嵐の中、神社で奇想天外な出来事に見舞われた後日。

 みずほは案の定、ひどい風邪を引いてしまった。
 三十八度を超える熱が出て、咳と頭痛に襲われ、ほとんど部屋のベッドから動けなかった。

 だが幸いにして、会社の方は有給消化中。わざわざ連絡を入れる必要もなく、寝込んでいる間に会話をしたのは寮母さんだけだ。
 出張中の杏にこれ以上いらぬ心配をかけることもできず、実家の母に頼ることも憚られ、ひとり熱にうなされるみずほを、面倒見のいい寮母さんは唯一気にかけてくれた。差し入れのたまご粥とりんごのコンポートがおいしくて、鼻水を啜りながら完食したものだ。

 みずほの熱は長引き、回復には五日程かかった。

 その間、物件探しなどしている気力はもちろん皆無で、住居をどうするか決めかねているうちに、退寮日はもう目前だ。

「やっぱりいいところないなあ……どうしよ……」

 自室のミニテーブルに、みずほはぐでっと突っ伏す。テーブルには物件情報の載った資料が無造作に散らばっている。

 あちこちの不動産屋からもらい、即日入居可能な物件を中心に吟味していたのだが、どれもピンとはこなかった。まず家賃が高い。社員寮の安さとどうしても比べてしまう。
 貯金もさほどないし、まだ次の仕事のあてもないのだから、家賃問題は深刻であった。

「もっと条件を緩めてみようかな……でも間違っても、事故物件とかだったら怖いし。やっぱり実家……でもなあ」

 うだうだ、ぐだぐだ。思考は堂々巡りだ。
 ×印をつけた資料が腕に当たり、ヒラリと床に落ちたところで、ピンポーンとチャイムが鳴る。

「……寮母さんかな」

(宅配便とかも頼んでないし……病み上がりの私を心配して、様子を見に来てくれたとか?)

 他に心当たりなどなかったみずほは、そうに違いないと決めつけて、ドアスコープを確認もせずノブを回した。こういう迂闊な面も、常々直したいと自省していたのだが……そう簡単には直らないようだ。

「ままー!」
「まぁま」
「へっ?」

 ドアを開けた瞬間、元気いっぱいな声と共に、みずほの腰あたりに衝撃が訪れた。

「わっ! い、いたたたっ!」

 幼い子供ふたりに、同時に真正面からタックルされ、受け止めきれずその場で尻餅をつく。

 臀部の痛みに悶絶するみずほにかまわず、お子さまたちはみずほに乗りあげたままキャッキャッと笑っている。
 歳はふたりとも二、三歳くらいだろうか。

 ひとりは男の子で、Tシャツにハーフパンツ姿。明るい金髪がぴょんぴょんと跳ねて、少々やんちゃそうだ。目は黒だが、光の加減で緑っぽい金にも見える、珍しい虹彩をしている。
 もうひとりはワンピース姿の女の子で、髪は灰色のおかっぱ。小さな両手で口元を隠す笑いかたが、男の子よりおとなしそうで、こちらも黒目が光によっては黄緑色に見えた。

 またどちらも、顔がお人形のように整っていて非常に愛らしい。子役モデルでもなかなかお目にかかれないレベルである。

 だけどみずほは、このお子さまたちに強烈なデジャブを感じていた。

(神社で会った、あの赤ちゃんたちに面影が……いやいや、でもそんなわけ……! というかこの子たちさっき、私のことママとか呼ばなかった!?)

