[長編]隣の席の袴田くん、死んで神になったらしい。

「誘い……?」
「南雲の彼らが持ち掛けてきたんです。僕が岸谷さんに『北峰の生徒が袋叩きに遭った』と連絡し、伝えた場所におびき寄せるが、行ったら誰もいなかったというオチをつけた些細なドッキリ。逆らえなくて、言われた通りにしました。でも岸谷さん、おびき出した場所で僕を見た途端、驚いた顔をしていて……そのまま南雲の人たちに連れられて行ってしまったんです」
「……そこまで見て、本当に岸谷くんが南雲と繋がっていると思ったの?」
「……疑ったところでどうすればいいんですか? 彼らが岸谷さんの名前を出さなければ、僕は話したこともない先輩を疑って、恨むことさえなかったんです。それくらい岸谷さんの名前は、力のない僕にとって恐怖の象徴なんですよ。……彼がどうなって帰ってきても構いません。僕にとってあの誘いは賭けで、復讐だったんですから!」

 今まで彼が黙っていた重荷をすべて投げつける勢いで訴えられる。悔しそうに顔を歪め、呼吸をするもの辛そうに見えた。
 私は答えられなかった。怪我までして、顔見知りの誰かを差し出すような真似をして、それでも認めてもらえない。許してもらえない。
 自分が、許せない。
 だから彼はこの機会を利用して復讐しようとした。岸谷くんを呼び出し、憎い相手に差し出したのだ。後は勝手にお互いで潰し合えばいい。自分がこれ以上痛い思いはしない。
 彼の計画は、雑だからこそ完璧に見えた。

「じゃあ、なんでそんな顔してんだよ?」

 袴田くんが彼の前に来て同じ目線になるように屈んで問う。
 船瀬くんは目の前にいる人物がわからないのか、疑わしく目を向ける。それでも袴田くんは彼の目をじっと見て、さらに続けた。 

「岸谷が南雲の奴らに連れていかれて、三日間も帰ってこない。その事実だけで復讐は達成したもんだ。自分の手を汚さずに終えることができるなんて、これ以上喜ばしいことはねぇだろ」
「……そうですよ。僕は、岸谷さんに復讐を――」
「だったら笑えよ、ほら」

 両手を船瀬くんの頬に持っていき、頬を上へ押し上げて無理やり笑みを作らせる。ぎこちないその顔に、袴田くんは鼻で嗤った。

「くはは、変な顔。ウケる」
「ちょっと、何やって……」
「復讐できたんだろ? 笑えよ。……それができないのは納得していないってことだぜ」
「何を、言っているんですか?……僕は復讐したんです」
「どう見てもお前はこの結果に満足していない。相手が元凶じゃないと分かって今更後悔してんだ。復讐ってのは、自分の手でやり返さないと意味がねぇんだよ」
「自分の、手で……」
「お前が一番仕返しをしたかった奴は誰だ?」

 袴田くんの言葉に、船瀬くんは唇を噛み締め、強引に作られた笑みが崩れて大粒の涙が溢れた。
 意外だった。船瀬くんの心理を言い当てたことより、袴田くんが寄り添うように誰かに接する光景を今まで見たことがなかったからだ。
 それと同時に、腑に落ちもした。復讐を否定も肯定もできない私には、彼らの考えを理解してあげられない。自分を殺した人物を自らの手で死に追い込む袴田くんだからこそ、寄り添えたのかもしれない。
 特に袴田くんには、「次」がないのだから。 
 私は泣き続ける船瀬くんの、怪我をしていない左手にそっと触れる。

「私も噂が広まって孤立した人間だから、周りの目が怖いのは分かる。でも周りを見渡していないだけで、話を聞いてくれる人はちゃんと近くにいるんだよ」
「……僕なんかの話を、信じてくれる人なんて」
「いるよ、ほら」

 バタバタとコンクリートを蹴る音が近づいてくる。それからすぐにコンテナの裏から、佐野さんと一年生らしき男子生徒が駆け寄ってきた。
「井浦ちゃん、すっごい音したけど……って、淳太!? どうしたの!?」
「佐野、せんぱい……?」
「中庭の騒ぎが落ち着いて、二人がいないことに気づいたの。彼も淳太のことを捜してたから一緒にいたんだけど、こっちの方向にガッシャンって大きな音が聞こえてきたから慌ててきたの」
()(なか)まで……」
「船瀬が日に日に顔色悪くなっていくから気になって。…‥って、こんなことは後で耳にタコができるまで話してやる! 俺、保健室の先生を呼んできます!」

