毎日和臣とは電話をする。
私が侑李と会っている時間以外に電話をくれる和臣。
会うのは土曜日の午前中か、日曜日の午前中のどちらかになっていた。会うのは和臣の家か、私の家。
和臣は二人きりになった途端抱きしめてくる。私はその行為がとても嬉しかった。
日曜日の朝、私がベットを背もたれに座布団の上に座り、和臣は私の足を枕に横になっていた。
少し眠そうな和臣は、「ちょっと横になっていい?」と、私を思う存分抱きしめたあと聞いてきたから。
「寝てないの?」
私はそう言って、ベットの上からブランケットを取った。
「ん·····」
それを和臣にかぶせる。
私のお腹の方へ顔を埋める和臣の耳には、黒石のピアスがキラリと光っていて。
「寝ていいよ」
私はそう言って、いつも和臣が私にしてくれるように、髪の毛を流すように和臣の頭を撫でた。
「それ、しててくれよ·····」
「それ?」
「気持ちいい·····」
頭を撫でること?
私は笑って、「いいよ」と返事をして手を動かした。
「すげぇ落ち着く·····」
「ほんと?」
「ん·····、密葉の傍が1番落ち着く·····」
私の傍?
そう言われると、凄く嬉しい。
私も和臣のそばに居ると落ち着くから。和臣が私に安心感を持っていてくれる。
「あんまり普段、落ち着かないの?」
私と会わない和臣は、普段·····。·········そうか、暴走族で·····。
「·····落ち着かないってわけじゃねぇけど、やっぱり気張る」
「気?」
「誰かが怪我したとか、しょっぴかれたとか·····、そういう伝達·····いつ来るか分かんねぇから·····」
「そうなの·····」
「ん·····、他も色々うるせぇのがいるから·····」
「うん」
「·····わりぃ·····、密葉に愚痴ったな·····」
和臣の目がうっすらと開く。
「·····いいよ、何でも聞くよ」
「うん·····、やっぱ密葉が落ち着くわ·····、今日も早く会えてぇって思ってた」
「うん·····」
また瞼を閉じた和臣は、しばらくしてスーー·····っと寝息を出し始めた。
寝ている和臣を見るのは、初めてだった。
そこから私はずっと、和臣の寝顔を見つめながら頭を撫でていた。いつもありがとうと思いをこめて。
30分程がたった時、私のスマホではない着信音が部屋に響いた。間違いなく和臣のスマホで。
和臣のスマホと財布と、鍵は小さいテーブルの上に置いてあった。そこに目を向ければ、画面が光っていて。
和臣はその音に、すぐ目を開いた。
私の顔をみた和臣は、「·····誰から鳴ってる?」と、また目を閉じた。
「見てもいいの?」
「うん」
私は手を伸ばし、和臣のスマホを手に取った。そこには 『湊』と映されていて。
「みなと·····?って書いてある」
「分かった·····」
「出ないの?」
「ん、·····いつもの面倒くさい電話」
面倒くさい電話·····。
そう言いながら、瞼を閉じる。
何度か聞いたことのある「湊」という名前。
出ないうちに、着信音が切れて。
それから1分ほどすれば、また着信音が流れた。
「·····和臣」
「また湊?」
「ううん、辰巳君の名前·····」
「辰巳?」
再び目を開いた和臣は、「貸して」と私から携帯を受け取った。
湊って言う人の電話は出なくて、辰巳君の電話は出るらしく。
「····どうした?」
少しだけ低い和臣の声。
あんまり私の聞いたことの無い声で。
「今?密葉んとこ·····、·····ああ、···················、それで大駕は?」
大きなため息を出す。
「分かった·····、また夜に話聞く。····ああ··········、聞こえてる·····、········頼むわ·····」
通話を切った和臣は、「置いといて」と、私にスマホを渡した。
「何かあったの?」
「·····みたいだな··········」
「行かなくてもいいの?」
「いいよ、辰巳がいる。あいつなら任せられるから·····」
辰巳君に投げ飛ばされて、骨折した和臣。
そんな和臣が、辰巳君を頼りにしていて。
「そっか·····」
そんなふうに思われている辰巳君が、少し羨ましいと思った。
クリスマスよりも前、和臣は私に「やりたい」と言ったことがある。けれどもその後、「好きすぎて手が出せない」と呆れたように呟いていて。
和臣はスキンシップが多い気がする。
今もこうして、私のお腹に顔を埋めて眠っているし。
私の事を沢山抱きしめてくれて·····。
甘くて深いキスもしてくる。
けれどもそれ以外は手を出してこない。
もしかすると、和臣はそういう行為に対してあまり興味がないのかもしれない。私が初めての彼女ということは、和臣も多分、した事がなく。
でも、「やりたい」といった和臣·····。
「しないの?」と、聞けば私がやる気満々な気がして、恥ずかしくて言えなかった。
「··········今、何時?」
私の足を枕にしていた和臣が起きたらしく、ぎゅっと、これでもかっていうぐらい引っ付いてきて。
「10時半だよ、もうちょっと寝てても大丈夫だよ」
そっと和臣の腕あたりに手を置いた。
服越しでも分かる筋肉のある男の人の腕·····。それに対してドキドキしてしまう。
「密葉·····」
「ん?なに?」
「いや、好きだなって思っただけ·····」
嬉しいことをこうも口にする和臣が、2月9日の日の夜、私の家の前まで来てくれた。
「誕生日おめでとう」と。
小さな可愛い花束と、花をモチーフにしたイヤリングのプレゼントを持って。
イヤリングは、クリスマスプレゼントに貰ったものとお揃いだった。
私は、泣いて喜んだ。
侑李の体調も最近良くて、和臣からはこんなにも大きな幸せをくれて。
でも、こんな幸せは長く続くことは無く。
私は、また壊れてしまった。
··········和臣の事を、信じきれなかった。
2月下旬、侑李は横になっている事が多くなった。座っているのも辛いらしく、もちろんクリスマスの日に送ったプレゼントもできないぐらい、ずっと眠っていた。
「··········お姉ちゃん··········」
弱々しく呼ぶ侑李。
「ここにいるよ、大丈夫だよ」
そう言うと、弱々しく笑う。
「眠たい?」
「·····うん」
瞼を閉じる侑李の頭を撫でる。
「お姉ちゃん·····、起きてもいてね·····。おねがい·····」
「うん、いるよ。ずっといる」
「·····ありがとう···············」
侑李自身も怖いんだ·····。
そんなの当たり前·····。
自分で、体が良くないと分かっているから。
「眠るのが·····怖いよ··········」
どんな思いで、侑李は言ったのだろう。
いつもいつも笑顔だった侑李。
侑李が弱音をはくなんて、今まで無かった。
「大丈夫·····、絶対に起こすから。ずっといるからね·····」
侑李が泣いていないのに、私が泣くわけにはいかず。
やはり眠る事が怖い侑李は、眠りが浅いのか、すぐに目が冷めてしまう。
もう、限界だと思った。
侑李に限界が来てるのだと。
帰り道、バイト中だと分かっているのに、電話をかけた。こんな事、邪魔をしないようにといつもはしないのに。
『もしもし』
休憩中だったのか、電話はすぐに繋がって。
