二学期が始まって一週間が経過した。一学期と変わらず読書しているクラスメイトもいれば、友だちと集まって雑談している人もいる。でも、俺にとって、二学期の学校生活に違和感しかなかった。クラスメイトが一人いなくても、何事もなかったかのように生活を送るクラスメイトたちが不思議だ。
「よ、白雪」結城が登校してきた。
「お、おはよう」赤染の席から、俺は目を逸らした。
 結城はバッグを机のフックに掛けると、「朝から浮かない顔してるけど、どうした?」と訊きながらペットボトルの蓋を開け、なかに入っているカルピスを一気飲みした。「飲むか、一口」
「いや。大丈夫……」
「ん? どうしたんだ? 困ってそうな顔をしてるけど」
「別に困ってはないんだ……」言おうか言わないか迷った。が、言うことにした。
「結城は赤染について、なにか知ってるか?」
 そう、赤染が学校に来ないのだ。
 夏休みに海に行って以来、赤染と連絡が取れなくなった。赤染の連絡先が削除されたわけではないが、ラインを送っても返信が来ないのだ。もちろん、既読もつかない。
「んー、赤染かー」結城は悩んだ末に「悪いな、なにも知らない」と答えた。
「赤染、学校に来てないから」
「確かに、珍しいな」今まで気が付いていなかったような口振りだった。「赤染が風邪をひくなんて聞いたことがない。あの体力お化けの体に入る菌はバカだな」
 あははは、と結城は一人で笑った。
「もし気になるなら家庭訪問でもすればいいんじゃないか?」
「……そうだな」ここからどれくらい歩くかわからないが、その手は有効かもしれない。
「え、ほんとうに行くのか? マジな顔だけど」意表を突かれたのか、結城はきょとんとした。
「ああ。誰も知らなかったら行く」
「赤染の家って確か、ここから歩いて三時間くらいかかるぞ」
「それでも行く。心配だからな」
「すごいな……」結城は黙り込むと、「お前のなかじゃ、赤染はただのクラスメイトじゃないってことだな」と言った。
「なんで嬉しそうな顔してるんだよ」
「あの勉強しか頭にない白雪が変わった、と思うと嬉しくてな」
 俺から逃げるように結城は教室のドアに向かうと、「俺は応援してるぞ!」と大声を出し、教室から出て行った。まったく。注目の的になるような言動は辞めて欲しい——
 昼休み、それから放課後を使って、赤染の安否について聞き込みをしたが成果は得られなかった。赤染と仲良くしているクラスメイト、それから、担任でさえも赤染の状況について知らなかった。みんな俺と同じく、連絡はしているみたいだが、返信が来ないようだ。赤染のことだから、スマホを川に落として音信不通にでもなっているのだろうか——
 生徒会が終わったあと、俺は、すぐに帰り準備を整えて学校を出た。
 帰り道にコンビニへより、栄養ドリンクを買って、担任から聞き出した情報を頼りに、赤染の家へと向かう。
 いつもの帰り道、赤染と別れる看板の下で、右には行かず左に行こうとすると後ろから声をかけられた。
「あれ? 白雪くん、今日はそっちに行くの?」
「……紅野」
 声をかけられるまで、紅野の存在に気が付かなたっか。
「ああ。今日はこっちに行く」
「どうして? なにかあったの?」
「これから赤染の家に行く」
「あー、赤染さんね……」
 紅野は、ふふふ、と不気味な笑みを浮かべると
「赤染さんは、引っ越したよ」
 と言った。
「だから、家に行っても誰もいないわよ」
「……引っ越した?」
 信じられなかった。あまりにも唐突過ぎる。
「そう、引っ越した。それも夏休みの途中で。転校ってことかな」
 紅野は誰も知らなかった赤染の情報を赤裸々に話した。
「理由までは知らないけど、きっと、親の事情で引っ越しでもしたんじゃないのかしら。だから赤染さんの家に行っても、意味ないわよ」
「……」
 急遽、赤染は転校することになったから連絡を返さなくなったのか。自分で節目を作るために、赤染はわざと返信していないのか。
 ……違う。
 それは違うだろ、と今までの記憶が訴えてくる。
