「なんなんだあの赤坂ってやつは! こんな事ならあいつの悩みについて真剣に考えるんじゃなかった! ……悪かったな星乃。入部させてくれとか勝手に談判してしまって……」
下校途中の通学路を歩きながら、不満と謝罪の言葉をまくしたてる。
あいつのあの見た目は卑怯だろ。中身と全然違う。気を付けないと、ついなんというか……子ども……そう、子どもだ。
何も知らない無垢な子どもに対するみたいに心を許しそうになる。だから俺は余計な事を口走ったりして……。
「ていうか君は本当に美術部に入部するつもりなのか? 多分に人間性に問題がある上に、髪色のセンスが壊滅的に狂ってるあの女のいる部活に!」
しかし、もしもあんな外見で、首を傾げられて可愛らしく「だ~め」とか断られたら、それはそれですごすごと引っ込むしかない。
いや、でも俺はロリコンじゃないぞ。決して!
「いえ、気にしないでください。それに、私はまだまだ諦めませんから。まったく部員がいなくて活動停止状態だっていうのなら仕方ないですけど、現に部員がいるとなれば話は別です。ふとした拍子に入部を認めてもらえるかもしれませんから。こうなったら私、これからも毎日毎日美術準備室に通って、蜂谷先生に直訴しますよ! それに、いよいよ廃部の危機となれば、先生だって嫌でも入部を認めざるを得なくなるかもしれないし」
廃部寸前を待つとはなかなかせこい考えだな。そのまま廃部になる可能性は考慮してないのか?
「知ってました? 私は障害があればあるほど燃えるタイプなんです。まるでロミオとジュリエットのように。なんてロマンチック。あ、ちなみに私がジュリエット側ですよ。念のため」
それくらいわかる。
「そうとなれば体力付けないと! 蓮上先輩、何か食べて帰りましょう! 小麦粉系のお菓子がいいです。例えば小麦粉に牛乳やら卵やらを混ぜて焼いたものとか!」
「パンケーキが食べたいなら、最初から素直にそう言え」
それにしても、なんで女はすぐにロミオとジュリエットを持ち出すんだ? 障害を乗り越えて結ばれてもバッドエンド確定だってのに。
さらに言えばロミオとジュリエットは両思いだけど、星乃は明らかに片思いだ。例えに出すにはいささか違和感があると言わざるを得ない。
しかしながら星乃のロマンチック夢想を霧散させるのも気の毒なので、心優しい俺は沈黙を選択した。
明るい照明の下では笑いさざめくお客達。そのほとんどが若い女性やペアの男女。近隣の学校の制服を着ているグループも何組か。
壁紙はパステルピンクとオフホワイトのストライプ。椅子やテーブルなどの家具はアンティーク調で統一されている。
駅ビルの中にあるこのカフェは、多様な種類のパンケーキが売りで、連日多くの人で賑わっている。
俺もつい昨日、入部前祝いと称して星乃に連れてこられたばかりだ。あの時はまさか美術部に入部できないとは思ってもみなかったが……。
星乃は俺の目の前で「小倉クリームタワーパンケーキ抹茶アイス添え」なるものにナイフを入れる。ドリンクはグレープフルーツジュース。
「昨日も思ったが、よくもそんな激甘なものを大量に食べられるな。見ているだけで胸焼けしそうだ」
俺だって甘いものはそれなりに好きだが、このありえない量のクリームたっぷりパンケーキを連日消費するのはさすがにつらい。今日は飲み物だけで充分だ。
「もう、わかってませんね。パンケーキを食べてからグレープフルーツジュースを飲むでしょ? そうするとパンケーキの甘さがグレープフルーツジュースのほろ苦さで中和されて、またパンケーキを食べたくなる。つまりこの二つが組み合わさると無限に食べていられるんですよ。これはいわば永久機関! 偉大なる発見ですよ! 先輩も試してみたらどうですか?」
「今日は遠慮しておく」
信じられない量のホイップクリームから目をそらす。俺の前にはアイスティーのみ。