「お兄ちゃん··········」
『どうした?·····何かあったか?』
兄の声を聞いた瞬間、涙が出た。
「侑李が··········、眠るのが怖いって··········」
『··········』
「怖いって·········」
『··········』
「初めて·····言ったの·····。·····も、どうしたら·····いいか·········」
『··········分かった、母さんに電話する。明日、来てもらうようにするから』
「お兄ちゃん········っ·····」
『密葉·····、1人で帰ってこれるか?まだ病院か?』
「いまっ、·····出たとこ·····」
『迎えに行くから、待ってろ。絶対動くなよ』
「お兄ちゃん·····、バイトは·····」
『早退する、すぐに行くから』
正直、涙が止まらない私は、動くことが出来ず。
兄が来るまで、しゃがみこんで泣いていた。
侑李があんな事を言うなんて。
相当、辛くて·····。
辛くてたまらないはず·····。
それを今日まで我慢してた。侑李は弱音を吐くことなんて、しなかった。どれだけ酷い発作が起こっても、「怖い」という言葉を口にしなかった。
それなのに··········。
嫌だ、死んで欲しくない··········。
ずっと生きててほしい·····。
大事な大事な弟··········。
いつから、カウントダウンは始まっていたのだろう。
部屋へ籠る私に、兄は何も言わなかった。
いつもの時間にスマホが鳴る。
きっと和臣·····。
でも私は、その電話に出ることができなかった。付き合ってからは必ず出ていた電話。
学校にも行けなかった。
侑李が辛い思いをしているから、私だけ学校に行ってはいけないという考えじゃなく。ただ、侑李が死ぬと思ったら、何もする気が起きなかった。
朝イチに、両親は帰ってきた。
「密葉、話があるの、大和も下にいるから、いらっしゃい」
二階にある部屋に来た母は、そんな事を言って。
何もする気が起きず、昨日からずっと未だに制服姿だった私は、制服のリボンだけを外し下へとおりた。
「密葉、こっちに来て」
シーーーンとしているリビングに、母の声だけが耳に届く。言われるとおりにソファに座る母の横に腰かけた。
「密葉、さっき少し、大和にも話したの」
話?
何を·····?
考え込むように私を見つめる父、そして複雑な表情をする兄·····。
「侑李の病気に詳しい先生がね、外国から来るみたいで」
侑李の病気に?
「侑李を、その先生が来る病院に転院させようと思ってるの」
転院·····。
「そこの病院が、お母さん達の今住んでいる場所の近くでね」
お母さん達の近く·····。
「密葉はどうしたい?」
どうって何が·····?
「密葉は、ここに残りたい?」
ここに·····?
「向こうなら私達もいるし、もう密葉に任せっきりじゃなくて済むから·····」
任せっきり·····。
「ここはお爺ちゃん達が残してくれた家だし、家賃の心配もいらない。お金のことは大丈夫だから」
大丈夫だから?
大丈夫だからってなに·····。
さっきから何を言ってるの?
母の言っていることが、分からない·····。
「密葉、密葉には学校もあるし。友達だっている。密葉の好きにしなさい」
父が私を見つめて言うけど、好きにとは·····。
「それって、今すぐの話?」
横で兄が呟く。
「学校の転入手続きもあるし、早めの方がいいわ」
「だから、早めっていつまで」
「長くて1週間ぐらいかしら。それまでに、侑李について行くか決めて。お母さん達としては、家族みんなで暮らしたいと思ってる」
家族みんなで·····。
「その先生に診てもらえば、侑李の病気治んの?」
「それはまだ分からない、今侑李のカルテを外国に送ってるの。でも、今の現状を考えれば転院した方がいいでしょう」
「それもう決まった話?転院は確実なのかよ」
「病院の方には話は通してるわ」
「じゃあ、治らなかったら?治らなくても侑李はずっとそっちに住むってことか?」
「そうね、そうなるわね」
「戻ってくることはねぇのかよ」
「侑李の病気が治って、ひと段落して、もう全てが終わったら戻ってくるかもしれない」
··········かもしれない。
兄と母の話をただ聞くだけしか出来ず。
「俺は·····、侑李の傍にいてやりたいと思ってる。けど、まだ考えたい」
「分かった、密葉はどうする?」
父に問いかけられるけど、
「··········」
何も、言えない。
侑李について行くか。
ここに残るか。
数ヶ月前までは「ついて行く」と言っていた。多分、ううん、絶対に数秒で決めることができた。
でも、今は·····。
侑李と同じぐらい、大切に思ってる人がいる。
侑李について行く。
それは和臣と離れるということ·····。
あんなにも大好きな和臣と?
離れる?
想像もつかなったこと·····。
侑李はずっと、生まれてからずっと今の病院だった。転院なんて考えたこともなかった。
1週間までに、答えを出さないといけないらしく。そんな短い期間で、答えを出せと?
その日の夜、侑李のお見舞いに行った両親は、帰っていき。
私はリビングのソファに座りながら、ぼんやりと母と父の言った言葉を思い出していた。
「密葉、冷凍パスタでいいか?飯」
キッチンで何かを言う兄の方へと顔を向ける。
「フジのこと考えてんのか?」
和臣·····。
「·····今日のこと、フジには俺が言おうか?」
今日のことを·····。
和臣に?
なんて言うの?
「·····密葉が残りてぇなら、残ればいい。母さん達もそう言ってたしな」
兄が電子レンジで、皿に移した冷凍パスタを温めていて。
「怖い」と言っていた弱々しい侑李を思い出す。
「··········お兄ちゃん·····」
「うん?」
「·····」
「どうした?」
「私·····、昔の私なら、絶対に行くって言ったの·····。侑李が大切だから、ずっと一緒にいたいから」
「そうだろうな」
解凍が終わったパスタをカウンターの上に置く兄を見つめて·····。
「けど、私·····、さっき、行きたくないって思ったの·····」
「·····密葉」
「侑李より、和臣を優先した·····ッ··········」
「んなの、仕方ねぇだろ。俺だって迷ってんだし。密葉だけじゃねぇよ」
違う、そうじゃない·····。
私は自分の事を、優先したの。
ずっと守っていきたい、侑李のためなら何だってするって誓ったはずなのに。
あんなにも「怖い」といった侑李を見たばかりなのにっ。
「·····密葉?」
遠くに行ってしまう侑李をほっといて、私だけが和臣と一緒に幸せになる?
「おい、どうした·····?」
カタカタと手足が震えてくる。
ああ、前と同じだ。
和臣に怪我をさせてしまった時と同じ·····。
そう思った瞬間、真っ赤な血を思い出した。
「おいっ、密葉!」
カタカタと震える体は、押さえることが出来ず。
「侑李·····ッ、ごめんなさ·····、あたしっ、あたし·····!!」
呼吸が上手く出来ない。必死に吸おうとしてるのに、上手く吸えない。吐くこともままならない。
あんなにも苦しんでいる侑李と、一瞬でも離れようとしたなんてっ。
そばにいてねって、言われたのに·····!!
