「初心者じゃないんだよね、あの子」
「ああ。あいつ、中学三年間で一度もゲームとれたことないんだって」
「え、サボってるんじゃないの?」
「いや、頑張ってたらしいんだよそれが」
後ろでこそこそとささやく声が聞こえる。ラリーを終えて、列に並びなおす。自分が下手なことは痛いほどわかっている。それでも……。ラケットをぎゅっと握りしめることしかできなかった。

「お前、フットワークすごいな」
声をかけてきたのは、本堂だった。中学で全国出場の経験を持つ彼は、同期なのに一足早く先輩たちと練習、どころか団体戦に出ていた最強プレーヤーだ。
「え?」
「いや、お前のフットワーク。この部活内で一番うまいぞ」
テニスで褒められたのは、初めてだった。ありがとう、そんな言葉も出てこずに口を開けていた。周りもざわめきたっている。
「三年間あれば、いくらでも実力なんて変わるもんだ。な、黒崎」
「あ、ああ。俺は、いつかきっと団体メンバーに入る!」
思わず口走ってしまったが、後悔はしなかった。誰かが笑った。それを合図にクスクスと声が聞こえてくる。

「そうだ。お前だったら、やれるかもしれん」
振り向くと町田が立っていた。本心かはわからないが、それでも俺は嬉しかった。

「さっきはありがとうな」
町田に声をかける。
「お前、かっこよかったよ」
俺が感傷に浸る間もなく、誰かに割って入られた。
「ちょーっと、邪魔するよ」
「あ、本堂。さっきは……」
「そんなのいらないよーっ。俺は純粋に、お前のフットワークがすごいと思っただけで」
「ありがとう」
だからいらないって。本堂の言葉を聞きながら、なぜか心がじんわり温かくなるのを感じた。ラケットの振り方はどうしてもうまくなれなかった。だけど、その代わりにどんなボールにも絶対ベストな位置で追いつくように必死に努力していたのだ。誰もそんなことに気づいた人はいなかった。初めて、まだテニスをやっていても良いんだと認められたような気がした。

「今日、こいつんちでゲームするんだけど本堂もどう?」
「おい、お前が言うなよ」
町田を小突くとニタニタと笑っていた。
「だって、お前あんなにゲーム上手いのに自慢しないじゃん」
あんなに口止めしているのに。でもまあ、本堂になら知られても良いか。それを町田もわかっているのだろう。
「え? そんなにすごいのか」
「世界ランキングトップ10だから」
「えぇぇぇ! 何のゲームよ」
「ワールドソードワーズ」
「それって、世界で何百万人レベルのプレーヤーいるんじゃないか」
当人を置いてけぼりにして、二人が盛り上がっている。こんなのも悪くない。これからの高校生活に心が躍った。