当時人質として店内に残っていた従業員は、テレビの取材に当時のことをこう語った。
「急に男の人が駆け込んできたと思ったら、近くにいた北峰高校の生徒さんの腕を掴んで『動くなーっ!』って叫んだんです。学生さんの首にナイフを突きつけていたので、私たちは言われた通り、商品棚で出入り口をふさいだあとはカウンターに集められて、他のお客さんと一緒に互いの腕をガムテープで拘束されました。
交渉が続く間、男はずっと学生さんにナイフを向けていました。時間が経つにつれ、話が思うように進まなかったのか、男は苛立ちから彼女を突き飛ばしたんです。
私たちの方には背中を向けていた状態だったので、この隙を狙って人質総出で男に身体当たりをしました。その時男が暴れ、ナイフを振り回したのですが、手から離れて学生さんの腹部に刺さって……。お客様の悲鳴と、男の雄叫びがきっかけで警察が突入してきて確保となりました。
今でもぞっとしますよ。運が悪かったとしか言いようがない。
そういえば、倒れた彼女の近くに、黒いローブを羽織った人がいたんですよ。顔までは見えなかったけど、金髪でした。身体格的に男性……いや、高校生くらいだったかな?
その人、彼女の方をじっと見ているようでした。彼女は傷口を押さえながら、その人に向かって何か言っているように見えましたね。嬉しそうに泣きながら笑ってて。あれは走馬灯でも見ていたのかもしれませんね。……ああ、縁起が悪いですね。ここはカットしてください。
それにしてもその人、不思議なんですよ。あんなに近くにいたのに、私以外、誰も気付かなかったみたいなんです。くははって変な笑い方まで聞こえたのに。……私の見間違いですかね?」
袴田くんが亡くなって二ヵ月後の春。私は無事に進級し、三年生になった。
屋上はフェンスの貼り換え工事が入ってしばらく立ち入り禁止とされていたが、新学期早々にまた解放された。今後は定期的にメンテナンスを実施するらしい。
『あー……良い天気だなぁ』
屋上に来て早々、袴田くんは給水タンクの上に登って大きく伸びをした。
どうやらその場所が気に入ったらしく、いつの間にかそこにいて、屋上から見える景色を独り占めしている。相変わらず金髪と黒の二連ピアスの目立つ容姿の彼に気づく人は、私以外誰もいない。
『そういや、最近岸谷の奴見てねぇな』
「ちゃんと授業受けてたよ」
『お? 真面目クンに戻ったか?』
あの件以来、岸谷くんは変わった。不良の中でも学校に迷惑をかけないよう、少しでも内申点を上げようと頑張っている。以前と比べて表情が柔らかくなったとの声が上がり、先生たちは驚きを隠せずにいた。
また、ファンクラブに関しては「岸谷本人と周りの人間に迷惑をかけなければ良し」と公言し、活動を制限させていった。それでもたまに睨まれるから何とかしてほしい。
『アイツは喧嘩に入ってくるような奴じゃねぇ。ちょっとした反抗期に、厄介なところまで足突っ込んじまっただけだ』
「もしかして、岸谷くんのことをずっと気にしてたの?」
『俺が? んなわけねぇじゃん。だって俺、人を最悪な終わり方に仕向けた奴なんだぜ?』
袴田くんはそう言ってケタケタと笑う。その屈託のない笑みからは、どこかスッキリしたようにも見える。それでも私は笑えなかった。
――笑えるはずがない。コンビニで起こった立てこもり事件で撃たれた彼女は今、ここにいない。彼は本当に復讐を実行したのだ。
『……言っとくが、お前らが何をしたって結果は変わらなかった。そんなに深く考えんなよ』
私が考え込んでいると思ったのか、袴田くんは給水タンクから降りてくると、私の頭に手を置いて微笑んだ。今はこの笑みが恐ろしいとさえ思ってしまう。
あの時、無理やりでも金縛りを解いて袴田くんを止めていたら、こんな結果にはならなかったかもしれない。――いや、彼の言う通り、きっと私が止めに入ったとしても、彼は変わらない。自分を殺した相手への復讐は、どんな手を使っても必ずやり遂げたはずだ。執念深く、力を持つからこそできた復讐劇を、悲劇として語るにはどろどろと醜いものになってしまった。
彼が手をどけると同時に、いつも通りのチャイムが校内に響く。
