トップシークレット☆ ~お嬢さま会長は新米秘書に初恋をささげる~

 ――父は入院せず、通院によっての抗ガン剤治療を受けることになった。わたしの推測どおり、主治医の後藤先生の計らいで、父には自宅で最期を迎えてもらおう、ということになったのだそう。

 父曰く、

「会社にも、顔を出していいそうだ。具合が悪くなったら、後藤に連絡を入れることになってる」

 とのこと。わたしも最初は「大丈夫かな」と心配していたけれど、父は言い出したら聞かない人だったし、何より主治医の先生が許可してくれていたので、最後には折れることにした。

 父の病気と余命宣告のことを知った日の夜、このことを里歩に電話で話すと、彼女はこう言った。

「なんか、絢乃のお父さんカッコいいね。でも、あたしもその方がいいと思う。だって、この世に未練(のこ)して()ってほしくないもんね」

 父は仕事の鬼、というわけではなかったけれど、仕事をしている時には活き活きしていた。だから経営者として、会社を放り出して入院しているなんてきっと()えられなかっただろう。

 そして、わたしが彼への恋心を自覚したことについては。

「あらまぁ、やっぱりねえ。例の、パーティーで知り合ったイケメンさんでしょ? あたしもさ、絶対そうなるって思ってたんだよねー。そりゃあ惚れるよ。そういう時に優しくしてもらったら」

 と、思いっきり納得されてしまった。わたしは、里歩のことだからもっと冷やかしてくるだろうと思っていたので、ちょっと拍子抜けした。 

「でもさぁ、不謹慎じゃな~い? お父さんが大変な時に、っていうかそれが理由で恋に落ちちゃうなんて」

 里歩はその日の朝、わたしが登校中の電車の中で言ったことをちゃんと覚えていて、それを思いっきりツッコミとして返してきた。

「……いいでしょ、別に。それはただのキッカケだったんだから! もうその話は忘れて!」

 ちょっとばかりばつが悪くなったわたしは、顔を真っ赤にしてそう抗議するしかなかった。

****

 抗ガン剤治療を始めた父は、かなりつらそうだった。家でも食欲がガタっと落ちていたし、吐き気をこらえている姿をわたしは何度も見た。

「――パパ、大丈夫?」

 本当はつらかっただろうに、わたしが心配して声をかけると、父はその度に強がって「大丈夫だ。心配するな」とムリに笑顔を作ってそう言った。

「パパ、強がらないで。ホントはつらいんでしょう? できることなら、わたしが代わってあげたいよ」

 もう何度、そう言ったか分からない。

「ハハハ……、お母さんも同じことを言ってたな。――ありがとう、絢乃。お前の優しい気持ちは、ありがたくもらっておこう」

 父はその度に、あやすように泣きそうになっていたわたしの頭を優しくポンポン叩いてくれた。まるで、幼い頃のわたしにそうしてくれていたように。
「パパ……、わたしはもう小さな子供じゃないってば」

 膨れっ面で抗議したつもりが、泣きそうだったので湿っぽい声になってしまった。

「何を言ってる。絢乃はいつまでも、お父さんの可愛い子供だよ」

「……うん」

 死を間近に控えた父の言葉は、どれも重かった。わたしがこの(ひと)の娘でいられるのもあとわずかな時間なのだ――。そう思うと、しんみりしてしまうのもムリはなかった。

「ところで絢乃。好きな男はいるのか?」

「……えっ? どうしたの、急に」

 それまでに父と恋愛について話したことは一度もなかったので、わたしは面食らった。

「お前ももう十八になるだろう? 年頃だし、一人くらい、そういう相手がいるのかと思ってな」

「何言ってるの、パパ。わたしの誕生日まで、あと半年近くも――」

 そう言いかけて、わたしは気づいた。わたしの誕生日は四月三日。その頃にはもう、父はこの世にいないのだと。

「……ゴメンなさい。――好きな人ならいるわ。つい最近気がついたの。わたし、この歳で初めて恋をしてるの」

 わたしはその場で、彼のことを思い浮かべた。
 当時はまだ生まれたての小さな恋。これが大きな愛情で結ばれて、生涯の伴侶にまでなるなんて、まだ高校二年生だったわたしにどうして想像できただろう?

