夢幻の錬金術師 ~チートスキル【錬金工房】で最強の錬金術師として成り上がる~

 返還を求めて殺到した人々は全て退出した。用意された教会の一室、いまここに残っているのは俺たちと、手伝いをしてくれた五人の若い神官だけである。

「皆さんのお陰で盗品を持ち主に返還することが出来ました。ありがとうございます」

 手伝ってくれた若い神官にお礼を述べた。

「いえ、その、お手伝い出来て光栄です」
「後片付けは私たちがするので、皆さんは別室で少しお休みください」

 若い神官たちは形容しがたい笑みを浮かべる。

「テーブルや椅子を部外者や助祭に運ばせるようなことはしたくありませんので」

 そう言って、俺とユリアーナ、ロッテ、オットー助祭を二つほど隔てた部屋へと案内してくれた。

 結果的には俺のプランは効果絶大だった。盗品の返還を求める人々の列に向けて、真実の鏡が嘘を暴いたところから始まり、入札と入札金額、ダメ押しに悔しがる執事までの一連の出来事を事細かに説明した。

 すると瞬く間に列に並んだ人々は散り散りとなり、三百人以上いた長蛇の列も二十人弱となる始末だ。そして残った二十人弱の人々も例外なく真実の鏡の前で告白してもらった。

『清い心の持ち主が大勢いたことに感謝を』、そう口にしたのはオットー助祭。

 ロッテは『あの農場主がこの街に住めなくなったらどうしましょう』、と一見、農場主の心配するようなことを口にしていたが実情は違う。
 孤児院に小麦を寄付してくれた農場主が街に住めなくなって、教会の食料事情が悪化することを心配していた。
 それを容易く見抜いたオットー助祭のロッテを見る目が変わったのはまた別の話だ。

「終わったわねー」

 椅子に倒れ込むように腰かけると、ユリアーナが大きく伸びをした。

「ええ、終わりましたね……」
「色々なことが終わった気がします」

 オットー助祭が椅子に座ったまま頭を抱え込み、その隣でロッテが肩を落とした。そんな二人を横目に発したユリアーナの言葉が俺の胸を抉る。

「オットー助祭の名前で主催したのは拙《まず》かったかもしれないわね」
「確かに思惑とずれたかも、な……」

 当初の目的はオットー助祭の人気取りだった。着任早々、奇跡の力のお陰で住民からの支持が高いオットー助祭の人気を不動のものにするために画策したイベントである。
 ユリアーナの言う通り、もしかしたら失敗したかもしれない。だが、やってしまったことは仕方がない。

「後悔するよりも巻き返しの策を考えよう」
「賛成よ。で、何か考えはあるの?」

 俺の言葉にユリアーナが即答した。だが、ロッテとオットー助祭は違う。

「え? まだ何かするつもりなんですか?」
「あの、出来れば私抜きでお願いできませんでしょうか……」

 その発言は聖職者としてどうなんだ?
 口をついて出そうになった言葉を飲み込み、オットー助祭をフォローする。

「助祭様が気にすることではありませんよ。これも自業自得です」
「自業自得なのはそうかもしれませんが……」

 よし! 聖職者も認めた。悪いのは俺じゃない。すべてあいつらだ。

「名も知らない農場主ですが、毎年のように四種類の小麦と幾つもの果物を孤児院に寄付してくださいました」

 聞いたこともない小麦の種類と果物の名前をロッテが次々と上げていく。
 どうやら、小麦の種類と果物の名前は知っていても農場主の名前は知らないようだ。だが、この街に来て間もないオットー助祭は知っていた。

「あの農場主はヘッセさんですよ、リーゼロッテさん」
「助祭様、お教えくださり感謝申し上げます」

 殊勝にお礼を口にしているが、一晩眠ったら忘れてそうだよな。
 そのとき、突然、扉が乱暴に開けられた。振り向くと、開け放たれた扉の向こうから見知らぬ三人の神官がこちらを睨みつけている。

「どちら様でしょうか?」

 俺が聞くと不機嫌そうに真中に立っていた肥え太った神官が口を開く。

「何だ、ワシのことも知らんのか?」
「こちらのお方は、この度新たに赴任して来られたルーマン司教でいらっしゃいます」

 傍らに立っていた若い神官が肥え太った神官の正体を明かした。
 なるほど、これが次の俺たちのターゲットか。

「着任したばかりの新参者なんて知るわけないでしょ」

 バッカじゃないの? と言わんばかりの口調でユリアーナが言い放った。

「貴様……!」
「無礼者が!」

 ルーマン悪徳司教が顔を真っ赤にして言葉を詰まらせる横で、お付きの神官その二が俺とユリアーナを睨み付けた。

「まあ、部外者のことなどどうでもいい」

 悪徳司教がオットー助祭に視線を向けると勝ち誇った顔で言う。

「真実の鏡とか言うインチキ魔道具を使って街の有力者を陥れたそうだな」
「陥れるなど」

 オットー助祭の抗弁を遮る。

「黙れ! 女神・ユリアーナから賜ったという奇跡の力とやらで、少し調子に乗ったのではないかね」

 何とも嫌味ったらしい口調だ。

「次の計画を練りたい」

「賛成」

「いい考えです、シュラさん」

 ここを早々に退出しようとの俺の提案にユリアーナとロッテ二つ返事で賛成する。
 一人、オットー助祭だけが俺たち三人に驚きの視線を向けていた。
 オットー司祭と別れた俺たちは作戦会議をするため宿屋の部屋に集まっていた。

「あの豚野郎に神罰を下しましょう」

 ユリアーナはそう言うと食卓の中央に置かれた子豚の丸焼き、その心臓があったであろう付近に深々とナイフを突き立てた。

「賛成です! 悪徳司教の正体を暴いてやりましょう」

 間髪を容れずにロッテも子豚の丸焼きの腹にナイフを突き立てると、そのまま腹を引き裂く。

 詰め込まれた野菜が溢れだした。先程まで美味そうに見えた子豚の丸焼きが、もはやグロテスクなものにしか見えない。
 料理人には申し訳ないがあれを食べるのはやめておこう。
 手元に置かれたスープにパンを浸しながら言う。

「あの悪徳司教を失脚させるのは俺も賛成だ。それで具体的にはどうしたいんだ?」
「神聖石を取り上げるだけで相当ショックを受けると思います」

 ロッテが身を乗りだした。

「教会内部での信用や発言力も低下するだろうな」
「ですよね! あの悪徳司教は調子に乗っていましたから敵も多いはずですよ、きっと。だから力を失えばあとは転げ落ちて行くんじゃないでしょうか?」

 割とエグイことをサラリと言うな。

「甘いわねー、二人とも。どうせなら悪徳司教の能力も奪ってやりましょう。そうね、公用語のスキルも頂いちゃいましょう」

 と思ったら、もっと酷いことを笑顔で言う女神がここにいた。

「公用語? そんなもの奪えるんですか?」
「奪えるわよ。以前、盗賊から奪って馬に付与したもの」
「もしかして……、あの馬たちがよく言うことを聞くのって……」

 得意満面のユリアーナにロッテが恐る恐る聞いた。

「便利でしょ」
「あの、シュラさん? その盗賊ってどうなったんですか?」
「罪人として騎士団に引き渡した」

 罪人として引き渡されれば犯罪奴隷となる。
 他の盗賊たちは奴隷となった未来に恐怖していたが、公用語スキルを奪った盗賊たちは明らかに異なる恐怖に震えていた。

 脳裏に蘇ったその姿と見知らぬ盗賊を憐れむロッテの表情が俺の良心を責める。

「えーと、言葉は?」
「理解できないだろうな」
「じゃあ、言葉の通じない外国に奴隷として売られていく心境でしょうね……」

 ロッテが見知らぬ犯罪者に同情を示した。
 いや、自分の思考すら脳内で言語化できないと考えると、あるのは恐怖心や絶望だけだろうな。

「犯罪者のことは忘れて、悪徳司教を懲らしめる作戦に話を戻そうか」
「懲らしめると言っても、言葉まで奪うのはやり過ぎだと思います」

 今度は悪徳司教に同情心を見せるが、ユリアーナが一言の下に却下する。

「神罰よ」
「神罰は女神・ユリアーナ様がきっとくだしてくれます」
「任せて頂戴」

 祈るように胸の前で両手を組むロッテとは対照的に満面の笑みで胸を叩くユリアーナ。

「ですから、神罰は女神・ユリアーナ様にお任せしましょう。あたしたちは人としての節度の範囲内で懲らしめませんか?」
「ユリアーナは女神だよ」

 俺の言葉にロッテが即座に面白くない顔をする。

「惚気ですか?」

 イケメン一人に美少女二人。
 まあ、事情説眼せずに片方の方を持つような発言をすればこうなるか。
 俺も迂闊だぜ。
 とは言え、簡単に誤解を解くのも面白みに欠けるか。

