間に合わなかった。
 白雪くんの後ろに軍人がいたから、助けないと、って思ったけれども、ダメだった。
 意識を失って倒れてゆく白雪くんを見ながら、私は、白雪くんの後を追ってきていた軍人を死なない程度に殴り飛ばした。これ以上、人が死んでしまうのを見たくなかった。
 白雪くんはここにいたら危ない。
 そう思い私は、白雪くんの体を持ち上げようとしゃがみ込んだとき、
「——やっぱり愛は、破滅しか生まないわね」
 と聞こえてきた。
 白雪くんから目を逸らし、間近にいた紅野さんを見たとき。私の心臓に、銃口が突きつけられていた。
「じゃあね。赤染さん——」
 銃声が鳴り響く。
 決着がついた、と知らせるかのように銃声が轟いた。
 さすがに重かった。
 直接、心臓に打ち込まれたら耐えられるはずがない。
 全身の力が抜け、私は倒れた。
「それにしても凄いわね。赤染さん。これくらいの力なら、紛争の一つや二つ、止められるでしょうに」
 起き上がれる体力は残っていない。
 どれくらい私は戦い、撃たれてきたのだろうか。
 最初の方は銃弾に当たっても傷口はすぐに塞がったのに、今じゃ細胞が生まれるような気配すらもない。撃たれたところから血が出てくるだけだ。
「でも、どうして赤染さんは誰も殺さなくなったのかな。殺さないと敵の数は減らないでしょ?」
 紅野さんは、私に殴られた軍人のことを言っているのかもしれない。
 どれだけ撃たれても、私はその人たちを殺さないように殴ってきた。力を込めて殴ったら内臓が壊れてしまうから、私は痛くて起き上がれなくなるくらいの強度で軍人を殴ってきた。
「あの人たちは、あなたを殺そうとしてきた人たちよ? みんな、みぞおちを殴られて動けなくなってるだけだけど、三十分でもしたら立ち上がってくるわよ? それに、どうして赤染さんは、その子を守ろうとするのかな? 守ろうとした結果、あなたは私に撃たれ、死にかけているのよ?」
「……殺して食べてしまうくらいなら、私が死んだほうがいい。白雪くんを守るのは、大切な人だから……がっ!」
 喀血(かっけつ)した。
 意識が朦朧とする。
「大切な人?」
「白雪くんは、私を変えてくれた人だから……」
「食べないの? 白雪くんのこと」
「食べない。絶対に」「——それはどうかな」
 銃口が私の頭に向けられると、再び銃声が鳴り響いた。
 足、腕、胴体、と、止めを刺すかのように、紅野さんは私の体に銃弾を放った。音が聞こえる度に、無気力になってゆくのを感じる。
「赤染さんにいいこと教えてあげる」
 紅野さんはしゃがみ込み、ポケットに入れていたバトルナイフを取り出すと、「私の血を飲めば、あなたは回復するわよ」と言い、自分の親指をバトルナイフで切った。
 目の前にぽたぽたと、血が垂れてくる。
「ほら、これを舐めれば、傷口くらいは塞がるわよ?」
「……いらない。こんなの、いらない」
 今すぐにでも舐めて、体力を戻したい、と思う自分が憎い。
 白雪くんと生きるには、クラスメイトと仲良くするには、この破裂してしまいそうな食欲を殺さなければならない。
「——そんなわけないでしょ!」
 思うようにならなくて、むしゃくしゃしてしまったのだろうか。
 紅野さんは私を蹴り、
「人間でも死に追い込まれたら、人を食べるというのに、あなたが人を食べないわけがないじゃない!」と怒鳴った。
「……」
 紅野さんは白雪くんに銃口を向けると、躊躇いも無く撃った。
 銃声が鳴り響くと、辺りは誰もいないかのように静かになった。
「……どう、して……」
 紅野さんは困惑した顔を浮かべた。「どうして、その子を守るのよ」
「……大切、だから」
 紅野さんが銃口を白雪くんに向けたとき、私は白雪くんを守るように、抱きついた。今の私にはこれくらいしかできない。
「大切、大切って! そんなものがあるわけない!」
 紅野さんは怒り狂ったかのように話し続けた。
「あなたは白雪くんが好きだからね。だから守るのよね。私が、白雪くんの身代わりになれば助かるってね。でも、それは違う。あなたが白雪くんを庇ったからって、身代わりになったからって、白雪くんは救われないのよ。白雪くんは必ず、俺が死んでいれば、って後悔するのよ……」
