黄昏時の空は赤々と燃えている。五月初旬の気温は暖かくも寒くもなく、散歩がてらのんびり歩くにはピッタリだ。

 コンビニまでは十分程で難なく到着し、チョコレート以外にもドリンクとポテトチップスを購入して、店員の気怠そうな「ありがとうございましたー」という声を背に帰路につく。

「あれ……?」

 だけど歩いている途中で、ふと頬を冷たい水が叩いた。気付けば空模様は一変していて、ポツポツと雨が降りだしていた。

「ウソ! 傘ないし、お風呂だってもう入ったのに……わっ!」

 うろたえているうちに、ザアッとものすごい音を立てて雨脚が強くなる。しかも風も出てきて、遠くの方ではまさかの雷まで鳴った。
 そこでみずほはようやく、夕方から嵐の予報だったことを思い出す。

「ど、どこか雨宿りできるとこ……!」

 走って寮に戻るより、一時避難することに決めた。ちょうど立ち止まった場所が、神社に続く石段の前で、駆けあがって手水舎の屋根の下に飛び込む。

「最悪……」

 全身はだいぶ濡れてしまった。
 化粧品のオマケのエコバッグも、中身とセットでびしょびしょだ。
 まだやみそうにない空を、みずほはじとりと睨む。大粒の雫は、石畳を強く打ち付け続けている。

(それにしても……ここってこんな感じだったんだ)

 この神社はいつも素通りするだけで、鳥居をくぐって中まで来るのは初めてだったが、境内はそこそこ広く、パッと見渡しただけでも、手入れがきちんと行き届いていた。
 拝殿の装飾も見事で、中備(なかぞなえ)に彫り込まれているのは龍だろうか。
 よく見れば手水舎の縁にも、石造りの龍の置物が置かれ、その口からチョロチョロと水が出る仕様になっている。
 
(龍は、雨や水を司る神様だっけ……)

 どこか清廉とした空気がここに漂っているのは、神聖な龍が守っているからかもしれない。

(そういえば昔、よくお参りしていた祠にも、龍の置物があったよね)

 記憶がよみがえり、みずほは微かに目を細める。中学校のそばにあった小さな祠に、通るたびに手を合わせていたことは懐かしい思い出だ。

「せめて遠くからでも、お参りしておこうかな……ええっと、二礼二拍手一礼だっけ?」

 みずほは拝殿に向かって、朧気な知識ながらも手順を踏み、願い事もちゃっかり頭の中で述べる。今のみずほに願い事なんて星の数程あったが、一番に浮かんだことだけにしておいた。

(ちょっと抽象的な願いだったかな……)

 礼から頭をあげると、灰色の空が目に飛び込む。
 やむ気配のない雨に、みずほがやるせない溜息をついたときだった。

「ふぎゃあ……ふぎゃあ……」
「ん?」

 雨音に交じるように、赤ん坊が泣くような声が聞こえた。

「き、気のせいよね? こんなところに赤ん坊なんて……」
「ふぎゃあ……」
「気のせいじゃない!」

 二度目はよりしっかりと聞こえて、どうも空耳ではなさそうだ。

「ど、どこから……!?」

 みずほは辺りに視線を走らせる。
 耳を研ぎ澄ましてみて、どうやら泣き声のもとは賽銭箱の裏からだと特定した。そんなわけがないとは疑いつつも、確かめずにはおれず、みずほは手水舎から賽銭箱までの短い距離を一気に駆けた。

 髪から雨水を滴らせながら、おそるおそる賽銭箱の裏を覗く。

「ほ、本当に赤ちゃん……!」

 そこには籐製のゆりかごが置かれており、純白のおくるみに包まれた、生後半年くらいの赤ん坊が寝かされていた。しかも、ふたり。寄り添うように、ゆりかごに収まっている。

 激しく泣いている方は、薄っすら生えた髪が金色で、目も緑がかった金だった。みずほが聞いた泣き声はこの子のものだろう。
 隣の子も泣いてはいるが、声が小さく控え目だ。こちらは髪が灰色で、目は鮮やかな黄緑色をしている。
 どちらも日本人ではないのかもしれない。男女の区別はつけられなかったが、顔の細かい造りは双子のようによく似ていた。