「何で俺がユリアーナを引き合いに出して惚気るんだ?」
「だって、そうじゃないですか……」
「兄妹だって、言ってなかったっけ?」
「でも……、その、お二人とも妙に仲がいいですし……」

 恥ずかしそうに俯くロッテに追い打ちを掛ける。

「つまり、俺が妹であるユリアーナ相手に惚気るようなことを口にして、ロッテの気を惹こうとしている、と?」
「ち、違います! そんなこと思っていません」

 飛び上がらんばかりの勢いで上げた顔は耳まで真っ赤だった。
 薄々思ってはいたが、これは脈があるな。
 もう一押しってところか。
 俺が内心でほくそ笑むんだところでユリアーナの言葉が室内に静かに響く。

「たっくんとあたしは兄妹じゃないわよ」
「え?」

 ロッテの顔が一瞬で真顔に戻った。

「あたしはこの世界の神にして管理者。あなたがたの言うところの女神・ユリアーナよ」

 何でこのタイミングで暴露するんだよ!

「え……?」

 俺が心の叫びを上げる傍ら、思考が止まった様子のロッテが焦点の定まらない目をユリアーナに向けていた。
 放心するロッテに向かってユリアーナが話を続ける。

「で、たっくんはあたしの助手として、こことは違う世界から召喚した異世界人なの」
「あたしのこと、からかっていますよね……?」

 そう返すロッテにユリアーナがヤレヤレといった様子で頭を横に振りながら言う。

「正真正銘、女神ユリアーナとその助手よ」
「冗談、ですよ、ね?」

 俺へと視線を巡らせたロッテの頬を汗が伝っている。

「ユリアーナが女神か悪魔なのかは俺には判断のしようがないが、俺が異世界から連れて来られた人間だというのは本当だ」
「本物の女神よ! 失礼なこと言わないでくれる!」
「え? え、え、え?」

 ユリアーナの声を聞き流して混乱するロッテに言う。

「俺はこことは異なる世界から来た。いや、ユリアーナに呼ばれたというべきだな」
「ユリアーナさんが女神ユリアーナ様でシュラさんが女神の使徒様ですか……?」
「使徒なんて偉そうなものじゃないけど、概ねその通りね」
「あの、女神ユリアーナ様と使徒様がなぜ地上に顕現されたのでしょうか?」

 ロッテの疑問に答える形でユリアーナが語りだす。

「天界でちょっとした事故が起きて神聖石と呼ばれる神の力を秘めた石がこの世界の各地に散らばってしまったの。砕け散った石、一つ一つに大した力はないわ。それでも、この世界のパワーバランスを崩す程度の力は秘められているわね」

 神聖石が百余に砕けてこの世界の各地に散ってしまったこと。そして、その神聖石を回収しなければならないことを告げる。

「神聖石は人の手に余るものよ。手に余る力は災いを呼ぶでしょう。悪意ある者が手にしたらどうなると思う?」

 息を飲んだロッテの顔が瞬時に蒼ざめた。

「もしかして、オットー助祭の奇蹟の力やアンデッド・オーガも?」

 賢い娘だ。
 違和感を覚えた出来事といま聞いたわずかな情報だけでそれを紐づけるのか。
 俺は内心で感心しながらうなずく。

「神聖石の力を得れば、ただのオーガがアンデッド・オーガになる。一介の助祭が奇跡の力を使えるようにもなれる」

 唇を固く引き結んでいたロッテが恐々と口を開く。

「不信心な腹黒司教でも奇跡の力が使えるようになる、ということですね」
「理解が早くて助かるわ」
「奇跡の力が使えるだけならいいが、力が使えることを利用して高い地位に着けば下の者たちが不幸になる」

 ユリアーナと俺の言葉にロッテがうなずく。

「ユリアーナ様の目的はその石を取り返すという理解であっているでしょうか?」
「天界のものは天界に。神のものは神の手に」

 肯定するユリアーナにロッテが抗議の声を上げる。

「それじゃ、助祭様は奇跡の力を使えなくなってしまうんですか? 助祭様の力は人々のために、ユリアーナ様の信者のためになっています! いいえ、これからも信者を助ける力になります!」

 悪徳司祭が眼中にない辺り、助手としての素養は十分だな。

「オットー助祭から神聖石は返してもらったわ。でも、神聖石の力で行使できた『女神の奇跡』は別の手段で使えるようにしてあるから大丈夫よ」
「別の手段?」
「別の手段というか、別の力、でね」

 ユリアーナが意味ありげな視線を俺に向け、それを追うようにロッテの視線が俺に注がれた。

「シュラさん?」
「俺が魔道具を作れるのは知ってるな?」
「奇跡の力が使える魔道具をオットー助祭に差し上げたんですか?」

 俺はゆっくりと首を横に振る。

「武器や防具、アクセサリーに魔法を付与するだけじゃなく、人や動物にもスキルや魔法を付与することができる。もちろん、逆も可能だ。魔物や人のスキルを奪うこともできる」

 その先を予想したのだろう、ロッテは小さく震えながら目を閉じ、両手で耳を塞いだ。
 だが、それでも俺の声は届く。

「スラムに巣食う犯罪者から奪った光魔法のスキルを幾重にも重ね、奇跡の力と同程度の能力にしてオットー助祭に与えた」
「そんなこと、人に出来るはずありません。もしできるとしたら、それは……」

 神の御業と言いたかったのか、悪魔の所業と言いたかったか……。
 目を閉じたままのロッテにユリアーナがキッパリと言い切った。

「たっくんは女神である私の助手よ」

 ユリアーナが自分の指示でやったことだと言外に告げた。

「それじゃ……」

 言葉を詰まらせるロッテに向けて俺は静かに告げる。

「神聖石の力を借りなければ行使できなかった女神の奇蹟をオットー助祭の力だけで使うことができるようにした」

「怖い?」

 ユリアーナの質問にロッテは「いいえ」、とゆっくり首を振って笑みを浮かべた。

「信者のことや善い行いをする者のことをちゃんと見てくださっているのだと分かり、安心しました」
「改めて聞くわ。ロッテ、あたしたちと一緒に来てくれるかしら?」
「あたしもシュラさんのような力を持つことになるのでしょうか?」
「たっくんほどの力は無理ね。どんなに頑張っても、人の範疇を超えることはないでしょうね」
「それを聞いて安心しました。是非お二人とご一緒させてください」

