白雪くんが、みんなに集合時間を伝えてから、もうニ十分は経っただろうか。女子トイレの個室に隠れているせいで、正確な時間がわからない。
 白雪くんに連絡をしたい。でも、スマホを持っていないから連絡ができないのだ。私にはよくわからないけれど、白雪くんは、もしかしたら私のスマホは軍から支給されたものの可能性がある、と言っていた。位置情報がどうだとか、通話履歴がああだとか、それで赤染の居場所とか作戦の内容が筒抜けになったら危険だ、みたいな意味だった気がする。
 それで白雪くんは、トイレにいる私に伝わるように、大声で廊下にいる生徒や他の教室の子に声を掛けていたのだ。一応、私のスマホは池に落として故障したことになっている。みんなからのメッセージを返信しなかった理由を、私はちゃんと伝えたいけれど、白雪くんがややこしくなるから止めてくれ、と頼まれた。転校したとして生徒とは会話してくれ、とも頼まれている。
 個室から出て、私はドア越しに音を確かめた。
 ……大丈夫そうだ。
 誰もいない。
 ドアを忍者みたいに開けて、足音を鳴らさないようにしながら、私は体育館へと向かった。

「——ああ! 愛夜!」
 私が体育館に入ると、クラスメイトの妃菜(ひな)が私を指差した。
 妃菜につられるように、同じクラスの女子が私の存在に気が付くと、次々と名前を呼びながら私の下に走ってきた。
 急に連絡が取れなくなったらから心配したよ、どこの学校に転校したの、久しぶりだね、と色々な声が一斉に飛び交ってくる。これだけで私は泣きそうだった。みんなが、こんなにも心配してくれていた、と考えるだけで、私の傷ついた心が癒されてゆくような感じがした。
 一人一人に私は、スマホを池に落としちゃった、東京の学校に転校した、久しぶりに会えて嬉しいよ、と言い目を合わせて笑った。
「どうだ、久しぶりの学校は」
 白雪くんが、私にそう尋ねてきた。
「うん。嬉しいよ、ほんとうに。戻って来れるとは思わなかったから」
「辛かったら無理しなくていいからな」
「うん……ありがとね」
「ああ。こちらこそ」
 白雪くんは微笑むと、体育館にいる生徒全員に向って、
「これから赤染を含めた卒業写真を撮るから、クラスごとにまとまってくれ!」と、合図をかけた。
 私のためだけに、やってくれている、と考えると、鼓動が速くなってしまう。今の私は、白雪くんの横顔を見るだけで、頭が真っ白になってしまう。
 白雪くんは私に目をやると、「二組と三組のやつらが、真ん中に赤染が来るように空けてくれているから、そこに行きな」と言った。
「え、でも私、一組だよ?」
「いいんだよ。みんながそうしたいって言ってるんだから。この学校じゃ、赤染は有名人なんだから」
 見てみると、二組と三組が一人分、すっぽりと穴を空けていてくれた。手招きもしてくれている。ここには居場所があるんだよ、と言ってくれているようだ。
「これが島の学校のいいところなのかもな。この学年も、百五十人くらいしかいないから、みんな同じクラスも同然みたいなところがあるって……どうしたんだ? 顔が赤くなってるけど」
「……なにも、ないよ」
 私は目を隠して、溢れてきた涙を必死に堪えた。
 こんなにも優しい人たちが多くいる学校に出会えて、私は、ほんとうに幸せ者だ——
「十秒後にシャッター切るぞ」
 三脚に置いてあるカメラのボタンを押すと、白雪くんは一組の方へ走った。
 雪が降る寒い季節のなか、隣の人の肌と肌が触れあい、温かさを感じる。
 みんなで寒くならないように、協力して助け合っているかのように。
 あなたを私たちが守ってあげる、仲間なんだから、と伝えてくれているみたいで、泣かずにはいられなかった。

 全体写真を撮り終わって、そのあとは私のところに来てくれた子と写真を撮った。女子だけなのかな、と思ったけれど、男子も次々と来た。私は芸能人なのか、と疑ってしまうくらい、みんなが一緒に撮ろうよ、と声を掛けてくれた。
 全体写真を撮るのに使ったカメラが高価そうだったから、それどこで買ったの? と白雪くんに聞いたら、あのカメラは結城がいつも星を撮影するときに使っている、と言っていた。私も一度は、夜空に浮かび色とりどりな星を撮影してみたい。
 思えば私は、担任の先生にも挨拶をしていなかった。この際は、謝っていない、の方が正しいのだろうか。自分でも転校したのか、それともしてないのかがわからなくなってきた。会いたいのには変わりない。
「白雪くん」私は全体を見渡している白雪くんに声をかけた。見張りでもしているのだろうか。
「どうした?」
「あのさ、学校の先生に、会いに行ってもいいかな」
「んー」足元を見て、白雪くんは考え込む。