 もしも転校することになったら、赤染はみんなにそのことを伝えるだろ。同じ学校じゃないけれど、これからもよろしくね、と必ず言うだろう。赤染は絶対、みんなが心配するようなことはしないはずだ。
「そんなはずがない」
「んん? どうして?」
「赤染なら連絡するはずだ。みんなに心配をかけるような真似は絶対にしない」
「あらそう」冷めたような口調で紅野は言った。
「それにだ」
 紅野は虚言癖がある。
 一緒に下校したとき、紅野は突然、俺にキスをした。それも赤染から意識を逸らすためだとか言って。そんなことをする紅野が、ほんとうのことを言っているとは思えない。挙句の果てには、赤染は人造人間だ、なんて小学生でも信じないような作り話を平気でする人間だ。
「俺は、紅野が嘘をついているようにしか思えない」
「なんでかしら?」不思議そうに首を傾げた。
「前に紅野は、赤染から意識を逸らすためにって、俺に突然キスをした。これにはなんの意味があるんだ」「……」「それに、赤染が人造人間だなんて誰が信じられるか。赤染は、人間だ。どこにもロボットらしい素振りはなかった」「……そうね」
 紅野は説得するのを諦めたかのように微笑むと、「じゃあ行ってらっしゃい。赤染さんはいないから」
「そうさせてもらう」
 俺は立ち止まる紅野に背を向けて、赤染の家に向った。
 何度も山道を抜け、傾斜のある上り坂を歩き終わったとき、小さな村みたいな場所に出てきた。山の平地に住宅を建てたようなところだ。そんな田舎っぽい立地とは裏腹に、建てられている住宅は洋風だった。家から出てくる人を見ると、みんな若く、俺のイメージしていた村とは少し違った。
 砂利道を歩き、担任に渡された紙を見ながら右往左往としていると、赤染の家らしきところに辿り着いた。前に赤染は、一人暮らしだと言っていたが、家の大きさが割に合っていない。外壁のなかに広がる庭を見ると、映画やドラマで家の庭をパーティー会場にしている金持ちの学生を連想させる。
 間違えていないのかをもう一度確認したあと、俺はインターホンを押した。
 だが、返事はなかった。
 念のためにもう一度、インターホンを力強く押した。もしかしたら、さっきのは、ちゃんと押せていなかったのかもしれない。
 けれどもやはり、返事はなかった。
 ひょっとして、赤染は寝込んでいるのだろうか。
 しばらく待ったあと、もう一度インターホンを押せばいい——
 そう思ったとき、「おーい、そこの人」という声が聞こえた。誰に声をかけているのだろうか。声がした方に向き、その人を見る。どうやら赤染の隣人らしい。赤染の住まいの隣にある家からこちらに向かってきた。
「なにをしてるのかな」筋肉が隆々としている男性は首を傾げると、「そこは俺の家だけど」と言い、「もしかして前の住人かい?」
「……いや、違います。あれ……」担任から渡された紙を再度確認した。間違えていない。ここは赤染の家だ。「この家に赤染さんが住んでると訊いたのですが」
「……あー!」男性はなにかを思い出したかのように目を見開くと、「君は赤染さんの友だちか」と言い、「赤染さんは引っ越してるはずだよ」
「……え」
「確か夏休み中だったかな。この家が空いたのは。ずっと前から住みたかったんだよ」男性は笑うと、「じゃあ散歩するので、これで失礼します」と言い、ポケットからスマホを取り出すと、どこかへ行ってしまった。
「ほんとうなのか……これ」
 信じられなかった。
 信じられないのではなく、信じたくないのかもしれない。
 あの男性は、赤染の家を自分の家だと断言した。赤染は一人暮らしのはずだが、クラスメイトに内緒で、身内と一緒に住んでいるのだろうか。それは違うだろう。隠す理由に見当がつかない。
 だとしたら赤染は、ほんとうに引っ越してしまったのだろうか。誰にも別れの言葉を告げることなく、この島を去ってしまったのだろうか。でも、それはあり得ない。赤染なら必ず、みんなに別れの言葉を伝えてから転校するだろう——
 そして次の日、朝のホームルームで担任は言った。
 ——赤染さんは転校した。
 親の都合で、本島に戻られたと。
 俺も含めクラスメイト全員、息を呑んだ。信じられないと。あり得ないと。でも、信じるしかなかった。