 ロッテが安堵の笑みを浮かべた。

「と言うことだから、たっくんの助手よ。ちゃんと面倒見なさいよね」
「分かってる」
「あの、よろしくお願いします」
「よろしくな、ロッテ」

 俺の差し出した手を取ったロッテが恐る恐る聞く。

「あのー、半分冗談だと思って聞き流していましたが、盗賊から公用語のスキルを奪って馬に付与したというのは……」
「事実だ」
「事実よ」

 俺とユリアーナの返事が重なった。
 一瞬、ロッテの顔に後悔の表情がよぎった気がしたが気のせいだろう。

「さあ、それじゃあ本題よ。腹黒司教に神罰を下す算段をしましょうか!」

 ユリアーナの揚々とした声を合図に俺たちは話し合いを再開した。
 翌朝、教会へと来ると教会の入り口には長蛇の列が出来、教会前の広場は人々で溢れ返っていた。

「あれ全部が悪徳司教の神の奇蹟を見に来た人たちなんですよね? オットー助祭が神の奇蹟を行ったときの三倍はいますよ!」

 ロッテが驚きの声を上た。

「司教ってだけでありがたいのかしら」
「まあ、普通に考えればそうなんだろうな」

 司教と助祭では会社の重役と係長ほどの差がある。
 同じ神の奇蹟なら位の高い司教から行使される方がありがたいのだろう。

 女神・ユリアーナに対する信心深さや、人々の価値観が地球の中世ヨーロッパに近いと考えれば理解できる。

「何にしてもギャラリーが多いのは好都合よ。何と言っても効果的だもの」
「はあ……」

 口元に悪戯な笑みを浮かべているユリアーナと表情を曇らせるロッテ。
 対照的というか、二人の性格がにじみでる反応だよな。

「どうした?」
「自業自得とは言え、少し気の毒かなあ、と」

 表情を曇らせるロッテに聞くと、少し困ったような笑みを浮かべた。

「なーに? あんな失礼なヤツに同情なんてしなくてもいいわよ」
「でしょう、か……?」

 司教という高位の神官に邪険にされるくらいは一般市民のロッテからすれば普通のことなのだろう。
 だが、女神であるユリアーナからすれば許せない事らしい。

「災いの芽は早いうちに摘んでおかないとだめよ」
「災い、ですか」
「そう、災いよ! あんなのを放置したら不幸な目に遭うのは無垢な信者と住民たちだもの」

 己の度量の無さには気付いていない女神様が続ける。

「権力者が悪さをすると一般信者が不幸な目に遭うでしょ? それを未然に防ぐんだから善行よ」
「ですが、行き過ぎた罰は女神様がお許しに――」
「許します。やっちゃいなさい!」

 ロッテの言葉を遮って当の女神様がピシャリと言い切ると、

「はいっ!」

 背筋を伸ばしたロッテが反射的に承諾した。
 とは言え、ヤルのは俺なんだけどな。

「さあ、覚悟が決まったところで教会へ入ろうか」
「そうね。神罰を下す相手を見つけださないとね」

 足取りも軽く、ユリアーナが先頭を切って教会の裏口へと歩き出し、俺とロッテはその後を追った。

 ◇

 教会の裏口で二十歳前後の神官見習いに取次を頼む。

「オットー助祭と約束があって参りました」
「え! オットー助祭に?」
「はい、お約束頂いているはずですが?」
「オットー助祭はちょっと別件で手が離せません。申し訳ございませんが午後にでも改めてお訪ね頂けませんでしょうか?」

 オットー助祭に確認もせずに午後に予定を変更させる?
 神官見習いが助祭のスケジュールを勝手に変更するなんてあるのか?

 オットー助祭には口裏を合わせるように言い含めてある。彼の律儀な性格を考えるとユリアーナに会うこともなく予定変更を他者に頼むとも思えない。
 自然と俺とユリアーナの視線が交錯する。

「慌ただしいようだけど何かあったのかしら?」

 若い神官見習いの気を惹くようにユリアーナが愛らしい笑みで尋ねた。

「いえ、何もありません」
「入るぞ」
「あ! ちょっと待ってください!」

 隙を突いて教会内へ入るとユリアーナに気を取られていた若い神官見習いが慌てて追ってきた。

「困ります! 助祭は立て込んでいらっしゃいます」
「出直すつもりはないわよ」
「おじゃましまーす」

 揚々としたユリアーナの声と遠慮がちなロッテの声が後方から聞こえた。
 続いて神官見習いの悲痛な声。

「え? だ、ダメす! 勝手に入らないでください!」
「オットー助祭は自室か?」

 彼の自室へと続く通路を指さすと見習い神官が再び俺を引き留めようと踵を返す。

「お願いですから勝手に入らないでください」
「どうやら自室のようね」
「助祭様が来客を自室に招くなんて初めて聞きました」

 ユリアーナとロッテが見習い神官のあとを悠然と進む。

「いま、本当に立て込んでいるんです! オットー助祭も来客の対応ができる状況じゃないんです!」

 引き止めようと俺にしがみつく見習い神官を引きずってオットー助祭の自室へと歩を進めた。

 オットー助祭の部屋があるのだが、扉は開け放たれ部屋の前ではオットー助祭と司祭クラスの見知らぬ神官、衛兵が深刻そうな表情を浮かべている。

「とっても忙しそうですよ」
「本当に何かあったようね」

 ロッテとユリアーナのつぶやきが重なった。

「無くなった物はないのですね?」

 年配の衛兵の質問に、

「はい」
「教会に侵入した者は過去にもいますが、助祭の部屋へ侵入したのは初めてです」

 肯定するオットー助祭と被害がないことに幾分か安堵の色を見せる司祭。

「まるで家探しをした後のようですよ」

 部屋の中から出てきた若い衛兵が部屋の中を振り返りながら言った。

「怪しげな魔道具が仕掛けられた形跡もないのか?」
「それもありません」

 司祭が年配の衛兵に言う。

「被害はありませんでしたの。これでお引き取りいただけませんでしょうか」

 何者かがオットー助祭の部屋に侵入して家探ししたと言うことか。
 予想どおりの行動に出たようだ。

「ユリアーナ様が言った通りになりましたね」

 ロッテの言葉に「でしょう」と笑顔で答えると、続いて俺を見て得意げに胸を張る。

「どう? たっくん」
「俺の負けだ。ユリアーナの読み通りだ」

 両手を軽く上げて敗北を認めた。
 オットー助祭も自分と同じように神聖石を持っている、そう考えた腹黒司教が神聖石を奪いに来るだろうと予想していたのだが、簡単に発覚しないように上手くやると思っていた。
 まさか、こうも思慮に欠ける行動に出るとは予想外だ。

「敵は知恵が足りないようね」

 とユリアーナ。
 まったくだ。もう少し知恵を回せよ。
 
 騒ぎが大きくなると俺たちも動きづらくなる。
 迷惑な話だ。

「ユリアーナさん、シュラさん」

 俺たち三人に気付いたオットー助祭が「どうしてこちらに?」と驚いたようにつぶやいた。

 そりゃそうだ。
 取り次ぎがあるはずなのに、それをすっ飛ばして直接訪ねてきたのだから困惑もするよな。

「親切な見習いさんが案内してくれたの」
「えっ! ええーっ!」

 神官見習いの驚きの声をよそにユリアーナが続ける。

「事情は案内の見習いさんから伺ったわ。大変だったようね」
「嘘です! 私は何も言っていません!」

 神官見習いの声が通路に響き渡る。

「教会の、それも助祭の自室に侵入者なんて怖いわー」
「濡れ衣です! 私じゃありません!」

 だが誰も取り合わない。
 ユリアーナの背後で神官見習いの声が虚しく響いた。

「幸い無くなった物もありませんし、ちょうど部屋の模様替えをしようと思っていたところです」

 微笑むオットー助祭にユリアーナもほほ笑見返す。

「被害もなかったようだし、少し時間を取れるかしら」

 オットー助祭が司祭と年配の衛兵に助けを求めるように視線を送る。

「面会の約束かね?」
「はい、既に約束の時間を過ぎております」

 司祭の助け舟にオットー助祭が即座に乗った。

「教会としても被害がない以上、特に問題にするつもりはありません。助祭を解放して頂いてもよろしいですか?」

 司祭の提案を年配の衛兵が承諾した。

 さて、これで教会内をある程度自由に動き回れる。
 待ってろよ、悪徳司教。

 自然と口元が緩む。
 見ればユリアーナも同じように口元を綻ばせていた。
 この時間教会内部で最も人気のない場所ということで、俺たち三人はオットー助祭と一緒に無人の食堂へと来ていた。

「それで部屋を荒らした犯人は誰か分かったの?」

 椅子に腰かけるや否やユリアーナが切り出すとオットー助祭が困った表情を浮かべる。

「誰と言われましても、まだ調査中ですし……、その、犯人が捕まるとも限りません」
「教会内部で犯罪が起きちゃ困るわけね」
「ありていに言えばそう言うことです」

 調査は打ち切られるということか。
 内心で苦笑しながら聞く。

「悪徳司教の差し金なんですよね?」
「ルーマン司教と決まったわけではありません」
「まあ、この際なので犯人は誰でも構いません。それよりも俺たちが言った通りになったでしょ?」
「はい……」