 やきもきした様子で野中と呼ばれた一年生は颯爽と職員室へ向かって走り出す。聞けば船瀬くんと同じクラスの生徒らしい。赤く滲んだカーディガンを見た彼が、一瞬で青ざめた顔をしたのを見て、船瀬くんが申し訳なさそうに目線を落とした。
 すると、袴田くんが船瀬くんの頭をわしゃわしゃと雑に撫でまわした。突然のことで船瀬くんは顔を上げて周りを見渡すけど、不思議な顔をして私に聞く。

「い、今頭撫でたの……井浦先輩ですか?」
「えっ……あ、え?」
『井浦、後はよろしくー』

 袴田くんはそう言ってスッと消えてしまう。船瀬くんに袴田くんの声は聴こえておらず、誰が頭を撫でたかもわかっていないようだった。全部投げっぱなしで行ってしまうなんて、少し見直していた気でいたけど訂正しよう。やっぱり袴田くんは袴田くんだ。
 その間に佐野さんは船瀬くんのカーディガンとワイシャツを容赦なく開けた。雑に巻かれた包帯の下は、見るに堪えないほど赤く腫れており、叩きつけられた衝撃で傷が開いて出血していた。素人でも分かるほど、治療を受けていないことは明白だった。

「これ絶対病院行ってないでしょ! 腕だけじゃないし、お腹も痣だらけ……あと痛いところは? 自己流で手当てするなんてありえない、やるならちゃんとやりなさいよ!」

 傘泥棒のときよりも怒った様子で、佐野さんは持っていたハンカチを傷口に当てる。船瀬くんが何か言おうとする度に「はぁ?」と睨まれるので、すっかり萎縮してしまった。

「この間、私言ったでしょ。『できるだけ助ける』って。さっきは逆に助けられちゃったけど」
「……助けたわけじゃないです。結局先輩たちを騙して、いろんな人に迷惑をかけて、罪悪感でいっぱいだったんです。僕なんか……」
「そうやって自分を下げないで」

 塞ぎ込んだ船瀬くんの左肩を掴んで顔を向けさせると、佐野さんは彼の目を見据えた。

「罪悪感とか迷惑とかよくわからないけど、誰もが怖くて見てるだけだった状況で、真っ先に助けようとしてくれたのは淳太だけだった。逃げてもよかった場面で庇うことを実行したアンタは、この学校で一番格好良くて強いよ。私はまた、淳太に助けられちゃった」
「また……?」
「アンタのスマホ、カバーに星のシールが貼ってあったでしょ。自分の目印にしてるのかな。中庭で散らかした荷物にも貼ってたね。……私がいつも持ち歩いているビニール傘にも、同じ星のシールが貼ってあるの」
「……あっ!」

 驚いて涙が止まった彼の頬にそっと手を添えて、佐野さんは笑った。

「お願いだから、僕なんかって決めつけないでよ。私が寂しいからさ」
 岸谷くん失踪事件は、ものの数十分で急展開を迎えた。

 まず職員室で連絡を待っていた先生と警察に、事情を説明したうえで船瀬くんから南雲の生徒とのやり取りしたメッセージの履歴と、自分が本当に危ないと思ったときに、切り札として隠し持っていた脅されている最中の様子を録り溜めていたボイスレコーダーをすべて渡した。
 警察はすぐさま南雲第一高校に向かい、そこで関わっていたとされる生徒から、岸谷くんのスマホが見つかった駅近くにあるトランクルームに監禁されていることが分かった。
 急いで警察がトランクルームに駆け付けたと同じ頃、保管されている一番奥のトランクルームから何かが落ちる音が管理室にまで聞こえた。不審に思って行ってみれば、片方の扉が半壊したトランクから、ボロボロの恰好をした岸谷くんが自ら歩いて出てきたという。中で拘束されていたのか、千切れたロープが散らばっている他、見知らぬ男性が複数名が倒れていた。警察の調べで、彼らは近くの大学生でアルバイトとして金で雇われたと話しているという。雇い主は未だわかっていない。

 自分に捜索願いが出されていたことに驚いた岸谷くんは「そんな大袈裟な……皆、良い奴らなんですよ」と嬉しそうに自慢話が始まったそうで、事情聴取をした警察官は呆気を取られていた。

 船瀬くんはというと、あの後すぐに病院へ連れていかれ、全身打撲と全治三ヵ月の右腕の骨折、最低三ヵ月は絶対安静と診断された。骨が折れた状態で今まで学校に行き、アルバイトをこなしていた事実を病院側に話すと、お灸をすえてもらったらしく、連れ添った佐野さんが満面の笑みを浮かべているその隣で、げっそりした顔の船瀬くんがいた。もちろん、運動とアルバイトはしばらく禁止だ。

