったときの梓の口調になっていた。普段はどこか緩ささえ感じさせるトーンだけど、怒るとその柔らかさは完全に失われて、硬さだけが残る。
「まっ、待てって梓っ」
今にも教室に飛び込んで、首謀者を問い詰めようとしている梓の手を取って、僕は引き留めた。
「なっ、なんで凌佑! だって、こんなの駄目だよ! 許せるわけないよ! 今までは凌佑がいいって言ってたから我慢してたけど……こんなの」
僕が引き留めたことにも納得はしていないようで、梓は強引に僕の手を引きはがして教室に進もうとするけど、それに負けじと僕は力いっぱい梓の手を掴んで、行かせないようにする。
「……どうせ誰がやったかなんてわかんないよ。それに、犯人がわかったところで、僕の扱いが変わるわけでもないし」
それに、この件に梓がもし首を突っ込めば、以前のケースみたいに、梓がターゲットになりかねない。それだけは、絶対に避けないといけない。
僕がそう話すと、教室にベクトルが向いていた梓の矢印は途端にその勢いを失くし、
「……やっぱりおかしいよ、凌佑。なんで? なんで我慢しちゃうの? 何かあったの? 変だよ……」
力ない声で、僕に抗議した。最後、
「……何も話してくれないんだったら、わかんないよ……」
今にも干からびてしまいそうな調子で呟いてから、トボトボとした足取りで、先に教室に歩きだしていた。
朝のホームルーム前にまたまた佑太と羽季に呼び出されて、事情聴取されたけども、僕が大事にしない、という意思を示すと、不承不承ながらもそれに追従してくれることに。
納得は、していなさそうだったけど。
担任の先生だったり、廊下を歩いているときにすれ違う先生だったりにスリッパのことを聞かれたりするたびに、僕は愛想笑いで誤魔化して「靴紐が切れちゃって」と嘘ともホントともとれる言い訳を並べていた。その言い訳を聞くごとに、隣を歩いていた梓の表情は暗いものになっていたけども。
昼休みに教室で食べるご飯のときも、会話は基本佑太と羽季が回して、たまに僕がそれに混ざるといった様子で、梓はほとんど喋ることはなかった。
五時間目、六時間目もそんな調子で、帰りのホームルームも終了。
無口のままの梓を横に、学校から駅までの道を歩いていた。
機嫌が悪いわけでもないし、具合が悪いわけでもない。
ただ、怒っているだけ。
一切合切、会話という会話を全てそぎ落としたまま最寄り駅の改札を通過し、ホームの前に並んで立って、下りの各駅停車がやって来るのを待つ。それでも、手と手は繋いだままだった。
その間、梓はずっと、悲しそうな顔つきのまま、何やら忙しなくスマホを操作していた。
五分ほど経った頃だろうか、駅真横にある踏切の遮断機が、警報音と共に降り始め、駅には通過電車のアナウンスが鳴り響いた。
すると、
「……ねぇ、凌佑」
タイミングを待っていたかのように、朝から何ひとつ口を開かなかった梓が、か細い声で、僕に尋ねた。
「……私、もしかして……凌佑の邪魔、してたのかな」
視界の端に、通過する特急電車の影が映りこんだ。それと同時に、梓が一歩、ホームの端に歩み寄る。
初め、一体何のつもりなのか、僕には全くわからなかった。
「ぇ……じゃ、邪魔って、そ、そんなこと」
「……でも、凌佑が変になったの」
けど、くるりと振り向いて、今まで見たこともない泣き笑いをする梓の顔を見て、雷が落ちたように僕の体に電流が走った。
「私と、付き合い始めてから、だよ?」
いや、待て。まさか、そんな馬鹿なことあるわけが。だとしたら、
「……今の凌佑が、全然幸せそうに見えないの、全部、私のせいなんじゃないかなあって」
僕は、守りたかったはずの梓を、無意識のうちに、追い詰めていたことになる。そんなこと、
──瞬間、ホームの最後尾に差し掛かっていた特急電車から、力強い警笛が僕らに向かって響き渡った。繋いでいたはずの、僕の右手と梓の左手は、気づいたときにはもう既に離れていて。
そんなこと、そんなわけ。
「あっ、梓待てっ、それだけは絶対にっ──」