 悪徳司教の奇蹟の力が神聖石を頼ったものなら、オットー助祭も同じように神聖石を持っていると考えそれを盗みに来ると予想していた。

 俺たちがそれを口にしたとき、オットー助祭が「そんなことは起きません」と抗弁した。そのことを思い出してでもいるのか意気消沈している。
 そしてポツリとつぶやく。

「ユリアーナ様に神聖石をお返しして正解でした」
「そうね、貴方は正直者で私が信頼するに値する神官よ」
「もったいないお言葉です」

 さて、そろそろ話を動かすか。

「教会の前に人だかりができていましたが、悪徳司教が奇跡の力を披露するのは何時からの予定ですか?」
「十時からの予定です」

 十時の鐘が鳴ると同時に門が開かれ、奇跡の力を請いに来た人々を招き入れるのだという。

「オットー助祭様はお手伝いしないのですか?」

 あの人数だ、とてもじゃないが悪徳司教一人の奇蹟の力でさばき切れるものじゃない。

「今回はルーマン司教お一人です」
「オットー助祭が奇跡の力を使って怪我人や病人を治して住民たちの間で評判になっているのが気に食わないのね」

 ユリアーナが蔑むように口にした。
 その横でロッテが「うわー、小さい男」とつぶやく。

「あの、やはり神聖石を回収されるのですか?」

 思い余ったようにオットー助祭が聞いた。

「なあに? あの悪徳司教に同情でもしているの?」

「そうではありません」と大きく首を振ると、ユリアーナに訴える。

「奇跡の力を使える者は多い方が信者のためになります。どうかユリアーナ様を信じる者たちのためにも私と同じように能力を授けてくださるわけにはいかないでしょうか」

 そんなオットー助祭の言葉にロッテも「分かります、とってもよく分かります」とつぶやきながら相槌を打つ。
 これじゃ、俺とユリアーナだけが悪人のようじゃないか……。

 オットー助祭から神聖石を回収したときは代わりに高位の光魔法を使えるように、俺の錬金工房で高レベルの光魔法スキルを付与した。
 だが、悪徳司教からは神聖石を回収するだけで代わりとなる能力を与えるつもりがないことも伝えてあった。

 オットー助祭がなおも訴える。

「ルーマン司教は確かに罪を犯しました。ですが、そもそも神聖石を手にすることがなければ罪を犯すこともなかったのです。どうか寛大なお心でご対応頂けませんでしょうか」
「信賞必罰」

 ユリアーナの静かな言葉にオットー助祭の肩が震えた。
 無言のオットー助祭にユリアーナが言う。

「信者を食いものにする神官に与える慈悲はないわ」
「女神ユリアーナ様の御心のままに」

 オットー助祭が肩を落とした。

「さて、そろそろ移動しようか」

 十時まであと十数分。
 俺たちは悪徳司教が挨拶を行う礼拝堂を見下ろせる二階の一室へと移動した。

 ◇

 鐘が鳴り響いた。

「門が開きます」

 オットー助祭の言葉通り、教会の門が開かれる音が響き、続いて押し寄せる人の気配が伝わる。

「凄い人の声。地響きまで聞こえますよ」
「怪我人が出ないといいのですが」
「悪徳司教が醜態を曝すんだからギャラリーは多い方が良いわよね」

 ロッテ、オットー助祭、ユリアーナ。
 三者三様の言葉を聞き流し、俺は視界を飛ばして教会の外の様子を見回した。

 大勢の人々が圧し合い圧し合いしながら教会の門へと向かう。
 既に門をくぐった人々はさらに狭き門となっている教会の扉へと押し寄せる。

 悪徳司教の奇蹟の力を間近で見ようと、やじ馬までもが一気になだれ込んできた。
 酷いものだな。
 思わず顔を歪めてしまった。
 俺が空間魔法のスキルを使って外の様子を覗き見ていることを察したロッテが聞く。

「外はどんな感じですか?」
「奇跡の力の恩恵を授かりに来た人たちだけじゃなく、やじ馬たちまでもが集まっている」
「舞台は整いつつあるという理解でいいかしら?」

 ほほ笑むユリアーナの言葉に俺は無言でうなずいた。

 ◇

 礼拝堂は瞬く間に満席となり、通路は立ち見の人たちで溢れ返っている。
 敬虔な雰囲気の中にも小さなざわめきが場を覆う。

「皆さん! こちらが新たに赴任されたルーマン司祭です!」

 若い助祭の声が礼拝堂に響き渡り、それに応えるようにルーマン司祭が手を振ると礼拝堂に押し寄せた人々から歓声が上がった。
 歓声は教会の敷地内に押し寄せた人々へと広がり、瞬く間に教会の外へと伝播する。

「凄い人気ですね」
「奇蹟の力を使う、という前評判があったとはいえ異常ね」

 とロッテとユリアーナ。

「私は女神・ユリアーナ様から直接奇蹟の力を授かりました。これからはこの女神様から授かった恩恵を皆さんのお役に立てると約束しましょう」

 己の存在をアピールするように悪徳司教が壇上で大きく両手を広げた。
 礼拝堂にいる人々の間から拍手と歓声が湧き起る。

 悪徳司教を湛える声が次つと上がった。
 その声に交じってオットー助祭を湛える言葉が聞こえる。

「凄い! 奇跡の力を授かった神官様が二人もいらっしゃるのか!」
「なんと恵まれた街なんだ」

 人々の反応を満足げに見回す悪徳司教と司会の助祭。

 そして、次第に人々の口に上るのはオットー助祭が実際に行った奇蹟の力について語られだすと慌てた助祭が声を張り上げた。

「静粛に!」

 その声が人々を静寂に戻すとすかさず悪徳司教が口を開いた。

「私は女神・ユリアーナ様のお言葉を直接聞きました」

 どよめく礼拝堂を見下ろしてユリアーナが冷ややかに言う。

「あたしの名前を騙るとは見下げ果てた神官ね」
「もしかしたら幻聴かもしれませんよ」
「そうです。奇蹟の力の重圧に耐えかねて幻聴を聞いたという可能性もあります」

 絶対にそんなことはない、と言った口調のロッテと一縷の望みに縋ろうとするオットー助祭。
 言葉は似ているが内容はまったく違う。

「奇跡の力を女神・ユリアーナ様から直接授かったのです。ユリアーナ様はおっしゃいました。『この奇蹟の力を以って人々を救い、この世界を導けと』」

 人々のボルテージが上がる。
 再び歓声が響き渡る。

 歓声に交じって感涙に咽ぶ人たちが随分といるな。

「あらかじめ仕込んでおいたんだろう」
「仕込む?」
「何をですか?」

 首を傾げるオットー助祭とロッテにサクラについて説明する。
 悪徳司教がサクラを仕込んでいた証拠も確証もないが、そこは説得力を持たせるためにあたかも確証を掴んだかのように告げた。

「教会ってそんなことまでするんですね」
「人気商売だからな。演出は必要さ」
「移動するようよ」

 礼拝堂を見下ろしたままユリアーナが言った。
 さて、悪徳司教は当初の予定通り、信者を個室に一人一人招いて奇蹟の力を行使するのか、或いは、こちらの思惑通り予定を変更してくれるのか……。

「OK、俺たちも移動しようか」
「それで、こちらの仕込みの方はどうなの?」
「首尾は上々だ」

 俺たちが吹き込んだ話を見習い神官たちが噂話として急速に広げていることは空間魔法で視覚と聴覚を飛ばして確認済みだ。
 結果は神のみぞ知る、だな。

 いや、力を失った女神様には無理か。

「期待しているわ」

 そう言うと、ユリアーナは足取りも軽く真っ先に扉へと向かった。
「いまの話をもう一度しなさい」

 階段を降り途中で男の高圧的な声が聞こえてきた。
 続いて聞こえたのは少女たちの怯えたような声。

「あの、他の見習い神官たちが話をされていたのを聞いただけです」
「決してルーマン司教を批判するつもりではありません……」
「怒っている訳でない。いま話をしていたことをルーマン司教がもう一度お聞きになりたいとおっしゃっているでけだ」

 俺はユリアーナたちに静かにするようジェスチャーで示して階段の途中で足を止めた。そして階下から聞こえてくる話し声に耳を澄ます。
 少女が「見習い神官の間で聞いたお話です」と前置きして話し出した。

「奇蹟の力をご披露されるなら、誰も見ていない個室ではなく大勢が見ている所でご披露なさればいいのに、って。そうすれば、信者も益々教会に信頼を寄せるんじゃないかと……」
「オットー助祭よりも優れたお力でしょうから、そのお力を目の当たりにする機会をより多くの信者の皆さんへお与えになるのがよろしいかと」

