「な、なぁ世那、あいつは、……あいつは本当にいたよな?」
ひたいに、じんわりと冷や汗がにじむのを感じた。ほとんど縋るような思いだった。僕の声は、情けないくらいにかすれていて、けれどもそれを気にしている余裕は、今の僕にはなかった。
世那が覚えているなら、少なくとも僕の妄想なんかではないはずなんだ。だから僕は、彼の肯定がほしかった。けれど。
「……ここで俺がいなかったって言ったら、お前、信じんの?」
ぎくり、と、心臓が嫌な音を立てた。
口ではなんとでも言えるから、上辺だけの肯定に意味なんてない。それでも、薄っぺらな安堵を求めてしまった僕の弱さを、世那には見透かされていた。
呆れられてしまっただろうか。その横顔からはなんの感情も読み取れず、いつも表情豊かな世那にそんな顔をさせてしまったのだと思うと、ひどく心が苦しかった。
結局、世那が僕の望む答えをくれることはなかった。
──殺してみてくれない?
ふとよみがえった彼女の玲瓏な声が、僕の鼓膜をつんざいた。今、耳元で怒鳴られているわけでも、もちろん過去にそういうことがあったわけでもないのに、キィンと耳鳴りがして、世界が急激に遠のいた。
あのとき、本当に殺してしまえばよかった?いや、そうなると因果関係が変わってくる。僕は消えた彼女の行方を知りたいのであって、決して殺したいわけではないのだ。
──私のことをいちばん殺したいのって、凪でしょ?
「……っ」
あのあと……僕の両手は、気がつけば彼女の白い首に吸いついていた。彼女は驚いたように目を丸くして、その反応が僕には意外で、少し小気味がよかった。
もちろん本気で殺そうとなんてしていなかった。それは、軽い意趣返しのつもりだった、と思う。けれど、思ったよりも細く、少しでも力を込めれば簡単に折れてしまいそうなそれに、僕はどきりとした。
僕が彼女を恨んでいる?恨んでいるから殺したい?有り得ない。それなら、今、こんなにも彼女に会いたいと思うはずがない。……あれ?
僕は、どうして彼女に会いたいんだっけ?
「馬鹿なこと考えてないよな?」
「えっ」
顔を上げると、世那とばっちり目が合った。気まずくて、僕はとっさに目をそらす。なんだか無性に喉が渇いて、ごくりと唾を飲み込んだ。
「……何のこと?」
僕らを包む夕暮れは赤すぎた。焼けるような赤が、僕の視界を染め上げる。僕の記憶の中の彼女は、当然、染まらない。
僕らとは数センチずれた世界に、彼女はいた。たったの数センチ、それでも僕の手は、今さら彼女に届かない。
「……。違うなら、別にいいけど」
世那は、そっと目を伏せた。世那が引き下がったのを合図に、それまで場を満たしていた緊張が解ける。
お互いに何も言えなくなり、僕らのあいだには妙な空気が流れる。しばらくして、「……金、」沈黙を破ったのは世那だった。
「返さなくてもいいって言ったけど、やっぱあれナシな。返せ」
「なんだよ急に。最初から返すっつってんだろ」
「手渡しで返せよ。絶対だかんな」
「だっから返すって!なんなんだよ!」
さっきまでとは一変、金への執着を見せる世那に困惑を隠せない。百二十円ぽっちが惜しくなった?いや、そうじゃないだろ。じゃあ、世那の今の発言の意図は……。
「凪!」
「おわっ」
世那は、僕の名前を呼ぶや否や、僕に寄りかかり、がっしりと肩を組んできた。
「急に何、何なわけ?」
「遊ぶぞ!」
何の脈絡もない突然の提案に、僕はあんぐりと口を開いた。
世那は、ニヤリと口の端を歪めた。僕は知っている。これは、彼が何か悪だくみをしているときの顔だ。
「お前に気がある奴がいるんだってさ。となりの女子高のかわいい子」
「はぁ?となりの女子高の奴なんて、まったく接点ないけど」
「その女子高に、飯尾と同中出身の奴がいるらしい。ほら、この前何人かと写真撮ったろ?それを飯尾がそいつに送ったんだとさ」
「あいつ、余計なことを……」
羨ましい奴め。世那がニヤニヤしながら見てきたけれど、普段なら少しは心が躍るようなそれにも、僕の心はまったく動かなかった。
「とにかく今はぜんぶ忘れてさ、パーッと遊ぼうぜ。……思い出すのはその後でも遅くないって」
その態度が彼にしてはあまりにもわかりやすかったので、僕はくっと吹き出してしまった。世那になんだよ、と肘でつつかれ、なんでもねぇよ、とそれを押し返す。
世那の珍しく見え見えな気遣いが、今は素直に嬉しかった。やっぱり、こいつには敵わないな、なんて、今度は妬みなんかじゃなくて、清々しく思った。こんなありふれた一瞬を、なぜだかひどく愛おしく感じた。
でも、世那、ごめん。
──走馬灯が見たいんだ。
どこからか彼女の声がした。