それに反して、何枚も重なったパンケーキをもりもりと消費しながら、星乃は思い出したように口を開く。
「ねえへんはい」
「口の中のものを完全に飲み込んでから喋ってくれ」
星乃はパンケーキを飲み下すと、改めて話しだす。
「ねえ先輩、どうして美術部は部員の入部を制限してるんでしょうか? 本当に入部届の文字の美しさだけが理由だと思います?」
「さあ、想像もつかない。それこそ蜂谷先生にしかわからないだろ」
星乃がそんな事を言い出すなんて意外だった。今まで何回も入部届にダメ出しされて、それでも妄信的に入部届を提出し続けていたというこいつが、今さらそんな疑問を持つなんて。
「もしかして、入部するに値するか確かめるために、一見わからないようにテストされてたんでしょうか? 私達はそれに合格できなかったとか」
「テスト?」
「実は私、ここ五回くらいは、ずっと同じ入部届を先生に提出していたんです」
「うん? どういう意味だ?」
「ほら、先生は入部届を受け取らずに返してきたじゃないですか。今までもずっとそうだったんです。だから、入部届の日付の部分だけを書き換えて同じものを提出して、本当に私の文字だけが問題なのか確認しようと思って」
その言葉に密かに驚愕する。まさかそんな事をしていたとは……。
「それで、どうだったんだ?」
「前回は星乃の『乃』の字の払いが気に入らないって言われました。その前は『花』の草冠の位置が変だって。毎回指摘される部分が違うんです。同じものを提出しているはずなのに」
「それじゃあ、先生は入部届を全く見てないって事か?」
「そういう事になるんですかね。理由はわかりませんけど」
「それなら、赤坂が入部できた理由の『入部届が完璧だったから』っていうのは……」
「うーん……それがわからないんですよね。その頃と比べて入部条件が変わったとか……?」
「それだったら、先生だってわざわざ入部届にダメ出ししないだろ」
「そうなんですよ! もう、私の何がいけないっていうんだろ。先生のカバッ! コビトカバッ!」
星乃は急に憤慨する様子を見せると、パンケーキにずぶりとフォークを突き立てる。「馬鹿」と言わないのは一応の配慮なのか?
さっきまで平気なふうを装っているように見えたが、これは相当ストレスが溜まってるな。一度断られた俺でさえイラっとしたんだから、それが積み重なった星乃はその比じゃないのかもしれない。
「なあ星乃。いっその事、このままフリー美術部員でいつづけても構わないんじゃないか?」
「はい?」
「確か君は自分の居場所がなくなるのが嫌だって言ってたよな。だったら今は同じフリー美術部員の俺がいるじゃないか。昼飯だって、一人が嫌なら俺が一緒に食ってやる。それなら別に美術室じゃなくても、たとえ美術部が廃部になっても構わないだろ?」
自分で言いながらも恥ずかしい台詞のオンパレードだなと感じつつ、それもひとつの方法なのではと思っていた。
「ほ、ほんとですか⁉ ほんとにお昼もフリー部活動も一緒に⁉ それなら、それならぜひ……あ、でも、私……」
星乃は一瞬喜ぶようなそぶりを見せたが、歯切れ悪く黙り込む。それを見てなんだか不安になってきた。
俺は星乃に興味がある。星乃は友達が欲しい。それなら丁度いいじゃないか。だなんて単純に考えていたのだが、もしかして星乃は俺と友達になるのが嫌なのか……?
無言で返事を待っていると、星乃はそわそわしだした。
「ええと、あの、私、フリー美術部員じゃ満足できないんです。どうしても正規美術部員になりたくて」
予想とは違う答えが返ってきたのでそのまま耳を傾ける。
「実は私、蜂谷先生に一目惚れしちゃって……きゃー言っちゃったはずかしいー!」
「は?」
星乃が蜂谷先生に一目惚れ? だからこいつはどうしても美術部に入部しようと……?
