ぼそり、と麗景殿の女御がつぶやいた。
斎の太刀を受け止め、時に受け流す帝。猛攻をすべていなしてはいるものの、耐えしのぐのみで自ずから仕掛ける様子がない。それどころか一歩二歩、攻撃を避けるごとに後ろへ追い詰められているようにも見える。
だが彼が半身を返して下がり、木太刀を振り抜くそのたびに。二藍の袖が優美に膨らみ揺れて、ひるがえる。たしかにそれは舞のようであった。
誰もが皆、ふたりの息もつかせぬ戦いに目を奪われていた。しかしいよいよ剣戟も大詰めを迎える。斎の攻撃をかわしつづけた帝は、ついに後がなくなってしまった。庭の端、仁寿殿の前に植わる紅梅の近くまで追い詰められている。すぐうしろは石畳だ。
「(もらった!)」
ひゅ、と鋭く呼吸して、同時に斎は全力で一歩を踏み出した。力強く利き足を踏みしめ、足下の玉砂利が飛び散る。剣先がまっすぐ帝の上体を捉えた。これが真剣ならば心臓をえぐり取るであろう必殺の一撃。観衆から悲鳴が上がった。
だが、突先が届くまさに直前。ふわりと羽根のように――わずかに数寸、帝の身体が右へ触れた。斎は驚き目を見開いたが、今さら動きを修正できない。切っ先は風を切る音と共に帝の左すれすれの空を穿つ。そして次の瞬間、斎は突き出した右手首を太刀ごと掴まれていた。
「あぐぅっ!」
そのまま思い切り腕を引っ張られて帝と共にくるりと旋回、ふたりは寄り添い合って舞うように丸い軌跡を描いた。一見動きは優雅だが手首を掴む帝の力は強く、斎は思わず剣を落としてしまう。
からんからん。
明るい音を立てて斎の木太刀が地面に転がった。気付けば彼女の身体は帝の腕の中、大袖に包まれるように抱き込まれている。仰け反る斎に顔を近付ける帝の身からは、荷葉の甘く爽やかな香りがした。
「まだやるかい?」
「いいえ……参りました……」
剣競べで剣を落とせばすなわち敗北。美しい顔に眼前でにこりと微笑まれて、斎はくやしそうに口を引き結ぶ。少しだけ言い淀みはしたものの、素直に負けを認めた。ところが帝は、すぐには斎を離さない。
「なかなか腕を上げたね、斎」
「ええと、あの、主上、お離しください」
「一体この小さな身体で、どこからそんな力が出るのかな」
「ひぃ、顔が近いですから、主上」
「――そ・こ・ま・で・です」
庭の端まで歩いてきた頭弁に引き剥がされて、ようやく花琉帝は斎の身体を解放した。その途端、斎は飛び跳ねるように帝の腕の中から離れて後ずさる。全力で打ち込みつづけた息切れと抱きしめられた緊張のせいで、小さな肩は上下してぜーはーと荒い息をしていた。一方の帝は「たまの運動は疲れるね」などと扇を扇ぎはじめるが、表情は涼しげなままだ。
頭弁はやれやれとふたりに背を向けると一度咳払いする。気を取り直したところで、高らかに勝敗を宣言した。
「二番目。剣競べは東の方、帝の勝利」
おおおお、とひときわ大きな歓声があがった。すっきりしない幕切れだった歌競べと違い、誰の目から見ても鮮やかな帝の勝利だった。さすがの左大臣もこれには物言いの付けようがなく、黙って歯噛みしている。
「いや~、面白くなってきましたなあ」
「ほほほ、あのちんまい蔵人少将もなかなかやるではないか」
「(蔵人少将……次で負けたら承知せぬぞ……!)」
ぎちぎちと檜扇を握りしめる左大臣の隣で、右大臣と内大臣はのんきに笑っていた。
これにて勝負は一勝一敗。決着は三番目の弓競べへともつれ込んだ。