「落ち着け、どうしたんだよ密葉」
兄が尋常じゃないぐらい震える私の前にしゃがみこみ、私の名前を呼ぶ。
「あたしっ·····、なんてこと·····」
豹変した私を見て目を丸くし、「待ってろ、フジ呼ぶから。落ち着け」と、当たり前のように和臣の名前を出したことに、動悸が酷くなった。
和臣を呼ぶ?
ここに?
思い出すのは、赤·····。真っ赤な血·····。
「呼ばないで!!!!」
「密葉っ」
「呼ばないで!! お願いっ、呼ばないで!!!!」
必死に懇願する。
もう、和臣を傷つけたくないから。
「いやっ、も、いや·····っ。いやぁ·····!!」
「密葉っ」
両手で頭を抱えた。
けど、真っ赤な血は消えない。
侑李がああなったのも私のせい。
和臣が怪我をしたのも私のせい。
全部私がっ·····。
「密葉っ!フ、フジ、俺だけど密葉がっ·····、多分前言ってた·····、おい、やめろっ。密葉、頼むから落ち着けっ、密葉!」
侑李·····、侑李のところに。
謝らないと。
お姉ちゃんも行くからねって。
私の時間は、侑李のものなんだからっ。
寝るのが怖い侑李。
じゃあ私も寝ちゃいけない·····。
侑李が死ぬ時は、私も一緒だから·····。
「聞いてんのかよっ」
兄が私の腕を掴む。
でも、もし侑李を選べば?
和臣は?
和臣はどうなるの?
もう戻ってこないかもしれないのに。
そうすれば、和臣は他の人と·····?
私以外の女性に·····?
あんなにも優しい声を出すの·····?
離れたくない·····。
ああ、また私は·····、離れたくないなんて·····。自分だけ幸せになろうと·····。
どれだけ叫んだか分からない。
「密葉」
体の震えがおさまらない。
「俺の方見ろ」
誰かが私の手を掴む。
「密葉·····、大丈夫だから。力緩めろ」
━━━━━━私の大好きな声がする。
「密葉」
誰かが、ゆっくりと私の掌を開く。
「密葉、俺を見ろ。分かるか?」
漆黒の瞳が、私を見つめる。
「··········かず、おみ·····?」
「バカ、手握りしめすぎ」
私の手を掴んでいる和臣は、そこに視線を落とした。まだ微かに震えている指を見つめ、「割れてんじゃねぇか」と、赤くなった手を優しく掴んだ。
「痛いだろ?手当しよう」
私の手が、赤く。
どうして
いつの間に·····
まさかあたしっ、気がつかないうちに。
「また·····、和臣に怪我させたの·····?」
「させてねぇ、密葉がずっと自分の手を握りしめてたんだ」
「で、でも、血がっ·····」
「そんな爪割れるぐらい握りしめたら、血が出るわバカ」
握りしめてた·····?
自分の手を?
血が出るほど?
今更、ジンジンと血が出る部分が痛みだしてきて。
和臣は、私の掌を見つめながら、深く息をはいた。
「·····ごめんな、来んの遅くなって。そばにいなくてごめんな」
悲しそうな声を出す和臣。
和臣は「手当しような」と、私の目を見つめながら言った。
洗面台へと私を連れて行き、血を洗い流してくれた。救急箱の置き場所を私に聞いた和臣は、さっきのソファの所へ私を戻し、救急箱を持って、私の横に座る。
「·····和臣·····」
「ん?」
血が出る場所に、消毒液が塗られていく。
「·····お兄ちゃんは?」
「ちょっと出てもらってる」
·····じゃあ、今は家にいないの?
「どうして和臣がここに·····」
「大和から連絡貰った」
「お兄ちゃんから?」
「覚えてねぇか?」
分からない·····。
覚えてはいる、「呼ばないで」と叫んでいたことも。
「ん·····、和臣を呼ばないでって言った·····」
「なんでそんな事言ったんだ?」
割れた爪に貼られていく絆創膏。
「怪我·····、させちゃうと思ったから·····」
和臣は小さな息を吐き、手当が終わった手を握りしめた。
「だからってこんな」
「·····」
「·····無意識だったんだな」
「·····え?」
「誰にも怪我させたくねぇから、ずっと握りしめてたんだろ?自分の手を」
和臣が、手のひらにキスをし。
「頑張ったな」
ポタリと·····涙が零れた。
和臣は手のひらから顔を離し、私の顔を覗き込んだ。
「大和から聞いた」
「·····お兄ちゃん·····?」
「ああ、侑李のこと」
転院すること·····。
「大和には言ってたんだよ。前の時、密葉、戸惑ってだろ?そん時の様子を大和だけに言ってた」
前の時?戸惑ってた?
それは和臣の眉の上部分に傷をつけてしまった日のこと。
お兄ちゃんに言っていた?
「密葉が俺に連絡する余裕が無かったら、すぐに俺に連絡しろって大和に言ってあった」
和臣に?
「·····転院が今回のきっかけか?」
今回のきっかけ·····。
「·····分からない·····、転院って言葉を聞いても、すぐにこんな事ならなかった·····」
「うん」
手のひらが、ジンジンと痛む。
「和臣の事を、考えてた。離れたくないって」
「うん」
「それで·····、侑李よりも、和臣を優先したって思って·····」
「うん」
「侑李を、1人にしようとした·····。私だけが幸せになろうとした·····。そしたら、手足が震えて·····」
「そうか、分かった·····」
和臣がソファにこしかけ、「おいで」
と私を抱きしめた。まだ微かに、指先が震えてる。
「俺と離れたくないってなんで?」
私の背中をさすりながら、優しく聞いてくる。
「·····好きだから·····」
「うん」
「もう、会えなくなると思った」
「会えるだろ?別に一生の別れじゃない、俺が会いにいく。俺が引退して、高校卒業したら、そっちに住むってのもありだしな」
「·····そんなの·····」
和臣を巻き込む訳には··········。
「遠いよ·····」
「そうだな」
「会えない間に、和臣が他の人とって思ったら·····」
「密葉」
「でも、そうするべきなのかなって·····。私だけ和臣を振り回す訳にはいかない·····」
「それ、別れたいってことかよ」
和臣の声が低くなった。
別れたい?
