極北の罪人はかく語りき


 渡された鱗をポケットから取り出す。火の光を受けてさっきとはまた違った色に光るそれはむかし絵本で見たこの国を統べていたという古竜(エンシェントドラゴン)を思い出させた。

 なぜ竜と魔法使いは決別したのだろう。なぜこの国の誰もが「罪の子」に疑問を持たない。なぜ北側だけ、何百年も閉ざされている。地脈や生物学的に北の調査をすれば変わってくることなど百や二百では収まらないはずだ。学問関係専門の冒険者じゃないジオルグだってそのくらいの情報は持っていた。

 北に踏み入れられない理由はもっと他にあるはずだ。

 それを知る人間がもういないのかもしれない。あの門と壁と、入るなという事実だけが残ってしまっているのかもしれない。だとしたら、自分たちが北を調査すれば、『語り部』が何かを知っていたなら、この国の発展は約束されたも同然だ。

 そのために、二人を巻き込んでしまったが。

 疲れてしまったのかうとうとしているカーミラに先に休むように促す。リッツも雪を溶かしたお湯を飲んで落ち着いたようだった。

「交代で眠ろう。寒いから寝る奴は奥側の温かいところのほうがいいな」

「そうだねぇ、とりあえずカーミラ寝ときなよ。体力一番ないんだからさぁ」

「余計なお世話ですっ! ……でも、感謝します。なんだか頭がぼうっとして、寒すぎるせいですねきっと」

「だねぇ、ジオルグは大丈夫ぅ?」

「ああ、なんともない。リッツはどうなんだ」

「ちょっとだるいけどカーミラほどじゃないと思うから平気平気」

 いつも通りの二人でいてもらえれば三日くらいなんてことはないはずだ。とりあえず三日、耐えればいい。それが嘘だとしても騒いでも仕方ないのは二人だってわかっているはずだ。

「俺は入り口がふさがらないように一度見てくる」

「わかったぁ、無理しないでね。俺は火を見ておくから」

 大丈夫、大丈夫だ。ジオルグはそう自分に言い聞かす。
 満足な暖や食事ではないが三日くらい、今までだって耐えてきた。

 ―――そうして迎えた三日目の朝。

「お、いたいた。いいとこ見つけたじゃーん。……で、やっぱ君一人だけ、なんだねえ?」

 迎えに来た青年が洞窟の奥をのぞき込む。

 そこにあったのはすでに息絶えたカーミラとリッツの遺体。そして呆然とへたり込んでいるジオルグの姿だった。

「こうなることを見越していたのか?」

「むしろわかんなかったの? 本当に冒険者?」

 昨日の夜まではなんの問題もなかったはずだ。交代で仮眠をとって、朝方くらいに寝るように促された。そして寝て起きたらこのありさまだ。まるで、眠ったかのように二人は穏やかな顔をして岩壁にもたれかかって居た。その顔が、雪よりも白いだけで。

「この山はそーゆー場所なんだよ。精霊の墓場。呼吸してるだけで死ぬ。この山の空気がそもそも毒なんだよ。だから言ったろ? 君だけは生き残ってそうだよねって」

 耐性の有無、という意味の話だったといまさら聞かされる。そんなの、わかっていたらなにがなんでも二人を預けただろう。いや、それ以前にまず北に踏み込もうとしなかったかもしれない。そんな危ないことをなぜロンディウムの人間は知らないんだと思ったが理由は簡単。北に踏み込み、戻ってきて、それを記すものが今日まで一人もいなかったから。それだけだ。

 第一に、今の世に魔法なんて存在しない。魔法使いや竜の先祖返りたちだって魔法なんか使えない。かつてそういう力があったことも、その使い方も記録はある。記録はあるが使えるかどうかはまた別だ。なんせ実演できる人物もいないのに独学でどうにか、なんて無理がある。

 精霊の墓場、と青年は言ったが魔法も精霊もそのすべてが今の時代にはおとぎ話だ。空気が毒であるなんて伝承も無い。知りようがないことなんていくらでもあると、理屈ではわかっていたはずなのに。

「んじゃまあ、俺の棲家に行きますか。こんな洞窟よりは快適だと思うよ」

「……二人の遺体は、置いていくしかないのか」

「持ってっても置くとこないしねえ。まあこの山にあるうちは痛まないよ、気温がずっと氷点下だから」

 たしかに、どうにもできないのであれば出る方法がわかるまではここにあったほうがいいのかもしれない。連れ歩くわけにもいかないし、うろこを持たせておけば居場所なんてすぐわかるはずだ。自分よりは地理に詳しいだろうと青年に尋ねれば「出ていく方法が見つかればね」と思いのほかすんなり了承してもらえた。