 最初に言葉を発した少女が口ごもるともう一人の少女がフォローする。

「くだらん」
「司教様に宣伝をしろというのか!」

 神官二人の呆れる言葉と少女たちを叱責する声が重なった。

「まあ、待ちなさい」

 悪徳司教が神官たちを制止しして言う。

「宣伝をするつもりはないが、私の力の一端を信者たちに知らしめるのは教会の今後にとっても利益となろう」

 オットー助祭よりも自分が上だと知らしめたい、という欲望が透けて見える。
 狙い通りだ。

 ロッテが両手を握りしめ、目を輝かせて聞き耳を立て、ユリアーナが邪悪な笑みを浮かべる。
 オットー助祭は落胆したようなほっとしたような何とも複雑な表情だ。

 悪徳司教が俺たちの前では出したことがないような穏やかな口調で少女たちに言う。

「君たちの思いももっともだ。よく教えてくれたね」

 少女たちの安堵の声上げる。
 その傍らで困惑の声を漏らした神官に悪徳司教が言う。

「これは少し考えてみる余地があるのではないかな?」
「と申されますと?」
「彼女たちの言うように大勢の信者たちの前で治療を行ってもよいのではないか、と言っているのだ」

 と悪徳司教。

「順調!」
「自ら進んで断頭台に上っていくようですね」

 ささやくユリアーナとロッテに再び静かにするようジェスチャーで示す。

「しかし」

 困惑する神官の言葉を遮って少女が声を上げた。

「礼拝堂でルーマン司教様が奇蹟の力を披露される準備を急ぎいたします」

 礼拝堂で悪徳司教が奇跡の力を披露するので治療の開始が少し遅れること、礼拝堂に集まった信者たちはそこに留まり奇蹟の力を目の当たりにできることを伝えて騒ぎにならないようにすること。
 さらに他の見習い神官たちの力を借りて、ルーマン司教が奇跡の力を披露するのに相応しい舞台を整えると一息に言い切る。

「お許しいただけますでしょうか」

 大の大人の神官よりも見習い神官の少女の方がよっぽど優秀だな。可愛ければ是非とも仲間にしたいところだ。

「許す!」

 悪徳司教の一言で二人の少女が急ぎその場を立ち去った。
 少女たちの足音が急速に小さくなるとユリアーナが嬉しそうにつぶやく。

「思惑通りね」
「せめて計画通りと言いましょうよ」
「どっちも変わらないだろ」
「まったくです……」

 俺たち四人は足取りも軽く階段を降りだした。
 悪徳司教の姿が見えると、オットー助祭がすぐさま挨拶をする。

「お疲れ様です、ルーマン司教」

 続いて、俺たち三人。

「おはようございます、司教様」
「はーい、司教さん。礼拝堂の挨拶を二階から見ていたけど、禿げ頭だからすぐに司教さんを見つけられたわ」

 余計なことを。なぜここで敢えて喧嘩を売るかなー。

「おはようございます、司教。妹の発言は子どもの戯言と聞き流してください」
「貴様ら! 失礼だろう!」
「すぐに謝罪しなさい!」

 神官二人に続き、不機嫌さも顕わに悪徳司教が言う。

「せっかく好い気分だったのにお前たちの顔を見てだいなしになったよ」

 案の定、聞き流すつもりはないようだ。
 人間の出来ていない司教だなー。

「ここは一般人の立ち入り禁止区域だ。さっさと立ち去れ!」

 神官の一人が詰め寄る。

「これからそちらの部屋でオットー助祭と打ち合わせなんです」
「本当か!」

 詰め寄った神官がオットー助祭を睨み付けた。

「本当です。孤児院の運営の相談があると聞いています」
「孤児院の運営だ? お前が関わることではないだろ」
「私たちはカール・ロッシュ代官と面識がありまして、そのカール・ロッシュ様からオットー助祭に相談するよう助言を頂きました」

「ロッシュ様だと……?」

 突然飛び出したロリコン代官の名前に混乱する。
 十五歳という若造の俺が代官と面識があるのが不思議なのか、訝しむような視線が向けられた。

「ご存じないかもしれませんが私たちは商人でして。先日、カール・ロッシュ様に魔道具を献上し面識を頂いております」
「それが孤児院の経営と――」
「そんなことはどうでもいい!」

 悪徳司教が一喝して、オットー助祭に視線を向けた。

「奇跡の力を利用して代官に取り入るつもりか?」

 勘違いも甚だしい。
 悪人の思考と言うのはどうしてこう、倫理から外れた方向に向かうのだろう。

「滅相もございません。純粋に孤児院の経営を助けたいという思いからです」
「他人が自分と同じように損得勘定でしか動かないと思っちゃだめでよ」

 ユリアーナの言葉にピクリと反応したが、本人は気付かれていないつもりの様で素知らぬ顔でオットー助祭に向かって吐き捨てるように言う。

「お前の奇蹟の力とやらは後ほど私が吟味しよう。それまでは無闇に吹聴したり力を使ったりするなよ!」
「承知いたしました」

 オットー助祭が深々とお辞儀する傍らでユリアーナが煽る。

「あの人数を一人で治療するのは無理があるでしょう? オットー助祭の助けを借りたらどうです?」
「無礼者!」

 顔を真っ赤にし、言葉が出てこない程に怒り狂っている悪徳司教に代わって神官の一人が怒鳴った。
 だがユリアーナは気にせずに続ける。

「私たちの打ち合わせよりも重病人や重傷者の治療の方を優先してください。オットー助祭なら実績もありますから信者の皆さんも安心でしょうし」
「要らんお世話だ。さっさと立ち去れ!」

 神官の怒声に続いて、

「不愉快だ! 見習いどもが戻ってくるまで部屋で休む!」

 悪徳司教が吐き捨てるようにそう言うと、扉に向かう彼の後を二人の神官が慌てて追うと、振り向きざまに一喝する。

「何をしている! 喉を潤すものでも用意せんか!」
「はい、畏まりました」

 乱暴に絞められた扉の音と走り去る神官の足音が廊下に響いた。

「部屋に一人とはいかなかったが、悪徳司教と神官の二人だ。作戦実行に支障はない」

 俺は隣の扉を開けた。
 部屋に入ると同時に視覚を飛ばして隣の部屋の様子を伺っていたが、悪徳司教は不機嫌さを主張するように乱暴に椅子に腰を下ろしていた。

「隣の部屋の様子はどう?」
「悪徳司教とお付きの神官が一人いるだけだ」
「もう一人の神官が戻ってくる前にやっちゃいましょう」

 ユリアーナと俺の会話を聞いていたロッテが提案した。

「気付かれないように悪徳司教一人を取り込むんですね? あたしが隣の部屋を訪ねて神官を廊下へ呼び出してみましょうか?」
「いや、二人一緒に取り込む」

 気付かれないように悪徳司教だけを錬金工房へ取り込むよりも二人一緒に取り込んだ方がどう考えても楽だ。
 二人とも取り込めば目撃者もいなくなる。

「なるほど、あのいけ好かない神官にも神罰を下すのね」
「うわー! 被害者拡大!」
「司教だけで十分だと思います」

 ユリアーナの言葉にロッテとオットー助祭が間髪容れずに反応する。
 あの高圧的な神官に腹を立てるのも分かるが、気軽に神罰を下すと神罰の価値が下がる気がするのは俺だけだろうか。

「悪徳司教だけに神罰を下す方が効果的だと思うぞ」
「そう?」
「そうでしょうか?」
「神罰は無闇に下さないことに賛成します」
「大勢が不幸になると一人一人が感じる不幸の度合いが下がるだろ? でも、自分一人だけが不幸になるともの凄く不幸になった気にならないか?」
「それは、まあ……」
「そういうものかもしれませんね……」