『あれ? 授業いかねぇの?』
袴田くんが柄にもなく首を傾げて聞いてくる。
あの時のように、私の席に菊の花は置かれていない。もう教室には何も恐ろしいものはない。それでも、私の今の状態では授業を受けたところで何も入ってこないだろう。
私は黙って首を横に振ると、給水タンクの裏に向かった。なんだかんだで私もその薄暗い場所が落ち着く。
すると、早咲きで舞ってきた桜の花びらが頬をかすめた。花びらの他にも、形が崩れずに風に乗ってきた一輪の桜が地面に落ちることなく、ゆらゆらと袴田くんの方へ向かう。
それが彼の手のひらに収まると、桜の花は一瞬で黒い塊となり、ボロボロと崩れて消えていった。
『……あーあ。散った花には何の罪もねぇのに』
くはは、とあっけらかんとした口調で彼は自虐する。
それに反して今にも泣きそうな顔をしていて、思わず手を伸ばそうとして止まった。
手を伸ばしたところで、彼に何を言えばいい?
あれだけ彼を助けたいと綺麗事を並べたのに、私は助けるどころか、命を吸い取って生きる死神にしてしまったのではないかと、後悔の念に駆られる。
快晴の空を見上げる彼の姿がとても禍々しく見えてしまう。――それだけが心残りだった。
第一章 隣の席の不良くん 〈了〉
ある事故で帰らぬ人となってしまった「最強の不良」――袴田玲仁。
死んでしまってはどうしようもないと、当時隣の席だった私は彼のことなどどうでもよかった。所詮は赤の他人で、あまり関わっていない人物だったからだ。
そんな冷めた目でいた私は今――。
『そういえばこの間、テスト監督のセンセーのヅラを動かして、井浦に向かって蛍光灯の光が反射するようにしたんだ。気付いたか?』
「……さすがにテスト中は無理だよ」
あろうことか、死んだ彼に付きまとわれている。
無事に三年生へ進級した私は、相変わらず窓側の隣の席に座っていた。
進級してもクラスメイトの顔ぶれは変わらないのはともかく、何度席替えしても同じ席になるのは、一種の呪いではないかと疑ってしまう。原因である袴田くんに問い詰めれば『授業中に話しかけられないじゃん』と笑った。犯人が確定しても席は変わらないのだから、放っておくことにする。
さて、季節は長い長い梅雨に入った。連日傘を持って登校していても、たまに晴れたかと気を抜いた日には、帰宅する時間帯に突然降り出すこともある。そこで頻繁に現れるのが、普段から持ち歩かない生徒による傘の盗難被害だ。
今日は朝から、隣のクラスの女子生徒がビニール傘を盗られたと大騒ぎしていた。こちらのクラスに仲が良い友人がいるようで、ホームルームが終わってすぐ駆け込んできては延々と愚痴っている。
ビニール傘なんて、名前を書いたところで見た目はすべて同じだろうに。
『んー……あ、あれか。昨日の放課後、茶髪で腰にチェーンつけてる奴が適当に傘盗んでたな。確か安藤って名前だった気がする。井浦、俺の代わりに言っといてよ』
「面倒なことに巻き込まれそうだから絶対イヤ」
窓側の席に座っている袴田くんが不貞腐れながら言う。つまらなさそうに窓の外を見ているのは、連日降り続ける雨のせいで屋上に行けなくて拗ねているからだ。物体をすり抜けてしまう幽霊(仮)の彼がどうやって雨に濡れるのか、今度聞いてみよう。
いや、そんなことより犯行現場を見てたなら止めて欲しい。名前も知ってるなら、袴田くんの友人確定じゃないか。
「ねぇ、後ろの席でボソボソ喋ってる子、もしかして知ってるの?」
騒いでいる女子生徒――佐野さんの鋭い視野が私の口元を捉えたのか、ずかずかと席に近付いてくる。毛先を遊ばせた茶髪、校則ギリギリの派手なメイク。目の前で仁王立ちの彼女を見て思わずうわぁ、と声を漏らしそうになった。人を見た目で判断すべきではないことはわかってはいるけど、どうしても彼女の方が傘を盗んだ側の人間なのではと疑ってしまう。
「コンビニでよく売っているビニール傘に、星のシールが貼ってあるんだけど見てない? それとも、私が傘ごときで騒いでいるのに呆れてたの?」
「そ、そういうわけじゃなくて、えーっと……」
横目で隣の席を見れば、袴田くんは大きな欠伸をして窓の外を眺めていた。
本当にコイツは……!