 それはつまり、出られないだろうけど、ということなのだろう。

「さーてと、行こうか、きみは雪の中普通に歩いてたら死んじゃうから洞窟の中の通路で行こう」

「通路があるのか」

「この山全体にアリの巣みたいになってるよ。まあ俺も全部は把握してないけどね」

 滞在していた洞窟の外にでると、雪は降っていたが風は無い。まだマシな天気でよかったと胸を撫でおろす。もう一度だけ洞窟の中を振り返って、深い雪へ足を踏み出した。


「そういえば、まだ名前を聞いていなかった。俺はジオルグ。ジオルグ・バークレイだ」

「俺はシンだよ、よろしくねえジオルグ」

数十メートル先にあった別の洞窟に入ると奥のほうへ真っ暗な口を開いている。シンが空中をなぞるように指を振るとまるで市街地の街灯のように等間隔で明かりが灯る。

 これが、魔法か。

 実際に目にするのは初めてだが文献とは違い杖や呪文や詠唱を必要としないらしい。あるいは彼が「ダブル」だからできる芸当なのだろうか。すたすたと歩くシンの後ろをついていく。意外と足場は悪くなさそうだった。

「ジオルグたちはさあ、どうしてグラシエルに来たの」

「どんな調査であれ、それが人々にとって有益だとわかっているからだ。ただ危険すぎるからと誰も近寄らないからじゃあ俺たちがと思ったんだが浅はかだったな」

「んー、でも門の取っ手がないこと知らなかったんだろ? しゃーないって気もするけどな」

 先日の軽薄な、人を喰ったような態度とは裏腹にまともな返答をされて面食らう。
 死んじゃうかもね、なんて平然と言われたときはなんだこいつはと思ったが知っていることを淡々と語っただけなのだろう。現代社会でこれは水というのですか、どう使うものですか、と尋ねれば誰しもがこいつは何を言っているんだと首をかしげるに違いない。シンにとっての常識の一つに過ぎないのだろう。

「三日も生きてる人間は久しぶりだよ。大体みんな二日三日で死んじゃって、生きてても虫の息だからね」

「シンはいままで何人に会ってるんだ?」

「覚えてない。まあまあ来るけどみんな死ぬから。名前も知らない人を数えたりはしないな。あ、でも人間を見たのは三か四十年ぶりくらいかな」

 たしかに、四十年ほど前にも調査隊がそのまま行方不明になった事件があったはずだ。いまでは歴史の教科書に載っているそれは、調査隊十五名中十名が門の中へ、五人は門の手前で野営をして出てきたらすぐ手当てができるよう待機していたらしい。
 結果は、十人が音信不通。そのあと確認しに入った二名も音信不通。残りの三名は一旦戻ってきて報告、それから中に入ろうとして周りの人たちが止めたそうだ。結果、十二名が生死不明。多分それだろう。


 というか、しれっとそんな前の話をされたがシンは何歳なんだと首をかしげる。竜と魔法使い、加えて精霊も長命らしいとは聞いているがシンの見た目は自分とさほど変わらない。十代後半から二十代前半といったところだろうか。

「ここ上ったら俺の棲家だよー、手ぇ貸そうか?」

「助かる」

 洞窟の突き当り、と思っていた広い空間の壁はほぼ崖のような急傾斜だった。その氷のような羽でシンは体を浮かせるとジオルグの腕を引いて軽々と上昇した。

 女のような見た目のくせにけっこう力があるんだなとシンの羽を観察してみる。見た目は氷細工の蝙蝠の羽だが、動きはなめらかだった。どんな細胞だとあんな色になるのか教えてほしいくらいだ。

「よっと、こっちこっち」

 枝分かれした道の一つを慣れた足取りで進む。行き着いた先にあったのは大陸の闘技場のような円形の広場で、その天井は聖堂のような丸みを帯びた高さのあるドーム状。この極寒で青々と茂る芝生と、色とりどりの花であふれた花壇。果物が鈴生りになっている木々。そして、貴族の邸のような豪奢な洋館がそこにあった。

「……あれ、か?」

「そ、俺の棲家。最近屋根の色変えたんだーいいだろ、深緑色」

「棲家というのでてっきり、野営のようなものを想像していたが」

「そんな時期もあったねー」

 あったのか、と声を上げそうになったのをぐっとこらえる。そうだ、シンはおそらく「語り部」だ。魔法も使えるしいちいち驚いていたらきりがないだろう。心を静めて後を追う。玄関の扉を開けるとシンはただいまーと声を張った。