「そうかそうか。絢乃ももう、そんな歳になったんだなぁ……。絢乃、幸せになりなさい。絢乃のウェディングドレス姿、お父さんも見たかったな」

「……うん」

 ささやかな遺言のような父の呟きに、わたしはこらえきれなくなって鼻をすすった。

****

 ――今日という最高に幸せな日を迎えてなお、わたしに唯一悔いが残っているとすれば、今日のわたしの姿を生きている父に見てもらえなかったことだ。
 でもきっと、彼が言ったように、父はどこかでわたしのウェディングドレス姿を見て、喜んでくれていると思う。

 わたしは今日、彼の優しい一言で、やっと唯一の後悔から解放された気がする。
 やっぱり、彼を伴侶に選んでよかった。わたしの決断は間違っていなかったと、今なら胸を張って言える。

****

 ――彼とは父の闘病中、よく連絡を取り合っていた。
 彼は社会人で、わたしは当時高校生。生活スタイルも少し違っていたので、主にメッセージのやり取りだった。

 彼は会社での父の様子を、同じ大学の先輩だという会長付秘書・小川(おがわ)夏希(なつき)さんから聞いては、わたしに知らせてくれていた。
 わたしは家での看病についてや、日常での些細(ささい)な出来事を彼に送り、時々落ち込みそうになった時には彼に電話して、励ましの言葉をもらったりしていた。
 ある時、わたしから電話すると、彼は何だかすごく忙しそうだった。

「――どうしたの? 桐島さん、何だかすごく忙しそうだけど」

『ああ、すみません! ちょっと今、引き継ぎでバタバタしてまして』 

「引き継ぎ? 桐島さん、会社辞めちゃうの?」

 〝引き継ぎ〟と聞いて、イコール会社を辞めるという発想しかなかったわたしは、すごく驚いたけれど。

『……えっ? いえ。辞めませんよ。ただ近々、部署を異動しようと思ってまして。そのための業務の引き継ぎなんです』

「ああ、異動ね。なんだ、ビックリした」

 社内での転属だと聞いて、わたしは安心した。
 彼は篠沢で働くことに誇りを持っているし、退職するなんて考えられなかった。
 それに……、これは個人的にだけれど、わたし自身が彼に辞めてほしくないと思っていた。

「でも、どこの部署に転属するの? 総務課の仕事じゃ不満?」

『そういうわけじゃないですけど……、僕も覚悟を決めたといいますか。部署はまだ、絢乃さんには教えられませんけど』

「…………えっ? わたしに教えられないって、どういうこと?」

『それは……、今はノーコメントでお願いします』

「えーーーー……?」

 彼の言葉は謎だらけで、その時のわたしはただ首を捻るばかり。――その謎が解けたのは、父が亡くなった後だった。

 それにしても、その当時、わたしと彼はまだお付き合いどころかお互いの気持ちも知らなかったのに、まるで恋人同士みたいなやり取りをしていたのだなと今では思う。

 こうして男性とプライベートで交流を持つのは彼とが初めてだったのだけれど、初めてではないように、まるで恋愛にこなれた女性のように、彼とは打ち解けていられたのが不思議だった。

 今にして思えば、わたしに余計な気を遣わせないように、彼がわたしを(くつろ)いだ気持ちになるよう大人の対応をしてくれていたのだ。
 だから、わたしと彼との距離が縮まるのに、それほど時間はかからなかった。

****

 ――父がガンの闘病を始めて二ヶ月半ほどが過ぎ、篠沢家でもクリスマスイブを迎えていた。

 実は、わたしはそれまでは毎年、里歩と二人でお台場(だいば)までライトアップされたクリスマスツリーを見に行き、その近くで夕食を摂るのが定番になっていたのだけれど。

「――絢乃。今年はお台場のツリー、どうするよ?」 

 この年のクリスマス前には、彼女は「一緒に行こう!」ではなく「どうする?」という訊き方をした。もちろん、父と最期のクリスマスを過ごすことになるだろうわたしを、彼女なりに気遣ってくれたのだ。
「ゴメン! 今年はムリだわ。パパがあんな状態だし……」