和臣と·····。
そんなの、別れたくないに決まってる。
でも、そういう決断も考えないと·····。
「他の女なんか、絶対ねぇ!密葉だけだって言っただろ!」
「わ、分かんないじゃんそんなのっ·····」
珍しく大きな声を出す和臣に驚いて、私も少し大きめの声をあげた。
「私よりも可愛い子なんて沢山いる!どうして和臣が私なのかも未だに分からない!」
「密葉しか考えられねぇんだよっ」
「分かんないっ、それに、この前やりたいって言ってたよね!?」
「何言って·····」
「どうしてしないの!? 他の人としてるのっ!?」
「密葉、いい加減にしろ。それ以上言ったら怒るぞ」
「だって!」
止まらない。止まって欲しいのに。
こんな事、言いたくないのに。
こんな事を言いたいわけじゃない。
和臣から距離を取ろうと和臣の体を押した時、それは塞がれた。和臣に強い力で手首を掴まれ、そのまま無理矢理後ろへと倒された。
一瞬、何が起こってるか分からず。
傷がある手のひらにはふれず、ソファへと沈めた私を、和臣は見下ろしていて。
「やればいいのか?」
そういう和臣は、とても辛そうで。
「密葉は安心すんのかよ?」
「かず·····」
「やれば、密葉は俺の事信じるか?」
「··········」
「どうなんだよっ!」
そのまま和臣は、荒い声をだし。
そのまま覆い被さるように、私の胸元に顔を埋めた。その事に驚き無意識に後ず去ろうとする私を、和臣の強い力で押さえつけられ。
「や··········やだ··········ッ·····」
こんなにも無理矢理なこと、今までしなかった。戸惑う私の胸元に顔を埋めている和臣は·····
··········そのまま動かなくて。
動かないことに気づいたらあたしは、少しずつ後退りをやめた。
「·····いつも我慢してたよ」
小さな声が耳に届く。
「会う度にやりてぇって。·····けど、俺はマジで密葉がいてくれるなら·····それでいいんだよ·····。密葉がそばにいてくれるだけで落ち着くし、安心する」
「和臣·····」
「密葉が不安なら、今からでもやる·····」
「··········」
「·········けど、こんなよく分かんねぇ抱き方はしたくねぇ····」
和臣はそのまま動かない。どんな顔をしているか分からない·····。
でも、こんなにも泣きそうな和臣の声を聞くのは初めてで。
「密葉がいつも不安な事は分かってる。密葉が頑張ってんのも、強がりなクセにすげぇ弱いとこも知ってる」
「·······ん········」
「俺はずっと密葉を守っていきたいし」
「·····和臣·····」
「密葉のためなら何処にでも行く」
「··········うん·····」
「なあ、どうすればいい?どうすれば密葉は俺の事信じてくれる? 俺、何回も言ってるだろ?」
私はいつも不安がっている·····。
その通りだと思った。
いつ侑李がどうなるか分からない·····。
いつ和臣が私に愛想つかして離れるか分からない。
私は自分のことばかり考えていた。
和臣の事を、何も考えていなかった。
和臣も不安だったんだ。
いつ、何が起きるか分からない私のことを·····。
私は和臣の頭に手をまわし、ギュッと抱きしめた。傷口が痛む。
だけど私は、力いっぱい抱きしめた。
「····密葉は向こう行ったら、他の奴と付き合うのか?」
そんなわけない。
和臣がいるのに、そんな人ができるわけが無い。私が異性として好きなのは、今抱きしめている人だけ。今も、これから先も。
「そんな事あるわけない·····。ずっと和臣だけだよ·····」
「·····俺もだ、絶対無い」
私がこうして和臣も思うように、和臣も私を思ってくれてる。どうしてそれが分からなかったのか。
こんなにも弱々しい和臣にさせてしまったのは私自身。
「ごめんなさいっ·····、ごめんなさい·····」
「密葉·····」
「嫌なこと言ってごめんね、·····もう二度と言わないから·····。·····許して····ごめんなさい······」
「·····うん」
「大好き·····、ほんとに·····大好きだよ·····」
「うん」
「和臣が好き」
「もっと言って·····」
「好き、大好き·····」
「もっと」
「大好き·····和臣が大好きだよ」
「うん···」
「不安にさせてごめんね·····」
「もういい、·····いいよ·····。次言ったら絶対許さねぇからな」
「うん」
「·····密葉?」
「うん」
「·····行けよ、迷ってんなら行け」
侑李と一緒に。
「密葉に何かあったらすぐに行く。だから密葉も迷うな」
「和臣·····」
「何かあったら俺を呼べ」
「うんっ·····」
「俺はずっと待ってるよ」
そう言ってくれた和臣が、本当に愛しくて。
胸いっぱいに広がる、たまらない感情·····。
必死に和臣を抱きしめた。
「顔見てぇ」
そんな和臣は、ようやく顔を上げようとして。
まだ私の胸元に顔を埋める和臣。私が抱きしめているせいで、起き上がることが出来ず。
「やだ·····」
「なんで?」
「泣いてるから·····」
胸元で和臣の笑う気配がする。
「何回も見たことあるけど」
「うん」
「見られたくねぇの?」
「うん」
「じゃあ·····しょうがねぇな」
呆れたように笑った和臣は、私が泣き止むまでずっとそのままでいてくれて。
このまま時間が止まればいいのにと、何度も願い続けた。
「さっきの理由だけどな」
私が泣きやみ、落ち着いてきた頃、ようやく和臣との視線が重なった。いつもいつも優しい目を向けてくれる和臣が、口を開く。
理由?
なんの事か分からなくて、顔を傾ける私の体を、和臣がゆっくり起こす。
「抱かねぇってやつ」
「·····え?」
「はっきり言えば、そういう癖になるのがいやだったからだと思う」
「·····癖?」
そういうことをするのに、癖がとは?
「1回でもしたら、歯止めが無くなって会う度に毎回、密葉が欲しくなる。つーか、絶対やる·····。そういう癖がつきそうで怖かった」
会う度に·····。
抱いていまう癖。
それは男の人特有の考えなのかもしれない。正直、1度和臣と体を重ねたら、会う度にしたいと思うか私自身分からなくて。
「俺は密葉とやるために付き合ってんのか?って思いそうで。·····だから手ぇ出すの怖かった。けどそれで密葉が不安がってるとは思わなかった·····。·····さっき、怒鳴ってごめんな」
·····私と和臣は、やるために付き合ってはないから。それってすごく、私の事を思ってくれているのではないだろうか?
謝りながら頭を撫でる和臣は、「それともう1つ、これは根拠があるってわけじゃねぇけど」と、話を続ける。
「今回は初めっから密葉を見てたわけじゃねぇし、話を聞く限りのことしか分かんねぇけど」
「うん」
「密葉は多分、自分だけがって思ったら、こんな事になるんだと思う」
和臣は私の手を痛まないように優しく掴む。
もう血が出ていない手のひら。けどまだズキズキと痛みがあって·····。
「·····自分だけ?」
「うん、自分だけが楽しくっつーか、幸せになっていいのかって」
「··········」
言われて気づく、確かにそうかもしれないと。
和臣の部屋でなった時も、私だけこんなに幸せにでいいのかって思ってた。
今回も、侑李から離れて私だけが幸せに·····って思ったら·····。
「密葉は溜め込む癖があるから、そういうふうに考えて、一気に溜め込んだ分爆発するんだと思う」
「··········うん··········」
「付き合った日、昔の侑李の事を話してくれただろ?」
昔の侑李·····。
私が侑李を信じられず、殺しかけた話·····。
私が信じなかったから、発見がおくれた·····。
「その時のトラウマが、そうさせるんだろうな」
「·····トラウマ?」
「密葉が我慢する性格になったってこと」
「··········」
我慢する性格·····。
「友達とも遊ばねぇ、全部が侑李の時間。別にそれが悪いって事じゃねぇ。それが俺の密葉の好きな部分でもあるし。密葉の家族想いっつーのか。·····けど、他人の俺から見れば侑李の事に対しての罪悪感がそうさせてるようにも見える」
「·····罪悪感?」
「うん、でもこれは俺の意見だから、適当に聞いといてくれたらいい」
じゃあ私は、罪悪感で侑李のそばにいるというの?