「シンさまー! おかえりだべー!」

「んんんぁあ? なーに、なーに? だあれぇ?」

「わー! もしかして人間じゃない? すっげー! 本物の人間だ!」

「彼らはなんだ⁉」

 落ち着けた矢先にこれだった。

 小型犬ほどの四足歩行の、白いイルカ? と、目が隠れるほどのおかっぱに猫の頭とトナカイの角を持つ少女、星のようなとがった頭部が宙に浮いている、少年っぽい服装の人間の体。

 彼らも魔法時代に生きていたものだろうか。まじまじと見つめると「人間にも顔あるんだな!」と逆に興味深そうに見つめられた。(もっとも二人は目が確認できないが)


「みんな、今日からここに住むジオルグだよ。ジオルグ、彼らは精霊の成れの果てだ」

「成れの、果て……?」

「アムだべー!」

「イーズだよおう」

「俺アール! よろしくな!」

 精霊は竜と魔法使いよりさらに記述が少ない。かつては魔法使いとは別に精霊術師がいたそうだが、それだって本当かどうか怪しいものだ。しかもさっきシンはこの山のことを精霊の墓場だと言っていたはず。何が、どうなっているんだとジオルグは頭を抱えたくなった。

「俺ジオルグと話があるから部屋に行くね。みんなお茶をいれてきてくれる?」

「「「はーいっ!」」」

 きゃあきゃあと笑いながら三人……人でいいのかわからないが、は左の廊下の奥のほうへと駆けていく。シンに呼ばれ階段をあがった先にもずらりと扉がならんでいてそのうちの一つにシンは手をかける。

 どこにでもある建物と同じ。天井と、廊下と、扉、照明。外観も内装も、貴族の邸や美術館のようなつくりだけれどなにもおかしいところはない。

 いや、一つだけおかしいところがある。おかしい、というか足りないだけだが。

 窓がない。

 廊下も、部屋の中も、こんなに大きな邸なら外から見たって窓があるのがわかる。実際外から見たときは窓があった。なのに今、中からこうして見てみると、シンの入ったこの部屋は数十人が入っても余裕な広さなのに窓だけがどこにもない。

 すすめられた対面のソファに腰を掛けると、まるで昼寝中の猫の腹のように柔らかかった。

「さて、とりあえずしばらく一緒に暮らすことになったからよろしく。この家のルールとかもあるけど、それは後にするかあ」

「先になにか話すことがあるのか?」

「何言ってんだよ、ジオルグの話を先に聞くんじゃん」

 当然のようにシンがそう言った。




 もともとこの世界には魔法族、竜族、精霊種、白翼種(てんし)黒翼種(あくま)人類種(にんげん)という文明を持つ生き物が六種族存在している、というふうに言われている。

 それはこの国だけじゃなく大陸にも同様の話が伝わっていて、その中で竜と魔法使いの数がやたら少ないから拠点がこの島国だったらしいということだ。要は共生関係にあって、生活圏が狭いほうが都合がよかったんだろうと解釈されている。

 ほかの三種族はそもそも人型の人外なので、伝承というより信仰という形で残っている。

 竜は文字通り、羽を持ち、炎を吐くような大型の爬虫類を指してのそれだ。種類がいること、大なり小なりさまざまな種類があること、高い知能を持ち異種族とも会話ができることなどざっくりした話だけは残っていて絵本で語られるくらいにはみんな知っている。彼らはまごうことなき「動物」だけれども、その理性や知能から文明六種族に数えられている。

 魔法族、つまり魔法使いたちだが彼らの源流は人類種だと考えられていて、その中の魔法が使える一部の人間たちが魔法が使える者たちだけでコミュニティを形成し、分断したものだというのが通説だ。

 人種と同じで白人、黒人、黄色人、魔法人、みたいなものなんじゃないかという意見もあるようだが概ね人類種からの派生説が一般的ではある。

 その人間以外の五種族については謎が多い。そもそも古来より交流のない白翼種と黒翼種は置いておいて、精霊、竜、魔法使いは過去に絶対なにかしらの関りがあったのにそれがどういうものだったのかという記録が遺失している。

 特に、この島国に根付いているはずの竜と魔法使いの「諍いが起きて交流を断ち、その最中生まれた子は罪の子となった」という諍いがなんなのかも知らなければ、その罪の子の正体も知らず、禁足地になっている北東西が現在どのような姿なのかさえ知らないのだ。

