「あ……悪い。ちょっと」

 二人から離れ、境内の端に植えられている木の辺りで電話に出る。

『もしもし? 智仁?』

 スマホの向こう側から聞こえてきた莉子の声は震えていた。

「もしもし? どうしたんだよこんな夜に」

『うん………えっとね。実は私……あの日、嘘ついてて』

「嘘? あの日?」

『智仁の最後の言葉、聞こえてないふりしたけど、実は聞いてたの』

 最後の言葉?

 なんだそりゃ。

 あの時っていつの話だ?

『ほら、私の能力で、愛実のお父さんがどう思ってるか……ってやつ』

「あ」

 そういえば、俺はそんなことを言いかけたんだった。

 でも、それを今更こんな申しわけなさそうに『実は聞いていた』なんて暴露されてもなぁ。

 そんな程度で俺が怒るような人間に見られてたなら――あ。俺、莉子に理不尽に自分の劣等感をぶつけたことあったんだった。

 あれは俺が百悪いから、土下座でもなんでもして謝りたい。

「あれはすまん。その件なんだけど」

『でね!』

 俺の声を莉子が遮る。鼓膜が破れるかと思った。

「いきなり大声出すなよ」

『ああ、ごめん。……でね』

 今度の莉子の声はとても冷たい。

 気がつけば、暗くて冷たい海が目の前に広がっているような錯覚に陥っていた。

『私、私の能力を使って、愛実のお父さんに聞いてみたの。智仁が言ってたこと』

 え?

 俺の今の声は、声になっていなかったかもしれない。

 体に緊張が走る。

『愛実のお父さんはね、こう言ってたんだ』

 ごくりと、生唾をのみ込む。

 ――俺は、愛実のお父さんの代わりに生きている人間だ。

 頭にはそんな言葉が浮かんでいた。

『お前みたいなやつをなんで救ってしまったんだろう。愛実が医者になる邪魔だけは絶対にするな。できればもうかかわらないでほしい。……って』

「そ……っか」

 予想はしていた。

 していたけど、実際に言われると……つらい。

 でも、そう言われて当然なんだよ!

 愛実のお父さんは天才脳外科医だったんだから。

 凡人の藤堂智仁の身代わりで死ななければ、もっともっと多くの人を救っていたはずだから。

「そりゃ、そうだよな」

 俺は知らぬ間に笑っていた。

 どうして笑っているのか、自分でもよくわからない。

「ってかお前、なにやってくれてんだよ」

 ああ、まただ。

 また、こうして俺は理不尽を誰かに、莉子にぶつけようとしてしまう。

「なんでそれを俺に伝えた! 勝手に……そんなことしたんなら黙ってろよ! ふざけんな」

『ごめんなさい。私だって迷ったけど、でも私はこの能力を授かって、それって神様が私に与えた使命だと思うから、知った言葉は伝えなきゃいけないかなって思って』

「もういい」

 俺は一方的に電話を切った。

 ――神様が私に与えた使命だと思うから。

 莉子の主張は正しい。

 神様が与えた使命、つまりは才能。

 才能が与えられたものは、それを行使すべくして生まれてきたと、アカデミー賞を受賞した有名な俳優がテレビで言っていた。

 だから、死者の言葉を伝えるという決断をした莉子を責めることはできない。

 それが、神から能力を与えられた彼女の使命なのだから。

 それが紛れもない現実なのだから。

 愛実の父親の本心なのだから。

「ふざけんな。愛実とゆちあと家族になりたい、なんて」

 俺はさっきまでの浮かれていた自分を嘲笑う。

 きっと遊園地で家族写真を撮ったせいだ。

 あのテントにいたクソ店員が、俺たちのことを家族と言ったせいだ。

「無理なんだよ」

 莉子の死者と話ができるという能力が本当なら、俺は愛実の父さんに恨まれていることになる。

 それを知った上で愛実と一緒にいるなんて、そんな鈍感なことできるわけがない。

 していいわけがない。

 ゆちあが誘拐された子ならもってのほかだ――――って、ゆちあ本当に誘拐された子だって信じるんなら、莉子の死者の話が聞けるって能力は嘘になるよな?

 つまり、愛実のお父さんの言葉も嘘になるはずだから……ああ! なんだよこの状況! もうわけわかんねぇ! 

 自分の感情も、ゆちあという子の存在も。

 でも、ただ一つだけたしかに言えることは。

 俺が、愛実のお父さんから恨まれてもおかしくない人間だということだ。

「くそぉ!」

 木の幹を蹴り飛ばしてから愛実たちの元に戻る。

「あ! おとーさんようやく戻ってきた。ゆちあ待ちくたびれちゃったよー」

 眠そうな目を擦っていたゆちあが、両手を広げて待っている。

 ああ、おぶってってことね。

 ほんと、はしゃぐか寝るか、ゼロか百だな。

「悪い悪い。ほら」

 俺はゆちあをひょいっと背負う。

「ありがとう、おとーさ……」

 もう寝たよこいつ。

「あれ? もう寝ちゃったの?」

 愛実に話しかけられ、俺の肩がびくりと跳ねた。

「み、みたいだな」

 努めて平静を装って、愛実の方を見ずにそそくさと立ち上がる。

「じゃあ、長居する必要もないし、もう帰るか」

 愛実の返事も待たずに歩き出す。

「あ、待ってよ」

 愛実が後を追いかけてきて、横に並んだ。

「電話がかかってくる前、私の名前呼んだよね? なにかあったの?」

 そう聞かれ、胸が締めつけられる思いがした。

 ――お前みたいなやつをなんで救ってしまったんだろう。愛実が医者になる邪魔だけは絶対にするな。できればもうかかわらないでほしい。

 必死に願っているゆちあを見ていた時に抱いた覚悟は、これっぽっちも体内に残っていない。

 天才の愛実に、俺みたいな凡人は釣り合わないんだ。

「もう遅いし、早く帰ろうって言おうとしたんだよ」

「ええー、ほんとにー?」

「ほんとだよ」

 怪しむ愛実から逃げるように歩調を速める。

 隣を歩く愛実がなにを話しかけてくれても、俺は「ああ」とか、「そうだな」とか「うん」とかいった短い言葉しか返すことができなかった。


 そして、この時の俺はまだ知る由もないのだが、愛実は翌日からぱったりと俺の家に来なくなる。