その話が出たのは蝉の声が鬱陶しくなるころ。友人と机を囲み、教室で昼食を食べていたときだった。内容は今年度から編入してきた女子生徒の話だ。とくに偏差値が高い訳でも部活動が強いわけでもない高校に編入する人にそれ相応の理由があるはずだと囁く声ができるのは自然だろう。前の学校で悪いことをやったに違いないとおもしろおかしく話しているというのがいま流れている噂だ。
「なあ、桜ちゃん可愛くね」
机を囲んでいる二人の友人のうちの一人、木原が唐突に言った。もう一人の友人、優里はそんな木原を呆れたように見ている。桜というのは編入してきた女子生徒の名前だ。神奈桜、ぼくと優里の元同級生兼うわさの編入生の……ぼくの初恋の人だ。

彼女と出会ったのは中学のときだった。きっかけは体育祭実行委員の代理を頼まれたときだ。腹痛で欠席した優里の代わりに仲のいいぼくが代理で委員会に出席した日、隣の席に座った彼女にぼくは一目惚れした。彼女の健康的な肌の色が好きだ。彼女の艷めく黒髪が好きだ。会う度に彼女に惹かれていく。それからのぼくは変わったと思う。頭のいい彼女と同じ高校に行くために勉強も必死にやった。所属していたサッカー部では顧問の先生にアピールをして先輩と交代で試合に出ることも増えた。その甲斐があったかは分からないけれど、徐々に彼女と話す機会は増えていった。相談事をされたり、勉強を教えあったりいまにして思えばただの仲のいい友達の範疇で彼女にとってはそれ以上でもそれ以下でもなかったのだと思う。けれどぼくは彼女も意識しているのではなんて……自惚れていた。中学最後の夏、蝉が鳴き始めたころ彼女に告白した。

つきあってください

ただ簡潔に想いを伝えた。あのときのぼくは初恋という熱に当てられておかしくなっていた。たった数文字の言葉を一ヶ月考えた。傍から見れば滑稽な道化だっただろう。

ごめんなさい

その言葉を聞いてきっと夢だと考えるほどぼくはおかしかった。それからの記憶は一切ない。何をやっていたのか全く覚えていない。気がつくと数日が経過していた。灰色だった。目に見える何もかもが空虚な偽物に思えて仕方なかった。機械的に、淡々とただ作業をこなしていった。それが終わったのは中体連の地区予選決勝のときだった。後半42分、1ー0。ぼくにボールが渡った。ゴールは目前、これを入れなければもう勝ち目はない。ただボールを蹴ってゴールに入れる。別段ぼくに焦りはなかった。ただの作業だ。なんてことない。ふと声が聞こえた。

ガンバレ

目線を上げ、ゴールを見据えたとき固まった。ナンデカノジョガイル?ドウシテ?

顔をあげると心配そうにこちらを見る二人の顔が映った。少し考え込んでしまったみたいだ。二人に大丈夫だと頷きながら会話を続ける。
「彼氏でもいるんじゃない」
虚勢がバレないように少し強めに、ぶっきらぼうに言う。空気が悪くなったのを感じたのか、話題を変えようとしている木原に断って便所に向かう。嫌なことを忘れようと自動販売機で強炭酸と強調された飲み物を買い、胃の中に流し込む。腹が熱くなり、頭がスッキリとする。二年経ったいまでも、彼女のことはずっと忘れられない。いまさっきは話を切ろうと適当に言ったものの、彼氏がいるというのもあながち間違っていないかもしれない。そんなどうしようもない考えばかり浮かんでしまう。
そんな考えを打ち消すように残りを飲み干して体の中の空気を吐き出す。