マゼンタたちがバン爺の下へ行くと、執事はマゼンタたちにも「お連れ様ですね」と頭を下げた。禿げ上がった頭の光る60代半ばの男だった。うりざね顔で、口には白髪交じりのちょび髭があった。

「どうぞこちらへ」

 そうして、3人は屋敷の中に通された。
 3人が執事の案内で屋敷の石畳の廊下を歩いていると、中年の男が遠くから早歩きでこちらに向かってきた。薄くなった髪を坊主頭に刈り込み、太く真っ黒い眉毛の下の目は、加齢のたるみで涙袋が大きくなっていたが、それでも眼光の鋭さは遠くからでも見てとれる、(いか)めしそうな男だった。真っ黒な詰襟(つめえり)姿は、男が高貴(こうき)な身分であることをうかがわせる。
 その男が近づいてくると、執事は廊下の(すみ)に移動し小さく頭を下げた。
 軍人のような厳しいその男も、バン爺の前に到着すると執事と同じように恐縮した顔になった。

「ローゼス(きょう)ではありませんか」
 男の声も、顔に似合わず聞き心地の良い声をしていた。
「……久しぶりじゃな、ダリア伯」と、バン爺は少しぎこちない様子で笑顔を作った。
「まったく、お人が悪いっ。事前に知らせていただければ、ご足労いただかなくとも使いの者をお迎えに上がらせましたのにっ」
「なに、急な用事じゃったからな……。」
「ささ、こちらへどうぞ。恥ずかしながら、まともなおもてなしはできませんが……。」
「どうか気を使わんでくれ、突然お邪魔したんじゃから」
「何をおっしゃいます。あなたの事です、きっと何か事情があったのでしょう」
 ダリア伯は執事に言う。
「おい、この方たちのお部屋を用意しろ。そして今すぐ夕食の準備もな。私に恥をかかせるなよっ」
「はっ、ただいま」

 執事は「こちらへどうぞ」と、3人を来客の部屋に案内した。部屋は十分広かったが、ベッドはふたつしかなかった。

「ローゼス卿のお部屋はまた別に用意します。お食事の用意ができるまでこちらでお待ちください」

 執事はうやうやしくお辞儀をすると部屋から出ていった。
 マゼンタはベッドに腰を掛けると、足を組み腕を組んで、窓辺にたたずむバン爺を睨んだ。

「……ローゼス卿」
 そう言うマゼンタに、バン爺は左肩を小さく上げ首を傾けた。
「ロ・オ・ゼ・ス・きょ・う」
「何じゃい、くどいのう」
「……シアンくん、“卿”って何?」

 バン爺とシアンはずっこけた。

「……やっぱり、おかしいと思ってました」とシアンは言った。
「シアンくん?」

 バン爺はふたりから目をそらし、窓の外から見える星空を眺めていた。

「最初に見せていただいた術式もそうだし、叔父さんを退(しりぞ)けた時もそうです。あの強力な術式。何より、“卿”の敬称(けいしょう)があなたにはついてる。……バン爺さん、ローゼス卿は上位の等級をお持ちの魔術師なんですよね?」

 バン爺は外から視線を戻したが、ふたりに合わせることはなかった。

「……嘘はついとらんかったぞ。かつては持っとっただけでな」
「……“かつて”?」
「後にも先にもおらんじゃろうな、自分から1級を捨てた魔術師は」
「……それって誰さ?」
「話の流れからしたらバン爺さんしかいないよ……。」
「マジで!? なんで!? てか1級!? マジですごくない!? てか何で!? てか捨てた!?」
語彙(ごい)が馬鹿になっとるな」
「あのダリア伯が、あなたに恐縮する理由もうなずけます。1級魔術師、それは王の隣で国政に(たずさ)わっていたという事ですから……。」
「妙にかしこまった口調はやめんかい。今はただのジジイじゃ。等級は更新せずに無効になっとる」
「どうして1級をやめちゃったのさ? それに、その白い腕輪は?」