だからその罪悪感で、侑李よりも幸せになってはいけないって無意識に思ってるってこと?
私のトラウマ··········。
「·····じゃあ、あたし··········。本当は侑李の事を嫌いかもしれないの·····?」
ポツリと呟く。
昔のことがあったから、罪悪感で、侑李のそばにいるっとことは·····そういうことなのでは?
私は両親を取る侑李に嫉妬して、弟と言ってもいいか分からない侑李が嫌いだった。
「違う、そうじゃない。密葉は侑李の事を好きだよ。嫌いな奴にここまで出来るわけねぇよ。そこは間違えるな」
和臣が真剣な表情で私を見つめる。
「··········うん·····」
「ずっとセーブしてたんだ、密葉が無意識に。こうなる事が分かってたから誰とも遊ばなかったし、付き合わなかった」
「··········」
私が無意識に·····。
「密葉だけの世界が、密葉の中にできてたんだよ」
「·····あたしだけの?」
「けど、そこに俺が加わった」
「··········」
「だから密葉は戸惑うようになった、突然入ってきた得体の知れないもんに」
「··········」
「俺と付き合ってからだろ?こういうふうになったの」
優しく手を掴む和臣が、傷口を優しく撫でる。
和臣が、得体の知れないもの·····?
「それは·····違うよ、和臣と付き合う前もおかしくなったよ?·····ご飯を食べなくなった·····」
「それは俺が密葉に付きまとってたからだ」
「··········」
「·····俺がずっと付き合う前に電話して、侑李に発作がおこって、侑李が苦しんでる間に密葉は·····、密葉だけが楽しんでるって思ったんじゃないのか?」
ドクン·····と、心がなる。
和臣の言っている事に理解できているから。どうして分かったの?と。
確かに私は、そんな事を思っていた。
私だけがって、その時も思ってた。
「俺と会う前はどうだった?」
どうって·····。
「少なくとも、今日みたいに、訳わかんなくなることは無かったんじゃねぇか?」
今日みたいに·····。
確かになったことはなく。
いつも思ってた、私は侑李のためならなんでもするし、侑李のためなら死ぬことだってって。
私の中に、他の人を入らせなかった。
私と侑李だけの世界·····。
告白してくた山本君だって、すぐに断った。山本君を私の世界に入らせようとしなかった。
そしてそれは家族もだった。
両親や兄を批判して、侑李以外の家族を·····侑李を大切にしてないって勝手に思ってた。
「だから、密葉がこうなったのは俺が原因。俺のせいなんだよ。俺が密葉を壊した」
和臣が私を?
「そんな事ないっ、それは違う·····!」
私は必死に否定した。
そんな事あるわけない。和臣のせいじゃない。
全ては侑李を信じない私が·····っ。ことの始まりだったのに。
私は食べなくなった。
でも和臣のおかげで、ご飯を食べるようになった。美味しいラーメンへ連れていってくれた。
和臣のおかげで、家族を見れるようになったんだよ。
和臣のおかげで、侑李の強さと優しさを知ったんだよ。
和臣のおかげで·····。
「密葉」
「絶対に違うっ、違うから!」
「俺が悪いっていうのは前から思ってた。俺はそれでも密葉を手放せない·····。実際、自分自身のことしか考えてねぇのは俺なんだよ」
「違う·····」
「だから密葉はなにも悪くない。悪くないんだよ、密葉が「私のせい」とか「私だけ」って思うのは、全部俺が密葉にさせた事」
「··········やめてっ」
「それを知らねぇふりして·····」
「やめて!!」
私は目の前にいる和臣の胸ぐらを掴んだ。
指先が痛い·····。
「やめろ密葉·····、離せ」
「いやっ、どうしてそういうこと言うの!? どうして和臣のせいにしようとしてるの!?」
「手痛てぇだろ、離せ」
だってそんなの、和臣と離れれば元通りの私に戻るって言ってるのと同じじゃない。
和臣と出会う前の私に·····。
「いやだ!別れない!別れないから!」
さっきまでは私が和臣は他の人とって思っていたのに。和臣からそう言われれば、嫌だって思ってしまう。
私が暴れなくなる方法。
おかしくなる前の私に戻る方法は、和臣と別れること·····。
侑李と2人だけの世界に戻る?
「密葉」
「やだ·····、そんなのいやっ」
こんなにも大切な人と別れるなんて。
「密葉、落ちつけ。誰も別れるって言ってないだろ?」
でも、そう言ってるように聞えて仕方がない。
「別れない、俺が密葉を手放すと思うか?」
「でもっ·····」
「··········俺が悪い。けどやっと手に入れた密葉と別れるとか考えられねぇ。卑怯だって思ってくれていい」
そんなの思えるわけがない。
どう考えたって和臣は悪くない。
どうして和臣が、自分のせいにするのかが分からない。
こんなにも私を思ってくれているのに、卑怯なんて言葉·····。
「それぐらい密葉が好きなんだ·····。あの日からずっと俺の気持ちは変わらない」
「··········うん·····」
「黙っててごめんな·····」
「和臣のせいじゃないよ·····」
「絶対に裏切らないから·····。離れても。だから密葉も俺を信じてくれ」
「·····うん」
「辛い思いさせてごめんな」
辛くないよ·····。
私はいつも、和臣がそばにいると幸せな気持ちになるんだよ。
和臣と出会って、幸せな気持ちを初めて知ったんだから。
私は、ずっと掴んでいた和臣の胸ぐらを離した。手のひらを見れば、少し血が滲み出ていた。
「この前、言ったことあるよね」
「え?」
私は、手のひらから、和臣の方へと顔をむけた。和臣は何を言ってるか分からないような顔をしていて。
「好きなってくれてありがとうって·····」
「··········」
「和臣と一緒だよ、これからもそれは変わらないから·····。ずっとずっと和臣の事が好きだから」
「·········うん·····」
「和臣も私を信じて····」
そう言うと、和臣は私の肩を掴み、痛いぐらいに私を抱き寄せた。
ギシギシと骨がなりそうになるぐらい抱きしまるから、少し声がもれそうになった。
和臣の胸元に引き寄せられたからか、ドキドキと和臣の心臓の音が耳に入った。
「··········会いにいく」
「うん」
「すぐに行くから·····」
「うん」
「·········ありがとうって言いたいのは俺の方だよ」
「·····和臣」
「好きになってくれてありがとう」
ずっと抱きしめる和臣に、私は笑った。
「どういたしまして」
小さい頃、私は祖父母に聞いたことがある。
「お母さん達はいつ帰ってくるの?」と。
そしたら祖母は「分からんねえ」と言っていた。祖父は「あんまりワガママ言っちゃいけんよ」って、よく分からない笑い方をしていた。
いつ帰ってくるか聞くだけで、ワガママと言われた。
