落書きされた机と菊の花をそのままにして、先生が来る前に教室を出た。お馴染みとなった屋上はいつになく寒々としている。私が給水タンクの近くに座り込んですでに二時間は経過してるが、一向に動く気にはなれなかった。
 最近は授業をサボることが増えて、袴田くんと話すのが日課になっていたために、肌を刺すような冷たい風が吹こうとも二時間程度であれば耐えられていた。今日はやけに寒いと感じるのは、屋上にるのが私一人だからだろう。
 教室から屋上に向かう最中、彼の怒鳴り声によってめまいや立ち眩みを起こした生徒が数多くいた。今頃はきっと保健室が大混乱しているはずだ。

 ――お前、もう吉川と関わるな。余計なことは聞くなよ。その方が身のためだ。 

 袴田くんの言葉が頭から離れない。

「吉川さんが何をしたの? 他校との喧嘩ならもう巻き込まれてますけど!? ……わけわかんない」

 八つ当たりのように言いたいことを呟いて、大きく溜息を吐いて上を向く。冬の寒空は今日も綺麗な青が広がっている。
 そういえば袴田くんとちゃんと話した時も、空気の澄んだ晴れた日だったことを思い出す。

「……なんで話してくれないんだろう」

 幽身体の彼と出会って一ヵ月、ほとんど巻き込まれたようなものだけど、ピンチの時は助けてくれた。
 それだけじゃない。いつも教室の隅にいてクラスメイトとほとんど話すことがない私を、袴田くんは嫌な顔ひとつせずに話しかけてくれた。
 彼にとっては暇つぶしだったかもしれない。それでもくだらない悪戯を仕掛けられたり、他愛もない話で盛り上がった時間は、私にとっては楽しい時間だった。

 あわよくば彼が生き返ればいいのにと、現実から逃げることを願ってしまうほど、今までの自分の立ち振る舞いを後悔する。――だからこそ彼には恩を返したい。この世に未練が残っているのなら協力してあげたいと思った。
 ふと、膝のうえに置いた手の甲に雫が落ちた。雨なんて降っていないのに、雲一つない青空が広がっているのに止まらない。

 ――ああ、怖いんだ。

 今まで一人で平気だったのに、突然現れたかと思えばすぐに離れていく。
 いつの間にか、袴田くんが隣にいることがどれだけ心強かったのか痛感する。
 それでも、私は動けなかった。
 落書きと菊の花が置かれたあの席が、冷たい目で見てくるクラスメイトと先生が、味方がいないあの光景が脳裏に焼き付いて離れない。じわじわと押し寄せてくる恐怖に飲み込まれそうで震えが止まらない。目を瞑ればあの光景が映し出される気がして、目を伏せることさえ億劫になっていた。