日向佳乃が亡くなったのは、秋の終わり頃だった。
結局、彼女は頑なとしてその病名や、詳しい病状を僕には話そうとしなかった。
いや、正確に言うと、クラスメイトの誰にも話さなかった。
何度か病院で会った日向さんの母親や、五十嵐先生も緘口令が敷かれていたようで、詳しいことは話そうとしなかった。
それは、日向さんなりの意地だったらしい。
病気の症状や、薬の副作用で彼女はだんだんと痩せ細っていった。
ただでさえ華奢な彼女が、まるで世界から少しずつ消えていくみたいに儚くなっていった。
そんな日向さんを側で見るのは、本当に辛かった。
胸が苦しくて、苦しくて、刺々の薔薇で心を締め付けているみたいだった。
両親がこの世を去ったときは、本当に突然で、理解が追いつかなかった。
でもこうして、たしかに一人の人間が少しずつこの世界から居場所を失っていく姿は、また別の悲しみがあった。
そして最後は、文字通り眠るように息を引き取った。
そう、眠るみたいに。
彼女の通夜には、同じクラスの同級生が全員参加した。
他にも、もともと在籍していた陸上部の生徒や、過去の同級生、教職員の姿もあった。
もちろん、学校から必ず参加しなさいと強制されたわけでもないのに、あれだけの人数が集まったのは、まさに彼女の人徳の成せる技であるとしか言いようがなかった。
日向さんのお母さんも、夫と娘を同じ病で亡くし、一人残されてしまった悲しみは計り知れない。
しかし、そんな中でも、友人たちとの最後の別れの場を提供し、通夜への参加を受け入れてくれた日向さんの母親も、本当に器の大きい人だと思った。
通夜の間、僕は何も言わずにただ立ち尽くしていた。
参列者の中には、泣き叫ぶようにして悲しむ女の子や、深い悲しみに落ち込む様子のクラスメイトたちが多かった。
僕はその中で紛れるみたいに、ただ涙も流さずぼーっとしていた。
葬儀場の帰り道だった。
式が終わると、僕は誰と話す気にもなれず、その場にいた五十嵐先生にも何も言わずにすぐに会場を後にした。
もう冬の訪れを感じる、冷たい空気を感じながら、コンクリートの道を歩く。
乾燥した冷たい風が、肌を舐めるように吹き付ける。
「……寒いな」
吐く息が少し白んで、綿飴を水に溶かしたみたいに消える。
僕はこうして生きている。
酸素を吸って、二酸化炭素を吐いて、呼吸している。
不意に、目頭から涙が湧いてきた。
涙は垂れることなく、乾いた空気中で小さい泡になって弾けた。
救いたかった。
救いたいと思ってしまった。
もう、わがままも言わないから。
誰のせいにもしないから。
僕の命なんて百個だってあげるから。
だって。
だって君は僕を。
こんな救えない、格好悪くて、気持ち悪くて、最低な僕を。
救ってくれたから。
「……日向さんは死んだ」
自分自身に言い聞かせるように、呟いた。
独りごちた言葉たちは、どこにも行けずに道端の石ころとして転がる。
心の整理なんて、一つだってついてなかった。
心の中は、まるで荒れ狂った海原のように、何もかもが無茶苦茶で、濁流が渦巻いていた。
「ーー染谷」
早足に歩く僕の背中を追いかけるみたいに、呼び止められた。
立ち止まって、服の袖で目頭をゴシゴシと擦る。
顔を上げて振り返ると、そこには鈴木さんが立っていた。
その胸元には、灰色のリボンに、青い流星の刺繍。
もう、リボンを確認する必要はなかった。
顔は覚えられるようになったから。
「鈴木さん……」
「名前、覚えたんだ」
「名前っていうか、顔が分かるようになったんだ」
「なにそれ」
鈴木さんは僕の言葉の意味が分からなかったのか、眉をひそめた。
相貌失認で相手の顔が認識できていなかったことについては、結局クラスメイトの誰にも言っていない。
日向さんは「そんな珍しい体験、みんなに自慢しようよ! テレビ局にインタビューされるかも!」と嬉しそうに騒いでいたけど、丁重にお断りした。
誰かに自分のことを説明するのも、変に注目されたり同情されるのも、苦手だ。
そもそも、僕みたいな暗い奴がそんなことを声高らかに言い出したら、なんだコイツはと白い目で見られかねない。
「ーーアンタと、結局あんまり話してなかったから、いちおう」