「どうしてこんなところに赤ちゃんが……まさか捨てられて……?」

 ゾッとする想像に、雨に濡れた寒さ以外で背筋が震える。
 訳ありなことは間違いない。とにかくこの子たちを保護しなければと、みずほは必死に頭を働かせる。

「こういうときは警察……? 電話して説明すればいいのかな。スマホは……ああっ、部屋に置いてきた!」

 コンビニに行くくらいならと、ベッドに放置してきたのだった。もっとも有効な手段が手元にないのは絶望的だ。

「ふぎゃあ! ふぎゃあ!」
「うああ、うああ」
「ああっ、ふたりとも泣かないで!」

 いっそう大声で泣く赤ちゃんたちに困り果ててしまう。
 赤ん坊は、お腹が空いたときや、オムツが汚れたとき、単に不安なときにも泣くとは知識として理解していたが、こんな状況ではろくな対処もできない。
 ただみずほは、あやすようにゆりかごをそっと揺らして、へたくそな笑顔を作って笑いかけた。

「あ、安心してね。私が絶対になんとかしてあげるから。あなたたちのことは、私が守るからね」

 パチリと、金色の目がみずほを映す。黄緑色の目も、みずほのことを確と捉えた。

「わっ!」

 そこで突風が吹いて、拝殿の中央に吊られた真鍮製の鈴が、鈴緒と共にガランガランとけたたましく鳴った。一拍遅れて暗闇を裂くような光が空に走り、どこかに落雷したのか轟音が響く。
 とっさにみずほは、庇うようにゆりかごに覆い被さった。

「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ……」

 ぎゅっと目を瞑って、赤ん坊たちに言い聞かせるように唱える。どのくらいそうしていただろう。実際はほんの一分足らずのはずが、みずほの体感では数十分も経った頃。

 赤ん坊たちの声がしなくなったことにハッとして、急いで体を起こすと、そこには信じられない光景が広がっていた。

「えぇ……!?」

 なぜか赤ん坊たちは跡形もなく消えて、代わりに光の球体が浮いていたのだ。
 金色と黄緑色の、ソフトボールサイズの塊が、淡く発光しながらふよふよとゆりかごの中を漂っている。よくよく見れば、球体の色はそのまま、あの赤ん坊たちの瞳の色だ。

「な、なんなの、コレ? きゃっ!」

 混乱の極みに達しているみずほの頬に、金色の球体がピトリとくっついた。黄緑色の球体も、まるで甘えるように手首にすり寄ってくる。

「あったかい……」

 球体たちは人肌のような温度があり、冷えたみずほの体に熱を分け与えてくれた。赤ん坊を直接抱っこしているようなぬくもりだ。それが心にまで染みてきて、みずほは「ほう……」と息を吐く。

「まさかあなたたち……さっきの赤ちゃんなの? こんな姿になって、いったい何者なの……って、あ!」

 問いかけた途端、球体はパッと消えてしまった。ゆりかごも一緒に消えていて、みずほは呆然とする。

「ゆ、夢?」

 白昼夢というやつだろうか。
 だけど耳奥には赤ん坊の泣き声が残っているし、ゆりかごを揺らした感触も指が覚えている。
 どこからが夢で、どこまでが現実なのか……みずほには判断がつきそうにもなかった。

「なんだったんだろう……」

 賽銭箱に手をつきながら、のろのろと立ち上がる。すると雨脚が弱まっていることに気付いた。今ならなんとか帰れそうだ。
 ただ一度感じたぬくもりがいやに恋しく、もう少しここにいたい気もしたが……。

「くしゅんっ」

 盛大なくしゃみが出て、このままいても風邪を引くだけだと断念したみずほは、頭を切り替えて足早に神社を後にした。