目の前を流れる川を見る。いつの間にか膝丈まで水量が増えていた。清く透明な川の水は陽光を反射して銀細工のように輝いていた。

 長時間慣れない作業を続けるのは骨が折れたが、おかげで川はなみなみと水量を取り戻していた。ルアは誇らしげにその様子を眺めている。水が通るように堆積物を退けたのはほとんど俺だったような気がしなくもないが、無粋なことは言わない。
 上流から帰ってきた俺達を錬金術師のドワーフ達が諸手を挙げて歓迎してくれた。キリルが手を掴み合って約束をしたドワーフは俺達を目にすると急ぎ足で近づいてきた。

『本当に川が元に戻るとは思わなかった。これで仕事に戻れる。そちら行きのポーションもすぐに届けよう』
『そりゃありがたい』

 俺がドワーフとブレイズ語で報告する間、ルアは俺の背後でアネッサと報酬について話し合っていた。なんというか、抜け目ないやつだ。

『それじゃあ、約束通りお礼をさせてもらいたい』
『俺は適当に代金を頂くぜ』
『分かった、用意させよう。そちらの娘たちの要望は何かあるか』
「おい、お礼は何が良いかってよ」

 びくっ!と驚いたようにルアが反応する。

「何でも良いんですか?」
『何でも良いのか?って言ってるが』
『ああ、出来る限りのお礼はしよう』

 ルアに対して頷いて、肯定の返答を示した。彼女はぱあっと表情を明るくする。そして、ドワーフに腰を折って、顔を近づけて質問した。

「じゃ、じゃあ、翻訳魔法について知っていることがあれば教えて下さい!」
「おいおい、そんなすぐに分かることでもないのにがっつくなよ」
『な、なんて言ったんだ。この娘は……?』

 エクリ語で質問されたドワーフのほうは困惑していた。翻訳魔法がない今、ブレイズ語の話者がエクリ語を理解するには人間による翻訳以外に方法はない。
 俺は面倒くささに頭を掻きながら、内容を整理する。

『彼女は翻訳魔法について調べているんだ。何か知っていることはないか?』
『翻訳魔法……? なんたってそんなことを?』

 不思議そうに思うのも無理はない。ドワーフのような職人気質の者たちは興味本位で何かを新しく作り出したりすることが無いからだ。
 俺はそれも含めて、反応に納得しながらも先を促した。

『そういえば、隣町に宮廷魔導師が居るらしいから、そっちに訊いたほうが早えんじゃねえか?』

 ルアの隣にいたドワーフが声を上げる。ルアにまたその内容を説明してやると彼女は目を見開いて喜んだ。

「では、その隣町に行きましょう!」
「次の町までって俺言ってなかったっけか?」
「次の町がその隣町になっただけじゃないですかあ」
「何意味の分からないことを……」

 呆れた様子でルアを見ていたが、なんだかんだ言って騒がしいのにも慣れてきた。利用価値がある間は彼女についていっても良いかもしれない。
 アネッサはそんな二人の様子を見てニコッと笑って、腕を組んだ。組んだ腕の上に胸が乗って、はちきれんがばかりのプロポーションが更に強調されて見えた。

「私はギルドの仕事が終わったから、早々に帰ることにするわ」
「良いのか、お礼貰っていかなくて」
「ええ、キリルにも会えたし、心配してる皆を安心させなきゃね。あっ、そうだ!」

 アネッサは何かに気づいたように、鞄の中身を漁り始める。だが、なかなかお目当てのものは出てこないらしい。

「何探して――」
「ああ、そうだった。こっちに入れてるんだった」

 そういって、アネッサは胸の谷間から折られた羊皮紙を取り出した。

「これギルドのパーティー申請書よ。魔法文書だから書くだけで内容がギルドにコピーされる様になってるの、凄いでしょ?」
「……なんてところから、出してるんだ」
「男性だとこっちのほうが入ってくれやすいのよね、ギルド」

 小悪魔らしくウィンク。アネッサの色目使いは昔からこんな感じだった。

「俺にしてみれば、はしたないと思うだけだがな」
 
 俺は呆れ返る。一方、ルアは秘術を見たかのように目を丸くしながら、アネッサに視線を向けていた。

「で、なんでパーティー申請書なんて渡してきたんだ?」
「どうせなら、ギルドに二人をパーティーとして登録しておいたほうが何かと便利そうかなって」
「なるほど、名案じゃないですかっ……!」

 ルアが飛びつくように身を乗り出して、目を輝かせる。確かに利用価値があるうちはついていっても良いかもしれないとは思ったが、パーティー登録までするとなると少し面倒だ。
 俺は顎を掻きながら、思案するような顔になる。

「俺はお前みたいに冒険者だったこともないし、これから冒険者になるつもりもない。それでパーティー登録して良いのか?」
「あら、冒険者なんて別に『冒険者免許』みたいなの取ってなるもんじゃないわよ」
「そうかもしれないが……」
「他のギルドで依頼を受けやすくなるし、身分の証明にもなるわ。是非、考えて――あれ?」

 アネッサは羊皮紙を付き出そうとしたところ、それが手元にないことに気づいた。一体何処へ行ったのやら。俺も身の回りに視線を巡らせる。
 すると、ルアの手元には既に内容が記入された申請書があった。

「魔導書記で記入しておきましたよー」
「勝手に何やってやがる」
「良いじゃないですか、キリルさん。これがきゃりああっぷってヤツですよ!」
「はあ……」

 ため息を付きながら、俺は申請書をルアの手から奪う。そして、アネッサの方に手渡し、踵を返した。

「また会おう」
「ええ」

 一足遅れて、ルアが後ろに付いてくる。日が暮れかかっていた。馬車を取るなら、今のうちかもしれない。