そう口にしながら、鈴木さんはこちらに歩を進めた。
住宅街のど真ん中で、高校生の男女がまるでタイマンで喧嘩するかのように向かい合う。
鈴木さんはいきなり、その場で深々と軽く頭を下げた。
「……とりあえず、あのときは悪かったと思ってる。佳乃がおかしくなったのはアンタのせいって、責めたこと」
予想外の行動に、僕は面食らってしまった。
「あ、えっと、うん……」
正直、また日向さんのことで責められると思っていた僕は、拍子抜けした。
頭を上げた鈴木さんは、少しだけ腫れた目をして僕の顔を見つめた。
「聞かせて。染谷は、いつから知ってたの。佳乃が心臓が悪いって」
僕は複雑な感情でざわつく胸の内をなんとか整えながら、俯いてポツリと答えた。
「9月の終わり頃だった。日向さんが救急車で運ばれた日。その前から薬を飲んでることは知ってたけど……もっと軽い病気だと思ってた」
「……そっか」
鈴木さんは僕の返答に、納得したように目を瞑って静かに頷いた。
「私たちが知ったのは、佳乃が亡くなる二週間前だった」
鈴木さんの表情は、涙で腫れた目も相まって、物悲しく耐えられない哀愁を湛えていた。
「ずっと隠そうとしてた。私たちの受験勉強に迷惑かけたくないって……ね」
日向さんは、本当に最後の最後まで周りの人たちを気にして、心配していた。
死の淵に立ってまで、誰かのために生きることのできる、本当に凄い人だった。
「ーーもう、今日は責めないんだね」
僕はそんな言葉を口にしてから気がついた。
意図したものではなかったけど、少し攻撃的な口調だったかもしれない。
鈴木さんはなんとも言えない、気まずそうなふうに目を伏せた。
「だって、アンタは、悪くなかったから」
ポツリと呟かれた慰めの言葉。
何故かは分からない。
でもその一言は、僕の感情の琴線に触れた。
「……って」
張り詰めていた、悲しくて、やり切れない感情が、どうしようもなく溢れ出す。
「僕が全部悪いんだって! 何もできなかった……彼女を救いたいって」
思ってしまった。
傲慢だろう。
人が人を救うなんて、はなから無理な話なのに。
知ってしまった。
人との繋がりの大切さを。
大切な誰かと過ごす、かけがえのない大切な時間。
もう永遠に取り戻せない、楽しかったあの時間が。
悔しくて、悲しくて、とめどなく涙が溢れ出してきた。
ぼたぼたと大粒の雫が零れ落ちる。
「ーーだから嫌だったんだよ」
どうだっていい。
どうだっていい。
どうだっていい。
そのはずだったのに。
一度知ってしまったその生温さは、まるで緩やかに回る蛇の毒のように僕の体を蝕んだ。
知らなければ、こんな辛さも味合わずに済んだのに。
期間限定の幸福の代償は、一生続くかとも思われる激痛だった。
「染谷、アンタが佳乃とどう言う関係だったのか、正直知らないわ。でも佳乃との付き合いで言えば、私たちの方が長いし、仲も良かったって、私は自信を持って言える」
「……鈴木さん」
鈴木さんは僕の激昂にも取り乱すことなく、冷静に僕の顔を見つめた。
「でも、佳乃は自分のことを誰かのせいにしたりしない。それは佳乃に対する侮辱よ」
鈴木さんはそう言って、鋭い双眸で力強く僕を睨みつける。
にわかに訪れた、二人の間に横たわる沈黙。
時間と共に、僕の心に渦巻く感情が少しずつ落ち着いてくのを感じた。
親しい友達だった鈴木さんもきっと、果てしなく深く傷ついているはずだ。
僕だけがこんなふうに言いたいことを言い散らかして、楽になるなんて間違っている。
「……ごめん、取り乱して」
「いいよ」
鈴木さんはゆっくりと、そしてたしかに頷いた。
「ーー僕は、鈴木さんに怒られると思ってた」
日向さんの選んだ「友人たちには出来る限り黙っている」という選択は、正しいものだったのか僕にも分からない。
一緒に過ごせる最後の時間が減ってしまうわけだし、心の準備をする十分な期間もなかった。
そんな中、僕は他のクラスメイトたちよりも先に秘密を知っていて、まだ外出ができた最後の時間を一緒に、そして大切に過ごすことができた。
それは、親友である鈴木さんからしたら、恨まれてもおかしくはない。