僕が叫んで止めようとしたとき、梓は僅かな微笑みとともに、手にしていたスマホの画面下部をタッチした。
すぐに、ポケットにしまっている僕のスマホが振動する。慌てて内容を確認しようとして、ロック画面を開くと、
たかのあずさ:ごめんね
その一言が。
過去一番の悪寒が背筋に走り、スマホから視線を前に移すと、
「梓、やめろおおおおお!」
ホームの端から、今にも落下しようとしている梓の姿が。
離してしまった彼女の左手を、なんとか必死に掴もうとするけど、僕と梓の間にあった、一メートルにも満たない距離は、遠くて、遠くて。
伸ばした右手は虚しくも空を切って、僕の目の前に、梓が左手に持っていたスマホがポトリと落ちたとき、
何かが、弾ける音がした。
すぐに電車は急ブレーキをかけて停車をしたけど、僕に線路に止まっている電車の様子を見る勇気なんてあるはずもなく、代わりに聞こえてくる周囲の人からの悲鳴で、何もかもが手遅れ、終わってしまったことを知った。
「……なんで……なんで! どうして……!」
大切にしたい人が、必ず同じ運命を辿るんだ……!
「うまくいってくれないんだ……! 何回、何回繰り返しても……!」
両手両膝をホームについて崩れ落ちる僕。涙で視界は歪むし、あげる声だって鼻水交じりの変な音になる。アスファルトでできたホームに、ポタリポタリと、涙なのか鼻水なのかわからないけど、染みが浮かび始める。
「……しかも、今回は、自殺って……そんなの……そんなのあるかよ……! じゃあ全部、全部……」
鼻の奥から鈍い痛みが駆け抜けたと同時に、
「僕のせいってことじゃないかよ……!」
深い自責の念が、口を衝いて出た。
ふと、わなわなと震える右手に、時間差でスマホがバイブした。恐る恐る目をむけると、
たかのあずさ:私じゃ、どれだけやっても、凌佑を幸せにできない
文字通り、最後のメッセージが通知センターに表示されていた。
それは、そんなのは、
「……こっちの台詞だよ」
僕じゃ、どれだけやっても、梓を幸せにできない。
「……こっちの、……こっちの台詞だよ! あああ……! 梓……!」
取り返しがつかない。もう、僕に過去をやり直すことはできない。
どれだけ願っても、祈っても、奇跡なんて希っても、梓はもう、返ってこない。
どうすればよかった? 梓からの告白を振ればよかったのか?
違う、そんなことをしても、以前の世界線の焼き直しになるだけだ。
じゃあ、僕が梓を守ることにピリピリせず、いつも通りにいればよかったのか?
それだって、どこかのタイミングで似たようなことが起きた。自転車に轢かれそうになったし、階段から落ちそうにもなった。
僕が、所沢さんからの告白を強引に振ればよかったのか?
……でも、それはそれで角が立つ。同じように横手さんに詰られる展開になったかもしれない。
「……じゃあ、どうすれば、どうすれば……よかったんだ……僕は……」
そもそも、こういう運命なのか? 僕と梓は、絶対にうまくいかない、そんな呪いにでもかかっているのか?
……だとしても、それを跳ねのける、つもりでいたのに……。
遠くから、駅員さんたちの慌ただしい声が聞こえ始める。パトカーなのか、救急車なのか、はたまたその両方なのか、サイレンの音も、ほのかに耳に入ってくる。
何もかもが終わり、この世の全てと、自分の無力さに絶望しだしたとき、僕はホームに梓のスマートフォンが落ちていることを思い出した。
そして、梓のスマホには、かつて僕が持っていたのと同じストラップが、つけられている。
「……お願いします」
震える手で、スマホを手に取り、砂時計型のそれを、僕はギュッと握りしめる。藁にも縋る思いで、祈る。
「……戻って、戻ってくれ……!」
奇跡でも偶然でも、なんでもいい。戻らせてください。
何だってする、地獄に落ちても構わない。この先一生、どんなことがあっても、受け入れるから。
だから、だから──
もう一度だけ、僕に、チャンスをください……!
