あの日、俺の世界は一瞬にして変わってしまった。
何がどう変わったのか。それを説明するには時間を少し巻き戻さなければならない。
命を燃やして鳴く蝉の声が少しずつ大きくなっていた7月。
県立夕波高校2年4組で起きたあの事件のことを思うと、1年が経った今でも、俺の心の中は嵐が吹き荒れるのだけれど。
「な、ちょっとやってみねえか。“ランキング”」
最初はとても気軽な気持ちだった。何も、悪いことをして誰かを困らせようとか、傷付けようなどとは微塵も思わなかった。それだけは断言したい。
というか、男子高校生の考えることなんて、所詮は思いつきだ。「面白そう」と思ったら即行動だ。単細胞生物なのだ。
「ランキングって、どうせまたあれだろう。クラスの女子でやるやつだろ。それ、中学ん時もやったぞ」
「それなら話が早い。で、どうだ、山下。誰が好きなんだ」
野球部の練習終わりの部室で、俺は同じ野球部でクラスも一緒の山下翔に訊いた。
他の部員たちは早々に皆一斉に帰宅しており、山下と二人きりだった。彼はノリの良い肉食人間で、こういう話にはすぐにのってくれる。
「そりゃ、やっぱりあいつだろ。池田ななみ」
「ああ、池田派? まあ分かるけど」
池田ななみは、2年4組どころか、学年全体の女子を見てもかなり上位にランクインしそうな美しい顔立ちをしている。「可愛い」というよりは「綺麗」と表現するのがよく似合う。その大人っぽさから、彼女に告白する男たちは夢見心地な様子で愛を伝えるが、ほとんどが上手くいかない。というか、彼女がこれまで誰かと付き合っているという情報さえ、俺は聞いたことがなかった。
「おれ、池田のこと好きなんだよなー」
「は?」
何を突然言い出すのかと思いきや、山下はここで恋心を暴露。いや、訊いてないんだけど。まあ、こういう話にいったん火がつくとほとんど女子と一緒だ。男子だって、クラスの誰が可愛いとか誰とやってみたいとか、そりゃもう四六時中考えているのだから、誰かと共有したくもなる。
「いや、だって綺麗じゃん。最高じゃん。あんなのとやれたら」
「結局そっちかよ」
「動機はともあれ、好きなもんは好きなんだからしゃーない。ということで、おれは池田に投票するぞ」
妄想だけで鼻歌でも歌い出しそうな口ぶりで、エナメルのカバンを肩にかけながら彼は言った。
気がつけば部室の窓から薄暗い外の闇が見えて、もうこんな時間かと焦る。朝起きてから部活が終わるまでの高校生活の毎日がとても目まぐるしい。
山下は池田ななみに投票すると宣言してからなぜか機嫌が良い。おかしな妄想でもしているのだろうか。
ともあれ、一人でも投票をしてくれるやつがいてくれるおかげで、他のクラスメイトにも頼むきっかけにはなった。
明日から、投票活動。
変わりばえのない日常を軽く彩るくらいのこと。
少しくらいなら、良いだろう。
俺は山下と同じように部活の道具と教科書類が詰まったリュックを背負った。
「帰るか」
「おう」
部室の扉を開ける。外に広がる薄暗い空気。俺たちはその闇の中に、一歩踏み出した。
しかし、この些細な出来心が、後に自分を苦しめることになるなんて。
この時は一寸たりとも思わなかった。
俺と山下の投票活動は順調に進んだ。
翌日の昼休みには男子生徒20人のうち、13人は投票をしてくれたのだ。まあ、ほんの遊びに過ぎないからだろうか。自分で言うのもなんだが、俺は4組の中ではクラスの中心にいると自負している。もちろん、その権力を振りかざして弱い者いじめをしようとか、クラスで一番美人の池田ななみと付き合おうとか、そういったことを企むことはない。ただ、自分の発言や行動に大勢の連中がついてきてくれる。それだけで、お腹の底で暴れ回る自己承認欲求を満たしているのだ。