「……なんでアンタに怒るのよ。さっきも言ったけど、べつに佳乃が亡くなったのも、病気を隠してたのも、染谷のせいじゃない。最後の時間をアンタと過ごすって、佳乃が選んだんだもの」
鈴木さんをはじめ、クラスメイトの女子生徒たちは、通夜の間泣き崩れている子が多かった。
しかし、鈴木さんは今は目を腫らしながらも、真っ直ぐとした姿勢で僕の目を見ている。
「だから、泣かないで」
「……鈴木さん」
僕は頬を伝って流れた涙の跡を、くたびれた制服の袖で擦るようにして拭く。
「どうするの、これから」
鈴木さんは、僕の目を見ながら問いかけた。
「ーーとりあえず、受験勉強するよ」
それは、かねてより考えていた答えだった。
「切り替えが早いのね」
鈴木さんは予想していた答えと違ったのか、意外そうな表情を浮かべた。
でも、これは本気の答えだった。
彼女が亡くなってから、僕なりに考えたこれからのこと。
暗黒の世界で孤独に過ごしていた僕が、初めて未来について本気で考えた。
日向さんのいない未来で、僕にしかできないこと。
「ーー約束したから、正体を見つけるって」
「約束……」
多分、伝わらないだろうと思った。
世界で、僕と彼女しか分からない、秘密の約束。
僕はくるりと踵を返して、帰途に着いた。
鈴木さんはそれ以上は何も言わず、着いてもこなかった。
再び、コンクリートの道を一人で歩く。
寒さでぼやけた頭の中で、緩やかに思考を巡らせる。
天文台で過ごした、あの時間。
日向さんは僕に、こんな惨めで情けない僕に、世界にとって必要だと言ってくれた。
そうだ。
こんなふうに重力に縛られて地面にへばりつく僕も、いつかなれるだろうか。
彼女のように輝くことはできなくても。
彼女のように大きく、あたりを照らせる存在にはなることはできなくても。
足を動かなしながら、首をもたげて空を見上げる。
ちょうど、夕焼けが夜空に変わる頃だった。
そうだ、あの綺麗な夜空で輝く存在になりたい。
世界のどこかで孤独を感じているかつての僕みたいな人間に、一人じゃないと伝えられる存在になりたい。
夜空に輝く星に。
そう、誰にも見つけられない星に。
結局、彼女は頑なとしてその病名や、詳しい病状を僕には話そうとしなかった。
いや、正確に言うと、クラスメイトの誰にも話さなかった。
何度か病院で会った日向さんの母親や、五十嵐先生も緘口令が敷かれていたようで、詳しいことは話そうとしなかった。
それは、日向さんなりの意地だったらしい。
病気の症状や、薬の副作用で彼女はだんだんと痩せ細っていった。
ただでさえ華奢な彼女が、まるで世界から少しずつ消えていくみたいに儚くなっていった。
そんな日向さんを側で見るのは、本当に辛かった。
胸が苦しくて、苦しくて、刺々の薔薇で心を締め付けているみたいだった。
両親がこの世を去ったときは、本当に突然で、理解が追いつかなかった。
でもこうして、たしかに一人の人間が少しずつこの世界から居場所を失っていく姿は、また別の悲しみがあった。
そして最後は、文字通り眠るように息を引き取った。
そう、眠るみたいに。
彼女の通夜には、同じクラスの同級生が全員参加した。
他にも、もともと在籍していた陸上部の生徒や、過去の同級生、教職員の姿もあった。
もちろん、学校から必ず参加しなさいと強制されたわけでもないのに、あれだけの人数が集まったのは、まさに彼女の人徳の成せる技であるとしか言いようがなかった。
日向さんのお母さんも、夫と娘を同じ病で亡くし、一人残されてしまった悲しみは計り知れない。
しかし、そんな中でも、友人たちとの最後の別れの場を提供し、通夜への参加を受け入れてくれた日向さんの母親も、本当に器の大きい人だと思った。
通夜の間、僕は何も言わずにただ立ち尽くしていた。
参列者の中には、泣き叫ぶようにして悲しむ女の子や、深い悲しみに落ち込む様子のクラスメイトたちが多かった。
僕はその中で紛れるみたいに、ただ涙も流さずぼーっとしていた。
葬儀場の帰り道だった。
式が終わると、僕は誰と話す気にもなれず、その場にいた五十嵐先生にも何も言わずにすぐに会場を後にした。
もう冬の訪れを感じる、冷たい空気を感じながら、コンクリートの道を歩く。