 固まるみずほに追い討ちをかけるように、お子さまたちは曇りなき眼で「どちたの? ままー?」「まぁあ?」と見つめてくる。
 雰囲気も髪色も違うのに、その表情はそっくりで、まるで双子のようだ。つい純粋に『可愛い』とみずほは感じてしまう。

「こら、お前たち。乗っかったままだと、ママも起きられないだろう」

 そう窘めながら、誰かがお子さまたちを両腕でそれぞれ抱きあげた。みずほが見あげた先には、質のいいスーツを着た、とんでもない美丈夫が立っていた。

 見た目の年齢は、みずほよりふたつ程上。しかし不思議と、もっと年上にも感じる。
 高い鼻や薄い唇など、パーツのひとつひとつが精巧で、それがシュッとした輪郭の顔に狂いなく収まっている。サラサラの髪はミディアムの長さで、光を透かす白銀が見事だ。
 だが、切れ長の水色の瞳には、冬の湖面のごとき冷ややかさを宿しており、みずほは「人外級のイケメンだけどちょっと怖い」という第一印象を抱いた。

(そう……〝人外〟ってのがピッタリなんだよね。この男の人も、この子たちも。どことなく、人間っぽくないっていうか……)

 ぼんやりと座り込むみずほに、男性は「見つけた」と小さく呟いた。

「探したぞ、俺の花嫁。立てるか?」
「た、立てます……って、え? 今なんて……」
「……まったく、間の抜けた顔だな。これから母親にもなるのだから、もっと気を引き締めておけ」

 男性は態度が横柄で、けっこう口が悪かった。だがそんなことよりも、みずほとしてはスルーできない発言だらけだ。

「花嫁に母親ってなに……ちょ、ちょっと! 勝手に入らないで!」

 男性は細身の肢体に反して、軽々と子供たちを抱えたまま、立ち上がったみずほを置いて部屋にあがろうとしている。「詳しい話は中でしてやろう」などと言いながら、みずほが止めるのもおかまいなしだ。

「ねーねー、ぱぱ! あれ、あれちて! ちゃぼんだま!」
「今ここでか?」
「いま! みりゅ!」

 自由奔放な男の子の方が、パシパシと男性の腕を叩いてなにかをねだっている。
 すでに靴を脱ぎ終えた男性は、「仕方ないな」と肩をすくめた。

(この男の人は、この子たちの父親……? 似ているような、似ていないような……)

 みずほが訝しんでいる横で、男性はふうっと吐息を吐きだす。
 するとどこからともなく、彼の周りにいくつもの、ゴルフボールサイズの水泡が現れた。歓声をあげる子供たちを、男性はそっと下ろす。

 男の子は「ちゃぼんだまー!」と頬っぺたを紅潮させて喜んでいるが、みずほは目を白黒させる。

「な、なにこれ……手品!?」
「ちょっと水神の力を使っただけだ。そう騒ぐな」
「水神……?」
「これくらいでうろたえていたら、この子たちとも付き合えないぞ」

 パチンと、そこで水泡が弾けた。男の子が指先で触れて割ったようだ。
 その水滴が顔に飛び、びっくりした男の子は「んー!」と体を震わせる。途端、彼の周りにバチバチッと電気のようなものが発生した。

「うわっ!」

 近くにいたみずほは、慌てて手を引っ込める。ほんの少し触れた指先はピリッと痛く、冬場に静電気と遭遇したときと同じ感覚だった。

(今の電気……この子が?)

 濡れた顔を「うー」と拭う男の子に、女の子が丸い指先を向けて「おみず、ないないー」と呪文のように唱える。すると今度は、彼女の指先を中心にブワッと風が吹き荒れた。

 男の子の顔の水滴は吹き飛んだが、水泡は全て割れ、おまけにそばのシューズラックも風の勢いで倒れてしまった。

「ああっ! 靴がぐちゃぐちゃに……!」

 みずほは困惑しつつもラックを直そうとするが、女の子は「ちゃぼんだまも、ないないした……」と落ち込み、風で髪がボサボサになった男の子は「しゅごい、しゅごい!」と楽しそうに笑っている。

 そんな子供たちに毒気を抜かれ、みずほはラックのことなど、もう後回しにすることに決めた。

 今はこの子たちがいったい何者なのかも聞かなければならない。