 そして、船瀬くんが受けてきた暴行、恐喝を含めたこれまでの行動について、南雲第一の校長と理事長が直々に謝罪に来たのは、騒動が起きて二週間も過ぎた頃だった。遅すぎる、という声も上がる中、似通った騒動は何年も前から起こっていることもあって今更なぜ、というスタンスでいた校長が、今回の岸谷くん失踪――ではなく、監禁事件まで発展したことで重い腰が上がったようだ。噂では、話を終えた両校の校長は頭を抱えているらしい。
 そうして、長かった梅雨がようやく明けた。
 降り続けた雨が嘘のように、日差しの強い太陽が空に浮かんでこちらを見下ろしている。屋上のコンクリートからじりじりと陽炎が見えるのも、この時期ならではの現象だ。
 北峰の制服も夏服に完全に移行し、多くの生徒が半袖のワイシャツに夏用スラックス、スカート姿のなか、袴田くんの冬服姿はよく目立った。幽霊(仮)に季節は関係ないらしい。

「袴田くん、暑くないの?」
『全っ然! そんなに暑い?』
「本格的な夏じゃないけど……今日は日差しが強いかな」
『ふーん。そんなもんか』

 そう言って袖を捲りながら、お気に入りの給水タンクの上に登っていく。気温が感じにくいとは聞いていたけど、気分で合せようとしたのかな。

『そういや井浦、定期テストどーすんの? あと一週間切ったぞ』
「う……な、なんとかなるって!」
『ま、そん時は誰かがテスト中に乱入してくるのを願っとけ』
「乱入って……さすがにしないでしょ。」
『いやいや、またフェンスに穴開けて入ってくるって! なんていったって監禁されても一人で脱出した岸谷と、大男を手懐けた井浦がいるんだからな!』

 袴田くんは嫌味を込めた、清々しいくらい爽やかな笑みをこちらに向ける。
 そう、失踪事件の時に暴れていた大男――改め安藤くんをかなり強引に静めたことによって、私の印象がまた更に悪化した。以来、安藤くんと廊下で会うと必ず会釈される。対応が困るからやめてほしい。
 ただ、あの一件のおかげで良いこともあった。
 あの後、野中くんが連れてきた保健室の先生と一緒に応急処置をして船瀬くんが動けるまで回復したのを見計らって中庭に戻ると、私が放ったらかしにしたペットボトルを佐野さんの友人たちが回収してゴミ袋にまとめてくれていた。
 それを見て一番驚いていたのは、私ではなく佐野さんだった。

「皆……なんで?」
「単なる気まぐれ。……にしても井浦さんのクラス、溜めすぎじゃない? イカダでも作る気?」
「ってか、この量を一人で持って行こうとしてたの? さすがに無理があるって」
「……どうして」

 この状況がいまいちわかっていない私と佐野さんに、彼女たちは言いづらそうに視線を逸らした。

「あの時は正直、ヤバい奴って思ってた。由香は何でも信じちゃうし真っ直ぐだから、どうしても話を食い違っちゃうこともあって。今回もすぐ仲直りできるって軽く見てたんだけど……二人がいるところ見てて普通に話してるから、『あれ? 案外良い子なんじゃない?』って皆と話したの」
「さっきの安藤を止めたの見て、納得した。由香が仲良くなりたがるわけだ!」
「ごめんね、二人とも。噂だけで決めつけたりして」 
「みんなぁ……」

 彼女たちの言葉に佐野さんが目を潤ませ、そのまま彼女たちに飛びついた。一週間という、彼女たちにとって長い絶交期間は、ようやく晴れ間を見せることになった。

 私は私で、ペットボトルを片付けてくれたことに礼を言うと、「だったら今度のお昼一緒に食べよう」と誘ってくれた。その日から、昼休みは佐野さんと彼女たちの輪に入れてもらうことが多くなり、誰かと話しながら食事をするのが純粋に楽しいと思った。これも佐野さんのおかげだ。
 ただ、この現状に納得できないのが一人――隣にいる袴田くんが、ここ数日、何か言いたげな目でこちらを見てくる。

「……なに?」
『井浦はもっと俺に感謝してくれたっていいんじゃねぇの?』
「それは安藤くんを手懐けた噂が広まったこと? それとも船瀬くんを助けてくれたこと?」
『どっちもだけどさ、もっとあるだろ? 佐野と仲良くなれたこととか! そもそも、俺が佐野の傘を盗んだ奴を見てなかったら、今頃こんなことになってなかっただろうし!』