乾燥した冷たい風が、肌を舐めるように吹き付ける。
「……寒いな」
吐く息が少し白んで、綿飴を水に溶かしたみたいに消える。
僕はこうして生きている。
酸素を吸って、二酸化炭素を吐いて、呼吸している。
不意に、目頭から涙が湧いてきた。
涙は垂れることなく、乾いた空気中で小さい泡になって弾けた。
救いたかった。
救いたいと思ってしまった。
もう、わがままも言わないから。
誰のせいにもしないから。
僕の命なんて百個だってあげるから。
だって。
だって君は僕を。
こんな救えない、格好悪くて、気持ち悪くて、最低な僕を。
救ってくれたから。
「……日向さんは死んだ」
自分自身に言い聞かせるように、呟いた。
独りごちた言葉たちは、どこにも行けずに道端の石ころとして転がる。
心の整理なんて、一つだってついてなかった。
心の中は、まるで荒れ狂った海原のように、何もかもが無茶苦茶で、濁流が渦巻いていた。
「ーー染谷」
早足に歩く僕の背中を追いかけるみたいに、呼び止められた。
立ち止まって、服の袖で目頭をゴシゴシと擦る。
顔を上げて振り返ると、そこには鈴木さんが立っていた。
その胸元には、灰色のリボンに、青い流星の刺繍。
もう、リボンを確認する必要はなかった。
顔は覚えられるようになったから。
「鈴木さん……」
「名前、覚えたんだ」
「名前っていうか、顔が分かるようになったんだ」
「なにそれ」
鈴木さんは僕の言葉の意味が分からなかったのか、眉をひそめた。
相貌失認で相手の顔が認識できていなかったことについては、結局クラスメイトの誰にも言っていない。
日向さんは「そんな珍しい体験、みんなに自慢しようよ! テレビ局にインタビューされるかも!」と嬉しそうに騒いでいたけど、丁重にお断りした。
誰かに自分のことを説明するのも、変に注目されたり同情されるのも、苦手だ。
そもそも、僕みたいな暗い奴がそんなことを声高らかに言い出したら、なんだコイツはと白い目で見られかねない。
「ーーアンタと、結局あんまり話してなかったから、いちおう」
そう口にしながら、鈴木さんはこちらに歩を進めた。
住宅街のど真ん中で、高校生の男女がまるでタイマンで喧嘩するかのように向かい合う。
鈴木さんはいきなり、その場で深々と軽く頭を下げた。
「……とりあえず、あのときは悪かったと思ってる。佳乃がおかしくなったのはアンタのせいって、責めたこと」
予想外の行動に、僕は面食らってしまった。
「あ、えっと、うん……」
正直、また日向さんのことで責められると思っていた僕は、拍子抜けした。
頭を上げた鈴木さんは、少しだけ腫れた目をして僕の顔を見つめた。
「聞かせて。染谷は、いつから知ってたの。佳乃が心臓が悪いって」
僕は複雑な感情でざわつく胸の内をなんとか整えながら、俯いてポツリと答えた。
「9月の終わり頃だった。日向さんが救急車で運ばれた日。その前から薬を飲んでることは知ってたけど……もっと軽い病気だと思ってた」
「……そっか」
鈴木さんは僕の返答に、納得したように目を瞑って静かに頷いた。
「私たちが知ったのは、佳乃が亡くなる二週間前だった」
鈴木さんの表情は、涙で腫れた目も相まって、物悲しく耐えられない哀愁を湛えていた。
「ずっと隠そうとしてた。私たちの受験勉強に迷惑かけたくないって……ね」
日向さんは、本当に最後の最後まで周りの人たちを気にして、心配していた。
死の淵に立ってまで、誰かのために生きることのできる、本当に凄い人だった。
「ーーもう、今日は責めないんだね」
僕はそんな言葉を口にしてから気がついた。
意図したものではなかったけど、少し攻撃的な口調だったかもしれない。
鈴木さんはなんとも言えない、気まずそうなふうに目を伏せた。
「だって、アンタは、悪くなかったから」
ポツリと呟かれた慰めの言葉。
何故かは分からない。
でもその一言は、僕の感情の琴線に触れた。
「……って」
張り詰めていた、悲しくて、やり切れない感情が、どうしようもなく溢れ出す。
「僕が全部悪いんだって! 何もできなかった……彼女を救いたいって」
思ってしまった。
傲慢だろう。
人が人を救うなんて、はなから無理な話なのに。