「……年上の異性に憧れを抱く事自体は稀じゃないしな。まあ、教師と生徒という関係を考えれば倫理的にどうかとは思うが。それこそ立場的にはロミオとジュリエット……」
「わああ! ち、違います違います! 今のは言葉のあやです! 言葉が足りないのは、ほしのんの悪い癖です! 確かに先生はかっこいいですけど、そういうアレじゃなくて!」
「どういうアレなんだ?」
「先生の絵に一目惚れしたんです!」
星乃は言いきると身を乗り出す。
「知ってます? 先生って将来を有望視されている若手人物画家なんですよ。人物画家! そして若手! そんなのかっこいい以外にないです! でも、なぜかここ何年かはまったく作品を発表してないんですけど……」
あの先生が……? 単なる美術教師じゃなかったのか。
「私、小学生の頃に、市立美術館に展示されてた蜂谷先生の絵を見た事があるんです。『ある少女』ってタイトルの肖像画。そこに描かれた女の子は、いきいきとして、繊細で、まるで本物の人間がそこにいるみたいで、語彙が貧弱だった小学生の私には、とにかく『すごい! すごい!』っていう言葉しか出てきませんでした。私が美術に興味を持ったのもそれがきっかけなんですよ!」
星乃によると、鮮烈な印象を彼女の心に刻み込んだその肖像画の作者が、蜂谷零一という名前であり、高校で美術教師として勤務していると知ったのは、中学生の頃。しかも美術部の顧問だという。
「そんな情報を耳にしては、是非とも同じ高校に入学して、蜂谷零一その人に逢いたいと思うのは当然でしょ? さらには美術部に入部するのも既定路線ですよ! だって、そうすれば蜂谷先生の絵がもっと見られるかもしれないし、いろんな事だって教えて貰えるかもしれない! それに勝る喜びがあるでしょうか⁉」
それほどまでに彼女は蜂谷零一に心酔していた。たった一枚の肖像画を目にしただけで。その絵はそこまで彼女を惹きつけたのだ。
「――と、まあ、そういうわけで、私はどうしても美術部に入部したいんです! おわかりいただけましたか⁉」
それだけで高校まで追いかけてくるとは、その肖像画はそんなに素晴らしいものだったのか? だとしても――
「……理解できない」
思わず漏らすと
「あ、それならもう一度最初から説明しましょうか?」
そういう意味じゃない。
「いや、大丈夫。もう充分わかった」
星乃って、まさか本当にストーカー気質まで備えてるとか……? 実はこいつ、俺が想像してた以上にやばい奴なんじゃ……。
と、そこで俺は先ほど美術準備室で見た、どこか不気味な絵の事を思い出した。
「なあ星乃。さっき美術準備室で見た絵は先生が描いたものじゃないのか? それらしいサインも入っていたし」
「私もそれは思ったんですけど……顔が塗りつぶされてたって事は、失敗作だったんでしょうか? あんまり見られなかったですけど、ちょっと怖い雰囲気の絵でしたね。あーあ、塗り潰される前の状態の絵を見てみたかったなあ。それにあの粘土像も先生が作ってるのかなあ。はー気になる。私、気になります! 気になって気になって夜しか眠れません!」
先ほどの憤りはどこへやら、今は平気な顔でパンケーキを切り分けて口に運ぶ。ていうか、夜しか眠れないなら充分だろ。
「それよりも先輩! さっき言ってた事ほんとですか⁉ お昼ご飯を一緒に食べてくれるって!」
ああ、そういえばそんな事言ったっけ。さっきは星乃がちょっと気の毒に見えたからあんな事を口にしてしまったが、それは美術部への入部を諦めた場合であって……。
だが、星乃はすっかり真に受けてしまったようだ。期待を込めた目でこちらを見ている。まるで「待て」をされている最中の子犬のようだ。
こうなってしまったら引っ込みがつかない。仕方なく頷くと、星乃の顔がぱあっと輝いた。