 バン爺は右手の腕輪を見た。

「これは息子の形見じゃよ」
「……へぇ。じゃ、何で等級を捨てたの?」
「あれやこれやと疲れてしもうてな。まぁ、ええじゃろ。ジジイの昔話何ぞ」
「なに言ってんのさ、みんなこの旅でお互いの事を知るようになったんだから、バン爺だけ身の上を隠すなんて、そりゃないよ」
「だてにジジイじゃない。長い上に退屈じゃぞ」
「墓に入る前に全部吐き出しちゃいなよ」
「とどめを刺す時みたいに言うな」
「ぼくからもお願いします」
「シアン……。」
「ぼくと父が目指そうとしてる場所が、いったいどういうところなのか知っておきたいんです」
 バン爺が咳をしたように乾いた笑いを上げる。
「参考になりゃせんぞ、それでも聞くかね?」
 シアンはうなずいた。
 バン爺は木製の丸椅子に座ると静かに語り出した。
「……ええじゃろ。……ワシはただ本当に運が良かったんじゃよ。何十年も前に戦争があったのは知っとろう。激しい大戦でな。その時にめぼしい魔術師が命を落としてしもうて、ワシがバリバリの現役じゃった頃には、上の世代がほとんどおらんかった。しかし制度上は、定められた数の等級魔術師を置く必要があった。そこで、そこそこの研究で成果をだして数人の弟子の育成をしておったワシが2級に任命されての。ワシからすればそれだけでも身に余る評価じゃったんじゃが、それから数年すると、今度は国政に関わる1級魔術師をどうしても決めんといかんようになった。当時の現任者がたて続けに寿命でくたばったんじゃよ。で、わずかな上級魔術師とアカデミーの会員が集まって審査会が開かれてのう。もちろん、2級のワシも出席したよ。数日間会議は続いたが、ワシの世代は不作の世代と言われるくらい、ワシを含めてめぼしい人間はいなくての、なかなか結論が出らんかった。そんな時、きっかけは忘れたが、誰かがふとワシを推挙(すいきょ)したんじゃ。ワシにはそんな野心は全くなかったんじゃが、それが逆に評価になったようでの。不思議なことに、皆がワシならばよいだろうと次々に同意し始めたんじゃ。無難という理由でな。結局、ワシも断る理由もないもんで、そのままなし崩し的に1級になってしまったんじゃ。まあつまり、“(はき)()めに鶴”“棚からぼた(もち)”が重なっての1級じゃよ。……どうじゃ、参考にならんじゃろう?」

 話し終えたバン爺は自嘲気味(じちょうぎみ)に笑った。

「どうして1級をやめたんですか?」
「器じゃったからな。実際は二流ていどのワシが、この国の最高の魔術師と称えられるのも申し訳なくってのう」
「……父さんは、1級魔術師は本当の実力があるものが成るものだ、と昔から言ってました。そうじゃないと、国が乱れてしまうと」
「アイリス伯ならばそう言うじゃろうな」
「父さんを……知ってるんですか?」
「まぁのう。野心に溢れた男じゃったよ。お前さんの親父さんが等級魔術師だった頃にはもうワシも1級じゃったから、あまり関わりはなかったかな。たぶんあの男からすれば、ワシみたく運と談合で1級になったモンは気に食わんかったろうな。……シアンや、お前さんは今の話を聞いても、まだ1級を目指そうと思うかね」
「……それは」
「お前さんにとって、そんなにも価値のある事かい?」
「1級魔術師は……父さんの目標なんです。そのためにぼくは物心ついた頃か父さんから指導を受けて……。もし、ぼくが1級を目指さないなんて言い出したら、父さんの努力が……。」
「前にも言ったかもしれんがのう、これはお前さんの人生なんじゃぞ? そのためにおまえさんの人生をないがしろにするのかね?」
「……でも、ぼくが成功すれば……父さんも喜んでくれるし」
「シアンくんって、意外とお父さんのことが好きなんだね」とマゼンタが言った。
「好きっていうか……。やっぱり喜んでほしいっていうか……。その、父さんはそんなに悪い人じゃないんだ。お酒を飲むのも、ぼくが上手く魔術を使えなかったりする時だけだから……。」
「手をあげるのも?」

 バン爺は口の過ぎるマゼンタを(たしな)めるように見た。マゼンタは何が問題あるのかという顔をする。

「それは……。」
「シアンや、どれだけ才気があろうと、お前さんはまだ子供じゃ。自分の気持ちには正直に向かい合いなさい。子供の内にしっかり子供をやっとかんと、大人にはなれんぞ」
「……はい」

 マゼンタは、さっきの会話の中で気になっていた事をふと思い出した。

「そういえば、さっきシアンくん変なこと言ってなかった?」
「変なこと?」
「あのアッシュって奴の事、叔父さんとか……。」
「アッシュはぼくの本当の母さんの弟なんだ」

 ふたりは驚愕(きょうがく)して口が開きっぱなしになった。

「……早く言いなよ」
「あ、ごめんなさい……言う機会がなくて……。」
「まぁ、そうじゃが……のう……。」

 そうこう話しているところへ執事が入ってきた。

「ローゼス卿、お食事の準備が出来ました」
「おお、そうか。……では行くとしようかの」