「んんん、あれ、ここどこ?」

 やがて、とろんとした声とともにゆちあが目を覚ます。

「お、ようやくお目覚めか」

「うん。なんだかお顔が熱くて――なにあれ!」

 ゆちあが背中で体をバタつかせながら炎をピシッと指さす。

「あれは願いの灯って言ってな。あの炎に願いを書いた紙を入れるとそれが叶うんだよ」

「ほんとに! ゆちあやりたい! ゆちあ叶えてほしいお願いいっぱいある!」

「あはは、いっぱいは無理だな。一つだけだよ」

「そっかー、じゃあ一番叶えてほしいお願いを書けばいいんだね」

 なにこの子。営業マンの才能あるの? 俺も愛実もまだやってもいいよとは言っていないのに、やること前提で話を進めている。

 ま、最初から断るつもりはなかったけど。

 愛実も笑顔で頷いているし。

 俺は境内の隅に置いてある木の箱から、重りとなる木の枝が括りつけられた短冊を一つ取り、隣の賽銭箱に百円玉を入れる。

「これに書けばいいの?」

「ああ。あっちの机の上にペンがあるから、思いを込めて書くんだぞ」

 ゆちあは隣のスペースに設置されてある机に走って向かい、ペンを手に取った。

 俺と愛実は、その後ろでゆちあの小さな背中を眺める。

「そういえばさ、遊園地の店員さん、これのこと家族写真って言ってたね」

 不意に愛実が、俺が持っているフォトフレームと写真が入っている紙袋に視線を落とした。

「お前がガチ照れしてた時か」

「あんなこと言われたら、そうなるに決まってるじゃん。だって家族だよ?」

「俺も内心恥ずかしかった」

「私たちってさ、やっぱり他の人からだと家族に見えてるんだよね」

「そりゃあほら、ゆちあがおとーさんおかーさんなんて呼んでるから」

 俺たちが家族に見える最大の理由がそれだろう。

 子供が一緒にいる大人のことをそう呼んでいれば、普通の人は、その三人組を家族だと認識する。

 まさかゆちあが誘拐された子供だとは思うまい。

「じゃあさ、智仁」

 いきなり愛美の声が低くなった。

 目を少しだけ伏せているため、その長い睫毛がより強調されている。

「ずっと聞きそびれてたんだけど、聞いていい?」

「そんなもんあったか?」

「これも忘れたの? あの時、その…………莉子となに話してたかってことだよ」

「莉子? あ、ああ」

 餃子パーティをした時のことか、とようやく思い出す。

 そういや愛実には、莉子が死者と話せる能力を得たってこと、伝えてなかったっけ。

「も、もしかしてさ、智仁と莉子って、その、つき合ってたり……とか」

「ばっかちげーよ」

 なに勘違いしてんだこいつ。

 ただ、莉子が死者と会話できるなんて言ってしまったら、愛実は『お父さんと話したい』と言うだろうから絶対に言えない。

 俺は真実を知りたくない。

 でも、あの優しそうなおじさんなら許してくれるのでは、という期待も心のどこかにある。

「学校のこと。ほら、授業がどこまで進んでるとか、そういうことだよ」

「ほんとにー? じゃあなんであの時も今も目を逸らすの?」

「できたー!」

 ふぅ、助かった。

 愛実の追及を遮ってくれたのは、ゆちあが上げた声だった。

 願いが書かれた短冊を嬉しそうに両手で持ち上げている。

 あの時の愛実と同じだ。本当の親子みたいだな。

「すごいね。もう書けたの?」

 愛実はしゃがんで、ゆちあの目線と同じになって話しかける。

「うん! だってお願いもう決まってたから!」

 にこっと笑ったゆちあは、俺と愛実の間にぐりぐりと身体を押し込んできた。なぜか三人が横一列に並ぶ。

「【いつまでもおとーさんとおかーさんのこどもでいられますように】って書いた! お空も飛んでみたかったんだけどね」

 弾けるような笑みを浮かべて、俺と愛実を交互に見るゆちあ。

 自分のことじゃなく、俺たち三人のことを書いてくれたことがすごく嬉しかった。

「へぇ、とても素敵な願いだね。おかーさん嬉しい」

「でしょー。だっておとーさんとおかーさんと一緒にいると、ゆちあすっごく幸せになれるんだもん」

「じゃあさっそく願いの灯に入れて、ゆちあの御先祖様にお願い伝えなくちゃね」

「おかーさんも一緒にお願いしてー」

「任せて! おかーさんも全力でお願いしちゃう」

 意気投合した愛実とゆちあが願いの灯の前に走っていったので、

「置いてくなよっ!」

 俺もあわてて後を追いかけた。

「炎の中にそっとなげてね」

「うん。とりゃあ!」

 愛実の言うことなんか完全無視で、ゆちあは短冊を放り投げる。

「こらこら。そっとっておかーさん言ったでしょ」

「でも真ん中まで届いたよ。これで早く煙になるね」

「もう。おてんばさんなんだから」

 呆れる愛実を横目で見ながら、俺は「願い、叶うといいな」とゆちあの頭をわしゃわしゃなでる。

「次は目を閉じて手を合わせるんだぞ。ご先祖様に一生懸命お願いしないとな」

「うん! おとーさんもね」

「おお。任せろ」

 俺たちは、三人そろって手を合わせて目を閉じ、願いの灯に祈りを捧げる。

 ただ、俺はどこか冷静だった。

 本当に夢を叶える人は、こんな炎に頼らない。

 十分な才能を有し、真に努力をする愛実みたいな人が願いを叶える。

 って、なに考えてんだか。

 こんな夢も希望もないことを思ってしまう自分は、もうどうしようもない大人になってしまったんだな。

 だけど今回だけは、こうやって純粋な気持ちで祈っているゆちあの願いだけは、叶えてあげてほしいなと思う。

 俺が目を開けると、まだゆちあも愛実も目を閉じていた。

 ゆちあは合わせた手を上下にすりすりしながら必死に祈り続けている。

 愛実も同じ格好だった。

 たぶんだけど、今の愛実を縮小していったら、ゆちあの体にぴったりと重なる。

 そう思った瞬間に、俺の頭にとある思いが浮かんだ。

 ――ゆちあの願いを叶えるのは、神様でもゆちあの御先祖でもなく、俺自身か。

「よし、これでゆちあの願いは叶うね」

 目を開けた愛実が、ゆちあの頭をポンポンする。

「うん! ゆちあね、お願い絶対叶えてほしいから、十回もお祈りした!」

「すごい! 絶対ご先祖様に届いてるよ」

「愛実。あのさ」

 俺は大きく息を吸った。

 今言わずにいつ言うんだ、と表情を引き締める。

「まあその、えっと、さ」

 愛実とゆちあと、三人でずっと一緒に……家族に……。

 そう言いたいのに恥ずかしさから口にできない。

 愛実は首を傾げて待っている。

「俺は、その……愛実と、その」

 俺がくよくよしていると、間が悪くポケットの中のスマホが震え始めた。

 なんだよこんな時に。

 ポケットから取り出して画面を見ると、妙な胸騒ぎを感じた。