「それじゃあ明日から、お昼休みは美術室に集合! あー楽しみ。私、誰かとお弁当のおかずを交換するのが夢だったんですよねえ。先輩はなんのおかずが好きですか? ちなみに私はコロッケです! いえ、コロッケなり! ソースじゃなくて醤油派なり!」
「変な語尾でコロッケ好きアピールしなくていい」
しかしそれは俺にコロッケを用意しとけという事か? 醤油付きで? 面倒な事言い出すな。
ちょっとした意趣返しのつもりで、俺は適当な料理の名を口にする。
「……ピッガイヤットサイだ」
「はい?」
「俺の好きなおかず」
「ピッガイヤットサイですね⁉ わかりました! 明日作ってくるので交換ですよ! 絶対!」
え、ちょ、ほんとに作る気なのか……? ピッガイヤットサイを? 俺だって本か何かで字面を見ただけで、どんな料理か知らないってのに。
「それじゃあ、お弁当は明日のお楽しみという事で、とりあえず今の私達は、こうしておいしいパンケーキを食べられる環境にいるんですよ。その事を神に感謝」
星乃はパンケーキを一口大に切り分けてフォークに突き刺すと、俺の口元に差し出す。
「先輩も、これを試さないなんて勿体ないです。人生損してますよ。一口わけてあげるから食べてみませんか? さあ、勇気を出して。はい、あーん」
なんだこのシチュエーション。まるで恋人同士……それ以前に一瞬間接キスでは……いやいや、俺が考えすぎなのか?
これは友人同士のコミュニケーション。あくまでパンケーキを一口譲ってもらうだけなのだ。そうだ。落ち着け俺よ。
「……一口だけなら」
口を開けると、星乃がフォークを押し込んできた。
俺が咀嚼するのを確認すると、今度はグレープフルーツジュースを飲まされる。
そしてまたパンケーキ。
「どうですか?」
「……意外とうまかった」
昨日食べた後はもう充分だと思えるほどだったのに。パンケーキ侮れない。
「でしょ? でしょ? 私、誰かと食べ物をシェアするのが夢だったんですよ。そういうのって、仲良しって感じだと思いませんか?」
そう言われると断れるはずもない。俺は新たにパンケーキバニラアイス添えとグレープフルーツジュースを注文したのだった。
別に思った以上にうまかったからじゃない。シェアだ。あくまでもシェアのためだ。
「あれ? 才蔵、お弁当食べないの?」
昼休み。席を立って教室を出ようとする俺に、そう声を掛けてきたのは、クラスメイトの望月雪夜。いつも行動を共にする友人の一人だ。もちろん昼飯も。
例の銅像に関する星乃の演説の際に、拍手をするのに協力してもらったやつでもある。名前の由来は、なんでも雪の降る夜に産まれたからだとか。
男子にしては低めの身長と、さらさらの栗色の髪にくりっとした目と白い肌。よく「女の子みたい」などと言われて女子の中に溶け込んでいたりする。俺とは大違いだ。嫉妬。
「今日から俺は美術室で弁当を食う事になったんだ」
「どういう心境の変化? ていうか、なんで美術室なの?」
「そこに俺を待ってる奴がいる」
少々鬱陶しい奴だけどな。
それを聞いた雪夜がなぜか目を瞠った。
「え、なに? もしかして彼女とか? いつの間にそんな相手が? ずるいずるい。いいなあ。その子の友達紹介してよ」
残念ながらそいつには女子の友達がいないんだ。それにお前は普段から女子との接点が多いじゃないか。これ以上何を求めるというんだ。贅沢者め。
「決してそんな関係じゃない。同じ部活……の同士というか……」
「でも、相手が女の子だって事は否定しないんだね? へー、ほー、ふーん」
雪夜の指摘に俺はぐっと言葉を詰まらせる。その反応で確信したのか、雪夜は自身の唇の片側だけをにやりと吊り上げる。俺の苦手なパターンだ。こういう顔をする時、こいつはろくでもない事を考えているのだ。
