そんな日々が続いていたある日の放課後、私のクラスに吉川さんが訪ねてきた。
 あの時は余裕が無かったけど、彼女――吉川(あき)()が今年の文化祭で行われた学校一の美女を決めるミスコンの優勝者だったことを思い出した。落ち着きのある雰囲気をまとい、はにかんだ笑みを浮かべた彼女に惚れた生徒は多く、毎日下駄箱にはラブレター、体育館裏で告白されることもあるらしい。
 吉川さんは私を廊下に呼び出すと、突然私の手を包んで恥ずかしそうに頬を赤らめた。突然のことに彼女の顔と包まれた手を交互に見遣ると、遠慮がちに口を開いた。

「この間は助けてくれてありがとう。クラスがわからなくて探してて……お礼が言えなかったのが心残りだったの」
「そんな、大したことはしていないし」
「でも本当に助かったわ。実は岸谷くんにはずっと付きまとわれていて困っていたの」
「付きまとわれてって……ストーカー?」

 そういえば岸谷くんは自暴自棄になってるって、袴田くんが言っていたっけ。
 すると、彼女は握った手に力を込めながら続けた。

「岸谷くんね、前はサッカー部のエースだったの。優しくて格好良くて、ファンクラブもできちゃうくらい。でも岸谷くんと話しているところを見た彼女たちが悪い噂を立てて、嫌がらせの対象にされてしまって。ほら、女子って影からバレないようにイジメを広めていくでしょ? 今までも教科書を隠されたり、身体操着を泥水が溜まったシンクに入れられたこともあったから、井浦さんも気を付けてほしくって」
「もしかして……それを言うために、教室まで来てくれたの?」
「ええ。無関係な人が巻き込まれるのはもう見たくないもの」

 吉川さんは優しさの塊だ。自分の辛い経験を思い出すのは誰にとっても恐ろしいはずなのに、恐怖を押し殺してまで私に打ち解けてくれた。今も握った手が震えているのは、まだ恐怖が残っているからだろう。
 私は思わず彼女の手を握り返した。

「ありがとう。吉川さんも気を付けてね」

 私がそういうと、彼女は頬に伝う涙を拭って微笑んだ。