 父がいつどうなるか分からない状態だったので、その年のわたしはクリスマスツリーを見に行くどころではなかった。
 でも、察しのいい彼女は、それで気を悪くした様子もなく。

「……だろうね。あたしも、今の絢乃ならそう言うと思ったんだぁ。じゃあさ、今年は絢乃ん家でクリパしない? パパさんにも参加してもらってさ」

 わたしが断ると、里歩は代替(だいたい)案としてそんな提案をしてくれた。
 家でのパーティーなら、わたしは外出する必要もないし、闘病中の父も気兼ねなく参加できる。――なかなかのグッドアイディアだとわたしも思った。

「ああ、それいいかも! さっそくパパとママに都合訊いてみるわ!」

 というわけで、わたしはその場で――まだ学校にいたのだけれど――、母にメッセージで里歩から聞いた話を伝え、クリスマスイブに家でパーティーをすることはできるのか訊いてみた。
 すると、母から来た返信はこうだった。

『そういうことなら大丈夫。パパもきっと喜んでくれるわ。
 イヴは我が篠沢邸でクリスマスパーティーね! 私も楽しみだわ!
 里歩ちゃんに、「ありがとう」って伝えておいてね。』

「――ママが、イブのパーティーは大丈夫だって。里歩に『ありがとう』って伝えて、って」

「えっ、ホント? オッケー! じゃあ、今年のクリスマスはそういうことで」

「うん。ウチのコックさんたち、張り切ってご馳走作ってくれると思う。ケーキも準備しなきゃ! わたしとママで作ろうかな……」

 実は、わたしは料理が得意で、学校での家庭科の成績もよかった。特にお菓子作りについては、スイーツ好きが高じて自分で作るようになり、腕もグンと上達したのだ。

「おっ、絢乃の手作りケーキかぁ。久しぶりだな……。アンタの作ったスイーツってどれも美味しいもんね。あたしも楽しみ♪」

 里歩も、わたしの手作りスイーツのファンの一人で、バレンタインデーには友チョコを交換いたりしていた。――彼女はあまり料理が得意ではないので、手作りではなく市販のチョコレートだったけれど。

「うん! 腕によりをかけて美味しいケーキを焼くから。楽しみにしてて」

 この年のクリスマスは、父と過ごす最期のクリスマスだった。わたしは里歩にはもちろん、父に自分の作ったケーキを食べてもらいたかったのだ。

****

 ――そして、その年のクリスマスイブの夜。わたしの家では、ささやかな――()()()ささやかなクリスマスパーティーが行われた。
 いうなれば、ホームパーティーに毛が生えた程度のもので(少なくとも、篠沢家の人間はそう思っていた)、招待したのも里歩と彼――貢くらいだった。

「――絢乃、メリクリ! 今日はお招きありがと!」

「里歩、いらっしゃい! どうぞ上がって!」

「うん、おジャマしま~す! ――あ、コレ。クリスマスっていったらやっぱコレでしょ」

「わぁ、ありがとう。食卓が賑やかになるわ」

 わたしは、フライドチキンのパーティーパックを手土産にしてやって来た里歩を、笑顔で出迎えた。
 父が息を引き取るまでは、わたしはなるべく笑顔でいようと決めていたのだ。少なくとも、里歩や家族以外の人の前では。

「――クリスマスケーキね、我ながら会心の出来だと思うの。パパや里歩に食べてもらうのが楽しみだわ!」

「そうなんだ? あたしも待ち遠しいなー」

 でも、里歩はわたしのはしゃぎっぷりに多少のムリを感じ取ったらしく。

「絢乃、アンタ相当突っぱってるでしょ? あたしの前では強がんないでさ、泣きたいときは遠慮なく泣いていいんだからね」

「……どうして分かったの?」

「アンタねぇ、あたしが何年アンタの親友やってると思ってんの? 事情だって分かってるんだし、それくらい察して当然じゃん」

「うん、ありがと。ホントに泣きたくなったら、そうするわ」

 わたしは本当に、頼もしい親友を持てたなと思う。彼女はそれまでにも、何度もわたしを助けてくれていたから。
 あの数ヶ月間、わたしの精神的な支えになってくれたのは彼と、間違いなく里歩だった。