 釈然としないロッテとオットー助祭を一瞥すると、ユリアーナも不承不承といった様子で承諾した。

「まあ、たっくんがそう言うなら」
「決まりだ、取り込むぞ」

 隣室の悪徳司教と腰ぎんちゃくの神官を同時に錬金工房へと取り込む。
 
「意外だな」

 思わず言葉を漏らした俺に、ユリアーナとオットー助祭が聞く。

「どうしたの?」
「何か予想外の事でもありましたか?」
「悪徳司祭の光魔法が俺の考えていたよりも高位のものだったのでちょっと驚いただけです」

 ひととなりに問題はあるが司教までなった男だ。
 光魔法のレベルが高いのは当たり前か。

「そんなことよりもさっさと済ませましょう」
「了解だ」

 ユリアーナが差しだした神聖石の偽物と悪徳司教が持っていた本物とを交換する。続いて、光魔法を初めとした悪徳司教の所有する目ぼしいスキルを剥奪した。
 
「終了だ」
「ありがとう。さあ、あとは仕上げね」

 満面の笑みを浮かべるユリアーナに回収したばかりの神聖石を渡す。

「舞台も仕掛けも整ったからな」

 このあとの展開を想像して自然と笑いがこぼれた。

「シュラさん、意地の悪い顔になってますよ」

 そう注意したロッテの声もどこか弾んでいた。

 ◇

 悪徳司教一行が礼拝堂へ向かうのを確認した俺たちは、礼拝堂を見下ろせる二階の一室へと再び来ていた。
 壇上の神官が一歩進みでる。

「皆さん、お待たせいたしました。聖教教会が誇るルーマン司教が皆さんの眼前で奇跡の力を披露してくださいます!」

 礼拝堂に声が響き渡ると、集まった信者たちの間から歓声が上がる。
 なかには涙を流して悪徳司教を拝んでいる者までいた。

「凄い熱狂ぶりですね」

 信者たちの勢いに圧倒されたのだろう、窓から階下の礼拝堂を覗き込んでいたロッテがわずかに後退る。

 後ろに俺がいることに気付いていなかったようだ。
 ぶつかる寸前でロッテの肩を抱きとめて言う。

「いよいよ始まるぞ」

 悪徳司教が壇上に進みでると信者たちの熱狂ぶりに拍車がかかる。

「もう一度言います! 私の奇蹟の力は女神・ユリアーナ様から直接授かったもので、お言葉も賜りました」

 悪徳司教が一拍おいて続ける。

「ユリアーナ様はおっしゃいました。『この奇蹟の力を以って人々を救い、この世界を導け』と!」

 一際歓声が大きくなる。歓声で窓ガラスが震える。

「よっぽど教会の指導者になりたいようだな」
「世界とか言ってたから、宗教国家でも作りたいんじゃないの?」
「国王を狙っているのか……」
「想像以上に野心家ね」

 その野心に火をつけたのは神聖石。

「奇蹟の力の恩恵を受ける最初の患者さんが壇上に上がりましたよ」

 ロッテの言葉に俺たちの視線が悪徳司教へと注がれる。
 オットー助祭とロッテの固唾を飲む音が聞こえる。

 礼拝堂も静寂が覆う。
 ルーマン司教の下へと歩を進める患者と付き添いの者の足音が聞えるほどだ。

「最初の患者さんはかなり酷い怪我のようですね」

 添え木をして包帯が巻かれていた患者の右側の肩から腕を見て、 オットー助祭が表情を曇らせた。

「オットー助祭様なら治せるんですよね?」
「ユリアーナ様に授かった治癒の力があるので治せると思います。いえ、大丈夫、治せます」

 不安そうなロッテの表情を見てオットー助祭が言い切った。

 人間が出来てるなー。
 俺やユリアーナとは大違いだ。 

「良かった。じゃあ、悪徳司教が失敗した後はオットー助祭様が信者の皆さんの治療をされるんですね」
「もちろんそのつもりです」

 チラリと視線を俺とユリアーナに走らせた。
 ユリアーナを見ると「どうするの?」とでも言いたげに俺を見ている。

「それこそすがる思いでここに来た重傷者や重病人を見捨てるわけにはいかないだろ。悪徳司教が退場した後は俺たちとオットー助祭は別行動にしよう」

「ありがとうございます」
「シュラさん、やっぱり優しいです」

 オットー助祭とロッテ。
 この二人から無垢な感謝の気持ちや尊敬の念を向けられるとどうも居心地が悪い。
 そのとき礼拝堂から切実な声が響く。

「父は大工なのですが、仕事中に足を踏み外して右肩と右腕を骨折してしまいました。どうか奇蹟の力で治療をお願いいたします」

 神官にうながされた付き添いの男が涙ながらに訴えると悪徳司教が鷹揚にうなずく。
 憎たらしいくらいに得意満面の顔である。

「心配はいりません。たちどころに治して差し上げましょう」

 悪徳司教が怪我人の肩に手をかざした。
 静かなどよめきが上がる。
 悪徳司教の顔がわずかに歪む。

「異変に気付いたかな?」

 歪んだ顔が蒼ざめだした。

「あの悪徳司教、固まったまま脂汗かいてますよ」
「この後どうするつもりかしら」

 何かを振り払うように、一瞬、目をつぶって首を振ると再び怪我人を見つめる。

 神聖石の力が使えないと分かって、自分が本来持っている光魔法に切り替えたか?
 残念だがお前の光魔法のスキルは既に剥奪済みだよ。

「混乱しているのが手に取るように分かるな」

 思わず口元に笑みが浮かばないようにするのも大変だ。

「信者たちがざわつきだしたわ」
「怪我人と付き添いの人、泣きそうですよ」

 礼拝堂に集まった人たちの間からざわめきが起こった。そして疑問と不安が言葉となってあちらこちらから上がる。

「どうしたんだ?」
「何にも起きないぞ」

 ざわつく信者たちと怪我人とを交互に観ながら司教が後退った。

「バカな、こんなはずはない……」

 悪徳司教の様子に不審感を抱いた者たちの声がさらに大きくなる。ざわめきが大きくなり不満の声が混じりだした。

「どうしたんだ? 奇跡の力を見せてくれるんじゃなかったのか!」
「何が、お偉い司教様だ!」
「本物の奇蹟の力はどうした!」
「ユリアーナ様から直接授かったんじゃなかったのかよ!」
「このインチキ司教!」

 不満が罵声に代わった。血の気の多い者たちが壇上へと向かいだす。

「暴動が起きたりしませんよね?」
「礼拝堂に向かいます!」

 いまにも暴動が起きそうな空気にロッテが震え、オットー助祭がそう言い残して脱兎のごとく部屋を飛び出した。

「ま、待て。こ、これは何かの間違いだ! そうだ、間違いだ!」
 
 信者たちから浴びせられる罵声と礼拝堂の異様な雰囲気に悪徳司教が怪我人に背を向けて逃げだそうとした。
 それが合図となって一部の信者が壇上に駆け上がる。

「た、助けてくれ! だ、誰か――」

 悲鳴を上げる悪徳司教が壇上に駆け上がった信者たちの群れに飲み込まれた。

「集団心理って怖いわね」
「やっておいて何だが、信者がここまで血の気が多いとは思わなかった」
「あ、オットー助祭」

 ロッテの言葉通り、騒然とする信者たちの前にオットー助祭が姿を現した

「皆さん、落ち着いてください! ルーマン司教に代わり私が皆さんの治療をします!」

 よく通る声が響き渡った。

「助祭様だ!」
「俺はあの助祭様に脚を治してもらったんだ! 本物の奇蹟の力を使われるぞ!」

「あたしも知ってる! あの助祭様のお力は本物よ!」

 図らずも助祭コールが湧き上がる。

「あ、悪徳司教」

 ロッテが目聡く悪徳司教を見つけた。
 オットー助祭を称える信者たちからボロ雑巾のようになった悪徳司教が数人の神官たちによって救助されるところだった。

「悪徳司教が救助されるのに信者のうち何人が気付いたと思う?」

 クスクスと笑うユリアーナに言う。

「移動するぞ」

 俺たちは悪徳司教にとどめを刺すべく部屋を出た。
 階段を降りて行くと階下から悪徳司教の独り言と二人の神官の声が聞こえてきた。

「何故だ、何故だ……」
「ルーマン司教、大丈夫ですか?」
「信者が追ってくる様子はありません」

 オットー助祭が悪徳司教に代わって奇蹟の力を使って怪我人や病人を治療すると明言した。
 実績を証明済みの若い英雄が現れたんだ、信者の関心はそちらに向かうのは当然だ。