そう。そこまでは自覚していた。
自分は、どうしようもなく自己愛が強く、誰かに自分を認めて欲しくてたまらないのだと。だから、こんなふうに男子なら誰もがのってくれるようなくだらない遊びをして場を盛り上げようとした。
「くだんねえな」
14人目に声をかけた矢部浩人は一瞬眉根を寄せて、クラスの女子の「名簿」を一瞥した。しかしそれは、ランキングについて軽蔑をしたわけではなく、単に話を飲み込むのに時間を要しただけなのだろう。その証拠に、「くだらない」と言いつつ、思わずぷっと笑みがこぼれていた。
矢部は、クラスの中でムードメーカーだ。俺とは違った意味で、クラスの中心にいる。お調子者といえばそうだが、とにかく愛想がよく男子からも女子からも好かれている。悔しいけれど、認めざるを得ない。
「だろ。くだらないだろ」
一緒にいた山下はいたずら好きの子供の目をして言った。けれど、その一言が逆に、矢部の好奇心をくすぐったに違いない。
「おっしゃ。どうせこんなもん、男子たちの間で楽しむだけなんだろ。それなら俺だって男だ。投票してやるぜ」
彼はいともたやすく俺の誘いにのってくれた。さすが、クラス一ノリの良い好青年。
「さんきゅ。さ、思う存分好きなやつに入れてくれ。ちなみに一人三票まであるぞ」
女子の「名簿」を彼に差し出すと、矢部は少し考え込んだあと、とある人物の横に「正」の字を入れ、ペンを置いた。
「なんだ、一人でいいのか?」
「ああ」
「まじか。それって、ガチじゃん」
「そうだよ。悪いか」
「ほー! なるほど、お前って、“彼女”がタイプだったんだな」
「うるせー黙れ」
はいはい、と俺は矢部の肩に軽く手を触れた。
まさか、こいつが本気で好きなやつに投票するなんてな。まあ、他のやつらも本命の女子に入れたんだろうが。
普段クラスを盛り上げている人間がこぼす本音とやらが、この紙一枚にこぼれていると思うと、面白い。
矢部は投票を終えると先生に呼ばれたのだと言って教室から出て行った。俺は山下と彼の投票結果を見つめる。
“安藤和咲”。
俺は、彼が票を入れた人物の名前を心の中で反芻した。
手に入れたい。
自分が悔しいと思う相手が想う人間を。
手に入れたい。
俺は、15人目の投票者として、シャーペンを手に取った。
安藤和咲。
たった一人、彼が投票したのと同じように、俺は彼女の隣に「正」の線を引く。
「お、いいのか?」
「こんなの遊びだって」
ムキになった俺を、山下が面白がって見ている。
俺が引いた「正」の字の線は、先ほど矢部が書いたものを否定するように、太く濃くなっていた。
それから順調に男子メンバーに声をかけ、投票に協力してもらう。もうほとんど、結果は見えていた。それでも、男子全員の意見を求めるため、さらに翌日の金曜日、最後の一人に声をかけた。5限目と6限目の間の十分休みだったので、手短に話をして投票をしてもらう予定だった。
「なんだ、これ」
最後の一人——板倉奏太は、差し出された白い紙を訝しげに見つめた。女子生徒の「名簿」を裏返して見せたため、何のことだかさっぱり分からないという彼の反応は当然のことだった。しかし俺は、早く事を終えてしまいたいばかりに、彼に対してとても雑な説明を行う。
「見たら分かるだろ」
「見たらって……」
そこで板倉は、白い紙をひっくり返した。
「出席簿?」
「違うって。ランキング」
「ランキング?」
なんだこいつ、ちょっとは何か思い浮かんだりしないのか。大体、“可愛い女子ランキング”なんか、ほとんどのやつらが中学でもやったって言っていたぞ。