 ――里歩をリビングまで送っていくと、またもインターフォンが鳴った。ちなみにセキュリティーの関係で、我が家のインターフォンはモニター付きである。

「はい、どなた様でございましょう?」

 史子さんが、応答ボタンを押しながらモニター画面を確認した。

『あの……、こんばんは。僕は篠沢商事の社員で、桐島といいます。こちらの絢乃お嬢さまからご招待を頂きまして』

「お嬢さまが……。少々お待ち下さいませ」

「えっ、桐島さん!? 待って、史子さん。わたしが応対するわ」

 まだリビングにいたわたしは彼女に代わってもらい、インターフォンで応対した。

「桐島さん! よく来てくれたわね。どうぞ、上がって。――車は、車庫のどこに停めてもらっても構わないから」

『えっ、絢乃さん!? ――ああ、はい。では、お言葉に甘えて』

 突然、応対者がわたしに変わったことには驚いていたものの、彼はインターフォン越しに声を弾ませていた。
 ――それから五分くらい経って、彼が玄関に現れた。
 それだけの時間がかかったのは車を停めていたからというのもあっただろうけれど、広い敷地で迷っていたからかもしれない。

「――桐島さん! いらっしゃい!」

「こんばんは。絢乃さん、今日はご招待ありがとうございます」

 わたしが笑顔で出迎えると、彼は少々緊張した様子でわたしにお辞儀をした。

「そんなに固くならないで、もっと肩の力抜いていいのよ? ――パーティーの会場はリビングなの。どうぞ、上がって」

「はい、おジャマします」

 スリッパに履き替えた彼を、わたしはリビングまで案内した。

 彼はスーツこそ着ていなかったものの、襟付きのカラーシャツにニットを重ねたキッチリしたコーディネートだった。「パーティーに呼ばれたのだから、おめかしせねば」と意気込んだからなのか、彼の私服はいつもこんな感じなのだろうかと、わたしは首を傾げた。

「あの……、絢乃さん」

「……ん? なぁに?」

 彼が何かを気にしている様子で、わたしに声をかけてきた。
 振り返ってみれば、彼は落ち着かないのか家の中をキョロキョロと見回していて、彼には失礼だけれど挙動不審のおサルさんみたいだった。

「いいんでしょうか? 僕なんかがこんなお屋敷のパーティーに呼ばれて。場違いじゃないでしょうか?」

「何を気にしてるのかと思えば、そんなこと? 今日のパーティーはささやかなホームパーティーだし、家族と家の使用人以外はわたしの親友しか招待してないから。場違いとか、そんなこと気にしなくていいのよ。わたしだってホラ、ドレスなんか着てないし」

「……はぁ、確かに。それって絢乃さんの私服なんですよね」

 わたしはその時、赤いハイネックの二ットにグレーのノースリーブワンピースを重ねたちょっとカジュアルな服装で、しかもその少し前までは小麦粉や生クリームまみれのエプロンをしていたのだ。これで、形式ばったパーティーだと思われても困る。

「それに、わたしにあなたを招待してほしいって頼んだのはパパなのよ」

「……えっ、会長が僕を?」

「そうなの。検査を受けるよう勧めてくれたのが貴方だって、わたしが話したの。そしたらね、パパ、『直接お礼が言いたいから、彼を招待してくれ』って」

「そうなんですか……」

 彼が「信じられない」というように目を瞠った。

 きっと父は、わたしが想いを寄せている相手が彼だと気づいていたのだろう。だからこそ、彼のことを気に入って、大事にしてくれていたのだと思う。
「パパも今日は具合がいいみたいで、もうリビングにいるはずよ。桐島さん、心の準備はできてる? まぁでも、そんなに緊張しなくて大丈夫だから」