 声音が変わったと思い、紅野さんを見てみると、泣いていた。
 私たち二人を見て、紅野さんは泣いていた。
「今でも思うのよ、私は。あのとき、ワイアットが私の身代わりにならなかったら、ってね。私は紛争がある地域に生まれ育った。四歳のとき、買いものをするために私は、街に出た。そこで知らない人に声を掛けられて、そのまま車に乗らされ、誘拐されたのよ。人目のつかないところに連れていかれたら、服を脱がされて、強引に体を触られた。
 それで、私の価値観がズレてきちゃったのよ。調教された豚みたいにね、その人たちの言うことをすんなり受け入れるようになった。それで言ったのよ、私を誘拐した人たちは。両親を殺せって。銃を渡すから、これで撃ってこい、ってね。もちろん反抗した。嫌だって。そんなこと、私にはできないって。でも、その人たちは、殴ったり蹴ったりして、私に両親を殺させた。そこからは毎日のように人殺しを私にさせた。
 人を何人も殺して洗脳された私は、紛争に行くことになった。私以外にもたくさんの子供がいたわ。みんな、みんな、怯えた顔して、でも、大人の人たちに見透かされないように、必死に顔を作って——
 そこでワイアットと出会ったのよ。彼も街で誘拐された人で、人を何人も殺した感じだった。けれども、彼だけは他の子どもとは違った。
 意見の食い違いで人は殺してはいけない。お互いの意見を尊重して、助け合わないといけない。
 そう言ったのよ。
 最初は理解できなかったわ。この子はなにを言っているのかなって。でも、彼は訴え続けた。みんなの目を覚まそうと、訴え続けたのよ。さすがに大人たちの前では、そんなこと言わなかったけれども、子供たちだけのときは言い続けていた——
 そんな彼に、私は恋をした。
 凄いなって。大人たちに酷いことをされても、強い意志を持って、自分を失わなかった彼に、私は惚れてしまった。だから私は約束したの。この紛争を終わらせようって。これからの子供たちのためにも、頑張ろうって。
 紛争に連れていかれるまで、私と彼は、大人たちの目が届かないところで話し合った。どうしたら、この紛争を終わらせられるか。なにをしたら、私たちは救われるのかも。考えた末に私たちは、紛争で大人たちの目が届かなくなったら、そのままこの国を脱出して、もっと裕福な国に逃げ込もう、ってなった。
 みんなが銃を構えて、敵を撃つなか、私と彼は戦場から離れようと逃げ続けた。移動しやすいように銃も捨てて、爆音が聞こえるなか、ひたすら走り続けた。
 もう逃げ切れる、これで助かるんだって、本気で思った。
 けれでも、神様は私を見放した。
 踏んでしまったのよ、私は地雷を——。
 逃げ足を失った私は、痛みのあまり泣き喚き、その場で蹲ってしまった。
 その声に、相手は気が付いたんでしょうね。
 銃を持った一人の大人が、私たちに近づいてきたのよ。
 その男は微笑みながら銃口を私に向けてきた。
 死ぬって。これで私の人生は終わるって——
 銃声が聞こえて目を閉じたとき、体に銃弾が当たったような気がしなかったの……なにが起きたんだろうって目を開けたとき、ワイアットが私の前に立って、身代わりになってたのよ——」
 辛そうだった。
 倒れている私たちを見て、紅野さんは思い出してしまったのだろう。
「それでワイアットはこう言ったわ。俺にとって、お前はなによりも大切だ。だって、初めてできた、仲間だから——
 そう言い残すと彼は、私の目の前で倒れてしまった。
 それで今になって思うのよ。
 お互いを大切に思わなければ、あんなことにはならなかったはずだって——」
「……」
 私は、なにも言い返せなかった。
 言い返す気にも、なれなかった。
「だから愛は、破滅しか生まないのよ」
「……」
「あなたが白雪くんを想うなら、そこを退きなさい。これは白雪くんのためよ。必ず、この子は私みたいに悲しみ、後悔する。赤染は俺の身代わりになった、俺の命を守るために、赤染は死を選んだ、ってね。本人も覚悟はしていたはずよ。ここに飛び込んだら、自分は死ぬかもしれないって。白雪くんを殺したあと、私はあなたもこの手で殺す。汚れるのは、私の手だけで十分」
