おんど食堂を出たのは、すでに夜の八時を越えた頃だった。山中くんは新作アニメの放送があるからと言って猛ダッシュで帰っていった。先程のシリアスな空気は幻だったのか、呆れていると近江先輩が「まぁ、いつものことだから」と鼻をすすりながら通常モードに戻っていた。
 街路灯が夜道を照らす中、私は近江先輩の一歩後ろを歩いた。飄々と歩く先輩の背中は猫のように丸まっている。

「ごめんな。最後の方で取り乱したりして」
「い、いえ、気にしないでください」
「でもまさか、玲仁の助けられなかった相手が井浦チャンだったとは。気づかなかった?」
「気づくわけないじゃないですか」

 袴田くんがあの教室の光景を見て助けられなかったと後悔していたなんて、あの後一度も学校に行かずに転校した私が知るわけがない。それに北峰に入学していたのを知ったのは、二年に進級して同じクラスになってからだ。

「内容が暗いだけに話しかけづらかったと思います。……私も、人見知りを装って話しかけませんでした。生前の彼とまともに話したのは、多分山中くんが絡まれた後に少しだけだったんで」

 何を話したかはほとんど覚えていない。あの時はただ状況を説明するだけで精一杯だったから、たいした会話はしていないはずだ。

「あ、でも近江先輩と似たようなこと言ってました」
「似たようなこと?」
「はい。『自分を持ってんなら負けんなよ』って。あの時が初対面だったのに、背中を押されるような感覚でした」

 話しているうちに袴田くんは鼻で笑い、呆れた顔をしていた気がする。それでも口調は心なしか優しかった。私がそう言うと、先を歩く近江先輩は立ち止って顔だけをこちらに向けた。

「押したんだろ」
「え……?」
「頭が固い真面目な子ほど自分をしっかり持ってる。でも軸がズレたら流されちまうからさ。玲仁は止めに入ろうとしてたかもしれないけど、井浦チャンを見て留まったと思うんだ。自分で解決できる、周りに流されないって。だから多少なりの勇気とエールを渡せたら、って意味だったんじゃね?」
「…………」
「ま、俺は人から玲仁の過去を聞いて知ったんだ。中学と高校は別モンだから、同一人物でも思考は変わる。アイツがどんな信念を持ってたか知らねぇが、少なくとも腕っぷしが強いだけじゃないからな」
「……先輩は、どうしてそこまで袴田くんを気にかけていたんですか?」

 いささか癪に障る質問だったかもしれない。それでも近江先輩は「愚問だな」と口元を緩ませた。

「俺が助けたいって思ったこと以外に、理由もクソもねぇよ」