「くっそ、やりやがったな……お前のも寄越せ!」
「はっ?」

 世那は、僕の手からペットボトルを奪い取った。さっき世那のコーラと一緒に買った、無糖の、ただのサイダーだ。不意をつかれた僕は、抵抗もできずにあっさりと奪われる。
 そして、それを手にした世那は、ニヤリと口元を歪め、あろうことか躊躇なく、それを上下に振り出した。

「はあ!?お前、あああ馬鹿!返せ!」
「はは、油断した凪が悪い!」
「ざっけんなよもー!」

 慌てて世那の手からサイダーを取り返すも、時すでに遅し。あいつ仕返しされてやんの、と男子が笑うと、あはは、男子馬鹿だー、と、はたからそれを見ていた女子にも笑いが伝染していく。世那は周りの人間を巻き込むのがこの上なくうまい。人の輪の中心にいるのは、いつだって彼だった。


 その輪の中に彼女はいない。


 ひとしきり笑ったあと、世那が「あ」と呟いて、思い出したように振り返った。

「そうだ。今日飯尾たちとカラオケ行くんだけどさ、凪も来るだろ?」

 世那の言葉に、どくんと心臓が跳ねた。飯尾と、その周りの奴らの視線が、一気に刺さる。
 その瞬間、僕と世那の間に、境界線が引かれたような感覚を覚えた。すべての音が消え、さっきまで何より近かった世那が、なんだか別世界の住人のように見えた。


 一度、嫌々と首を振る彼女にせがんで、屋上で歌ってもらったことがある。渋々承諾して歌う彼女の姿は、まるで地に舞い降りた天使のようだった──耳を塞いでいれば、という条件つきであれば。
 彼女は究極の音痴だった。それを指摘すると、だから言ったじゃん、と彼女は頬を膨らませた。彼女が音楽を選択していない理由がわかったのはこのときだった。だから僕は、彼女とカラオケには行ったことがない。彼女自身、カラオケには一度も行ったことがないらしい。

 また、知らないあいだに彼女が消えていたら?また、思い出した彼女の一部が、僕の中から消えてしまっていたら?
 彼女のいない場所に、一時(いっとき)でも行くのが怖かった。

「……ごめん、遠慮しとく」

 そろそろ言い慣れてきたセリフを口にすると、世那が「最近付き合い悪いぞー。……わかったけどさ」と肩を落としたので、僕は気まずくなって、顔をそらした。