「はい。……多分、大丈夫です」

 彼はぎこちない笑顔でそう答えた。……まあ、めったに会うことのない雇い主、言ってみれば雲の上の人と対面するのだから、「緊張するな」と言う方がムリな話だったのかもしれないけれど。

「はい、ここがリビングです! さ、入って入って!」

 わたしは後ろから彼の背中をグイグイ押し、彼をリビングへ入らせた。

「パパー、桐島さんが来てくれたよー!」

 わたしが入口から手を振ると、広いリビングの奥のソファーに座っていた父が「おう」と片手を挙げた。そのままゆっくり立ち上がり、わたしと彼のいる方へしっかりした足取りでやって来る。

「……やあ、桐島君。いらっしゃい。よく来てくれたね」

「会長、本日はお招き下さいまして恐縮です。体調はいかがですか」

 父がにこやかに挨拶すると、彼はかしこまって招待へのお礼を言い、父の体調を気遣ってくれた。

「うん、今日は調子がいい。君の顔を見たら、さっきまでより元気になった気がするよ」

「そうですか。それはそれは……」

 彼は、父の冗談にどう返していいか分からくなったようで、言葉に詰まっていた。
 わたしはそんな彼を放っておけなくて、すかさず助け船を出してあげた。

「パパ、桐島さんを悩ませちゃダメよ。彼は真面目な人なんだから、返事に困ってるじゃない」

「ああ、いやいや! すまない! 今のは聞き流してくれてもよかったんだ」

「はぁ……」

 彼がまだ困ったように頭を掻いていたので、父は笑い出した。わたしもあんなに笑う父を見たのは久しぶりで、彼もつられて笑っていた。

「桐島君。――いざという時は、絢乃を頼むよ」

「……は?」

「…………いや、何でもない。今日は存分に楽しんで帰ってくれたまえ」

「はい」

 二人がこんな会話をしていたのだとわたしが知ったのは、彼との交際を始めてからだった。この時は、わたしは十分に冷やしていたケーキをキッチンからリビングへ運び込むために、その場を離れていたのだ。

「――ねえねえ絢乃! あの人? アンタの好きな人って。……あ、あたしも何か手伝うよ」

 わたしを手伝うためにキッチンへ来ていた里歩が、はしゃいだ様子でわたしに話しかけてきた。
 せっかくなので、わたしは彼女に、切り分けたケーキを載せるお皿とフォークを出してもらうことにした。

「ちょっと里歩、声が大きいわよ!」 

「あー、ゴメン! ――さっき、お父さんに挨拶してたよね? 背が高くてイケメンで、優しそうな人。あの人が桐島さん?」
 わたしがたしなめると、里歩は謝りつつも話題を変えなかった。食器を出しながら、まだ同じような話を繰り返していた。

「うん、そうよ。ステキな人でしょ?」 

「確かに、いい人そうだよね。あたしが思ってたのとちょっと違うけど。イケメンには違いないんだけどさ、〝王子様〟って感じじゃなさそうだね」

 里歩はもっとイケメン――例えば少女コミックとかに出てきそうな感じの、洗練された男性をイメージしていたらしい。
 でも、わたしはむしろ、彼の純朴(じゅんぼく)な感じが好きだ。彼女が想像していたようなイケメンと出会っていたら、わたしの方が息が詰まってしまいそうである。

「そこがいいの。彼は誠実で純朴だから、わたしも惹かれたのよ。彼ね、八歳も年下のわたしに敬意を払ってくれてるの」

「それってさぁ、絢乃が雇い主のお嬢さまだからじゃなくて? お父さんがいないところでもそうなの?」

「うん……、そうね。電話とかメッセージでも、いつも敬語だもの」

 父と同じように、彼にとってはわたしも〝雲の上の存在〟なのだろうか? 秘書として働いている今ならともかく、当時のわたしは彼のボスでも何でもなかったのだけれど。

「でも、壁を作られてるような感じはしないのよね。それが何だか自然な感じがするの。ちゃんと()をわきまえてる、っていうのかしら。そういうところが彼らしくていいな、って」