 ふざけていたくせに、と皮肉を言うと、袴田くんは口をとがらせてわかりやすく拗ねた。
 確かに袴田くんがいなければ、きっと卒業しても佐野さんと仲良くなることはなかっただろう。
 結局、私はまた彼に助けられたのだ。

『お前なら言えるはずだ、「袴田くんありがとう」って言ってみろよ』
「……また今度ね」

 助けられたことには感謝しないといけない。が、しかし。こんなに腑に落ちないのはなぜだろう。
 隣で騒がしい彼の声の後ろで、屋上から見えるグラウンドには運動部の掛け声が反響して聞こえてくる。最近の忙しさから解放されたせいか、乾ききっていない土のへこんでできた水溜まりが、とても眩しく見えた。

 第二章 雨の日に降る星   〈了〉
「お願い! 井浦ちゃんだけが頼りなの!」

 夏休み直前のある日、朝早く隣のクラスからやってきた佐野さんが私の席にくるなり、勢いよく頭を下げてきた。
 傘泥棒の件がきっかけで、彼女とその友人たちと一緒にいることが増えたものの、周りでは「井浦が脅している」――どちらかといえば脅してきたのは佐野さんの方だが――と噂話が絶えない。しかし、高校三年生という最後の年に不良と関わっていることが広まってしまって以来、深く考えないようにしていた。考えている余裕も、そのたびに突っ込む気力も失せたのだ。

「井浦ちゃんが人と関わるの苦手だってわかってるけど、本当に人が足りないの!」
「わ、分かったから、とりあえず顔を上げて……?」

 そんな私を前に佐野さんに頭を下げていることに、教室にいるクラスメイトの大半が、物珍しそうにこちらを見ていた。
 何でも、町内会が主催の夏祭りが決まってお盆の期間中に行われており、屋台はもちろん、ステージ上での小中学生のパフォーマンスやカラオケ大会、景品が当たる抽選会など、内容が盛りだくさんで毎年好評の行事がある。特に北峰高校のグラウンドで行われていることもあって、ここ数年で企画段階からわが高校の生徒会が関わっていた。実際、秋に行われる文化祭で出店する屋台の出し物の練習として、夏祭りに出すクラスや部活動も少なくはない。売り上げはその年の文化祭費用として使われることになるので、生徒にとっては一石二鳥だ。
 しかし、今年はあろうことか町内会の人員が減ってしまい、屋台の数も人員も足りなくなってしまったため、急遽生徒会がボランティアとして参加生徒を募集することになった。佐野さんもその一人で、なかなか集まらなくて困っているらしい。
「文化祭で出し物がないクラスからかき集めてこいって言われてさ、井浦ちゃんどうかなって」
「はぁ……」

 確かに私がいるクラスは文化部に所属している生徒が多く、夏休みが明けた後に控えている文化祭が最後の活動になる。さらに夏の大会で引退した運動部も後輩の手伝いだと言って、クラスで行う出し物には一切関わろうとはしなかった。
 話し合った末、今まで授業で作ってきた創作物を壁一面に飾って、休憩スペースを作るということで一致した。特にその場にいる必要もないため、生徒は部活の出し物や自由行動に専念できる。
 元から部活に入っていない生徒にとっては関係のない話だ。

「佐野さんも大変だね」
「そうなの! だからお願い、私と一緒にかき氷売って!」

 話を聞く限り、夏祭りのボランティアの仕事は担当場所によって異なるが、食材は生徒会が発注済み、夏祭り前日にテントと機材を揃える程度で、特に大きな作業はない。それに佐野さんから頼みを断る理由もない。

「い、いいよ。……私で良ければ、だけど」
「大歓迎! ありがとう、井浦ちゃんのおかげでノルマの十人達成!」

 佐野さんがホッと胸を撫で下ろす。生徒会のノルマが厳しすぎる!

「やっぱり部活のほうに行っちゃう人が多いのかな?」
「そうね。でもしょうがないよ。特に()()とか」

 美玖とは、いつも佐野さんと一緒にいる友達の一人だ。名字が(やま)()という、周りによくいる名字であることから「名前で呼んで。さん付けはダメ!」と逃げ道を塞がれて以来、私は美玖ちゃんと呼んでいる。軽音楽部でベースを担当していて、一度だけミニライブを見せてもらったことがある。黒髪のストレートボブに猫目のきりっとしたクールな印象を持つが、演奏後に見せた嬉しそうに笑った表情が一番輝いていた。確か軽音楽部も夏祭りに催し物としてステージに立つと聞いた。

「そういえば美玖ね、今年の文化祭のミスコンに出るよ!」