「ねえねえ、僕も一緒に行っていいかな? その美術室でのランチ。才蔵を待ってる女の子ってどんな子なのか知りたいし。かわいい?」
そうだなあ……見た目だけなら文句なしに可愛いんだけどな。見た目だけなら。
「やめといたほうがいいぞ。真面目に相手をすると疲れる。正直うざい」
「そんな子とわざわざ一緒にお弁当食べるなんて、ますます興味深いなあ」
あー、まずい。こいつはこういう奴だった。
「演劇部員として常にアンテナを張ってるんだよ。演技の役に立つかもしれないしね」
だとか言って。今日は星乃に興味を持ったらしい。
「僕も行く」
やっぱりろくでもない事を言い出した。こうなると雪夜はしつこい。俺の上着の裾を掴んで離さない。皴になるからやめろ。
「……わかった。わかったから手を離せ」
結局俺は根負けして、しぶしぶ雪夜をともなって美術室に行くはめになったのだった。
いや、でも、考えようによっては星乃に雪夜という友人を作るいいチャンスかもしれない。雪夜が星乃の独特なテンションにドン引きしなければの話だが。
「ていうか才蔵、部活って事は美術部に入ったの? 聞いてないよ」
「言ってないからな」
「えー、秘密にしてるなんて友達甲斐がないなあ」
しかも正確に言うと美術部じゃない。フリー美術部だ。しかしそれを説明するとややこしいから黙っていたのだ。
それにしても、知らない奴がいきなりついて来たりして、星乃は困惑しないだろうか?
おそるおそる美術室のドアを開けると、すでにテーブルの前にはミルクティー色の髪の少女が。弁当箱を広げ準備万端といった様子で鎮座していた。
彼女は俺を見てぱっと顔を輝かせたが、その後に続く雪夜の姿に、不思議そうな表情を浮かべた。
と、次の瞬間目を見開いて立ち上がる。
「はわわ! そちらの方はどなたでございますか!? はっ、もしや蓮上先輩の彼女さんかなにかで!? いや、でも男子用の制服を着ているということは、まさか、彼氏さん!? 禁断の恋! きゃー! ロマンティック!」
なんでそんな発想ができるんだ。
俺はつとめて冷静に説明する。
「星乃、こいつは俺のクラスメイトの望月雪夜っていうんだが、どうしても一緒に昼飯を食べたいっていうから……あ、嫌だったら断ってもいいぞ」
「なんと! そういう事だったんですか! 全然嫌なんかじゃないです! ご飯は大勢で食べたほうがおいしいですもんね! もちろん大歓迎です! さあさあ、こちらへどうぞ! たいしたものはご用意できませんが。あ、よろしければお飲み物でもいかがです? 全力で買ってきますよ! 五分以内に!」
そうか。こいつはぼっち嫌いな忠犬属性だもんな。昼飯を共にする相手が増えて、むしろ喜んでいるみたいだ。立ち上がると雪夜に向かいぺこりとお辞儀する。
「私は菜野花畑星乃と言います。『星乃』とか、『ほしのん』とか呼んでくださって構いませんよ。むしろ是非とも親しみを込めて呼んでください! 身長一六一センチ、体重はりんご三個分。好きな食べ物は小倉抹茶アイス。好きな色はインターナショナルクラインブルー。好きな石膏像はヘルメスです!」
「あ、それじゃあ僕は『ゆきやん』かな。よろしくね、ほしのん。飲み物は持ってきてるから大丈夫だよ。それよりさ、ほしのんって前に中庭の銅像の件で演説してたよね。覚えてるよ」
「ひゃー! あの拙い演説は今思い出しても赤面ものです! 忘れてください! 今すぐに! なうなう!」
「いやあ、僕は心を動かされたけどなあ」
なんで雪夜はこんなにもすぐに星乃と打ち解けられるんだ。しかも笑顔まで浮かべて。
男ながらに俺の恋人だとか言われて禁断の恋扱いされたにも関わらず。
その順応力が恐ろしい。それとも演劇部だけに、そつなく演技してるのか?