「東西のことも含め、グラシエル山脈の語り部がすべてを知っている……というふうにこの国の人間は考えていて、だからこそ語り部を見つけることがこの国の未知を紐解く手掛かりであり、方法であり、唯一の道だ。入ったら出られない、とは言うがどちらにしてもシンを探さなくてはどうしようもないという話で」

「ほーん、なるほどなるほど……そんな風に伝わってんのか。まあ何百年も経ってたら話が変わるのも仕方ないよなあ」

「違うのか?」

「いンや、大筋は合ってる。共生、諍い、離別、幽閉。ただ細かい話がちゃんと伝わってなくてそんなおとぎ話になってるんだなって感じがするけど」

 考え込むような仕草でシンはぽきぽきと指を鳴らす。その姿は本当に、先祖返りの人間たちと何も変わらない。こんな場所でもなければ、すれ違っても気にしないだろう。声を聞かなければ男だとはわからないかもしれないが、そんな人間はどこにでもいるものだ。異形じみたものは感じない。

 あるいは強すぎて自分にはわからない、という可能性を考えてジオルグは少しだけ落ち込んだ。


「シーンーさーまー! 入っていーべかー?」

「いいよ」

 からからとワゴンを押してくる三人は楽しそうにカップやお菓子をテーブルに並べている。

 そういえばシンは彼らを「精霊の成れの果て」と言っていた。精霊については大陸のほうが資料が多い。精霊文化学という学問もあるくらいだ。

「きみたちは、どういう存在なんだ?」

「どう、ってえ? 精霊だったもの、かなああ? 人間は尽きたあとどおなるのか知らないけどおう」

「人間って死んだら終わりなんだろっ? 精霊ってさ、死んだあとの状態があんだよな、俺らはそういうのなの」

「死んだあと?」

「シン様に聞いたほうがいいんでねが? イーズ、アール、庭の手入れすべ!」

「んだな! またあとでなっ、ジオルグ!」

 見た感じは、そのサイズ感や雰囲気もあって街の子供たちとそんなに変わらないけれど精霊も竜ほどじゃないが人間よりは長命だ。死んだあと、というのであれば自分よりは年上なのだろう。

 精霊が死ぬなんて話は聞いたことがない。精霊が枯渇する話は知っているがそれは死んだのではなくその土地から消えたというだけだ。ここが精霊の墓場と言われたとき首をかしげたくなったのもそのせいだった。

 聞きたいことは、たくさんある。一日で終わらないであろう量を、何百年分も遡って知りたいのだから辞典も顔負けの内容量になるだろう。ただ、しばらくは出て行けそうにないから時間だけはたくさんある。幸いシンは最初からこちらに敵意がない。

「うーーーーーーん、俺、ジオルグが欲しい答えはたぶん全部は持ってないよ」

「それでも俺より正しいことを知っていると思う」

「そりゃあまあね、長生きしてるからね」

「……シンはいくつなんだ?」

「俺? さあ……ちゃんと数えたことないけど、八……いや九……うーん? 千歳くらいかな?」

 たしかに罪の子の話は大体千年前だとなってるが、と開いた口がふさがらないとはまさにこのことだった。しかし、千年も生きていたらたしかに正確な歳とかはわからなくなりそうだ。

「体は十八のままだけどね。ここは時間が流れないから」

「時間が流れない?」

「あの門はいわば境界線なんだ。東西にもずっと続いてるし。この山の裏側の最北端までぐるっと全部壁。真・第九区域の結界魔法がかかってるからここでは白翼と黒翼と精霊以外の生き物は歳をとらない。死んだって凍ってるしね」

 ジョークのつもり、なのだろうが全く笑えない。

 つまり生きてようが死んでようがこの姿が変わらない世界だということか。それよりもジオルグは魔法の種類なんて聞いたこともないのに、こともなげに言うシンに基礎知識から仕込んでもらわないと何も理解できないのではないかと頭が痛くなった。


 まだ、魔法が生きていた世界のまま、時が止まった場所。

 魔法使いも竜もいないが、「語り部」と精霊の成れの果てが棲む、精霊の墓場。

 太陽など見えることのない極寒の青い世界。

 今更ながらとんでもないところに来てしまったものだと、熱いお茶をすすりながらその体は冷え切っているような気がした。

「とにかく、話がたくさんあんのはわかったし俺がジオルグに教わらなきゃならないことも多そうだから、今日はやめておこう。飯にして、邸を案内するよ」

「そうだな、俺もシンに教わることが多そうだ」

「邸の中なら呼吸してても死なないから安心して滞在してくれていーよ、あの子たち以外に誰かいるのなんて初めてだ」

「恩に着る。ところで、なんで俺を拾う気になった?」

 ずっと気になっていた。一人なら助けてもいいとか、死んだとしても知ったことかという態度をとられたときは狂人じみて見えたのに蓋を開けてみればシンはずっと好意的だしジオルグを見殺しにする気はないらしい。