ちょっと理解力が足りないんじゃねーの。
「だーかーらー、女子のランキングだよ。うちのクラスの。かわいい女子ランキング」
「かわいい女子ランキング」
オウム返しでしか返答してこない板倉に少々イラつきつつも、これ以上喧嘩ぽくなっても時間がかかるだけと思い直した。
「そう。クラスの女子の中で、かわいいと思う人に票を入れて回してくれ。もちろん、男子だけだぞ。一人三票まである」
チラチラと、「ねえ、あの二人」と俺たちの方を見ながら話している女子たちの視線が気になった。正直、板倉とは普段から話をするような仲ではないため、不思議に思われたのだろう。俺はさっと自分の席に座った。
板倉奏太。
見た目はどこからどう見ても、量産型のフツウ男子。クラスに一人、いや三人いてもおかしくないタイプ。そこそこ勉強ができて、先生たちから信頼を得ている。かといって目立つタイプではない。確か、陸上部に入ってるんだっけ。そこだけはちょっと意外だ。文化系男子のイメージがあった。
とにかく、俺とこいつはこれまでもこれからも、まったくと言っていいほど関わりを持たないだろう。
ため息をついてから周りを見回し、ペンを握り票を入れてくれた。あの様子だと、きちんと三票入れてくれたようだ。
ペンを置いた後も他人に見られていないかどうか気になるのか、後ろを振り返っていた。票を入れた相手のことが気になったのだろうかと思い、彼の視線の先を見た。
しかし、そこにいたのは一番後ろの窓際に座る、岡田京子という女子だった。彼女に票を入れたとは思えなかったため、さきほどの予想はどうやら間違いだったらしい。
岡田京子といえば、一匹狼で、教室でほとんど口を利かない。女子の友達もいないのか、友達と楽しく過ごしているところを見たことがなかった。
だから当然のように、これまでの投票では一票も入っていない。板倉が入れていれば話は別だが、おそらく彼も岡田京子には投票していないだろう。
6限が終わると、板倉から「これ」と女子の名簿を渡された。見ると、安藤和咲への票がまた一つ増えている。反射的に、板倉の顔を睨んだ。彼は気まずそうにさっと目を逸らす。
まあいい。
板倉など、特にライバルでもなんでもない。普通に勝負していれば自分の勝ちは保証されている。
俺はそっと、矢部浩人の方を見た。彼は近くの席の女子たちと爽やかな笑顔で談笑していた。
「なあ、本当にやるのか?」
翌朝、午前7時半。
まだ誰も登校してきていない教室で、俺は山下と一緒に眠い目を擦りながら件の「名簿」を見つめていた。
「ああ、もちろん」
「まじかよ。どうなっても知らねーぞ」
「お前だって、ちょっとは興味あるんだろう。だからのってくれたんじゃないか」
「それは、そうだけど……」
こういう時の山下は、どことなく挙動不審で弱気だ。普段なら、俺がやると言ったことに対して全力で応えてくれるのだが。
俺たちが今日、早朝に学校に来たのには理由がある。
「お前はいてくれるだけでいいからさ」
ここまで言ったところで、彼はようやく観念したのか、何か言いたげだった口を噤んでしまった。
俺は一人、教室の後ろの黒板の前でチョークを握る。
自分たちが今ここにいる理由。
それは、俺の手の中にあった。
“2年4組 可愛い女子ランキング”。
そう。昨日までで集めた男子たちの票を集計して、ランキングにしたのだ。
本当は自分たちでこっそり楽しむために始めたことだ。でも、誰かが誰かに投票するところを見て、案外みんな本気で票を入れていることを知って。
少し、いたずらしたくなったのだ。
右手に力を込め、女子の名前を順番に書いていく。
1位 池田ななみ
