その頃、バン爺とシアンはアイリス伯領に向けて旅路を引き返していた。
道中の岩山でバン爺はシアンに言った。
「もしかしたら、穏便にいかんこともあるかもしれん」
「……。」
「お前さん、ヒーリングとテイマー以外には、何の術式を使えるのかね?」
シアンは周囲を見わたすと目を閉じた。
「ふむ……。」
シアンの術式はすぐに分かった。ふたりの周りを風が取り巻き始めた。風の術式だった。
「……親父さんにこれを身につけるようにと?」
「……うん」
「アイリス伯らしいのう。風の術式は応用すれば天候を操ることができる。あくまで理論上はじゃがな。汎用性も可能性も高い、戦前も今も志望者が絶えん分野じゃ」
バン爺は空を見上げた。空を厚い雲が覆い始めていた。マナの異常な変動を感じた馬が、なき声をあげて騒がしくなる。
「……なんと」
バン爺が“理論上は”と言ったその場でシアンは実践に移っていた。
「予想通りと言うか、図抜けた力じゃのう……。もうええよ」
バン爺がそう言うと、シアンが術式を解除し、空の雲は生き物のように散っていった。
「凄まじい力じゃが、細かいコントロールがまだと見える」
バン爺は周囲を見わたす。
「……お前さん、オドの放出でここの岩を、どれかひとつ破壊できるかね?」
シアンはうなずくと、目についた岩に右の手のひらを向けた。
シアンが目をつぶると、シアンの蒼色の長髪がなびき始めた。再び馬たちが騒がしくなる。
「……ふむ。見てるだけでオドのみなぎりが分かるわい」
目を開き、オドを解放するシアン。すると、シアンから20メートルほど離れたところにあった、大人の背丈ほどの大きさの岩石が轟音と共に砕け散った。小さな破片がバン爺の胸元を打った。
「ほっほ、たいしたもんじゃのう。……じゃが、ちぃと効率が悪いかのう」
シアンは不思議そうにバン爺を見る。破壊力としては申し分なかったはずだ。
バン爺もシアンのように目を閉じる。シアンと違い周囲に変化はなく、馬も大人しかった。
バン爺は右手の人差し指をたてた。その指先が青白く光る。
岩石を指さすバン爺。その方向、5メートル先にあったのは、シアンが破壊したものよりも大きい岩石だった。
バン爺の人差し指から、一筋の光線が放たれた。光線が岩石を貫く。
岩石には小さな空洞がポッコリと空いていた。
「……ふむ」
オドを放出し終えたバン爺を、キョトンとした表情で見るシアン。貫通力はすさまじいのかもしれないが、破壊とまではいかなかった。
しかし、そんなシアンの困惑を気にする様子もなくバン爺は岩石を見ている。
「……バン爺さん、どうしたの?」
「そろそろかの」
「そろそろ?」
すると、岩石がぴしりぴしりと音を立て始めた。
「え?」
貫通した穴からひびが入り、やがてそのひびは岩石全体に広がり始めた。そして、岩石はがらがらと音を立てて崩壊した。
「……すごい」
「何がすごいかね?」
「えっと……何がって……。」
「ふむ。まずお前さんの壊した石よりも大きかったな。じゃが、それはワシが壊れやすい石の種類を選んだからじゃ。次に、お前さんよりずっと小さなオドを使うた。じゃが、ワシはオドを一点集中させたんじゃ。……ただそれだけの事じゃな」
「……。」
「じゃが、結果は結果じゃ。……シアンや、数日前にワシがアッシュとやりおうた時のことを覚えておるかね?」
シアンはうなずいた。
「正直、オドの総量でいえば、奴はワシなど比べ物にならんほどの力を持っておった。じゃが、結果はあの通りじゃ。……天地人じゃの」
「てんちじん?」
「天の時、地の利、人の和、戦いの時にはこれを意識しなければならん。戦うべき時を知り、そうでない時は戦いを避ける。状況を知り利用し、相手には利を取られないようにする。相手を良く知り、自分の事は知られないようにする。三つそろえば勝利は確実、力量の差があっても二つがそろえば五分五分と言ったところじゃろう。……そうじゃなければ、とっとと逃げることじゃな」
そう言って、バン爺はか細い声で笑った。
説得力しかなかった。シアンはバン爺がアッシュを倒すのを目撃している。父親に命じられて目指しているだけだった魔術師。ただ恐怖から逃れたい一心だった。しかしこの瞬間、少年は初めて師というものを知ったように思った。
「じゃが、天の時も地の利も向こうに握られとる。せめて相性じゃが、アイリス伯はワシのことなど、もうとうに感づいとるじゃろうからなぁ……。」
「……どうするの?」
「人生ままならぬもんじゃなっ」