 自身の棲家、しかも本拠地にしている場所まで案内して、部屋や食事を用意して、同居人(人、ではないか)にも紹介して、外の話を聞く気があって、自分の話をしてくれる気があるらしい。

 語り部は、なんの根拠もなく異形じみた姿で描かれ、その人物像は完全な作り話だ。だからそもそも会えないとか会ったところで、とかも考えていなかったわけではない。なのにシン本人はこれだ。基本的に想定というのは最悪のパターンだけを用意するが、はいよかったねで終わることはほとんどないし、会ったとしてもリスクが伴うのが常だ。

 けれども、これは良い想定をしていたとしてもこんな厚遇であるとは考えないだろう。普通。

「昔は拾ってきたこともあったよ。でもみんなよく見積もって三日しか生きてないし、俺のこと化け物だって殺そうとしたりするし」

 困っちゃうよねー、というけれど普通に戦って勝てる相手ではないような気がする。というかこちらが害されたわけでもないのにシンを殺そうとしたという顔も知らない、過去の人間に少しだけ腹が立った。恩とか、やさしさとか、そういうものは感じなかったんだろうか。拾ってもらっておきながら。

「あんま死ぬとこ見たくねーからさ、だったらせめて俺の見てないうちに死んでほしいわけよ。それからずっと、三日生きてたら拾うって決めてんの。まあジオルグ以外に三日たってピンピンしてたやついないけどな」

「……褒め言葉だと受け取っておく」

「褒めてるって! それにジオルグ俺のこと疑わなかったし、その剣も抜かなかったろ? 俺さぁ」

 にいっと歯を見せてシンは笑った。

「本当はさ、ずっと友達がほしかったんだよね」

「あなたはテンサイね」

 俺たちは幼いころ、大人たちからまったく同じ言葉を聞いたことがある。

 当時はまだきちんとした意味は分からなかったが、俺はそれが誉め言葉なんだとわかった。両親が嬉しそうに笑っていて、稽古をつけてくれていた剣士だった師匠もたくさん褒めてくれた。

 お前は筋がいい。覚えが早い。きっと立派な騎士や冒険者になるわ。俺たちの誇りだ。素晴らしい才能だ。そのどれもが輝かしい音を響かせていた。

 ある日、村の青年たち何人かがいたずら心で西と東の境界を越えた。それは竜と魔法使いに「ふざけている」と判断されたらしく、村は朝な夕な大騒ぎだった。大きなケガであれば、それが外傷であればまだ少しは救いがあったかもしれない。

 そのとき、俺が十二になったそのとき、竜たちによってもたらされた災厄は「疫病」、しかも当時流通していた薬ではなんの効き目もなく、今もまだ罹患したらほとんど助からないという絶望的な致死率を誇る悪魔のような病だった。

 まず師匠だった。次に母親。最期に父親。近所のおばさんも、物知りなおじいさんも、花屋の男の子も、魚屋の女の子も、みんな同じ病で同じように、腹の内側からただれていく想像を絶する痛みの中で死んだ。

 その踏み込んだ青年たち? 何人かは病で死んだが、残りは知らない。ジオルグに限らず、たぶん当時の「こどもたち」は掟破りがどうなるか知らなかった。教えられないし、知る手段もなかったとはいえまあ、推して知るべし、だ。人間とはそういうものだ。

 転じて、シンの聞いたそれは罵倒であったという。

 天才、天災。音は同じだが、意味は全然違うし、なんならその言葉が含む感情は正反対のものだろう。ほの暗い目に、その薄気味悪い憎悪に、心まで焼かれていたシンの幼少期はきっと彼が語るその温度よりももっともっと冷え切っていたに違いなかった。

 痛々しい話に、ジオルグは耳を塞ぎたくなる思いだった。

 シンはジオルグよりずっと年上だ。シンがその暗い炎で焼かれたとき、ジオルグは生まれる兆しさえなかったし、彼がそうして両親たちの愛を知っていた頃、シンはもうここで一人で雪と氷に囲まれていた。

 生きている世界も時間も全然違うというのがまだあまり信じられないのは、その姿が自分とあまり変わらないからだろうとジオルグは思う。