「あれあれ~? アンタ、なんかめっちゃベタ惚れしてんじゃん♪ ねえねえ、彼とまだ付き合ってないの? っていうか付き合わないの?」

「そんなこと、今はまだ考えられない。パパのこともあるし、彼がわたしのことどう思ってるかも分かんないし」

 そもそも、彼がどうして父の誕生パーティーの日にわたしに話しかけてくれたのかも、その当時のわたしには分かっていなかった。
 周りが大人ばかりの中、あの会場内で〝壁の花〟と化していたわたしが気になって、気を利かせて声をかけてくれたのだと思っていたのだ。

「じゃあさ、もし彼も絢乃のこと好きだったら? その時はどうすんの?」

「その時は……お付き合いするかも。でも多分、彼は自分からモーションかけてきたりしないと思う。性格的に」

 わたしがグループのトップの令嬢だからと、こんな小娘にも関わらず敬語を使うような人である。もしもわたしに好意を持っていたとしても、「自分ごときがおこがましい」と一線を引いているのではないかと、当時のわたしは思っていた。

「どのみち、この状況だと恋愛どころじゃないでしょ」

「……まあ、そうだね。――このトレー、そっちのワゴンに載せていい?」

 里歩がお皿とフォークの載ったトレーをホールケーキを運ぶためのワゴンに載せたところで、わたしたちはキッチンを後にした。

****

 ――その後、わたしたちは充実したひと時を過ごした。

 里歩が差し入れてくれたフライドチキンやホットビスケットも食卓に並び、それらの料理を堪能(たんのう)した後は、わたし特製のクリスマスケーキ(白いホイップクリームとイチゴでデコレーションした)を切り分けてみんなで味わいながら、ゲームをしたり、クリスマスソングを歌ったりした。
 ケーキの評判は上々で、里歩も父も、そして甘いもの好きの彼もすごく喜んでくれた。

「――ねえ、あたしの気のせいかもしんないけど。このケーキってリキュール入ってる?」

「うん、香り付けにちょっとだけね。パパ、甘いものがあんまり得意じゃないから」

 父にも食べてもらうので、ケーキの生地に少しだけお酒を入れていた。とはいえ、焼いた時にアルコールは飛んでいたはず……なのだけれど。
 わたしはとっさに、彼が下戸であることを思い出した。

「ねえ、桐島さん。……リキュールの香り、気にならない? 酔っ払ったりしない?」

「大丈夫ですよ、コレくらいなら。美味しいです」

「ホント? よかった……」 

 父もすっかり楽しんでおり、死期が迫っている人にはとても見えないほど元気だった。

 余談だけれど、フライドチキンはみんな豪快にかぶりついていた。こういうものを食べるのに、お上品さなんて求めていられないのだ。

「絢乃さん、意外とワイルドなんですね……」

 油でベトベトになった口元をわたしが紙ナプキンで拭っていると、桐島さんがそんな感想を漏らしていた。

「だって、この食べ方が一番美味しいんだもん。お行儀悪くてもいいの」

「そうですか。なんか意外だったんで、ちょっとビックリしちゃって。でも、絢乃さんも普通の女の子なんですね。安心しました」

 彼はわたしの庶民的な一面を見て驚いてはいたものの、それで引いたという様子はなかった。
 思わぬところで彼の笑顔を目にして、わたしの胸はキュンとなった。父の命の()がもうすぐ消えそうだという時だったのに、わたしはなんて不謹慎な娘だったのだろう。

「――絢乃、外見て。雪降ってきたよ」

「えっ? ……あ、ホントだ。桐島さんもこっち来て来て!」

 里歩と一緒に窓の側で雪を眺めていたわたしは、彼を手招きした。

「このお家の中は暖房が効いてて暖かいですけど、外は寒そうですね……。スゴいな。東京でホワイトクリスマスなんて珍しい」

 雪はまだチラチラと粉雪が舞っているだけだったけれど、彼はそれを眺めながらそんなことを言っていた。

「――あの、ご挨拶遅れましたけど。あたし、絢乃の同級生で親友の中川里歩っていいます」

「ああ、絢乃さんのお友達ですか。初めまして。桐島貢と申します。絢乃さんがいつもお世話になってます」