 とはいえ、なかには血の気の多い信者もいる。
 数人くらいは追ってきても不思議ではないが、そこはオットー助祭が上手いこと対処していた。

「何故、奇跡の力が、使えなく、なったんだ……」
「司教?」
「私は選ばれた者だ、有象無象とは違うのだ。こんなことがあっていいはずがない」

 混乱する司教に神官が促す。

「人目のないところへ避難しましょう」
「避難だと?」

 虚ろな目で聞き返す司教に神官が返す。

「お怪我もなさっています。治療されて少し落ち着かれるのがよろしいかと。その……、司教の治療は私がさせて頂きますので、ご安心ください」
「貴様まで私をバカにするのか!」

 逆鱗に触れたようだ。掴みかかるような音が聞こえ、続いて苦し気な神官の声が聞えた。

「し、司教。け、決してそのようなことは」
「黙れ、黙れ、黙れ、黙れ! 無知蒙昧な信者どもばかりか、お前まで! お前まで私を愚弄する気か!」
「し、司教。落ち着いてください」

 別の神官の声が響き、もみ合う音が聞こえてきた。神官二人で司教を取り押さえているようだ。

「離せ! 私に触れるな!」
「ともかく、ここではいつ信者がなだれ込んでくるか分かりません」
「いま信者が押し寄せてきたら我々だけでは抑えきれません」

 神官の悲痛な声。
 オットー助祭が抑えていることを知らないのだから、先程のように暴徒となった信者が押し寄せてくるかもしれないと、という恐怖は相当なもののようだ。

「不敬であろう! 降格処分にするぞ! いや、破門だ、破門にしてやる!」

 揉み合う音と声が次第に遠ざかっていく。力ずくで取り押さえるのに成功したようだ。

「あの悪徳司教、神官さんに八つ当たりしていましたよ」
「いい感じに混乱しているわね」

 引き気味のロッテといまにも踊りだしそうな軽やかな足取りで階下へ向かうユリアーナの声が重なった。

「司教の後を追うぞ」

 神罰の仕上げをするべく俺たちは司教が運び込まれた部屋へと向かった。
 悪徳司教が運び込まれた部屋の前まで来たが、扉の向こう側からは相も変わらず知性の感じられない罵声が聞こえる。

「貴様ら! どういうつもりだ!」
「先ずは落ち着いてください」
「そうです。ルーマン司教は奇跡の力などに頼らなくても高位の光魔法が使えるではありませんか」
「き、貴様……!」

 悪徳司教が言葉に詰まった。
 それを扉の外で聞いていた俺たち三人の視線が交錯する。

「あの神官、さっきも触れちゃいけないところに触れていませんでしたか?」
「いるのよねー、空気の読めない大人って」
「さっきも言っただろ、その手の煽りは部屋のなかでやってくれ」
「本当に上手く行くでしょうか?」
「雑な作戦だものね」

 ロッテの懐疑的な言葉にユリアーナが苦笑した。

 作戦はこうだ。
 悪徳司教と神官たちの神経を逆なでして、神官二人に俺たち三人を部屋から追いださせる。

 一瞬でいい。
 部屋に悪徳司教一人になった瞬間、俺の錬金工房へ取り込んで神罰の仕上げを行う。

「ダメなら三人まとめて取り込むだけだ」
「結局そこに落ち着くんですね」
「やっぱり雑ー」

 肩を落とすロッテとコロコロと笑うユリアーナに背を向けて扉をノックした。

「作戦開始だ!」

 軽快な音が響くと、扉の向こうから神官の不機嫌そうな声が返ってくる。

「誰だ! 呼んだ覚えはないぞ」

 呼ばれた覚えはないがこちらにも都合がある。
 付き合ってもらおうか。

「失礼します」
「お前たち! 何のつもりだ!」
「ここはお前たちが来ていいところではない。すぐに出ていけ!」

 扉を開けると神官の一人が背後に悪徳司教を庇うようにして立ちはだかり、もう一人の神官が俺たちの方へと踏み出した。

「そちらに用事がなくてもこちらにはあるんですよ」
「おじゃましまーす」
「はーい。信者から逃げ出した泥棒さん」

 俺たちというよりも主にユリアーナの言葉に悪徳司教が鬼の形相を向けた。
 視線で射殺すことができるとしたらあんな眼なのかもしれない。

「無礼者! 衛兵を呼ぶぞ」
「衛兵ですか。歓迎しますよ」
「何だと?」
「今朝、オットー助祭の部屋が荒らされましたよね。あの教唆犯と実行犯についてルーマン司教とお話したくてきました」
「平たく言うと下手くそな泥棒とそれを指示した間抜けな黒幕ね」

 俺の言葉に彼らの表情が強ばり蒼ざめ、ユリアーナの言葉に顔を真っ赤にして憤怒の表情を浮かべた。

「うわー、人の顔ってこんな簡単に変わるんですね」

 いいぞ、ロッテ。

「手下の後ろに隠れてないで出てきたらどう?」
「大勢の信者と神官たちの前で大恥をかいたんだ。そりゃあ、隠れていたいだろうさ」
「大嘘吐いて暴動まで起こしかけたものね」
「その暴動を止めた本物の神の力を使えるオットー助祭は信者たちの尊敬を一身に受け、片や嘘吐き司教は手下の後ろでこそこそしている。比べると惨めなものだよな」
「えーと、あたしも何か言った方がいいでしょうか……?」

 追撃の罵声を浴びせる必要がありますか? とでも言いたげにロッテが俺とユリアーナの顔を覗き込んだ。

「出て行け! この部屋から出て行け!」

 唾を飛ばして喚き散らす悪徳司教に向けて、俺はことさら穏やかな口調で返す。

「ルーマン司教。もう一度繰り返します。今朝ほどオットー助祭の部屋に侵入した者とそれを指示した者についてお話を伺えませんでしょうか?」
「お前たち、こいつらをつまみ出せ! 私の視界から消してしわわわええ!」

 最後は言葉にならない程に興奮したルーマン司教の意を読み取った神官二人が俺たち三人を扉の方へと押しやる。

 かかった!
 形だけ抵抗して俺たち三人は神官二人に押しやられるように部屋の外へと出た。そう、神官二人を道連れにして。

 神官が後ろ手に扉を閉めた瞬間、悪徳司教を錬金工房へと取り込み、予定通り言語スキルを剥奪してすぐさま部屋へと戻す。
 この間、二、三秒。

「必ず後悔させてやるから覚悟しておけよ」
「お前たちのことは憶えたからな」

 神官たちが扉を背に立ちはだかって恫喝した。
 まるでチンピラだな。

「分かりましたよ。では、今夜改めてお伺いします。そちらこそ忘れないでくださいよ」

 目的を達成した俺たちは踵を返す。

 とそのとき、

「うー、うー、うおぉぉぉー!」

 室内から意味不明の咆哮が聞こえた。

 振り向くと、俺たちを睨み付けていたはずの神官二人が互いに顔を見合わせていた。
 そして、すぐさまルーマン司教の待つ部屋へと飛び込んだ。
 俺たち三人は礼拝堂を見下ろせる二階の部屋へと来ている。礼拝堂では大勢の神官たちの先頭に立って怪我人や病人を治療するオットー助祭の姿があった。

「信者の皆さんがオットー助祭のことを拝んでますね」

 窓に張り付いて礼拝堂を見下ろしていたロッテが感心したように言った。
 その言葉通り、大勢の信者がオットー助祭を拝んでいた。治療してもらった人はもちろん、礼拝堂に集まった人たちのほとんどがそうだ。

「軽い怪我や病気の人たちは他の神官に任せたのね」

 人気取りのために病気や怪我の程度に関係なく傷病者を一人で治療しようとしていた悪徳司教とは大違いだ。

「あんなに大勢の神官が集まるのは初めて見ました」
「見習い神官も含めて総動員したみたいだな」
「司祭様がオットー助祭に指示をあおいでいるように見えますよ」

 ロッテの視線の先には、オットー助祭と会話した後、軽く会釈して踵を返す司祭の姿があった。
 それを見たユリアーナが言う。

「人は圧倒的な力の前にはひれ伏すのよ」
「この場合は力だけじゃないけどな」
「まあね」
「ですよね」

 俺の反論にユリアーナが渋々と同意し、ロッテが嬉しそうに振り返った。

 ユリアーナの言うことも確かに真理だ。
 圧倒的な高レベルの光魔法で裏付けされた治癒の力があるとはいえ、自分よりも高位の神官たちの協力を引き出せているのはオットー助祭のひととなりがあるのは間違いない。

