「あなた達はもしかしてエクリの方ですか……?」
「あれ? エクリ語が話せるんですか??」
「え、ええ、ちょっとだけなら……」

 珍しい出来事に俺とルアは顔を合わせる。
 翻訳魔法が消滅してから、経過した時間は長いとも短いとも言いづらい。しかし、通訳者や翻訳者の育成は遅遅として進まないばかりか、低レベルの偽通訳者がのさばっている始末であり、それを貴族や役人がありがたがる地獄のような状況が今の時代だ。
 そんなこの時代に他国の言語を非常に自然に、流暢に話せるというのは物珍しいものであった。

 感心していると、青髪の少女は自分の状況を理解したのか、頬が段々と紅くなっていった。

「あの……降ろしてくれませんか? もう歩けるので……」
「ああ、そりゃそうだったな」

 話の流れで完全に忘れていた。もう少し肌の柔さを堪能したかったという名残惜しさを頭の外に放り出す。
 降ろしてやると、青髪の少女はローブに付いたホコリを払って、またぺこりと腰を折った。たらりとポニーテールが首の横に垂れる。

「さっきはすみませんでした……夢中で走ってたものですから、つい……」
「いいですよぉ、この人、こう見えてあんま怒ってないし!」

 勝手に答えるルアの後頭部を軽く叩いた。縮こまる彼女を横目に俺は質問を続ける。

「しかし、まぁ、なんだ。なんであんなふうに走ってたんだ?」

 オーダーメイドの高級そうな服と魔法具を付けている辺り、少なくとも成り上がり商人貴族家とかの出であろう。そんな少女が街中を走り回るなんて、何か理由があるに違いないと俺は踏んでいた。
 少女はうつむきながら、長いため息をついた。

「逃げていたんです」
「逃げていた? 何から?」
「……」

 途端に黙りこくってしまった。俺は腕を組んで、中空を見上げた。どうやらあまり詮索されたくないことらしい。

「私たち実は人を探しているんですよ!」

 いたたまれない空気についつい口が滑ったとばかりにルアが切り出す。俺もそれに乗った。

「隣町のウェーアレスで、グリフィズに宮廷魔導師が居るって聞いてな。そいつを探しているんだ」

 良家の人間ならコネかなんかで知っているだろう、という目測だった。しかし、青髪の少女は苦しそうな表情を浮かべるばかりだった。
 しばらくして、彼女は諦めて呟くように言った。

「多分、それは……わたしのことだと思います」
「えっ?」
「遅ればせながら自己紹介をさせて下さい」

 ルアと俺は恭しくお辞儀をする青髪の少女を目を点にして見るしか無かった。

「わたしの名前はイーファ・レヴィナです。ブレイズ王国宮廷付き魔導師の一人です。一応ですが……」
「俺はキリル・バルトだ。キリルでいい」
「私はルア・ディフェランスですけど……マジですか? こんな女の子が宮廷魔導師って」
「その……ごめんなさい……」
「何故謝る」

 青髪の少女――イーファは縮こまって黙ってしまう。俺はため息を付きながら、先を続けた。

「俺達は翻訳魔法について調べているんだ。何か知っていることがあれば、教えて欲しい」

 本題に入ろうとする。
 しかし、彼女は「翻訳魔法」という言葉を聞いた途端に表情を曇らせた。その表情の機微を俺は逃さなかった。

「もしかして、お前は……」

 イーファの顔は気づかれたか、というような諦めの表情に変わる。

「ええ、翻訳魔法が消えてしまったときの調査に携わっていた魔導師の一人です」
「す、凄いじゃないですか。あの魔法の叡智を扱えるなんて並とかスゴいってレベルの魔導師じゃ無理ですよ! 神……神魔導師だ……っ!」

 また、一人で勝手に興奮しているルアを前にして、イーファはただただ申し訳無さそうな顔をする。

「でも、結局翻訳魔法は取り戻せませんでした」
「それは……」
「肝心なときに力を発揮できない魔導師なんて宮廷にとってはいらない子なんです。それで辞めようとしたら宮廷評議会の人たちが辞めないでってお願いしてきて……」

 イーファは感情を吐露し続けていた。初対面の人間にこれだけ話すものなのだろうか。あるいは、今まで話す機会自体が与えられなかったのかもしれない。しかも、彼女にとってエクリ語で話すことはブレイズの人には分からないという意味で安心できることだったのかもしれない。
 いつの間にか彼女の瞳は涙で潤んでいた。淀んだ空気が重さとなって肩にのしかかるようだ。

「わたしなんてダメなんです……断るにも断れないし、ずるずると宮廷に籍を置いちゃって……」
「ま、気休めにしかならないだろうが評議会にとっては翻訳魔法が復活できなくてもお前が必要だったんだろう」
「そうだと良いんですが……」

 イーファは心配そうな顔をしたままだった。手を前で組んで、もじもじとしながらこちらを見てくる。

「あの、お願いがありまして……」
「なんだ?」
「近く一年に一度の収穫祭が行われるのですが、宮廷から魔法花火を作るよう依頼されていたんです。それを手伝っていただけませんか?」
「はあ、それで俺らにはどんな得があるんだ?」
「……些細なこととは思いますが、お礼として翻訳魔法について話せることを話したいと思います」
「――乗ったぁっ!」

 ルアはがしっとイーファの両手を掴み上げる。イーファは目をパチパチさせていた。

「私たちで完璧な魔法花火を作ってみせますよ、ねえ、キリルさん!」
「独断専行姫め……」

 呆れながらもこの娘の信頼を獲得するには手っ取り早い方法だと気づいていた。