「頼む、頼むよ……!」
僕は、僕はただ……!
笑っている君と一緒に、春を迎えたいだけなんだ。
「やり直させてくれよ……! もう一度!」
一向に起こらない奇跡に、僕が諦めとともに一滴の涙を零し、砂時計に落下したとき。
ぐるっと、世界が反転しだす感覚に襲われた。
「っっっ! これって……!」
……梓。もしかして、君も、
僕と同じだったのか?
「……凌佑、凌佑。朝だよ、遅刻するよ」
朝とはいえ夏の陽射しがモロにカーテンの隙間から差し込んでいて、うっすらと寝汗が浮かんでいるのが気持ち悪い。
「ん……あ、ありがとう……」
夏服の制服姿の梓を見上げると、伸ばしている右腕の袖から、普段彼女の目にすることのない部分の真っ白な肌が視界に入り、慌ててベッドから起き上がる。
「……ちょ、ちょっとシャワー浴びてくる」
「うん。朝ご飯、もうそろそろ出来上がるから」
「……ありがと」
昨日のこともあるので、やや張りついた顔色でふらふらと浴室に入った僕は、熱いお湯で汗と一緒に余計な思考を全て洗い流した。
……こんな状態じゃ、梓に何かあったとき、対応できない。
梓に何と言われようと、いずれ起きる事故から、守らないといけないんだ。
「……これだって、我慢すれば……我慢すれば」
梓が死ぬ未来を迎えるよりは、幾分かマシな現在だ。
朝シャンから手早くドライヤーで髪を乾かし、制服に着替えた僕は、ぱっちり目覚めた状態でリビングに入り、梓の作った朝ご飯を食べた。
どこかぎこちない空気に梓となってしまったのは否めない。食事中も、登校中も、梓は一言も口を開かなかった。ずーっと、斜め下を向いて、何か考えている様子で。
僕も僕で、そんな無口の彼女に話しかける余裕を持ち合わせてはおらず、ただただひたすら、周囲の様子を警戒する機械と化していた。
学校に着き、まずひとつ安心だ、と胸を撫で下ろした僕が下駄箱を開けると、僕の背筋が凍る光景がそこにあった。
「…………」
上履きが、ボロボロになっていた。正確に言うなら、ハサミかナイフで靴紐とか、かかとの部分を切り刻んでいて、しかも、
「……水でもぶっかけたのかな」
およそ無縁のはずの、びしょ濡れという概念が、僕の上靴には当てはまっていた。
「……凌佑?」
僕が下駄箱で長い間固まって靴を履き替えなかったことに梓は気づき、件の下駄箱のなかを覗き込む。
「っっっ──」
瞬間、すぐに顔を真っ赤にした彼女は、駆け足で職員玄関のほうへと向かっていき、帰って来た際には、両手にスリッパを持っていた。
「……これ」
「……あ、ありがと」
「……酷いよ、こんなの、いくらなんでも」
僕がスリッパに履き替えるより先に、上気しきった頬の梓は、掠れた声で呟いてから、
「ちょっと、私言ってくる」
完全に怒ったときの梓の口調になっていた。普段はどこか緩ささえ感じさせるトーンだけど、怒るとその柔らかさは完全に失われて、硬さだけが残る。
「まっ、待てって梓っ」
今にも教室に飛び込んで、首謀者を問い詰めようとしている梓の手を取って、僕は引き留めた。
「なっ、なんで凌佑! だって、こんなの駄目だよ! 許せるわけないよ! 今までは凌佑がいいって言ってたから我慢してたけど……こんなの」
僕が引き留めたことにも納得はしていないようで、梓は強引に僕の手を引きはがして教室に進もうとするけど、それに負けじと僕は力いっぱい梓の手を掴んで、行かせないようにする。
「……どうせ誰がやったかなんてわかんないよ。それに、犯人がわかったところで、僕の扱いが変わるわけでもないし」
それに、この件に梓がもし首を突っ込めば、以前のケースみたいに、梓がターゲットになりかねない。それだけは、絶対に避けないといけない。
僕がそう話すと、教室にベクトルが向いていた梓の矢印は途端にその勢いを失くし、
「……やっぱりおかしいよ、凌佑。なんで? なんで我慢しちゃうの? 何かあったの? 変だよ……」
力ない声で、僕に抗議した。最後、