バン爺は笑った。不思議な趣のある笑顔だった。
道中の岩山でバン爺はシアンに言った。
「もしかしたら、穏便にいかんこともあるかもしれん」
「……。」
「お前さん、ヒーリングとテイマー以外には、何の術式を使えるのかね?」
シアンは周囲を見わたすと目を閉じた。
「ふむ……。」
シアンの術式はすぐに分かった。ふたりの周りを風が取り巻き始めた。風の術式だった。
「……親父さんにこれを身につけるようにと?」
「……うん」
「アイリス伯らしいのう。風の術式は応用すれば天候を操ることができる。あくまで理論上はじゃがな。汎用性も可能性も高い、戦前も今も志望者が絶えん分野じゃ」
バン爺は空を見上げた。空を厚い雲が覆い始めていた。マナの異常な変動を感じた馬が、なき声をあげて騒がしくなる。
「……なんと」
バン爺が“理論上は”と言ったその場でシアンは実践に移っていた。
「予想通りと言うか、図抜けた力じゃのう……。もうええよ」
バン爺がそう言うと、シアンが術式を解除し、空の雲は生き物のように散っていった。
「凄まじい力じゃが、細かいコントロールがまだと見える」
バン爺は周囲を見わたす。
「……お前さん、オドの放出でここの岩を、どれかひとつ破壊できるかね?」
シアンはうなずくと、目についた岩に右の手のひらを向けた。
シアンが目をつぶると、シアンの蒼色の長髪がなびき始めた。再び馬たちが騒がしくなる。
「……ふむ。見てるだけでオドのみなぎりが分かるわい」
目を開き、オドを解放するシアン。すると、シアンから20メートルほど離れたところにあった、大人の背丈ほどの大きさの岩石が轟音と共に砕け散った。小さな破片がバン爺の胸元を打った。
「ほっほ、たいしたもんじゃのう。……じゃが、ちぃと効率が悪いかのう」
シアンは不思議そうにバン爺を見る。破壊力としては申し分なかったはずだ。
バン爺もシアンのように目を閉じる。シアンと違い周囲に変化はなく、馬も大人しかった。
バン爺は右手の人差し指をたてた。その指先が青白く光る。
岩石を指さすバン爺。その方向、5メートル先にあったのは、シアンが破壊したものよりも大きい岩石だった。
バン爺の人差し指から、一筋の光線が放たれた。光線が岩石を貫く。
岩石には小さな空洞がポッコリと空いていた。
「……ふむ」
オドを放出し終えたバン爺を、キョトンとした表情で見るシアン。貫通力はすさまじいのかもしれないが、破壊とまではいかなかった。
しかし、そんなシアンの困惑を気にする様子もなくバン爺は岩石を見ている。
「……バン爺さん、どうしたの?」
「そろそろかの」
「そろそろ?」
すると、岩石がぴしりぴしりと音を立て始めた。
「え?」
貫通した穴からひびが入り、やがてそのひびは岩石全体に広がり始めた。そして、岩石はがらがらと音を立てて崩壊した。
「……すごい」
「何がすごいかね?」
「えっと……何がって……。」
「ふむ。まずお前さんの壊した石よりも大きかったな。じゃが、それはワシが壊れやすい石の種類を選んだからじゃ。次に、お前さんよりずっと小さなオドを使うた。じゃが、ワシはオドを一点集中させたんじゃ。……ただそれだけの事じゃな」
「……。」
「じゃが、結果は結果じゃ。……シアンや、数日前にワシがアッシュとやりおうた時のことを覚えておるかね?」
シアンはうなずいた。
「正直、オドの総量でいえば、奴はワシなど比べ物にならんほどの力を持っておった。じゃが、結果はあの通りじゃ。……天地人じゃの」
「てんちじん?」
「天の時、地の利、人の和、戦いの時にはこれを意識しなければならん。戦うべき時を知り、そうでない時は戦いを避ける。状況を知り利用し、相手には利を取られないようにする。相手を良く知り、自分の事は知られないようにする。三つそろえば勝利は確実、力量の差があっても二つがそろえば五分五分と言ったところじゃろう。……そうじゃなければ、とっとと逃げることじゃな」
そう言って、バン爺はか細い声で笑った。
説得力しかなかった。シアンはバン爺がアッシュを倒すのを目撃している。父親に命じられて目指しているだけだった魔術師。ただ恐怖から逃れたい一心だった。しかしこの瞬間、少年は初めて師というものを知ったように思った。
「じゃが、天の時も地の利も向こうに握られとる。せめて相性じゃが、アイリス伯はワシのことなど、もうとうに感づいとるじゃろうからなぁ……。」
「……どうするの?」
「人生ままならぬもんじゃなっ」
バン爺は笑った。不思議な趣のある笑顔だった。