隣にいる山下が、息を呑む。
2位 藤堂亜希
彼女たちに票を入れたクラスメイトの顔。鼻の下が伸びただらしない顔。
3位 安藤和咲
あいつ。あいつの、矢部浩人の多分好きな人。そして、板倉奏太。彼も彼女のことが好きなんだと思う。
俺が、奪いたいと思っている女。
4組の女子は、残らず全員名前を書き連ねた。上位の人たちだけでなく、全員。本当は、三人くらい名前を書けば満足だった。でも、チョークを握っているうちに身体が熱を帯び、理性で押さえつけることができなくなった。
このまま、続けたい。
誰かが傷つくかもしれない。
見たい。
その人の顔を。
傷ついた人間の、歪んだ顔を。
19位 岡田京子。
最後の一人の名前を書き終わる。
最下位は予想通り。投票を始める前から大方予想がついていた。クラスで浮いている少女。きっとクールな彼女はこんなことを気にしない。だから、書くことにためらわなかった。
「……よし」
「まじで、やったな」
「お前の手は煩わせなかっただろ」
「まあ、そうだけど……」
山下の口調は、普段より歯切れが悪い。
気づいていないだろうが、たとえ手を汚していなくたって、彼が共犯者であることには変わりない。つくづく、自分が最低な人間だと思う。でも、あと一時間もしないうちに皆が登校してくる瞬間が待ち遠しい。その時俺は、クラスの“マスター”になるのだ。
もう、徹底的に心が歪んでいることは自分からしても明らかだった。
「なにこれ?」
午前8時10分。最初にやってきたのは、4組の中でも一番真面目な飯塚真由という女子だった。おそらく、朝早くきて勉強でもしようとしていたのだろう。休み時間も机にかじりついているようなやつだ。
彼女の順位をちらと確認する。15位。下から数えた方が早い。
「……」
あんたたちがやったの、とでも言いたげに後ろに立っていた俺や山下を睨んだが、すぐに自分の席についてノートと参考書を広げた。
なるほど、今は被害者である自分の方が劣勢であるため、特に何も問いただしてこないパターンだな。まあ、こいつは元々他人に深く干渉しないタイプだし、こんなもんか。
ちょっとつまんねーと思いながらも、その後続々と登校してくるクラスメイトの驚いたり、怒ったりする様子を楽しんでいた。女子は大抵数人で集まって、
「最低」
とはっきりと聞こえる声で憤った。
反対に男子は、直接俺に話しかけてくる方が多かった。
「これ、宮沢の仕業だろう?」
「ご名答」
「まさか、こんなことするなんて思ってなかったんだけど」
「言ってなかったからな。昨日思いついたんだ」
「まじかよ。女子たち怒ってるし、早いとこ消しとけよ」
「はいはーい」
俺に忠告してくるくらいの男は全く問題ない。今俺に話しかけてきた田中海斗はいたたまれないという顔をしている。おそらく、このランキングの投票に加担したという後ろめたさがあるのだ。
それは、他の男子にも言えることだ。
このランキングを見た男子たちみんな、気まずそうに女子たちの怒りの声が聞こえないフリをしていた。
やや遅れて登校してきた矢部浩人でさえ、「消せよ」と一言俺に言ったあとは、ぐっと歯を噛み締めているようだった。
矢部浩人の後方には、眉根を寄せてこちらを見ている安藤和咲がいた。彼女は3位。名誉ある順位じゃないか。何が、そんなに嫌なんだ?
ああ、もしかして、矢部が自分に投票したかどうかを気にしているのか? だから穴が開きほど彼の背中を見つめているのか?
それとも、単に周りに合わせてるだけか?
なあ、なあ、なあ。
安藤と矢部との間にある見えない線を必死になって探した。どこだ。どこにある。俺が今から断ち切ってやる!
