彼女は、「んー」と、上に向かって伸びをした。アスファルトに落ちる彼女の影が、その一瞬だけ、僕の背を追い抜かした。

「バレたら、学校にもいられなくなっちゃうかなぁ」

 彼女は右手で髪をかき上げ、ふと空を見上げた。その、内容に反した淡々とした物言いは、どこか危うさを感じさせ、僕は思わずその手を取った。

「ん?なーに?」

 彼女は目を伏せた。長いまつげが、彼女の白い頬に影を落とす。話し始めたときからまともに目が合わないことが気がかりで、彼女の手を握った手に、力がこもった。

「消えたり、しないよな?」

 一瞬、僕らのあいだには沈黙が生まれた。遠くで蝉が鳴いている。
 彼女は、そのくりくりとしたアーモンド形の目をいっそう丸くして、それから、くっ、と吹き出した。

「あはは、なんの心配?」

 凪ってば、変なの。彼女はそう言って、腹を抱えて笑い出した。
 変だなんて、お前にだけは言われたくないよ。そう、いつものように憎まれ口を叩こうとしたけれど、そのときだけは、そうすることができなかった。
 彼女はひとしきり笑ったあと、ふと笑うのをやめ、いつになく悲しげな顔で、僕を見た。

「大丈夫、変な心配しなくても、私はどこにも行かないよ」

 ずっと、ずぅっと、ここにいるよ。今度は彼女が僕の手を取って、手の感触を確かめるように、何度も、握ったり開いたりを繰り返した。ね?と、彼女は微笑んで。その柔らかな笑顔に、いつの間にか絆されてしまっていた。

 それから間もなくして、彼女は消えた。その日は、まるで慰めのように、ぬるくて優しい雨が降っていた。





「走馬灯なんて、一瞬で消えちまうんだよ……馬鹿」

 僕とそれを天秤にかけて、僕を選んでくれなかったんだと思うと、やるせない気持ちが込み上げた。そして、そんな薄情な人間だと思われていたのかと思うと、彼女に対して怒りまで湧いた。
 裏切られた、なんて見当違いなことを思うのは、きっと、どこかで彼女に期待していたからだ。彼女なら、どんなときだって、僕を頼ってくれる……と。
 そんなはずはないのに。彼女に選ばれない原因を作ったのは、間違いなく僕なのに。

 僕らはどこで間違えた?最初から何もかもが間違っていた?
 彼女に問うすべは残っていないし、たとえ彼女に問うことができても、彼女はそれに対する答えなんて持ち合わせていないだろう。

 一瞬で消えてしまう幸せに期待して、彼女はひとりで飛んだのだ。


 ああ、そうだ。彼女は確かに、消えないよ、とは言わなかった。
 それは屁理屈って言うんだって、次に会ったら彼女に言ってやろう。そうしたら彼女は、そんなことはどうだっていいでしょ、と、口をとんがらせて拗ねてしまうかな。……拗ねた顔でもいい、どんな彼女でもいいから、一目でも、一目だけでも、どうか。

 彼女はずっとここにいる、と言った。彼女は今でもそこにいるらしい。だから、僕は走った。