「……怒らないからさ、見たことがあるかだけ教えてくれない?」
私が想像していた以上に怯えていたのか、佐野さんは顔をしかめながらも、少しだけ優しい口調で問う。怒り任せで話すような人ではないのだろう。
「……び、ビニール傘なんてどれも一緒だし、それかどうかわからないけど、昨日の帰りにチャラそうな男子が使ってた……みたいな?」
「はぁ? 顔知ってんじゃん。犯人炙り出すからちょっと来てよ」
「え、はぁ!?」
『くははっ! 井浦ドンマイ!』
佐野さんは私の腕を掴んで教室から引きずり出すと、次々に他のクラスの教室に顔を覗かせてどいつだと聞いてくる。先程まで仏頂面で机の上に張り付いていた袴田くんは一転し、ニヤニヤと笑みを浮かべて後を着いてくる。
「ねぇ、ホントに顔見たの?」
「ぐぇっ!」
彼女がワイシャツの襟を掴んでじっと睨みつけてくる。アイプチで貼り付けた二重の瞼に、綺麗に重ねたつけまつげがじりじりと距離を詰めてくるのは、想像以上に迫力がある。
だからといって全く関係のない人を示して濡れ衣を着せるのは絶対違う。
焦って困惑する私を見て、しばらく腹を抱えて笑っていた袴田くんが私の腕を取ると、ある方向を指さした。
そこには教室の後ろで先程から騒いでいる男子生徒のグループがこちらを見ている。その中に袴田くんが見かけたという、茶髪で腰にチェーンをつけている男子――安藤くんの姿があった。
昨年ごろ、後輩にカツアゲしていたことが発覚して、袴田くんにコテンパンにやられたと聞いたことがある。その後はしばらく大人しくしていたが、進級して早々に新入生を脅していたなど、噂が後を絶たない。とにかく良い噂は聞いたことがない。
今もすごく嫌な予感がして手を下ろした矢先、彼らがまとまってこちらにやってきた。
「いきなりこっち指してきやがって、何か用かよ?」
「ヒッ! ご、ごめんなさい!」
「オイ、コイツ……二組の井浦じゃねぇか? 袴田と同じくらい強いっていう」
グループの一人が思い出したように言う。
そのふざけたガセネタはどこから出てきたのだろう。私の喧嘩レベルはダンゴムシ程度だ。
安藤くんが目の前にやってきて、品定めするように私を見ると鼻で嗤った。高校三年生で一九〇センチという体格から滲み出る彼の迫力は、まるで巨人を相手にしていると錯覚しそうだ。
「――ちょっと、話があるのはこっちなんだけど」
すると、佐野さんが私を押しのけて間に割り込んできた。二十センチ以上も身長差がある安藤くんを恐れることなく、最初に私を疑ってかかった時のように安藤くんを睨みつけた。
「私のビニール傘が盗まれたんだけど知らない? さっさと返してほしくて探してるんだけど」
「知るかよ。ビニール傘なんてどれも一緒だろ」
「アンタにとっては一緒かもしれないけど、私にとっては大切なの! 何か知ってるならさっさと教えなさいよ!」
「うっせぇな!」
次第にヒートアップしていく二人を見て、周りにいた無関係な生徒たちがオロオロし始めた。殴り合いにまで発展したらさすがに不味い。いくら相手が女子だからって、彼らは平気で殴るだろう。
こうなることを予想して目撃したことを教えたとしたら、袴田くんは相当ふざけている。現に彼らのすぐそばで、袴田くんは目を輝かせていた。悪趣味な奴め。
……それを確証もなく佐野さんに教えた私も同罪か。
「俺が盗んだ証拠がないくせに出しゃばるな! ……そうか、傘を盗んだのは井浦だろ?」
「……え?」