「宮沢……?」
ポンと肩を触られてはっとして横を見ると、山下が「大丈夫か」と心配そうな表情をしていた。俺は、自分の額をツーっと流れる汗に気が付く。
「……ああ。大丈夫だ」
自分でしかけたことなのに、自分で熱くなるなんて格好悪い。もういい。今日の茶番はここまでだ。もうすぐ始業のチャイムが鳴るし、先生が来る前に消してやるか——。
黒板消しを取ろうと、さらに黒板の目の前に近づいたとき。
ガララ
「はあ……はあ。セーフ……」
教室の扉が勢いよく開かれた。俺は、先生が来たのかと思いドクンと心臓が鳴る音を聞いた。でも、やってきたのはクラスメイトの板倉奏太だった。
「なんだ、板倉か」
俺はほっと胸を撫で下ろしたが、彼がものすごい形相で黒板を見つめているのが分かり、胸の奥に不快感が広がる。もう、いいよ。どうせお前も他のやつらと同じことを訊いてくるんだ。もうすぐ消すし、いつもの朝に戻ろうぜ。
俺はその辺にいた山下や河合たちと、「お前は誰に入れた?」などという会話に専念することに。板倉も周囲の人たちと誰の仕業なんだとか言っているうちにこの話題にも飽きてくれるはずだ。そうなれば、俺の勝ちだ。男子全員の想いを集約したこのランキングを女子たちに晒してやった。みんな少しは楽しんでくれただろう。そう思うとにやけが止まらなかった。
しかし、俺の意に反して、板倉は前方の入り口付近からこちらに向かって歩み寄ってきた。
「なあ、あれ誰が書いたんだ?」
軽蔑の声色で、彼は矢部浩人の肩を叩いて問う。
全員の視線が板倉に向けられている。矢部は気まずそうに、黒板の前に立つ俺を指差した。
「たぶん、あいつだと思う」
矢部からすれば、板倉にしか聞こえない声で呟いたのだろうが、彼らの動向に神経を尖らせていた俺には丸わかりだった。
「宮沢か」
彼は普段の争いを好まないスタンスではなく、いかにも何か言いたげな様子で、俺の方をキッと睨み付けて言った。
「最悪だな」
なんだ、お前。遅れて来たと思えば柄にもないことしやがって。
「はあ?」
俺は、売られた喧嘩は買う主義だ。明らかに善良そうな目をしている彼を威圧するように睨み返す。
「だから、最悪じゃないかって、言ってるんだ」
善良そうな顔で、すぐに正論を吐くやつ。
お前は、俺が嫌いな人間ワースト1だよ。
クラス中の人間が、俺と板倉の会話を訊いている。
「こんなこと全員の目に見えるように書いて、何か良いことでもあるの? 傷つく人、いるじゃん」
板倉の目は怒りに満ちており、自分の主張の正論ぶりを周囲に知らしめるようだった。それが俺にはますます気に食わず、はんっと鼻を鳴らしたとき。
たたっという足音と共に、一人の女子が、教室から飛び出していった。
「まって、和咲!」
飛び出したのはどうやら、安藤和咲らしい。彼女と中の良い畑中が彼女を追いかけてゆく。他にも、数人の女子が教室から出ようとしたが、「待ちなさい」という担任の伊藤が彼女たちを制した。
あーあ。
せっかく、黒板を消して何もなかったようにする予定だったのに。板倉が、あんなふうにつかかってこなければ、今頃。
「あれを書いたのは誰ですか」
先生は真っ先に、後ろの黒板のランキングに気がつき、生徒全員を見廻した。皆一様に俯いているのが分かり、その中の何人かが俺の方を気まずそうに振り返った。
彼らの視線と先生の視線が重なり、俺は身動きが取れなくなった。
「宮沢君」
確信を持った、先生の力強い声。
これ以上、俺になす術はない。降参だ、降参。
「放課後職員室に来なさい」
伊藤先生からの説教は一時間にも及んだ。なぜあんなことをしたのか。悪いことをした自覚はあるのか、後で全員に謝りなさい云々。まるで小学生に諭すかのように俺の目を捉えて離さなかった。俺のやったことが小学生レベルだったのは間違いないが。
その後反省文を書かされて、俺の裁きは終わった。意外と長かったが、ダメージはほとんどない。
「お疲れ」
職員室を出ると、呆れた顔で立っていたのは山下だった。