だから私はそれから1度も、「いつ帰ってくるの?」って聞かなくなった。
両親からの「今から帰るね」っていう連絡が来るまで、ずっと待っていた。
でも兄は「いつ帰ってくんの?」って何回も聞いていた。どうして何回も聞くのか分からなかった。
聞くのはワガママなのに·····と。
困らせてはいけないのに·····と。
世間でいうおふくろの味。
正直、母の料理を食べた記憶があまり無かった。
いつも作ってくれるのは祖母。食べる時も両親はいなく、たまに母や父が家にいれば、「どこか食べに行こうか」と外へ食べに行き。母が作る卵焼きがどんな味かさえ知らなくて。
私のおふくろの味は、祖母が作る甘い卵焼きだった。
そんな祖母が言う。「みっちゃんは我慢できて偉いね」って。
その頃から、私の‘我慢する性格’っていうのが出来上がっていたのかもしれない。
初めて背負うランドセル姿を、両親に見せたいと思った。でも、侑李の事で忙しい両親に見せることが出来ず。
私は我慢した。
「仕方ないだろ」って兄に言われた。
我慢してるのに「仕方ないだろ」って言われた。
私は「見せたい」とか「会いたい」なんて言ってないのに。
両親が県外へ仕事に行き始めたころ、病院通いが始まった。帰ろうとする私を引き止める侑李が大嫌いだった。
大嫌いで大嫌いで、溜まった感情を侑李にぶつけた。
その時の侑李はどれだけ辛かっただろう。
いつ悲鳴をあげるか分からない心臓を持ちながら、ずっとずっと病院の中にいて。
許可が出ない限り外に出れない侑李が安心する唯一の両親が、突然会えなくなってしまって。
侑李は一言も言わなかった。
泣いてはいた。
しらばくの間泣いてはいたけど。
「お母さんは?」って。「お父さんいつ来るの?」って。
侑李も我慢していたんだ。
私と一緒。
侑李も寂しくて仕方なかったんだ。
それに気づいてた。
でも、知らないふりをした。
だって両親を一人占めした侑李が、大嫌いだったから。
侑李よりも意思が弱い私は、侑李に八つ当たりした。本当は侑李は悪くないって分かってた。
悪くないって分かってたからこそ、謝ろうって思ったから。
けど、あの事件がおこった。
私が侑李を殺しかけた·····。
その日から、私のこころは、失ってしまったのだろう。
「密葉はここに残すべきだと思う」
そう言ったのは兄だった。
あの日から1週間が経ち、両親がこっちに戻ってきていた。
今は病院の待合で。侑李の病室にいないのは、侑李が今検査に行っているから。
私は人数分の飲み物を買って、両親と兄が待つ待合へ到着した所だった。
兄が私の話をしている。
私はピタリと足を止め、「ここに残すべき」だという兄の話を盗み聞きしていた。
「どうして?」
お母さんが口を開く。
「密葉は、侑李と距離を取ったほうがいいって思ったから」
侑李と距離?
「大和、どういうことなの」
「密葉が侑李とケンカでもしたのか?」
両親が不思議がって聞く。
こんな話を聞いては、3人の前に出ることが出来なかった。どうして兄が、私がついて行くことに反対するか分からなくて。
「密葉が限界だからだよ·····」
「何言ってるの?」
「どういうことだ大和」
「密葉が限界だって言ってんだよっ」
荒々しく口を開く兄に、少し体が揺れた。
「俺が行くから、密葉は残してほしい」
「その理由は何って言ってるのよ」
「限界って、どういうことだ」
兄が息を吐くのを、雰囲気で分かった。
「母さん達は知らないと思うけど、密葉はたまにおかしくなる」
··········おかしくなる·····。
「小さい頃マジでロボットみたいだったよ、あいつ。1回泣きそうになってた事あったけど、俺が「仕方ねぇ」って言ってから·····、それっきり俺らの前だけでは泣かねぇし笑うことも無くなった」
「大和·····」
「母さん達の前では笑ってたよ、でも、俺には分かった。ずっといたから·····、今まで見てた顔じゃねぇって。··········気づいて無かっただろ」
私は、咄嗟に口を抑えた。
「そっからだよ、密葉がおかしくなったのは。母さん達は家に帰んねぇし、しょうがねぇって分かってるけど、仕事で遠くに行って。」
「どうしてすぐに言わなかったの!」
「言えるわけねぇだろっ。侑李がこんな状態なのに!」
「そんなのっ、考えればっ·····」
「考えれば?考えれば何だよっ、母さん達にどうにかなったって言うのかよ!あん時はばーちゃん達に任せっきりだったじゃねぇか!!」
「それは·····」
「大和。続きを話なさい。密葉がそれでどうなった?」
父の落ち着いた声·····。
「それで·····、それで密葉は、母さん達に頼まれたから侑李に付きっきりだったよ。ずっと·····。小さい頃、密葉はまだ小学生だったのに、ずっと面会時間が終わるまでいた·····。俺、そん時結構頑張って夜ご飯とか作ってて·····、夜遅くなる密葉に八つ当たりしてた。もう少し早く帰れるだろって」
「··········」
「あん時の俺は馬鹿だった、密葉の気持ちも考えないで·····」
兄が「言い訳するなっ」って怒った時·····。でもそれは当たり前のことだと思った。だって兄とはひとつしか変わらない。当時、私は11歳。兄12歳。兄は小学6年生だった。
大人の考えが出来るわけない·····。
「密葉は侑李だけを思ってた。ずっと侑李を大事にしてたよ。侑李の前では笑ってた。けど、俺の知ってる密葉の顔じゃない·····」
「··········」
「何年かそれが続いた。正直、その頃は俺もバイト始めて金貯めるように必死になってたから、あんまし密葉の事をそれほど深く考えてなくて。そういう密葉が当たり前になってたから」
「··········」
「·····やべぇって思ったのは、去年」
「·····去年?」
「密葉のやつ、飯食わなくなった」
「え?」
「原因は侑李が飯を食わなくなったから。侑李が食わねぇのに、私だけ食べてどうするんだって。全然食わねぇ·····。風呂で溺れそうになるぐらい疲労してた」
「本当なの·····?」
「今はちゃんと食べてるけど、他にもある」
「·····他って?」
「母さんたち、手ぇ握りしめて、血でるか?」
「·····血?」
「全身震えて、ずっと手を握りしめていたから、皮膚に爪がくい込んで·····、爪が割れて。必死に自分を抑えようとしる密葉を、想像出来るかって言ってんだよ」
兄は、見ていてくれていたのだ。
ずっと私のことを。
侑李だけの世界を作っている私の事を。
「い、今は普通でしょう?この前会った時も普通だったじゃない·····」
4人で侑李の転院の話をした日。
「普通?あれが普通に見えたのかよ!あの日の夜だよっ、さっきの手の話は!」
兄が母に向かって怒鳴りつける。
ポロポロと、涙が零れてしまう·····。
必死におさえようと、手首辺りの服で目元を抑えた。
「分かっただろ、いったん侑李から密葉を離すべきなんだよ。あいつは侑李の事になると、すぐに自分を犠牲にする」