 パッと顔を上げると白雪くんは、「いいと思う」と言った。「学校は安全だろう。紅野みたいな生徒はいないと思う」
「だよね。学校は安全だから、みんなをここに集めたんだもんね」
「そうだ。それに一般人が多くいる。ここにいる生徒で集団下校すれば、軍のやつらは容易に手を出せないだろう。生徒が死んだら、親が必ず気が付く。どうして私の子は帰ってこないの? って。そうなれば、学校の評判は下がり、紅野の言う、作り直し、がやりにくくなるはずだ。環境が整っていないのに実験するような空っぽな頭ではないだろう」
「……要は、生徒に手を出したら自分たちが不利になるってこと?」
「そういうことだ」
「私にはよくわからないけど、大丈夫そうだね!」
「だから、先生たちに会ってくるといい。でも、なにか違和感を感じたらすぐに逃げるんだぞ。赤染の足なら逃げられるはずだ。新幹線並みの馬力があるのに、逃げられないはずがない」
「うん! じゃあ、会って来るね」
「ああ」
 今日みたいな日に辿り着くなんて、思わなかった。
 私は一生、一人で時間を過ごさないといけない、
 軍の人と戦わなければいけない、
 そう思っていた。
 でも、私には。みんながいる。
 守ってくれる、みんながいる。
 それだけで私は、胸がいっぱいだった——
 暖房の音が聞こえるほど静かで、この学校の生徒全員が入っても大丈夫そうな職員室に行き、私は担任のみなみ先生に声をかけた。
「みなみ先生、お久しぶりです」
「んんって、え、赤染さん?!」みなみ先生は、椅子から転げ落ちてしまうくらいに驚いた。「……どうして、ここに?」みなみ先生は机の上に置いてあるスマホを手に取り、誰かと連絡を取り始める。
「みんなと写真を撮りたくて。戻ってきました」
「そうか、そうなのね……」みなみ先生は私と目を合わせず、スマホに文字を打ち込んでいた。もっと、ちゃんと話したいのに。忙しいのかな。
「先生、誰と連絡しているのですか?」
「……」私を無視して、必死に打ち込んでいる。
 私は、みなみ先生のスマホを覗き込んだ。誰と連絡をしているのか、楽しみにしながら覗き込んだ。これがもしも、みなみ先生の彼氏だったら、話題が広がりそうだ。
 ——でも。
 みなみ先生が連絡している人は、私の予想を裏切った。
「……どうして、みなみ先生が、紅野さんと連絡を取ってるんですか?」
 頭の中が真っ白になった。
 どうして、どうして、と疑問ばかりが湧いてくる。
「あー、そうね……」
 みなみ先生は顔を上げて微笑むと、
「赤染さんが、学校に来てるって、紅野さんに伝えるためよ——」
 みなみ先生の言葉を聞いたとき、私のなかで大事ななにかが断たれた。
 みなみ先生が紅野さんの仲間だと気が付いたとき、私の逃げ道はすべて塞がれていた。職員室から廊下に出るための道も、外の様子が見える窓も、閉ざされている。逃げ道を塞ぐ壁は黒く、見た目からして簡単には壊せそうにない、と直感でわかった。
 どうにかして逃げないと、と考えていると、私の目の前にいたみなみ先生は、私から距離を取って銃を構えていた。他の先生も、みんな、私に銃口を向けて立っている。それも訓練された軍人みたいに。
「……先、生?」開いた口が閉まらなかった。
「——撃て!」
 みなみ先生の声が聞こえたとき、物音すらしなかった職員室が、発砲音で満たされた。銃弾が、体を貫通してゆく。私の楽しかった思い出とともに、体を貫通してゆく。不思議と痛みはない。これもきっと、私が兵器だからだろう。
 けれども胸だけは、ぎゅっと、締め付けられた——
「……ひどいよ」
 私は信じていた。
 先生たちは優しい人だって。私を守ってくれるって。
 助けてくれるって——
「……みんな、みんな、もう死んじゃえ!」
 こんな結末を迎えるなら、最初から諦めていればよかった。
 人を信じられなくなるなら、死んでしまった方が楽だった。
 でも私にはそれができない。
 したくないのだ。
 白雪くんと生きたいから、友だちとまだ、生きていたいから——
「……先、生」
 あっという間だった。
 私が、先生たちを殺してしまうのは。
 みんな、血を出して倒れている。
「……あ、あ、あ、あああああああああああ!」
 私の心はぐちゃぐちゃだ。
 生きたいから殺してしまい、殺してしまって泣いている。
 どうすればいいのか、自分でもわからない。
 ——ふと、
 私は亡くなってしまった先生たちを、食べたいと思ってしまった。
 口の中が湿り、頭から血の匂いが離れない。美味しそうだと、そう思ってしまう。
「……ダメ、絶対に、ダメ……」
 現実から目を背けるように蹲り、私は耐え続けた。
 人は食べものじゃない。私と同じ、人間なんだと言い聞かせ、暴れ出しそうな舌を噛み続けた。