「そんなの、急に信じられるか」

 俺は少しだけムキになって反論する。
 
 死者と話せるなんて、そんな夢みたいなこと、あってたまるか。

「信じるって言ったじゃん」

「肯定した覚えはない」

「でも昨日、私のおじいちゃんと話したし」

「自分で言うだけなら、俺は卑弥呼ともジャンヌダルクとも徳川家康とも話したことがあるぞ。三人ともから、そんな能力はありえないって聞かされたなぁ」

 智仁はソファの背もたれにぐっと寄りかかった。

 死者と会話できる?

 時々テレビで、『死者の声を聞いて殺人事件を解決する!』的な番組は放送されているが、俺はあんなものヤラセでしかないと思っている。

「そんなこと言わないでさ、信じてよ」

「だから、いきなり死者と会話なんて言われても信じられるかよ」

 莉子の言葉を一刀両断にする。

 目の前の女子高生にそんな特殊能力が備わっているなんておかしすぎる。

 ありえない。

 脳内ではきちんとそう思っているのに、『愛美のお父さんでもね』という言葉があったから、俺の心は莉子の非現実的な能力を信じようとしている。

 それに、もう一つ信じられる理由もある。

 俺はゆちあの方を見た。

「おかーさん。次は?」

「次はねぇ、これを混ぜ混ぜしてほしいな」

「やったぁ! ゆちあ混ぜ混ぜ大好きっ!」

 そう。

 現実として、ゆちあという謎の存在がここにいる。

 昨日は誘拐したという話を信じたが、たしかにおかしな点はある。

 そもそも誘拐などせずに、育児放棄を児童相談所に伝えればいいだけなのだ。

 そう考えれば、愛実が嘘をついたという莉子の説明にも筋が通っている気がする。

 ――いやいや、死者と話せるなんて絶対にありえないから。

 誘拐はまだ可能性としてありえる部類だよ。

 児童相談所はなかなか腰を上げない無能な集団だって、よくテレビで報道している。

 だから愛実は誘拐なんて強引な手法を取ったのだろう。

「あ、あのさ、莉子」

 でも、本当に莉子が死者の声を聞くことができるなら。

 そう考えた瞬間に、子供のころのとある記憶が脳裏によみがえった。

 あれは、莉子のおじいちゃんが死んだとき。

 その葬式で、莉子は体が干乾びるんじゃないかってくらいわんわん泣いていた。「おじいちゃんともう話せないの?」と両親に連呼していた。

「もし、もしもできるならでいいんだけど」

「もしもじゃなくて、本当にできるの」

 莉子の視線が少しだけ鋭くなる。

「悪い。じゃあ今はそういうことにしておくから」

 俺はその視線から逃げるように俯いた。テーブルの天板に、うっすらと俺の青ざめた顔が映っている。それをたしかめるのはすごく怖いけど、確認したい。

「愛美のお父さんが、今の俺のことを」

「おとーさん! ぎょーざ作るよ! おかーさんが手伝ってって!」

 ゆちあがこちらに向かってとたたっと走ってきた。その小さな手には挽肉や細かく刻まれたネギ――餃子の餡がいっぱい付着していた。

「お、おう。そうか」

 ゆちあの無邪気な笑顔を見てハッと我にかえる。

 いったいなにを考えていたんだろう。

 そんなこと聞かなくたって、愛美のお父さんは失望しているに決まっているじゃないか。

 せっかく命と引き換えに助けたのに、こんな平凡な人間になりやがって、と。

「すまん莉子。さっきのは忘れてくれ。やっぱりこれっぽっちも信じてない」

「……わかった」

 莉子は不満げに唇を尖らせている。

「ってか今なんて言ったの?」

「聞こえなかったならいいんだ。大したことないから」

「言いたくないなら聞かないけどさ」

「もう、おとーさん早く行こ!」

 俺の手を引っ張るゆちあを見て、莉子はため息をつきながら笑った。

「私も手伝おうか?」

「いや、客人に手伝ってもらうのも悪いし、そこで待っててくれ」

 俺は莉子にそう言って、ゆちあと一緒にキッチンへ向かった。

 愛美の指示のもと、餃子の皮に餡を包んでいく。

 指先が震えてなかなかうまく包めない。

「で、莉子は協力してくれるって?」

 餃子の皮に水をつけている愛美が聞いてきた。

「あ、……たぶん」

「たぶん?」

「なんだかんだあって返事聞きそびれて」

「じゃあ今までなに話してたの?」

「ミレニアム懸賞問題について」

「へぇ、私には言えない話なんだー」

「あとで話すよ」

 莉子が死者と会話できる。

 そのことを俺の口から愛実に伝えたくなかった。

 それを教えてしまったら、愛美は「死んでしまったお父さんと話したい」と言うに決まっているから。愛実のお父さんは、絶対に愛実に「もう智仁くんとはかかわるな」と言うはずだから。

 それだけは防ぎたかった。

 俺が『愛実の父親から糾弾されるようなやつ』に成り下がったのは紛れもない事実だけど、愛実とまたこうして話せるようになった現状が楽しいから、愛実が離れてしまう可能性を少しでも消したかった。

 ま、莉子が直接愛実に話したらなんの意味もないのだけど。

 ってかなんで莉子のありえない話を信じそうになってんだよ俺!

「ふーん。じゃあ私がミレニアム懸賞問題全部解いたら教えてよ」

 なぜか不機嫌な愛美はぷいっとそっぽを向いてから、餃子の皮の上にスプーンですくった餡を置いた。

 愛実が本気を出したら、本当に全て解けてしまえそうでなんか怖い。

 結局、その日行われた餃子パーティー中に、莉子が『死者と話せる能力』のことを愛実に伝えることはなかった。

 ゆちあは莉子のことを「莉子おねーちゃん」と呼んで親し気にしていたし、莉子に改めて協力を申し出ると、二つ返事で了承してくれた。

「私にできることならなんでも言って」

 俺はこの状況を受け入れてくれた莉子を見ながら、心の中で安堵と幻滅を繰り返していた。