咲も真里菜も、絶対様となった美緒に願いを伝えてから、翌日にはそれが現実のものになっているのだ。
これはもう偶然では片付けられないことだった。
美緒は本物の絶対様なのだ。
「今日はあたしのおごりで遊びにいくよー!」
真里菜のはしゃいだ声が教室中に響き渡ったのだった。
☆☆☆
それから放課後まで、あたしは一人で過ごすことになった。
今日のクラスの中心は完全に真里菜で、何度も宝くじが当たった話をしていた。
しかし、真里菜の家は裕福とはかけ離れている。
そんな中でもたった一枚の宝くじを購入していたことが不思議でならなかった。
「どうして宝くじを買っていたの?」
勇気を出してそれだけ質問をすると、真里菜は自信満々に「あたしの夢はお金持ちになることだから。1枚だけは買ってみるって決めてたの」と、説明してくれた。
それが当たるなんて、どれくらいの確立なんだろう。
計算してみなくても、途方もなく低い確率だということだけはわかった。
放課後になると宣言していた通り、真里菜たちは遊びに行ってしまったようだ。
それを見送ってから、あたしは一人で廃墟へと向かった。
あの廃墟は他の若者も勝手に出入りしているから、美緒のことが心配で仕方なかった。
「美緒、いるの?」
声をかけながら廃墟に入っても、誰の返事もなかった。
ただここ最近はあたしたち以外は来ていないようで、廊下などに薄くホコリがつもりはじめていた。
そこに足跡を残しながらリビングへ向かい、ドアを開ける。
そこには少しの変化も見せない状態で美緒が座っていた。
横になったりした形跡もなくリビングにもホコリが積もっている。
「美緒、わかる?」
あたしは美緒の前で膝をつき、その顔を覗き込んだ。
美緒は相変わらず灰色の目を開けていて、そこに座っているだけだ。
糞尿をした形跡もなく、飲み食いした形跡もない。
生きている人間ではありえないことだ。
「ねぇ美緒」
あたしは美緒の右手を握り締めた。
その冷たさにハッと息を飲んで美緒の手を見つめる。
その手はひどく乾燥していて、カサカサした手触りだ。
顔をしっかりと確かめて見ると、唇や頬の皮膚が浮いてきているのがわかった。
「今度、水を持ってきてあげるからね」
聞こえているかどうかわからなかったけれど、あたしはなにも言わない美緒にそう声をかけて、そっとリビングから出たのだった。
翌日になると頬の腫れは目立たなくなっていて、あたしは久しぶりに朝食を食べてから学校へ行くことにした。
食べている間母親も父親もあたしのことを気にしていたけれど、なにも聞いてこなかった。
それが両親の優しさだとわかって、胸の奥が熱くなるのを感じた。
2人はいつか時間が経てば話してくれると思っているかもしれない。
だけど今回のことは誰にも知られるわけにはいかなかった。
もしかしたら、あたしは脅されて暴行に参加したということで罪には問われないかもしれない。
けれど美緒の存在が明るみに出ることは避けたかった。
あの状態で目を開けているとなると、世間でも注目されるに決まっている。
沈んだ気分で教室へ入ると、光が満面の笑みで待ち受けていた。
そんな光を見た瞬間違和感があった。
光ってこんな顔だっけ?