「……何も話してくれないんだったら、わかんないよ……」
今にも干からびてしまいそうな調子で呟いてから、トボトボとした足取りで、先に教室に歩きだしていた。
朝のホームルーム前にまたまた佑太と羽季に呼び出されて、事情聴取されたけども、僕が大事にしない、という意思を示すと、不承不承ながらもそれに追従してくれることに。
納得は、していなさそうだったけど。
担任の先生だったり、廊下を歩いているときにすれ違う先生だったりにスリッパのことを聞かれたりするたびに、僕は愛想笑いで誤魔化して「靴紐が切れちゃって」と嘘ともホントともとれる言い訳を並べていた。その言い訳を聞くごとに、隣を歩いていた梓の表情は暗いものになっていたけども。
昼休みに教室で食べるご飯のときも、会話は基本佑太と羽季が回して、たまに僕がそれに混ざるといった様子で、梓はほとんど喋ることはなかった。
五時間目、六時間目もそんな調子で、帰りのホームルームも終了。
無口のままの梓を横に、学校から駅までの道を歩いていた。
機嫌が悪いわけでもないし、具合が悪いわけでもない。
ただ、怒っているだけ。
一切合切、会話という会話を全てそぎ落としたまま最寄り駅の改札を通過し、ホームの前に並んで立って、下りの各駅停車がやって来るのを待つ。それでも、手と手は繋いだままだった。
その間、梓はずっと、悲しそうな顔つきのまま、何やら忙しなくスマホを操作していた。
五分ほど経った頃だろうか、駅真横にある踏切の遮断機が、警報音と共に降り始め、駅には通過電車のアナウンスが鳴り響いた。
すると、
「……ねぇ、凌佑」
タイミングを待っていたかのように、朝から何ひとつ口を開かなかった梓が、か細い声で、僕に尋ねた。
「……私、もしかして……凌佑の邪魔、してたのかな」
視界の端に、通過する特急電車の影が映りこんだ。それと同時に、梓が一歩、ホームの端に歩み寄る。
初め、一体何のつもりなのか、僕には全くわからなかった。
「ぇ……じゃ、邪魔って、そ、そんなこと」
「……でも、凌佑が変になったの」
けど、くるりと振り向いて、今まで見たこともない泣き笑いをする梓の顔を見て、雷が落ちたように僕の体に電流が走った。
「私と、付き合い始めてから、だよ?」
いや、待て。まさか、そんな馬鹿なことあるわけが。だとしたら、
「……今の凌佑が、全然幸せそうに見えないの、全部、私のせいなんじゃないかなあって」
僕は、守りたかったはずの梓を、無意識のうちに、追い詰めていたことになる。そんなこと、
──瞬間、ホームの最後尾に差し掛かっていた特急電車から、力強い警笛が僕らに向かって響き渡った。繋いでいたはずの、僕の右手と梓の左手は、気づいたときにはもう既に離れていて。
そんなこと、そんなわけ。
「あっ、梓待てっ、それだけは絶対にっ──」
僕が叫んで止めようとしたとき、梓は僅かな微笑みとともに、手にしていたスマホの画面下部をタッチした。
すぐに、ポケットにしまっている僕のスマホが振動する。慌てて内容を確認しようとして、ロック画面を開くと、
たかのあずさ:ごめんね
その一言が。
過去一番の悪寒が背筋に走り、スマホから視線を前に移すと、
「梓、やめろおおおおお!」
ホームの端から、今にも落下しようとしている梓の姿が。
離してしまった彼女の左手を、なんとか必死に掴もうとするけど、僕と梓の間にあった、一メートルにも満たない距離は、遠くて、遠くて。
伸ばした右手は虚しくも空を切って、僕の目の前に、梓が左手に持っていたスマホがポトリと落ちたとき、
何かが、弾ける音がした。
すぐに電車は急ブレーキをかけて停車をしたけど、僕に線路に止まっている電車の様子を見る勇気なんてあるはずもなく、代わりに聞こえてくる周囲の人からの悲鳴で、何もかもが手遅れ、終わってしまったことを知った。
「……なんで……なんで! どうして……!」
大切にしたい人が、必ず同じ運命を辿るんだ……!