「··········大和·····」
「あと、もう1つ理由がある」
「もう1つ?」
「フジだよ、密葉の男。·····密葉はフジから離さない方がいい」
突然の和臣の名前に驚く。
「フジ?それは密葉の彼?この前家に来た·····」
「そうだよ。俺はなにも出来なかった·····。密葉が暴れても、おかしくなっても、どうすればいいか分からなくて。ずっとフジに任せっきりだった」
和臣、和臣は言ったよね。
俺のせいだって。
それは違う·····。
やっぱり違うんだよ。
私はこころの病気になっていた。
侑李の世界という、こころの病気に。
「さっき、密葉が食べなくなったって話したけど。密葉が食べるようになったのは、フジのおかげだ。あいつがいなかったら、今、どうなってたか分からない·····」
両親は黙ってて兄の話を聞いていた。
「さっきの手のひらの時も、俺が「やめろ」って言っても、全然やめなかった。フジが家に来て·····、フジの声を聞いた瞬間、密葉は手を緩めた。俺はその姿を見てそっから離れた。フジなら任せられるって思ったから·····」
私の覚えていない出来事·····。
「密葉が俺の知ってる顔で笑い始めたのも、泣き始めたのも、フジと関わってからだ。でもやっぱりどう見てもおかしい顔して笑う時もある」
和臣と関わってから·····。
「フジは·····、密葉にとって、大事な存在なんだよ。だから今は離しちゃダメだ·····。今離せば密葉は前みたいに戻る」
前みたいに·····。
「フジのおかげで、昔の密葉に戻ってきてるから」
あの日、和臣と出会ってから、私のこころの治療は始まっていたんだ。
私と侑李だけの世界に、他人の和臣が加わってくる。
和臣は私にとっての、こころの薬で。
和臣という薬を投与された私は、今は治療中みたいなものなのだ。
だから和臣のせいでこうなってるんじゃない。和臣のおかげで、私は前のように戻ろうとしているの。私と侑李の世界を無くならそうとしている。
でもやっぱり、そう簡単に和臣という薬を使い完治する訳ではなく。
反動でパニックを起こしてしまう。
それが「私だけが」を引き起こしてしまう。
それが、今までの原因。
侑李との2人だけの世界を作ってしまったのが、こころの病気だったんだ·····。
このままずっと和臣のそばにいて、侑李と離れれば、昔の私に戻る。
侑李が生まれる前の、我慢するとう言葉を知らない私に。
「·····母さん達は知らなかったわ·····。和臣君は全て知って、密葉の事を理解してくれるのね」
私の事を全て理解している和臣。
「そうだよ、和臣からはちゃんと連絡来る。今日の密葉の様子少し変だったから、家でも様子見てくれとか。すげぇ些細な事でも気づいてた」
私の知らないこと·····。
そういえば度々言っていた。
大和から聞いたって。
それは兄と連絡を取り合ってたってこと。
私の様子を。
「あいつの密葉を思う気持ちは相当だよ。会って分かっただろ?」
私がおかしくなるのは、和臣という名の薬の副作用みたいなものなのに、わざと自分を悪者にして·····。
私をこれ以上戸惑わせないように。
私の事を大事に思ってくれている和臣·····。
「俺は思った。密葉がこれ以上おかしくなるんなら、1回精神科っつーのに、診てもらった方がいいかもって」
精神科·····。
「それをフジにも言ったことがある。フジも密葉の事は理解してたから。けど···、やっぱりあいつすげぇよ。俺らよりも密葉の事を考えてるよ········。密葉に必要なのは医者じゃない、フジだったんだよ」
私に必要なのは·····。
「だから密葉が完璧に治るまで、フジと一緒にいるべきなんだよ·····」
和臣と一緒にいるべき。
私と侑李だけの世界を壊すには、和臣と一緒にいること·····。
和臣が、私の治療薬·····。
和臣は私に言った。和臣と出会ってから、おかしくなったと。和臣と関わって私だけが幸せになってはいけないと思うようになったからって。
でもそれは間違っていて。
和臣と出会ってから、私は昔の私に戻ろうとしていた。こうなる前の私に。我慢という言葉を知らない私に。
侑李に対して、嫉妬しない昔まで。
けど、侑李を殺しかけたっていう事が、それを無意識にストップさせてしまう。それがあの侑李だけの世界を蘇らせてしまう。
そうか·····、そうだったんだ。
━━━━━━━ふと、頭に浮かんだ。
これが真実ならば、私は·········。
私を信じていてくれた和臣·····。
その信じるとはつまり、この事を自分で気づくことだったんじゃないかって。
「フジは言った。今診てもらうはダメだって。密葉にそれを言えば密葉自身が「病気かもしれない」って気持ちに戸惑って、治りかけてんのに、それは逆効果だって」
ほら、やっぱりそうじゃない·····。
他人から「お前は病気だ」って言われるのと、
自分自身で気づくのでは、全く意味が違ってくる。
兄がいうように、きっと「精神科に行こう」って言われていたから、私は「病気じゃない!」っておかしくなっていたかもしれない。
侑李と2人だけの世界を、壊すことが怖かったから。
でも今は理解している。
このままじゃいけないと。
和臣はそれを私に分からせようとしてたんだ。自分を悪者にしてまで。遠回しに、私へ伝えようとしてくれていた。
私を信じてくれている和臣·····。
いつの間にか創り上げていた世界·····。
自分自身で、現実世界に戻ること·····。
この侑李だけの世界を、自らの手で壊すこと。
和臣と出会うまで、侑李だけの世界があったっていうのも分からなかった。私が無意識に作ってしまっていたから。
やっと現実世界に戻ってきた私は··········。
━━━━和臣の声が聞きたいと思った。
気づけば、涙は止まった。
ゆっくりと、3人の前へと歩き出す。
「お兄ちゃん、もういいよ」
そう言うと、3人は私がいた事に驚いたのか、私の方に顔を向けた。
「密葉·····、聞いてたのか?」
しまったという顔をした後、じっ·····と私の顔を見る兄は、また驚いている顔をして。
「うん。これ、コーヒーね。ここ置いとくね」
待合のイスの前にあるテーブルに、鞄から人数分の飲み物を取り出した。
「密葉·····、ごめんね、ごめんなさい·····。密葉がこんなにも辛い思いをしてるなんて·····気づけなくてごめんなさい·····」
「お母さん、いいよ」
泣いている母が私の元にやって来て、和臣がいつもしているように、母も私を痛いぐらいに抱きしめた。
母に抱きしめられるなんて、何年ぶりだろう。
「密葉、本当にすまない·····」
「いいよ、お父さん」
お父さんが頭を下げてきて、私は「もう謝らないで」と笑った。
「密葉、大和から話は聞いたわ·····」
ずっと抱きしめる母が、すごく温かかった。
「うん」