「お前は捕まらなくて良かったな」
「まあね。俺と宮沢が並んでると、疑われるのは大体宮沢だけだろ」
「そうかもな」
山下は俺が巻き込んだだけなので、彼が怒られないことに特に不満があるわけではなかった。多分俺はこれからもこいつとつるんでちょっと悪いことをするだろう。でも、誰かに怪我をさせるようなことはしない。俺はそういうところは線引きしているのだ。
だから今回だって、先生に叱られるくらいの傷で終わると思っていた。
いや、終わるはずだったんだ。
「そういえばさっきさ、お前を探してるやつがいたぜ」
不意に山下がにやりと笑って俺に告げた。
「俺を探してる? 誰だよ」
「誰とは言わねーが、女子。たぶんまだ教室に残ってる」
「は、なんだそれ」
いやに曖昧な言い方をする奴だ。俺のことを教室で待つような女子なんて、一人も思い浮かばない。あ、でももしかしたら。ランキングのことで物言いたげだった女子たちが揃って俺を責めるつもりなのかもしれない。
2年4組の教室の扉を開ける瞬間、一呼吸して腕に力を入れた。次の瞬間、クラス中の女子たちが俺のことを睨みつけていた——なんてことはなく、教室にいたのはただ一人、窓際の一番後ろの席に座る少女だけだった。
サッと、少しずつ開けられた窓から生暖かい風が吹いた。カーテンがふわりと広がり、彼女の顔を半分隠す。
「何か、俺に用だって?」
俺は教室に残っていたその人物が、本当に自分を待っているのか疑問に思いながら尋ねた。
「あ、うん。突然ごめんなさい」
彼女——岡田京子は風で乱れた前髪を整えて、俺の方を見た。
その目が。
驚くほど、美しい。気を抜くとその目に射竦められて身体が動かなくなりそうだ。
思わず息を呑んだ。
なんだこいつ。こんなに綺麗な目をしていたんだっけ。
「いや、別にいいんだけど。……で、なんの用?」
「……さっきのランキング」
ああ、やっぱり。そりゃそうだ。このタイミングで俺に話があるとすれば、ランキング以外になにもない。まして、今までろくに話したこともないような子だ。というか、今日が初めてなんじゃないか。
「その件に関しては謝るよ。すみませんでした」
俺は素直に頭を下げた。今更シラを切ったところであまり意味がないことくらいは分かっていた。
しかし、俺の言葉を訊いた岡田京子は首を傾げてこちらを見ていた。なんだ、他になにか言いたいことでもあるのか?
「いや、そうじゃなくて。板倉って、最低だよね」
「え?」
いま、なんて。
何か、とんでもない言葉を訊いてしまったような気がして、俺は一瞬彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。ともすれば自分の聞き間違いではないかとも思い、もう一度耳を澄ませる。窓の外から、蝉の泣き声が聞こえてきた。これまでだって鳴いていたはずなのに、普段はどうしてか聞こえない声。
それがいま、人とあまり話すことのない少女の声を掴もうと必死になっている自分の前では大きく響いた。
「あんなふうに、自分のしたことを棚に上げてあなたを責めるなんて、卑怯だって思わない?」
「それは、まあ」
彼女は一体、何が言いたいのだろう。
確かに今朝、板倉が俺の幕引きを邪魔してきた。彼さえいなければ、あそこまで派手に自分がしでかしたことを追及されることもなかっただろう。
けれど、彼女が板倉に怒る理由は何だ。
可愛い女子ランキング最下位だった彼女が、俺ではなく板倉を軽蔑する理由は。
「お前、もしかして板倉のこと——」
核心に触れるつもりはなかった。けれど、いまこの場で咄嗟に口をついて出た言葉が、彼女の胸を突き刺したのは間違いない。その証拠に、彼女は大きな瞳をうるませて膝の上で両手をぎゅっと握りしめていた。
たったそれだけのことを言うために俺を呼び出したのかとも思ったが、彼女の気持ちが分からないこともなくて、それ以上何も聞くことができなかった。
ただその日から、俺の中で岡田京子という女の子の存在が大きくなったことは間違いない。