「うまくいってくれないんだ……! 何回、何回繰り返しても……!」
両手両膝をホームについて崩れ落ちる僕。涙で視界は歪むし、あげる声だって鼻水交じりの変な音になる。アスファルトでできたホームに、ポタリポタリと、涙なのか鼻水なのかわからないけど、染みが浮かび始める。
「……しかも、今回は、自殺って……そんなの……そんなのあるかよ……! じゃあ全部、全部……」
鼻の奥から鈍い痛みが駆け抜けたと同時に、
「僕のせいってことじゃないかよ……!」
深い自責の念が、口を衝いて出た。
ふと、わなわなと震える右手に、時間差でスマホがバイブした。恐る恐る目をむけると、
たかのあずさ:私じゃ、どれだけやっても、凌佑を幸せにできない
文字通り、最後のメッセージが通知センターに表示されていた。
それは、そんなのは、
「……こっちの台詞だよ」
僕じゃ、どれだけやっても、梓を幸せにできない。
「……こっちの、……こっちの台詞だよ! あああ……! 梓……!」
取り返しがつかない。もう、僕に過去をやり直すことはできない。
どれだけ願っても、祈っても、奇跡なんて希っても、梓はもう、返ってこない。
どうすればよかった? 梓からの告白を振ればよかったのか?
違う、そんなことをしても、以前の世界線の焼き直しになるだけだ。
じゃあ、僕が梓を守ることにピリピリせず、いつも通りにいればよかったのか?
それだって、どこかのタイミングで似たようなことが起きた。自転車に轢かれそうになったし、階段から落ちそうにもなった。
僕が、所沢さんからの告白を強引に振ればよかったのか?
……でも、それはそれで角が立つ。同じように横手さんに詰られる展開になったかもしれない。
「……じゃあ、どうすれば、どうすれば……よかったんだ……僕は……」
そもそも、こういう運命なのか? 僕と梓は、絶対にうまくいかない、そんな呪いにでもかかっているのか?
……だとしても、それを跳ねのける、つもりでいたのに……。
遠くから、駅員さんたちの慌ただしい声が聞こえ始める。パトカーなのか、救急車なのか、はたまたその両方なのか、サイレンの音も、ほのかに耳に入ってくる。
何もかもが終わり、この世の全てと、自分の無力さに絶望しだしたとき、僕はホームに梓のスマートフォンが落ちていることを思い出した。
そして、梓のスマホには、かつて僕が持っていたのと同じストラップが、つけられている。
「……お願いします」
震える手で、スマホを手に取り、砂時計型のそれを、僕はギュッと握りしめる。藁にも縋る思いで、祈る。
「……戻って、戻ってくれ……!」
奇跡でも偶然でも、なんでもいい。戻らせてください。
何だってする、地獄に落ちても構わない。この先一生、どんなことがあっても、受け入れるから。
だから、だから──
もう一度だけ、僕に、チャンスをください……!
「頼む、頼むよ……!」
僕は、僕はただ……!
笑っている君と一緒に、春を迎えたいだけなんだ。
「やり直させてくれよ……! もう一度!」
一向に起こらない奇跡に、僕が諦めとともに一滴の涙を零し、砂時計に落下したとき。
ぐるっと、世界が反転しだす感覚に襲われた。
「っっっ! これって……!」
……梓。もしかして、君も、
僕と同じだったのか?