「疲れているときはよく食べて、よく寝ることが一番とか言うだろ。でも寝ちまうとお前が無事に田中まで辿り着けるか見届けられねぇし、だったらいっそ、一緒に行動していた方が楽だと思ったんだ。ろくにメシも食わねぇ俺にとって人間に取り憑くのは、ある意味充電みたいなもんだからな。特に何度も乗っ取ってる奴は気心が知れて楽だろ?」

 くははっ、と楽しそうに話す袴田くんに、開いた口が塞がらない。つまり彼は、元から不安定だった身体の維持を保つために、取り憑き慣れた私の身体を隠れ蓑にしていたのだ。物に触れられ、コーラも飲めるような幽霊らしからぬ行動のせいで、取り憑けることをすっかり忘れていた。
 何が「気心が知れて楽だろ」だ。楽だったのは袴田くんだけだ!

「い、一体いつから……?」
「夏休み明けくらいか? ああ、プライベートなところは見てねぇから安心しろ」
「見てたら最悪だよ……岸谷くんに言って訴えてもらうから」
「お前の中で岸谷は弁護士クラスかよ。どんだけ仲がいいんだか」
「……っお、お前ら! こんな状況で呑気に喋ってんじゃねぇよ!」

 後ろ座席から腰を抜かしたサラリーマンが怒鳴った。気付けば、床に座り込んでいた田中くんが鉄パイプを握り直し、すぐそこまで迫ってきていた。
 袴田くんは私を一段上がった後ろの座席に雑に突き飛ばすと、振り下ろされた鉄パイプを片手で掴んだ。すると、その勢いに任せて田中くんが一気に距離を詰め、脇腹に拳を叩きこんだ。しっかり懐に入ったのか、袴田くんの顔が歪んだ。
 体勢が崩れたその瞬間、道路の舗装が整理されていない場所に踏み込んでバスが大きく揺れた。
 後ろの座席にいる乗客は皆、咄嗟に座席やポールを掴んで揺れに悲鳴を上げる。普段ならこれくらいの揺れでもいちいち怯えたりしないが、目の前で繰り広げられる攻防があまりにも乱暴すぎて、見るに耐えられない。私も段差に座り込んだまま動けずにいた。
 袴田くんは、足を滑らせて前屈みの体制から戻れない田中くんの腕を掴むと、優先席の対面にある横長のシートに向かって投げ飛ばす。反動で袴田くんもよろけるが、近くのポールに捕まって揺れを耐えた。
 脇腹に入った一発が相当重かったのか、反対の手で押さえている。今まで不良と対面している――正確にはさせられた――が、袴田くんがダメージを受けているところを初めて見た。
 バスの揺れが落ち着いてくると、田中くんは鉄パイプを捨てて指の関節を鳴らす。

「俺が知っている袴田は、たった一発で顔を歪ませるような弱い奴じゃねぇ」
「こっちにも事情ってモンがあんだよ。相変わらず自分勝手だな」

 袴田くんが夏休み明けからずっと私に取り憑いて回復を待っていたとしても、喧嘩のスタイルが急に変わるわけじゃない。それほどまでに彼の身体は不安定なのだ。
 田中くんはバスの揺れに身を任せるように、軽いステップで袴田くんとの距離を詰めていくと、固めた拳を顔面に向かって振るう。ギリギリで避けた袴田くんは掴んだポールを握り直し、突っ込んでくる田中くんの腹部を一発蹴りを入れた。揺れに足を取られ、また床に叩きつけられる。
 お互いに一歩も譲らない。田中くんは咳き込みながらも立ち上がった。