「とはいえ、力があるに越したことはない」
「光魔法のスキル付与も大盤振る舞いしたものね」
「そんなに高位の光魔法を付与したんですか?」

 とロッテ。

「オットー助祭に付与した光魔法のスキルはこの世界でも二番目に高レベルだからな」
「一番は誰なんですか?」
「一番はロッテだ」
「え? やだ、そんな……、いきなり何を言うんですか、もう!」

 突然、頬を赤らめて身体をよじりだした。
 ときどき、突然、自分の世界に入り込むな。

「盛大に勘違いするんじゃない」
「え? 勘違い?」

 紅潮した頬で可愛らしく小首を傾げるロッテに言う。

「お前に付与した光魔法の方が高レベルだという話をしているんだ」
「ああ、昨夜の!」

 胸の前で両の手のひらを打つ。

「昨夜も説明したと思うが、使えるようになった魔法やスキルは光魔法だけじゃないからな」

 ロッテが身に付けているアクセサリー類、指輪、腕輪、ネックレス、アンクレット等に付与した魔法やスキルをすべて剥奪し、彼女本人に付与し直したことを改めて告げた。

「それじゃこの指輪や腕輪も、もう必要ないんですか」

 少し残念そうな表情で魔道具でなくなったアクセサリーを見詰める。

「そんな物がなくてもたくさんの魔法やスキルが使えるんだ、嬉しいだろ?」
「生まれて初めて男の人からプレゼントされたアクセサリーだったのにー……」

 不幸のどん底のような声と表情。

 これまでは魔道具の力を借りなければ発揮できなかった能力が自分自身の能力となったのだからもう少し喜ぶと思った。
 だが、能力を得た喜びはさておき、アクセサリー類を手放すのは悲しいようだ。

 泣きべそをかきながら指輪を外そうとしているロッテに言う。

「あー、なんだ。指輪も腕輪も、何だったらアクセサリーは一つも返さなくていいぞ」
「本当ですか!」

 途端、表情が明るくなった。何とも現金なものだな。
 内心で苦笑しながら聞く。

「もっと良いヤツと交換しようか?」
「必要ありません。あたしはこれがいいんです」

 嬉しそうな表情を浮かべたロッテが、指輪を包み込むように両手を重ねた。
 その表情と仕草にドキリとした瞬間、足に痛みが走る。

「ほら、もう行くわよ」
「何も蹴ることないだろ」
「この街には四つ目の神聖石はなさそうだし、そろそろ次の街へ行きましょう」

 そう言って先ほどまで礼拝堂を見下ろしていた窓に視線を向けるとこちらも可愛らしい笑顔で話を続ける。

「あの様子なら、当面はオットー助祭に任せても大丈夫そうでしょ」
「人格者だからな」
「そうですよね! オットー助祭はとても良い方ですから」

 今後も孤児院の運営に力を貸してくれると約束してもらったことでロッテのオットー助祭に対する信頼は天井だった。
 だが、ユリアーナの言いたかったことは違う。

 そのことには触れずにユリアーナが言う。

「そうね、これであなたも安心してあたしたちと旅に出られるでしょ?」
「はい! 少し寂しいですが、あたし、ユリアーナさんやシュラさんと旅をしたいです」
「街にはロリコン代官もしるしな」

 俺の一言にロッテの肩がピクリと反応しきり無言で固まるロッテをスルーしてユリアーナが聞く。

「ロリコン代官に挨拶していく?」
「このままってのもなー。挨拶くらいして行くか」

「代官様は良い方ですよ。そりゃ、あたしにとってはとても困った方ですが、この街や孤児院にとってはとても良い方です」

 俺とユリアーナの会話を誤解したロッテがロリコン代官の擁護に回った。
 カール・ロッシュが優秀な代官であることは間違いない。

「分かってるって」
「ロリコン代官に神罰を下すつもりはないわ」

 権力と財力と行動力あるロリコンという悩ましい短所はあるが、それを補って余りある長所があるのも事実だ。

「孤児院の経営にも協力してくださると約束してくれました」

 その孤児院の運営が心配なんだが……。
 第二、第三のロッテが現れないとも限らない。

 まあ、その辺りはオットー助祭にも頼んであるし何とかしてくれると信じよう。

「取り敢えず挨拶くらいはして行こう。他の街にも顔が利きそうだし、紹介状の数枚くらいは書いてもらっても罰はあたらないだろ」
「そうね! そうしましょう! 紹介状を書いてもらいましょう」
「騎士団へは行かないんですか?」
「何で?」

 とユリアーナ。

「そこまでの義理はないかな」

 騎士団は二者択一で、「どちらがマシか」という基準で一方には失脚してもらった。
 個人的に恨みがあったのもある。

 結果、ライバルの失脚で得したのは残った騎士団だ。
 感謝されるのはこちらである。

「そう、ですか」

 ロッテの寂しそうな顔に思わず言葉がでる。

「街でお世話になった人たちには一通り挨拶してから出発するか」
「それが良いと思います!」

 無言で渋面を作るユリアーナだったが反対はしていない。
 弾む足取りで扉へと向かうロッテに聞く。

「出発は明日にして、今夜は孤児院に泊めてもらえるよう頼めるか?」
「もちろんです! 院長にダメだと言われても泊まれるようにしてみせます!」

 溌剌とした答えが返ってきた。内容はともかく、俺の心もどこか弾む。

「ほどほどにな」

 そう言って俺も二人に続いて扉へと向かう。

 この広い世界に散らばった百個余りの神聖石。
 すべて探し出すにはまだまだ時間がかかりそうだが、この二人となら多少時間がかかっても良いかもしれないな。

 幸い、この異世界で生きていくのに困らないだけの力はある。

 どうせならこの異世界を巡り、楽しみながら探すのもありだろう。
 そんな風に考えると心が弾む。
 
「たっくん、急ぐわよ。のんびりしていたら神聖石を悪用するヤツやこの間みたいなアンデッド・オーガみたいにこの世界の住民じゃ手に負えない魔物の出現に繋がっちゃうかもしれないんだから」

 ユリアーナの言葉が俺を現実に引き戻した

 ◇

 翌日の早朝、孤児院の子どもたちが起きるよりも早く俺たち三人はラタの街を後にした。
 街を出て程なく、馬車の操車をするロッテが寂しそうな表情で何度も振り返る。
 俺は馬車のなかからロッテの隣へと移動しながら聞いた。

「やっぱり生まれ育った街から離れたくはないか?」
「そうですね……。何日か前に行商人さんの馬車に潜り込んだときは感じなかった寂しさがあります」
「街に残ってもいいんだぞ」
「戻りませんよ。あたしの居場所はお二人の隣なんですから」

 キッパリとした口調で即答した。

「ありがとう」
「どうしたんですか?」
「楽な旅じゃないけど、改めてよろしくな」
「こちらこそよろしくお願いします」
「こら、助手1号と2号。あたしを仲間外れにしないの」

 頬を染めるロッテと俺の間にユリアーナが割り込んだ。

「ユリアーナさんを仲間はずれにするわけないじゃないですか」
「そうそう。俺たちのボスはユリアーナなんだから」
「よろしい」

 ユリアーナの得意げな笑みとロッテの幼い笑顔が映る。
 暖かい何かが込み上げてきた。
 慌てて二人から視線を前方へと、隣国へと通じる街道へと向ける。

「ロリコン代官の話しじゃ、隣国の街で急に盗賊団が力を持ったそうじゃないか」
「異変のあるところ、神聖石あり、よ」

 ユリアーナが前方を指さした。
 それを横目で見ながらロッテがつぶやく。

「それって異変を起こしている原因が神聖石ってことじゃ……?」
「細かいことは気にしないの。目的を達成することだけを考えましょう」

 俺とロッテの視線が交錯し、俺たちの笑い声が重なった。

 ◇

 後の世に神の使徒にして稀代の錬金術師として名を刻む少年と慈愛の大聖女と呼ばれる少女を乗せた馬車が街道を進む。

【完】

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