斎の太刀を受け止め、時に受け流す帝。猛攻をすべていなしてはいるものの、耐えしのぐのみで自ずから仕掛ける様子がない。それどころか一歩二歩、攻撃を避けるごとに後ろへ追い詰められているようにも見える。
だが彼が半身を返して下がり、木太刀を振り抜くそのたびに。二藍の袖が優美に膨らみ揺れて、ひるがえる。たしかにそれは舞のようであった。
誰もが皆、ふたりの息もつかせぬ戦いに目を奪われていた。しかしいよいよ剣戟も大詰めを迎える。斎の攻撃をかわしつづけた帝は、ついに後がなくなってしまった。庭の端、仁寿殿の前に植わる紅梅の近くまで追い詰められている。すぐうしろは石畳だ。
「(もらった!)」
ひゅ、と鋭く呼吸して、同時に斎は全力で一歩を踏み出した。力強く利き足を踏みしめ、足下の玉砂利が飛び散る。剣先がまっすぐ帝の上体を捉えた。これが真剣ならば心臓をえぐり取るであろう必殺の一撃。観衆から悲鳴が上がった。
だが、突先が届くまさに直前。ふわりと羽根のように――わずかに数寸、帝の身体が右へ触れた。斎は驚き目を見開いたが、今さら動きを修正できない。切っ先は風を切る音と共に帝の左すれすれの空を穿つ。そして次の瞬間、斎は突き出した右手首を太刀ごと掴まれていた。
「あぐぅっ!」
そのまま思い切り腕を引っ張られて帝と共にくるりと旋回、ふたりは寄り添い合って舞うように丸い軌跡を描いた。一見動きは優雅だが手首を掴む帝の力は強く、斎は思わず剣を落としてしまう。
からんからん。
明るい音を立てて斎の木太刀が地面に転がった。気付けば彼女の身体は帝の腕の中、大袖に包まれるように抱き込まれている。仰け反る斎に顔を近付ける帝の身からは、荷葉の甘く爽やかな香りがした。
「まだやるかい?」
「いいえ……参りました……」
剣競べで剣を落とせばすなわち敗北。美しい顔に眼前でにこりと微笑まれて、斎はくやしそうに口を引き結ぶ。少しだけ言い淀みはしたものの、素直に負けを認めた。ところが帝は、すぐには斎を離さない。
「なかなか腕を上げたね、斎」
「ええと、あの、主上、お離しください」
「一体この小さな身体で、どこからそんな力が出るのかな」
「ひぃ、顔が近いですから、主上」
「――そ・こ・ま・で・です」
庭の端まで歩いてきた頭弁に引き剥がされて、ようやく花琉帝は斎の身体を解放した。その途端、斎は飛び跳ねるように帝の腕の中から離れて後ずさる。全力で打ち込みつづけた息切れと抱きしめられた緊張のせいで、小さな肩は上下してぜーはーと荒い息をしていた。一方の帝は「たまの運動は疲れるね」などと扇を扇ぎはじめるが、表情は涼しげなままだ。
頭弁はやれやれとふたりに背を向けると一度咳払いする。気を取り直したところで、高らかに勝敗を宣言した。
「二番目。剣競べは東の方、帝の勝利」
おおおお、とひときわ大きな歓声があがった。すっきりしない幕切れだった歌競べと違い、誰の目から見ても鮮やかな帝の勝利だった。さすがの左大臣もこれには物言いの付けようがなく、黙って歯噛みしている。
「いや~、面白くなってきましたなあ」
「ほほほ、あのちんまい蔵人少将もなかなかやるではないか」
「(蔵人少将……次で負けたら承知せぬぞ……!)」
ぎちぎちと檜扇を握りしめる左大臣の隣で、右大臣と内大臣はのんきに笑っていた。
これにて勝負は一勝一敗。決着は三番目の弓競べへともつれ込んだ。