吉川さん?
どうして彼女の名前が出てくるのか、田中くんだけじゃなく、私も眉をひそめた。
「吉川、逃げなかったんだよ。バカだよな」
――立てこもり事件の真相はこうだ。
無我夢中で振り上げられたナイフは犯人の手から滑り、あろうことか拘束されていた女性客に向かっていったのだ。その女性客が、今バスに乗っている母親だった。もちろん、当時興奮状態で冷静な判断ができる状態ではない犯人が意図的に投げられるものではない。本当に偶然だったのだ。
そこへ、咄嗟に吉川さんが間に入ったことで彼女が負傷することはなかったが、代わりに吉川さんが深手を追うことになる。
田中くんには一連の流れが犯人と彼女が仕組んだように見えたのかもしれない。一人でも力を緩めたら、すぐに犯人が抜け出してしまう状況下で、田中くんは倒れた吉川さんに近付くことすらできなかった。あまりにもショックが大きくて、声も出せず、ただただ倒れている彼女を見ていたのだ。
吉川さんは朦朧とする意識の中、袴田くんを見つけた。偶然だったのかもしれない。それでも彼女は小声で確かに言ったのだ。
――私よりも、彼を助けて。と。
ネットの記事で取り上げられていた「金髪の男がいた」というのは、そのワンシーンだったのだろう。
「お前……まさか、明穂が刺されたところを見てたのか?」
「目の前だったからな」
「なんで……」
田中くんが酷く動揺して、袴田くんの胸倉を掴みかかった。
「なんで、なんで止めなかった!? お前なら止められただろ!」
「…………」
「何か言えよ、言い訳でも考えてんのか? 足が震えて動けなかったとか、ふざけたこと言うつもりか!」
息を荒くし、怒りが頂点まで達している田中くんに対して、袴田くんはただじっと、黙ったまま彼を見ていた。
言えるわけがない。袴田くんが死んだのは、車道に突き飛ばしたのは他でもない吉川さんだ。それはお互いが状況を把握しているし、彼女に至っては自らやったと公言している。自分を殺したも同然の人間に対して、「どうして自分が死ななければならなかったのか」と恨んでいたっておかしくはない。
私が知らなかっただけで、袴田くんはずっと彼女の不幸を願っていたかもしれない。
でもそのことを、田中くんは知らない。彼女が袴田くんの事故に関わっていてたこと、さらに事故に見せかけて私を屋上から落とそうとしたのも全部、自分に注目してほしくて暴走してしまった結果であることを。
袴田くんが口をつぐんでいるのも、田中くんがこの事実を知ってもなお、彼女を庇うとわかっているからだ。
どうして彼女の名前が出てくるのか、田中くんだけじゃなく、私も眉をひそめた。
「吉川、逃げなかったんだよ。バカだよな」
――立てこもり事件の真相はこうだ。
無我夢中で振り上げられたナイフは犯人の手から滑り、あろうことか拘束されていた女性客に向かっていったのだ。その女性客が、今バスに乗っている母親だった。もちろん、当時興奮状態で冷静な判断ができる状態ではない犯人が意図的に投げられるものではない。本当に偶然だったのだ。
そこへ、咄嗟に吉川さんが間に入ったことで彼女が負傷することはなかったが、代わりに吉川さんが深手を追うことになる。
田中くんには一連の流れが犯人と彼女が仕組んだように見えたのかもしれない。一人でも力を緩めたら、すぐに犯人が抜け出してしまう状況下で、田中くんは倒れた吉川さんに近付くことすらできなかった。あまりにもショックが大きくて、声も出せず、ただただ倒れている彼女を見ていたのだ。
吉川さんは朦朧とする意識の中、袴田くんを見つけた。偶然だったのかもしれない。それでも彼女は小声で確かに言ったのだ。
――私よりも、彼を助けて。と。
ネットの記事で取り上げられていた「金髪の男がいた」というのは、そのワンシーンだったのだろう。
「お前……まさか、明穂が刺されたところを見てたのか?」
「目の前だったからな」
「なんで……」
田中くんが酷く動揺して、袴田くんの胸倉を掴みかかった。
「なんで、なんで止めなかった!? お前なら止められただろ!」
「…………」
「何か言えよ、言い訳でも考えてんのか? 足が震えて動けなかったとか、ふざけたこと言うつもりか!」
息を荒くし、怒りが頂点まで達している田中くんに対して、袴田くんはただじっと、黙ったまま彼を見ていた。
言えるわけがない。袴田くんが死んだのは、車道に突き飛ばしたのは他でもない吉川さんだ。それはお互いが状況を把握しているし、彼女に至っては自らやったと公言している。自分を殺したも同然の人間に対して、「どうして自分が死ななければならなかったのか」と恨んでいたっておかしくはない。
私が知らなかっただけで、袴田くんはずっと彼女の不幸を願っていたかもしれない。
でもそのことを、田中くんは知らない。彼女が袴田くんの事故に関わっていてたこと、さらに事故に見せかけて私を屋上から落とそうとしたのも全部、自分に注目してほしくて暴走してしまった結果であることを。
袴田くんが口をつぐんでいるのも、田中くんがこの事実を知ってもなお、彼女を庇うとわかっているからだ。