 「……」
 紅野さんの意見は正しい。
 身代わりになった人の気持ちを背負わないといけないのは、辛い。
 でも私は、
 紅野さんの意見に、賛成できなかった。
「……私はいいけど、白雪くんは、ダメ」
「この子に苦しめって、あなたはそう言うの?」
「違うよ。私は白雪くんに、楽しく生きて欲しいの」
 白雪くんの笑顔が頭に浮かんだ。
 いつもは目が鋭くて近づきにくい顔しているのに、笑顔になると心が落ち着く、そんな顔。
「夏休みに遊ぶ前まで、白雪くんはぜんぜん私に笑顔を見せてくれなかったんだよ。なにをしてるときも辛そうな顔をして、大変そうだったんだよ。私から見て白雪くんは、人生を楽しんでるように見えなかったんだ。だから私は、一緒に勉強してるとき白雪くんを笑わせるために変顔をしたんだよ。恥ずかしかったよ。急にそんなことやるなんて。結局白雪くんは、笑わなかったけれど。でもあのとき私は、白雪くんに人生の楽しさを教えてあげたいと思ったんだ。
 その分、白雪くんが笑ってくれたとき、私はほんとうに嬉しかった。
 白雪くんの笑顔が輝いて見えたんだ。大きな山を登ったあとに見る、太陽みたいに……そんな白雪くんが、人生の楽しさを知り始めた白雪くんが、ここで死んでいいはずがない」
 私の言葉は、紅野さんからしたら偽善だろう。
 でも、それでいいのだ、私は。
 私はそうやって生きてきた。
 人の記憶に残るために、私は誰よりもみんなに優しく接してきた。鏡の前で笑顔の練習もした。いつかまた、記憶がなくなるかもしれないと怯えていた時期の私は、みんなの心に残り続けるように努力してきた。人のためにではなく自分のために生きてきた。
「あなたの言葉は偽善よ。自分がいい気になって、白雪くんを傷つけるだけ」紅野さんの顔が、怒りに染まっていた。「そんなあなたが、私は嫌いよ」
 紅野さんは今、頭のなかがぐちゃぐちゃなのだろう。
 そんな感じがした。
「なんで紅野さんは、私を作ったの?」
「世界から紛争をなくすためよ。不死に近い存在の、あなたのような人がいれば、殺し合いの意味はないって彼らは気が付くはず」
「あとは、ワイアットさんのためでもあるんでしょ?」
「そうよ。それがどうしたの?」
「ワイアットさんは紅野さんを助けた。それも、身代わりになって助けた。そんな、紅野さんの言う偽善者のために、どうして紅野さんは頑張ってるの? 自分を苦しめた偽善者のために、私を造る努力はしないはず」
「…………そうよ」
「ワイアットさんが好きだから、今も紛争を解決するために、頑張ってるんでしょ?」
「……そうよ、そうよ、そうよ!」
 紅野さんは銃口を白雪くんに向けた。
「私は、あなたたちに、私と同じような道は歩んで欲しくないから! 私の手を汚すだけで終わらそうとしているのに!」
 紅野さんはそう言い、引き金を引こうとした。
「——白雪くんだけは!」
 力の入らない全身を奮い立たせて立ち上がり、私は銃弾に当たりながらも、紅野さんを突き飛ばした。
 紅野さんが地面に倒れるのと同時に、私もその場で倒れ込む。
 お腹に命中した銃弾は、私のなかにある血を全て奪った。
「……白、雪、くん」
 目の前に、白雪くんの顔がある。
 でも、私の手が届かない位置に、白雪くんはいる。
 白雪くんに触れたいのに体が動かない。
「……大好き、だよ。白雪、くん」
 この言葉を、耳元で囁きたかった。
 直接、言いたかった。
 けれども、それは叶わない——
「……楽しく、生き、てね」
 白い雪が赤く染まるなか、私は眠っている彼に言葉をかけた。
 届かない言葉を彼に伝えた。
 意識が遠のいてゆく。
 白雪くんの顔が、ぼんやりとしてくる。
 最期くらい、キスをしたかった。友だちなのか、恋人なのか、どっちなのかもわからない——
「私は、楽しかった、よ……」
 目を閉じるとき、私は白雪くんと、季節外れの雪の桜でも見たかったなと、卒業写真を撮ったカメラで雪の桜を背景に白雪くんと写真を撮りたかったなと、そう思った。