ともあれ、お互い挨拶が済んだところで三人でテーブルにつく。
「ほら、約束通りコロッケ持って来たぞ。醤油かけたやつな」
早速弁当を広げると、蓋に星乃所望のコロッケを乗せて差し出す。ちなみに母親に頼み込んで作ってもらった。
「わー、蓮上先輩優しいなりー。コロッケうれしいなりよー」
言いながら星乃が代わりにと差し出して来たのは、食べやすい一口大の……ハンバーグにしか見えない何か。
「これは……?」
「やだなあ蓮上先輩。これはピッガイヤットサイに決まってるじゃないですか」
「……俺にはハンバーグにしか見えないんだが」
「我が家ではそれをピッガイヤットサイと呼びます」
嘘つけ。
と言いたいところだが、俺も正式なピッガイヤットサイがどんなものか知らないのだ。まさかこれが本当に本物のピッガイヤットサイ……?
しばらくその物体を見つめていると、横でやり取りを見ていた雪夜が噴き出した。今までおかしさを堪えていたかのように。
「才蔵、それは紛れもなくハンバーグ。ピッガイヤットサイっていうのは鳥の手羽先を使った料理だよ。ほしのん、君もなかなかやるね。才蔵に対してそんな事するなんて」
「ぎゃー! な、なんでバラすんですか⁉ うまく誤魔化せそうだったのに! 裏切者! 裏切者には死を! そもそもピッガイヤット? サイ? なんてわけのわからないもの、私の調理スキルで作れるわけないじゃないですか! 察してくださいよ!」
俺の嫌がらせリクエストにそう来たか。なかなか小賢しいな。
腹いせにコロッケを取り返そうと思ったが、それを察知したのか、星乃は素早くコロッケにフォークを突き刺して頬張りはじめた。
「やっぱりコロッケはおいしいなりねー。もぐもぐ」
結局俺はピッガイヤットサイならぬハンバーグを食べる羽目になった。でも、それはそれでうまかった。なんとなく悔しい。
「それで、なんで才蔵が美術部に入るはめになったの? 是非詳しく聞きたいなあ」
タコの形のウインナーを齧りながら、雪夜は俺の苦手なあの顔で、にやりと唇を釣り上げた。
「なるほどね。あの銅像の件のお礼ってわけか。才蔵も義理堅いね。ま、家族の名誉が掛かってたわけだし、当然といえば当然か」
かいつまんで事情を説明すると、雪夜は納得したように頷く。
正確には義理以外の感情も含まれているんだが……。
「そういえば雪夜、『たかなしりょうへい』って人物に心当たりはないか?」
食後に各自お茶などを飲みながら雪夜に尋ねる。先ほども触れた通り、こいつには好奇心旺盛なところがあり、ときどき驚くほど物事に詳しい。
さっきのピッガイヤットサイとか。もしかしたら美術準備室で見たあの絵についても何か知っているのでは、と思ったのだ。
雪夜は首を傾げる。
「それって……僕らの一学年上の先輩で、美術部員だった人だよ。部活でお世話になったから覚えてる。舞台の背景なんかを作る時に協力してもらってたんだ。残念ながら去年の秋頃に亡くなっちゃったけど。ほら、追悼集会も開かれたでしょ?」
「亡くなった……?」
思わぬ言葉に俺と星乃は顔を見合わせる。
そうか。俺があの絵のタイトルを見て、なんとなく心当たりがあったのはそのせいか。
「そう。生まれつき身体が弱かったとかで、僕らが入学してから何か月か後に病気で……」
俺の脳裏にも、あの追悼集会の記憶がおぼろげに蘇る。沈鬱そうな校長の声。俯く生徒達。
「そういえば僕、部活で聞いたんだけど、その先輩に関してちょっとした噂があってさ」
「噂?」
「その小鳥遊先輩なんだけど……亡くなる少し前だったかな。蜂谷先生から肖像画を描いて貰ったらしいんだ」
「えっ?」
俺と星乃は思わず声を上げる。