知ってしまった。
人との繋がりの大切さを。
大切な誰かと過ごす、かけがえのない大切な時間。
もう永遠に取り戻せない、楽しかったあの時間が。
悔しくて、悲しくて、とめどなく涙が溢れ出してきた。
ぼたぼたと大粒の雫が零れ落ちる。
「ーーだから嫌だったんだよ」
どうだっていい。
どうだっていい。
どうだっていい。
そのはずだったのに。
一度知ってしまったその生温さは、まるで緩やかに回る蛇の毒のように僕の体を蝕んだ。
知らなければ、こんな辛さも味合わずに済んだのに。
期間限定の幸福の代償は、一生続くかとも思われる激痛だった。
「染谷、アンタが佳乃とどう言う関係だったのか、正直知らないわ。でも佳乃との付き合いで言えば、私たちの方が長いし、仲も良かったって、私は自信を持って言える」
「……鈴木さん」
鈴木さんは僕の激昂にも取り乱すことなく、冷静に僕の顔を見つめた。
「でも、佳乃は自分のことを誰かのせいにしたりしない。それは佳乃に対する侮辱よ」
鈴木さんはそう言って、鋭い双眸で力強く僕を睨みつける。
にわかに訪れた、二人の間に横たわる沈黙。
時間と共に、僕の心に渦巻く感情が少しずつ落ち着いてくのを感じた。
親しい友達だった鈴木さんもきっと、果てしなく深く傷ついているはずだ。
僕だけがこんなふうに言いたいことを言い散らかして、楽になるなんて間違っている。
「……ごめん、取り乱して」
「いいよ」
鈴木さんはゆっくりと、そしてたしかに頷いた。
「ーー僕は、鈴木さんに怒られると思ってた」
日向さんの選んだ「友人たちには出来る限り黙っている」という選択は、正しいものだったのか僕にも分からない。
一緒に過ごせる最後の時間が減ってしまうわけだし、心の準備をする十分な期間もなかった。
そんな中、僕は他のクラスメイトたちよりも先に秘密を知っていて、まだ外出ができた最後の時間を一緒に、そして大切に過ごすことができた。
それは、親友である鈴木さんからしたら、恨まれてもおかしくはない。
「……なんでアンタに怒るのよ。さっきも言ったけど、べつに佳乃が亡くなったのも、病気を隠してたのも、染谷のせいじゃない。最後の時間をアンタと過ごすって、佳乃が選んだんだもの」
鈴木さんをはじめ、クラスメイトの女子生徒たちは、通夜の間泣き崩れている子が多かった。
しかし、鈴木さんは今は目を腫らしながらも、真っ直ぐとした姿勢で僕の目を見ている。
「だから、泣かないで」
「……鈴木さん」
僕は頬を伝って流れた涙の跡を、くたびれた制服の袖で擦るようにして拭く。
「どうするの、これから」
鈴木さんは、僕の目を見ながら問いかけた。
「ーーとりあえず、受験勉強するよ」
それは、かねてより考えていた答えだった。
「切り替えが早いのね」
鈴木さんは予想していた答えと違ったのか、意外そうな表情を浮かべた。
でも、これは本気の答えだった。
彼女が亡くなってから、僕なりに考えたこれからのこと。
暗黒の世界で孤独に過ごしていた僕が、初めて未来について本気で考えた。
日向さんのいない未来で、僕にしかできないこと。
「ーー約束したから、正体を見つけるって」
「約束……」
多分、伝わらないだろうと思った。
世界で、僕と彼女しか分からない、秘密の約束。
僕はくるりと踵を返して、帰途に着いた。
鈴木さんはそれ以上は何も言わず、着いてもこなかった。
再び、コンクリートの道を一人で歩く。
寒さでぼやけた頭の中で、緩やかに思考を巡らせる。
天文台で過ごした、あの時間。
日向さんは僕に、こんな惨めで情けない僕に、世界にとって必要だと言ってくれた。
そうだ。
こんなふうに重力に縛られて地面にへばりつく僕も、いつかなれるだろうか。
彼女のように輝くことはできなくても。
彼女のように大きく、あたりを照らせる存在にはなることはできなくても。
足を動かなしながら、首をもたげて空を見上げる。
ちょうど、夕焼けが夜空に変わる頃だった。
そうだ、あの綺麗な夜空で輝く存在になりたい。
世界のどこかで孤独を感じているかつての僕みたいな人間に、一人じゃないと伝えられる存在になりたい。
夜空に輝く星に。
そう、誰にも見つけられない星に。