桜の花びらが風に揺られてアスファルトの上に落ちていく。一生懸命に、その一瞬を生きた桜は、アスファルトにピンク色の絨毯を作り次の季節へバトンを渡していく。

転校初日、緊張しながらも駐輪場へ自転車を止めるために辺りを窺うように視線を巡らせる。
突然ふざけている男子たちが自転車にぶつかり、ドミノ倒しのようにそれらが崩れていく様を目の当たりにした。
「やべ、」と言って逃げるようにして去っていく彼らを見ながら10メートルほど倒れている自転車の列に近づく。
しかし俺より先に無言で自転車を立て直している女の子が目に留まった。

「あ、手伝うよ」

すぐに声をかけた。艶のある黒いセミロングの髪が春の風でなびいている。髪のせいで顔がよく見えない。
それでも、俺の声に反応することなくそれらを元に戻す彼女に近づいてもう一度声を掛けた。
リボンの色を見て同じ学年だと知ったからもしかしたら同じクラスになる子かもしれない。

「おはよう」

もう一度声を掛けると彼女はゆっくりと振り返った。
丸いぱっちりとした目を更に大きくさせて唇を半開きにして固まる彼女の反応に困った。
同い年だと思うが他の女の子よりも幼い印象を受けるのはきっちりと揃った前髪のせいなのかそれとも周りの子と違って一切の化粧もしていないからそう思うのかわからない。

「おはよう、手伝うよ」
「…っ」

別に彼女が倒したわけじゃないのに当たり前のようにそれを直そうとするのが素直にすごいと思った。
しかし、彼女の顔色は硬いままですぐに視線を逸らされてしまう。黙々とそれらを小さい体で起こしていく彼女に続くようにして俺も直した。

「同じ学年だよね。俺今日から転校してきた波多野、よろしく」
「…よろしく」

何かに怯えるようにおどおどしながらも言葉を返してくれてほっとした。ようやくそれらを終えて縮こまった背中を伸ばすように背伸びをした。

「一緒に昇降口まで行こうよ」
「…いいです。一人で行けるので」
「どうして?」

口数の少ない彼女は俺と目を合わせない。
壁を作っているという言葉をこんなにも体現している人を初めて見た。
先に背を向け歩く彼女に声を掛けた。その瞬間、大きく風が吹いて桜の花びらが視界を遮った。

風が一瞬だけ、止まった。急に開けた視界に彼女がいた。
「なに…?」
聞こえなかったのか、怯えるような目で俺を見据えながらそう訊く。
もう一度言った。
「友達になろうよ」
すると彼女は一瞬嬉しそうに口元を緩めたがすぐにそれは横一文字に結ばれた。
その顔を見たとき、どうしてか胸のずっと奥底がズキズキと痛みだした。
嬉しいはずの顔がすぐに曇っていくのを目の当たりにしたから、だろうか。


これが、最初の出会いだった。

転校初日、5組に入ってすぐに気がついた。
みずきと同じクラスだと知って嬉しかった。あんな風に誰も見ていないとわかっていても誰に知られることなく、人のために何かできる人を尊敬する。
彼女を観察していると誰からも気づかれていないのに、誰かが倒したゴミ箱を直したり学校の庭の花に水を与えたり、そういった小さいけど誰かのためにそれを当たり前のようにできる人物だと知った。


それなのに彼女は人と関わらないようにしているようだった。
せっかく席も隣になったのに、挨拶くらいしか返ってこない。それどころかいつもみずきはボーっとして虚ろな目で窓の外を見ていた。
その理由は転校して一週間で気づいた。
彼女はいじめにあっているようだった。それに気づいてから、俺はさらに彼女にかかわるようになった。
最初こそそれに抵抗感を示していた彼女だが、徐々に笑顔を見せてくれるようになる。
今思えば初めて会った時から気になっていて、彼女を知ればしるほど惹かれていたのかもしれない。

笑顔を見るともっと見せてほしいと思ったし、泣きそうな顔を見るとどうにかして泣き止んでほしいと思う。これが恋だということに気づくのは意外にも早かった。


みずきは色々なことを俺に話してくれた。
親と上手くいっていないこと、学校ではずっといじめられていること、何度か自殺未遂をしたがいつも未遂で終わってしまうこと。
少しでも彼女に生きやすい環境を作りたくて、俺なりに頑張ったつもりだった。
しかしそれは“自己満足”でしかなかったのかもしれない。
頑張って笑顔を作るみずきを更に追い込んでしまっていたのかもしれない。

7月下旬、ちょうど”熱中症に警戒”とテレビニュースで報じられたほど気温が高く、日差しも強い日だった。

また好きなケーキを食べに喫茶店に行こうと約束をした翌日
『またね』
そう言ったのに、彼女は自殺をした。徐々に元気になっていたと思っていた。
思っていたのに、彼女は死を選んだ。
彼女がこの世からいなくなった後、まだいじめは続いていたこと、それからこれはあくまでも憶測でしかないが三者面談も上手くいってなかった様子だったから家庭の問題も解決していなかったのだと思う。
それでも俺を心配させないように笑っていたみずきのことを思いだすと、自分の不甲斐なさに怒りがこみ上げ、そして絶望した。

想いを伝えることもないまま、みずきを失った。みずきはどんな思いでこの世を去ったのだろう。
どうしても彼女を救いたかった。もう一度会いたかった。もう一度、やり直したかった。

彼女は死ぬ直前、俺にある秘密を打ち明けてくれた。
それは人の死期が数字でわかるというものだった。
俺に最後に『体には気を付けてね。朝陽君は…46って見えるんだ。だから体には気を付けてほしい』と悲しそうに伝えた。
つまり、俺は46歳で亡くなるということだ。
それを知っているからこそ、“巻き戻す”ことを一瞬躊躇した。
それでも、俺は…―
君にもう一度逢いたい。
だから、やり直す選択をする。


