小出さんのスイッチが入った瞬間を目の当たりにした、翌日──。

 一時間目の授業も終わり、休み時間に入ると、僕は眠い目を擦りながら大きなあくびをし、体を伸ばした。

 昨晩、僕は小出さんからお借りした小説とコミカライズ版、計十冊の内、二冊を徹夜で読破した。
 目の下にメンソレータムを塗りたくり、目を覚ましながらの読破であった。

 ちなみに昨晩読んだのは、
『異世界に飛ばされたオッサンは防具をつけないで常に裸で戦います』
 ──という、相変わらず長いタイトルの作品。
 お金がないから防具を買えず、意地になって葉っぱ一枚を股間に貼りつけ、主人公はそのまま冒険に出た。
 僕はこの漢気溢れるオッサンに感動を覚えてしまった。これは後で、小出さんと語り合うしかない。

「……ん?」

 ふと、隣の席の小出さんから、僕は視線をは感じた。今、小出さんが僕のことを横目で見ていたような……。
 僕は小出さんに顔を向ける。すると彼女は、僕から素早く視線を外し、ぷいっと外方を向いてしまった。

 ……気のせいだったのだろうか。僕は再び、正面の黒板に視線を戻す。

 そのまま、しばらく前を見つめていると、僕はまた小出さんの視線を感じた。再度、僕が彼女に目を向けると、小出さんは先ほどと同じようにぷいっと顔を逸らした。

 じーっ(小出さんの視線)
 くるっ(振り向く僕)
 ぷいっ(視線を外す小出さん)
 じーっ(小出さんの視線)
 くるっ(振り向く僕)
 ぷいっ(視線を外す小出さん)

 なんだ、この状況は。まるで『だるまさんが転んだ』ではないか。
 小出さん、僕に何か用事でもあるのだろうか。気になった僕は、机から身を乗り出し、小出さんの顔を覗き込んだ。

「ひゃあっ! そ、園川くん……! な、何か用?」
「何か用? は、僕の方だよ。小出さん、さっきからちらちら僕を見てるけど、どうしたの? 僕の顔に何かついてる?」

 小出さんは「あ、あ、あ──」と、針の壊れたレコードみたいになり、言葉がなかなか前に進まない。
 しかし、ようやく気持ちも固まったのか、あたふたしながらも、僕にようやく理由を話始めてくれたのである。

「あ、あの……そ、園川くんに昨日貸した本、どうだったかなと思って……」

 小出さんは、昨日貸してくれた本の感想を僕に求めてきた。なるほど、それで先ほどからチラチラと。小出さんは、僕に話しかけるタイミングを見計らっていたのだ。
 気にせずに、もっと気軽に話しかけてくれればいいのにな。僕達はもう、同じ話題を共有出来る程の関係なのだから(本を借りただけだけど)。

「読んだ読んだ、徹夜して読ませてもらったよ。『裸で戦います』の小説版、それとコミカライズ版を」
「ほ、本当に! よ、読んでくれたんだ! それで、ど……どうだった?」
「股間の葉っぱを、仲間に裏切られて剥ぎ取られてしまった主人公に、僕は涙したよ」
「そ、そう! 私も同じだよ! 葉っぱを取られてスッポンポンになった主人公の気持ちを考えると……私、泣けてきちゃって」

 小出さんは、先ほどまでとは打って変わって、目をキラキラと輝かせた。
 小説の話をするときの小出さんは、本当に生き生きとしている。いつものおどおどした小出さんが嘘のようだ。

「ねえ小出さん。小出さんって、いつから小説読むようになったの? その様子だと、かなり読んでそうだけど」
「小学生の頃……かな。六年生くらい」

 小出さんの小学生時代、か。きっと可愛らしい小学生だったに違いない。
 いや、小出さんは今でも小学生みたいな見た目だけど。可愛らしいけど。

「ちなみにさ、小出さんは小学生の頃、大人になったら何になりたかったの?」
「大人になったらかあ……えっとね……小さい頃の夢は、小説家だったかな……」
「へえ、そうなんだ。もしかして小出さん、昔は小説書いてたりしてたの?」
「え!? あ、あの……か、書いていたというか……」

 小出さんはモジモジと指遊びを始めた。

「げ、現在進行形というか……」

 顔を真っ赤にさせながら、小出さんは僕にそう打ち明けてくれた。現在進行形ってことは、今も書いてるのか。
 読みたい。小出さんが書いた小説を、僕は読んでみたい。どんな小説なんだろうか。やっぱり、小出さんが好きな異世界転生ものかな。意外と恋愛ものだったりして。

「じゃあ小出さん、今度、僕にそれを読ませてくれないかな?」
「ふえっ! そ、園川くんに、わ、私が書いた小説を……?」

 僕のお願いに、小出さんは赤面した。耳まで真っ赤だ。
 自分が書いた小説を読まれるのが、よほど恥ずかしいのか、小さな体の小出さんが、さらに小さく縮こまってしまった。
 まあ確かに、自分の創作物を読まれるというのは、僕でも恥ずかしい。
 実は昔、僕もこっそりとポエムを書いていたりしたのだが、誰かに読まれたりした日にはたぶん立ち直れない。

「あ、小出さん! 嫌だったら無理にとは言わないよ! だから気にしないで!」「こ、交換条件……」「え?」
「そ、園川くんも小説書いてくれたら……それを私に読ませてくれたら……そしたら私も、書いた小説を見せる……」

 思いもしない、小出さんの交換条件。それはお互いに小説を書き合い、見せ合う、といったものであった。
 僕はこれまで、ポエムもどきは書いたことはあれど、しかし小説なんて書いたことはない。しかも、僕の国語の成績は最悪なのだ。文章力が壊滅的なのだ。

 しかし、僕が小説を書けば、僕は小出さんが書いた小説を読むことが出来るのだ。
 小出さんの書いた小説──彼女の内面を見ることが出来るなら。
 その交換条件、乗らないわけにはいかないだろう。

「分かった、僕も書くよ! 書いたらお互いの小説を交換し合おう! 上手く書けるか分からないけど、一生懸命書いてみる。だって僕、小出さんが書いた小説、すっごく読んでみたいし!」

 僕は乗った。小出さんが提示した交換条件に、乗ってみせた。 
 そんな僕の言葉を聞いた小出さんは、ちょっとだけ頰を赤らめ、だけど、とても嬉しそうに微笑んでくれた。

 僕はドキっとした。
 小出さんも、こんなふうに笑うんだ。

 いつもの困り顔とのギャップに、僕の心は完全に持って行かれてしまった。
 これまでも小出さんは、笑顔──というか、はにかみを時折見せてくれていたが、これは全く違う。

 これは、安心した相手にしか見せない、小出さんの特別の笑顔なんだ。

 この笑顔を、僕一人のものにしたい。独り占めしたい。
 そして小出さんと、もっともっと仲良くなって、いつの日か、僕も小出さんの『特別』になりたい。

「……どうしたの、園川くん? ボーッとして」
「え、い、いや、なんでもないよ。どんな小説書こうかなって考えててね」
「……うん。私、楽しみにしてるね。園川くんの小説を読めるのを」

 そこで、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。それを合図に、僕達は会話を中断。互いに次の授業の準備を始めたのであった。

 だけど、そのときの僕は、もう次の授業を受けているような場合ではなかった。
 僕の胸はドキドキと高鳴っていた。
 小出さんに聞こえてしまうんじゃないかと思えるほど、大きく、大きく──。