みずほの膝の上から頑なにどかない雷太に、みずほはこれはこれで嬉しいから困ってしまう。

「ワガママを言うな、ライ」

 容赦なく水明は、強制的に雷太を抱きあげた。バチバチッと雷太から電気がほとばしる。
 水神だから水だし、感電するのでは? とみずほはいらぬ心配をしたが、そこはなんらかの神の力が働いているのか、水明は平気そうだ。

「ぱーぱー! やーあー!」
「こら、暴れるな。放電もやめろ。なにも二度と会えなくなるわけではないぞ、ママに『またね』をするんだ」
「まちゃね?」

 水明が「そうだ、やれるか?」と促せば、雷太は「ままに、まちゃね、ままに、まちゃね……」ともごもご口を動かしつつも、どうにかおとなしくなってくれた。

 玄関で水明はサッと雷太の靴を履かせる。まだ自力では履けないようで、みずほも遅れて風子の方を手伝った。
 しかしながら、みずほは水明のようにはいかず……風子は雷太のように足をプラプラさせることもなく、じっと足を出していてくれたのに、もたついてだいぶ時間がかかってしまった。

「……貴様は相変わらず、不器用なようだな」
「あ、相変わらずって……私が不器用なこと、なんで知ってるの?」
「バカにしたつもりはないぞ。たとえ空回りがちでも、その何事にも素直に取り組もうとする姿勢は、貴様の長所だろう」

 微妙に水明の返答は、みずほの質問をはぐらかしている。
 だけど、日頃褒められることが滅多にないみずほは、肯定されたことに意識がいって不覚にも胸が高鳴った。

(もっと要領よくやれないのかって、お母さんとか上司には怒られてきたのに……不器用でもそこ、長所だって認めてくれるんだ)

 水明の言葉はそれこそ水のように、乾いたみずほの心をじんわり潤してくれた。

「あとはこれも渡しておこう」

 水明はまたもやスーツの懐を漁る。出てきたのはなんの変哲もない、罫線が入ったA4のノートだ。

「これをどうするの……?」

 みずほはペラペラとページをめくってみるが、中になにか書いてあるわけでもなく、完全に白紙だった。

「それは貴様の日誌用だ」
「え、日誌を書かなきゃいけないの? なんで?」

 自慢ではないが、みずほは小学生の頃からそういった類いは、幾度となく挑戦して全て三日坊主で散っている。

 マメな作業は確固たる意志がないと、なかなか続けられないものだ。

「言うなれば〝育神日誌〟だな。それに子供たちの成長を綴れ。風神・雷神の子が生まれるのは何百年ぶり、しかも人間に子育てをさせるという前代未聞の事態は、記録として後世に残さねばならない」
「せ、責任重大ってことだよね……」

 青褪めてノートを抱き締めるみずほに、水明は「まあ、そう気負うな。貴様の思うように書けばいい」と軽く告げる。

「ではまたな、俺の花嫁」
「きゃっ!」

 油断していたところで、水明がみずほの頭頂部にキスをした。やけに可愛らしいリップ音が頭上で聞こえて、みずほは動揺する。

 しかし抗議する間もなく水明は離れていき、子供たちもぷっくりした手を左右にブンブンと振ってくる。

「まぁま、まちゃね」
「まちゃねー!」
「う、うん、またね」

 みずほもおずおずと振り返したところで、ドアがパタリと閉まった。
 急に静かになった部屋で、みずほは手元のノートに視線を落とす。

「なんか、とんでもないことになっちゃったな……」

 全て夢オチだったと片付けられた方が、納得するくらいの急展開だ。
 だけど夢などではないことは、みずほの手首で輝くブレスレットも証明している。

 それに今の気分はけっして悪くなく、むしろ羽内に婚約破棄されて以来、初めて前向きな気持ちになれていた。

「あ、そうだ!」

 みずほは思い付いて、適当に棚から黒いボールペンを選ぶ。ミニテーブルにノートを置いて、まずは表紙に『みずほの育神日誌』と書いた。
 記念すべき一ページ目にも、ペン先を素早く走らせる。

「……よし!」

 ペンを転がして、みずほは晴れやかな笑顔を浮かべた。


【みずほの育神日誌】
 育児生活0日目。
 今日からママになりました! これからよろしくね、風子に雷太!
 水明とも、まだ夫婦って実感はないけど……たとえかりそめでも、いいパートナーになれたらいいな。
 新米ママにして新米花嫁、頑張ります!