♢♢♢

俺自身に時間を戻せる力があるのではないかと思ったのは、母親が車で事故を起こし意識不明の重体に陥った時だった。
当時、俺は小学生だった。
父親が亡くなったばかりで寝る間も惜しんで働く母親は、ある日過労により運転中に居眠りをしてしまい事故を起こして意識不明の重体になる。天候も悪く、一日中雨が降っていた。
そのとき、強く、今までにないほど強く時間を戻してほしいと願った。声に出して、何度も叫んだ。

すると、急に事故を起こす前日に時間が戻っていた。
当時は混乱したし一体どうなっているのかわからなかった。それでも母親が事故を起こすことを知っていたからどうにかしてその日、家から出ないでもらって睡眠時間を取ってほしいと懇願した。
母親が事故を起こす予定だった日は何事もなく過ぎ去り、俺の強い希望により仕事を減らしてもらった。幸いにも父親が巨額の保険を掛けていたおかげで俺が成人するまでのお金については問題はないようだった。
俺が時間を戻せたことを話してももちろん信じてくれる人はいなかった。
徐々に記憶が薄れていき、輪郭を失うとおれは予知夢みたいなものを見ていたのではないかと思うようになった。



そんなある日、荷物を整理していると父親の日記のようなものが見つかった。
埃が被ってあって俺が触れるとそこだけ色を変えた。
真っ黒い10センチほどの厚みのあるそれは他愛のない日常が書かれた日記で、俺が小学生の頃に亡くなった父親のことが自然に脳裏に浮かび目頭が熱くなる。
と、あるページに封筒のようなものが挟まっているのが見つかる。
人の手紙を読むのは気が引けるが(日記もそうだが)気になった俺は黄ばんだしわくちゃの封筒を覗く。
そこには一枚の便箋が入っていた。

一行目には
時間の戻し方
と書かれてある。
眉間に皺を寄せて、訝し気に読み進める。
父親は何か小説でも書いていたのか、そう思った。しかし読み進めるとその予想が違うことに気づく。



”時間の戻し方
時を戻したいとき、
1 強く心で3回願う。それは本気で願わないと戻らない。
2 心で3回願った後に、言葉に出してそれを発する。これもまた、3回
3 時間帯はいつでもいいがこれらは雨の日でないといけない
4 これらは戻したい事象が起こってから一週間以内にしなければ時を戻せない
ただし副作用がある
一回戻す毎に30年の寿命が失われる。波多野家の長男だけがその能力を手にすることが出来る。他言は禁止(波多野家の長男にだけは可)他言した場合、時を戻す能力は消える”


「え…」
ひんやりと冷たいものが背中を流れていく。
俄かには信じがたいが、パズルのピースが合わさっていくように疑問が解けていく。

父親は俺と同じ能力があったのではないか。
もしかしたら祖父もあったのかもしれない。父親は誕生日の前日に亡くなった。確か祖父も同じだ。
父親が高額の保険を残していたのも納得がいく。
誰かのために、寿命をつかって時間を巻き戻したのではないか。

それだって明確な証拠があるわけではない。
だけど、もうそうとしか考えられない。

「だとすると、」

もう30年分の寿命を使ってしまっていることになる。
だけど後悔しているかと問われればそんなことはなかった。母親が意識不明の重体になって二度と会えなくなるかもしれない。
俺の能力は、誰かを助けることが出来た。
大切な人を、失いたくない人を。



みずきが死んでから、すぐに時間を戻した。
ちょうど翌日に、梅雨が明けたばかりなのに大雨が降った。まるで俺の心情を表わしているようだと思った。

古い紙に書かれていたことを行ったら本当に転校の前日に戻っていた。やはりあの紙に書かれていたことは本当だった。
自転車通学だったが、みずきが電車で通学しているから二度目は電車通学にした。

ただ、俺自身の行動が一度目と異なったからなのかやり直す前と比べると若干日々に違いがあった。

例えば電車通学の際、みずきが電車に飛び込もうとしたのを見た。すぐに彼女の腕を引いて阻止したが1度目はそもそも俺は助けていない。
これは推測だが、俺らの近くにいたサラリーマンが酷く怒った様子で声を掛けてきた。
もしかしたら、1度目はその人に助けられていたのかもしれない。


必ずしも一度目とは同じ展開を巡るとは限らないようだ。だから慎重に二度もみずきを失わないように行動しなけばいけない。
そう思うと少しだけ胸が苦しくなるが、それよりもまたみずきに会えることの喜びの方が大きかった。




また、会える。
もう一度出会えたら…―俺は君になんて言おうか。

…―…


転校初日の朝、先生の後に続き教卓前に立つ。
挨拶をする前にみずきと目が合った。すぐに逸らされたがそれを見た瞬間涙が出そうになった。
俺自身の行動がやり直す前と違うからか、所々一度目とは違う。一度目も席は同じだったが二度目はどうだろうか。心配になったが、ちゃんと隣の席だった。

「おはよう」
何かに怯えるように下を向く彼女に声を掛けた。一瞬反応したように思えたが一向に俺の方を見てくれる気配はなかった。

「聞こえてる?おはよ」
「…」
もう一度声を掛けた。
みずきが顔を上げる。
驚いたように目を見開き、固まる。
あの時と、同じ顔をしていた。
「おは、よう…」
かすれた声だったけど、それが俺の鼓膜を揺らしたとき、あぁよかったとそう思ったんだ。
後悔など微塵もしていない。

だって、俺は…―もう一度、君に会えたから。
不安そうな瞳が揺れながらも俺を映したとき、心の底からそう思った。







END