「だってお前が『傘を盗んでいるところを見た』って言えば、他の奴に擦り付けられるし。それにビニール傘なら、柄に星のシールが貼ってあったとしてもすぐには気づかねぇよ。そうだろ?」
安藤くんが言えば、他の仲間も同じように騒ぎ立てる。ああ、なんて醜い。
言い返そうと口を開いたところで、佐野さんは大きな溜息を吐いて「ちっさい男ね」と悪態をついた。
「こんな地味で根暗な子がやるワケないでしょ。大身体、なんで私の傘に星のシールが貼ってるのを他人のアンタが知ってんのよ? やっぱり盗んだんでしょ!」
容赦のない佐野さんの言葉に彼らは顔を歪めた。反発すれば殴られるかもしれない現状に怯むことなく、真正面から立ち向かう彼女の堂々とした姿に私は驚いた。
……根暗だと思われていたのは、ちょっと悲しいけど。
『へぇ……言うねぇ。井浦もこれくらいやればいいのに』
高見の見物をしている袴田くんが嬉しそうに笑う。誰のせいでこの状況になったのか、少しは反省してほしい。
すると彼女の言葉に腹が立ったのか、安藤くんが「ふざけるな!」と怒鳴り散らした。
「勝手に人を犯人呼ばわりしやがって、いい加減にしろよ!」
怒号とともに、安藤くんが佐野さんの肩を突き飛ばす。あまりにも強い力にバランスを崩した彼女が後ろに倒れてくると、慌てて彼女の肩を掴んで、勢い余って私も一緒に倒れて尻餅をついた。
「力がない奴がベラベラ喋ってんじゃねぇよ。それともサンドバッグ代わりになるか? あ?」
『うっわ……クズかよ。あの時から全然懲りねぇ野郎だな』
くはは、と乾いた笑い声が聞こえると、目が笑っていない袴田くんが安藤くんと対峙した。
ここで彼が現れて助けてくれたら、最高にかっこいいんだけどな。……生きていれば、だけど。
袴田くんの姿は基本、私にしか見えない。本人は「俺が認めた条件をクリアした人間にしか見えない」とか言っていたけど、この時点で安藤くん達が見えていないのは、見せるに値しないと判断したからだ。
佐野さんは突き飛ばされた右肩を押さえながら「最低……!」だと呟いて彼らを睨みつけている。
今すぐにでも掴みかかろうとする彼女を抑えて私が立ち上がると、彼らを睨みつけている袴田くんの隣――安藤くんの真正面に立つ。
「なんだよ? 傘なんて持ってねぇよ。それともやるってか?」
「傘の柄に星のシールが貼ってあるのを知ってたよね。盗んでなかったとしても、その傘をどこかで見かけたんじゃない? だから覚えていた、とか」
人は珍しいマークや記号を見たとき、何となく記憶に残っていることが多い。どこにでも売っているビニール傘には貼られていない、星のシールの存在を口にした時点で、彼が盗んだ可能性は極めて高いだろう。それでも間違っていることは少なからずあるものだ。だからせめて話し合いで、できる限り穏便に事なきを終えたかった。
しかし、安藤くんは鼻で哂い、周りの男子はにやりと笑みを浮かべた。
「どうしても俺を犯人にしたいらしいな。だったら喧嘩で決めようぜ。強い方が正しい、それでいいじゃねぇか」
「え!? いや、あの、穏便に……」
「袴田の尻拭いって大変そうだよなぁ。つか、女の癖に喧嘩できんの?」
「……後釜に尻拭いって? 誰が、誰の?」
『お前が、俺の? ……くはは、随分ふざけた噂が出回っているようだな』
彼の言葉に、袴田くんはあきらかに不機嫌そうな顔をした。自分をバカにされたことに腹を立てたのか、それとも彼らに言いたい放題されているのが癪に障るからなのか。
どちらにせよ、これで話し合いの平和的解決という選択肢は無くなった。