あろうことか、私は岸谷くんの胸倉を左手で掴み、痺れている右手で彼の喉仏を押さえていた。
 吉川さんを掴んでいる彼の腕に飛びつくのがやっとだったのに、目を瞑った一瞬のうちに私の身身体は何をしたのか、自分でもわかっていない。ただ右手が痺れている原因は、きっと目を瞑ってすぐに聞こえたハイタッチのような音――あれは彼の拳を叩き落としたのだ。
 岸谷くんの顔色は青ざめており、その場にいた全員が困惑している。 

「だから、お前は俺に勝てなかったんだよ。いい加減に気付けよアホ」

 口が勝手に開く。勝手に乱暴な言葉を投げかける。
 なんで? ――そんなの簡単だ。
 私の身体ではあるが、喋っているのは袴田くんだからだ。

「……っふ、ふざけんな!」
「おっと……借りモンだから動きづらいけど……ま、いっか」 

 逆上した岸谷くんが吉川さんの制服を離すと、私の右手を払い退けて、腹部に向かって殴りかかってきた。私――正確には袴田くん――は冷静にそれを足で払うと、流れるように次々に拳を避けていく。まるで何度も殴り合いをしたことのある身のこなしに、自分でも驚きが隠せない。
 そして隙をついて彼の間合いに入ると、痺れた右手を強く握って鳩尾に叩き込んだ。

「がは……っ!」
「き……っ岸谷いいい!?」
「ヤバイ、ヤバイぞアイツ!」

 岸谷くんがその場に立ち崩れると、扉の前に立っていた男子がガタガタと震え出した。彼が負けるなんて思ってもいなかっただろう。私も思っていなかった。
 すると私は彼らに向けて、指の関節を鳴らしながら問う。

「コイツを連れてさっさと戻れ。まぁ、俺に勝てる自信があるなら相手してやるけど」
「ヒッ……」
「聞こえなかったか? 次の奴出てこい!」
「に、逃げろ!」
「岸谷、行くぞ!」

 三人は怯えながら、岸谷くんを引きずって校舎へ入っていった。屋上にはまた静かな空間が戻ってくる。ひとまず大事にならなくてよかった。

 ……なんて、安心できるわけがない!
 これでは完全に私が彼らに仕掛けたことになってしまう!

「まぁ、助けてやったんだから()に感謝しとけよ、井浦」

 思ってもいないのに私の口が勝手に喋る。こうなったことに対して感謝する気はない。
 それ以前に、私は自分のことを「俺」って言わない。
 ……ってことは。

「人に取り憑くなんてこと初めてやったけど、案外上手くできるモンだなー」

 やっぱり……!