そう思ったとき「見て! 今朝目が覚めたらこんなに綺麗になってたの!」と言われた。
そうだ。
光の顔にはニキビがひとつもないのだ。
それところか、ニキビ痕も綺麗に消えている。
「まさか、それって……」
「昨日遊んだ帰りに絶対様に会いに行ったの」
そう言われて背筋がスッと寒くなった。
放課後、咲たちも廃墟へ行ったのだ。
もし鉢合わせしていたらと思うと、寒気がした。
あたしは美緒に願いを託すつもりなんてないけれど、絶対に勘違いされそうだ。
それに加えてあの廃墟という場所だ。
間違いなく咲たちはあたしに暴行を加えたことだろう。
そうならなかったことに安堵した。
「今度はナナの番だから」
不意に後ろからそう言われて振り向くと、そこには咲と真里菜が立っていた。
2人とも自分の願いが叶ったことでかなり機嫌がいい。
だからこそ、絶対様を作ることに成功してからあたしはイジメに遭っていなかった。
「あ、あたしの番?」
あたしは視線を泳がせて聞き返した。
「そうだよ。だってあたしら4人で絶対様を作ったんだからね」
そんな……。
あたしがあの場所に呼ばれたのは、美緒が絶対様になれなかったときのためだ。
美緒を暴行したのだって、咲たちに命令されて仕方なくだ。
一緒にされたくはなかった。
「お前も願いを言うんだよ。それが叶うんだから悪い話じゃないだろ」
咲はすべてにおいてあたしを共犯者にしたいようだ。
あたしはゴクリと唾を飲み込んで3人を見つめた。
3人ともあたしを取り逃がさないように、するどい眼光を向けてきている。
ここで断れば、きっと元通り……。
イジメられていた日々を思い出して胸の中に澱がたまっていくのを感じた。
あの日々に戻るなんて嫌だ。
いや、ただ戻るだけならまだいい。
きっと前よりもエスカレートすることだろう。
それに加えて3人には絶対様がついている。
一体どんなことをされるか、想像もつかなかった。
「……わかった」
最後には恐怖心に負けて、あたしはうなづいてしまったのだった。
☆☆☆
次に来るときには水を持って来ようと思っていたのに、咲たちの前でそれも叶わなかった。
あたしは美緒の前に膝をついて、その顔を確認した。
可愛かった美緒の顔は暴行により歪んだまま、血の気を失っていた。
けれど目だけはしっかりと開いていて、時折眼球も動かしている。
「最近、あたしたち以外に廃墟に来てる人がいないみたいだね」
願い事を言う前に、あたしは咲へ向けてそう言った。
「あぁ。入らないように脅しておいたから」
咲はなんでもない様子で答えた。
どうやらここに出入りしていたのは咲の知り合いだったようだ。
廃墟に入ることをとめられるから、ここを選んだのだとわかった。
「そっか」
あたしは小さな声で言って、再び視線を美緒へ移した。
美緒は今どこを見ているんだろう。
どうかあたしを見てほしい。
しかし、その気持ちは伝わらず、灰色の目はうつろなままだった。
「なんでもいいから、願い事をしな」
咲に背中をつつかれて、あたしはうなづいた。
あたしの願いはたったひとつだけ。
これが叶えば、もう絶対様の力だって必要がないと言えることだった。
あたしはまっすぐに美緒を見つめた。
そして両手で美緒の右手を包み込む。
少しでも美緒の手が温まるように少しだけこすった。
「あたしは……あたしの願いは……」
一瞬だけ、美緒と視線があった気がして言葉を切った。
しかし、美緒はすぐに視線を動かす。
気のせいだったようで、小さく息を吐き出した。
「あたしの願いは……幸せになりたい」
少しの沈黙の後、咲たちの笑い声が聞こえてきた。
あたしは唇を引き結び、美緒から手を離した。
あたしの願いは幸せになること。
咲の大崎くんへの思いも、真里菜のお金への執着も、光の外見のコンプレックスも。
全部ひっくるめて、結局は幸せになるということで通じていると思う。
だからあたしは最初から幸せになりたいと願ったのだ。
3人はあたしを置いて笑いながら廃墟を出て行った。
あたしはその場にとどまり、膝をついたままで美緒を見つめる。
「あたしまで願い事をしちゃって、ごめんね」
そう呟いて、にじみ出てくる涙を我慢することができなかったのだった。
☆☆☆
そして、翌日。
久しぶりによく眠れたあたしは体を起こしたときの痛みがなくなっていることに気がついた。
暴行を受けてから朝起きたときには必ず痛んでいたのに。
そう思って鏡の前で服を脱いで確認してみた。
蹴られたり踏みつけられたりした痕が綺麗に消えている。
頭に触れて見ても、どこにも痛みを感じなかった。
一瞬完治したのかと思ったが、さすがにここまで早く治ることはないはずだ。
わき腹のアザなんて広範囲だったし、骨が折れたかと思うくらいの痛みを感じていたのだから。
夜にぐっすり眠れたことだってそうだ。
ここ最近はろくに眠れなかったのに、昨日の晩から急に眠れるようになった。
ただの偶然かもしれないが、あたしの脳裏には昨日美緒にお願いしたことが何度もよみがえってきていた。
幸せになりたい。
それは広範囲に影響する願い事になっていたかもしれない。
とにかく、そうやって怪我が完全に治ったあたしはいつもどおり学校へ向かった。
今日は教室内は和やかな雰囲気で、3人のうち誰かが騒いでいることはなかった。