「密葉はここに·····残りなさい·····」
「お母さん·····」
「本当に、ごめんね密葉·····」
「うん·····」
「母親失格だわ·····、真っ先に気づかなくちゃいけないのに·····」
「父さんも失格だ。悪かった···」
「そんな事ない、それを言うなら私だって姉失格だよ。弟に嫉妬してたんだから·····」
「密葉·····」
「じゃあ、俺も兄失格って事で。分かっていながら密葉をほっといた俺も悪い」
「お兄ちゃん··」
兄の方を見れば、笑っていて。
その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「昔の密葉だ·····」と、ポツリと呟いた。
その呟きを聞いて、私は笑った。
「お母さん」
「なに?どうしたの?」
慌てて聞く母に笑いかける。
「もっとぎゅってして」
母は私を見て優しく笑い、長い時間私を抱きしめてくれた。横から「父さんの所には来ないのか?」と言われ、私は笑って父に抱きついた。
いてもたってもいられなかった。
私は「電話してくる!!」と、検査が終わった侑李の病室に向かう3人に向かって言った。
いつもなら必ず私も行っていたけど。
「早く戻ってきなさいね」
「うん」
和臣の声を聞きたくて仕方がなかった。
病院内の電話ができる場所へと小走りで向かい、私はスマホを手に持った。
着信履歴から、和臣のスマホへと電話をかける。
プルルルという効果音が、すごく長く感じた。
プッと、効果音が切れた音がして、繋がったと思った私は、「あ、あの·····」と、声を出した。
まだ和臣の声を聞いたわけではないのに。
「あたし·····」
『うん』
「密葉だけど·····」
『うん、分かるよ』
スマホ越しから聞こえる和臣の声が、すごく穏やかで優しい声で。
ドキドキ··········と、こころが鳴った。
『何かあった?』
「うん」
『どうした?』
「和臣·····」
『ん?』
言いたいことが沢山あるのに、上手く言えない。和臣の名前しか出てこない。
それが和臣に伝わったのか、『ゆっくりでいいよ』と言ってくれて。
落ち着くために、1回深呼吸した。
「·····分かったの·····」
『うん』
「私、すごく和臣に想われてたんだなぁって」
『何を今更、やっと気づいたのか』
そういう和臣は笑っていて。
「ありがとうって、言いたくて」
『うん』
「私を連れ出してくれてありがとうって」
侑李だけの世界から。
侑李の2人だけの世界から·····。
『密葉、気づいてるか?』
嬉しそうに言う和臣。
嬉しそうに言っているけど、和臣の言っていることが分からなくて。
「··え···?······何に?」
『密葉から電話、初めてなんだよ』
「え?」
そう言われてみれば·····。
いつも電話は和臣が掛けてきていた。
私から連絡する事は無かった。
『何かあったらすぐに電話しろって、俺ずっと言ってただろ?』
「うん」
『俺を頼れって』
「うん」
『つまりな?密葉が俺に連絡をとるってことは、俺に対して心を開いた瞬間なんだよ』
「··········え?」
『もう、自分でも分かってるだろ?』
「··········」
『さっきも、自分で言ってただろ?』
連れ出してくれてありがとうと。
ずっと侑李の世界にいた私は、和臣と付き合っていること自体、本当はよく思っていなかった。
これでいいのかなってずっと思ってた。
和臣にも、これでいいのかと言ったことがある。
だから私は和臣を頼らなかった。
両親から転院という話を聞いた日、まだ余裕はあった。自分で和臣に連絡をすることは出来ていたと思う。和臣に相談も出来たはず。
でも私は、それをしなかった。
和臣を頼りきれていなかったから。
「ねぇ」
『ん?』
「ずっと待っててくれたの?」
『密葉の電話を?』
「うん」
『待ってたよ、電話鳴った瞬間、すぐ目ぇ覚ますぐらい耳が敏感なった』
ふと、和臣が私の部屋で寝ていたことを思い出した。眠っていたはずの和臣が、スマホの着信音が流れた瞬間、目を覚ましたことを。
もう侑李の世界に捕らわれない。
和臣に頼ることだってできるし、信じることだってできる。もう、私の中に「私だけが」というストッパーは無いのだから。
和臣へ私から連絡をした瞬間が、私が創り上げた世界が、崩壊する合図だったのだ。
「和臣」
『うん』
「さっきお兄ちゃんに言われたの、お前はここに残って、和臣といるべきだって」
『うん』
「今離れたら、また戻ってしまうからって·····」
『うん』
「でも、でもね」
もう、私の中に侑李の世界は無い。
私のこころは治ってる。
ということはもう、完治している私に、和臣の治療薬は必要ないということ。
その事を理解している私は、きっともう二度とそんな世界を創らないだろう。
「私はもう大丈夫なの」
『そうみたいだな』
「和臣と離れていても、もう大丈夫なの」
『うん』
「和臣のこと信じてるから、離れていても。私が辛い時は和臣に連絡する。私が困ってどうしようってなった時も、絶対和臣に言うから!」
『密葉?』
「だから和臣も私の事信じて·····。もう大丈夫だから·····、和臣がいなくても」
『分かってるよ、言いたいことは』
和臣が優しく笑う。
『行くんだろ?』
侑李と一緒に。
『もう密葉は大丈夫だよ』
二度と世界を創らないから。
『遠距離とか、大したことねぇしな』
ずっと和臣を·····、ううん、お互いが信じあっているから。
『行ってこいよ。俺は密葉をずっと待ってるから』
「うん·····」
『なあ』
「うん·····っ·····」
『電話越し、結構キツイんだけど』
「···っ·····」
『会いたい、すげぇ会いてぇんだけど·····、今どこにいんだよ』
私も、今すぐ会いたい。
「今は侑李の病院で·····、でも、戻らなくちゃならなくて·····」
『ん。分かった』
「終わったら私が会いにいく!和臣の所に!何時になるか分からないけど、行くからっ」
いつも和臣が私を迎えに来てくれるから·····。
今日ぐらいは、自分の足で和臣の所へ向かいたいから。
『分かった、待ってるな』
私の愛しい人·····。
会って早く抱きしめて欲しい·····。
早くキスしてほしい·····。
私はずっと、これからも和臣の事を思っているのだから·····。
すごく世界が変わった気がした。
前までは街で見かける恋人や、友達同士で遊んでいる子達を見れば、羨ましいって思ってた。
不思議とそれを見ても、苛立ちや羨ましさを感じることは無くて。
和臣の地元へ1人だけで訪れたのは初めてだった。夜の九時。侑李の病院からの最寄り駅から電車に乗り、ここに来たわけだけど。
会いたくてたまらない和臣は、今どこにいるか分からず。
和臣の地元の駅と言っても、この駅に来ること自体初めてで。
どこに行けば和臣に会えるのか。電話を繋げればきっとどこにいるか分かる。けど和臣なら、私がここにいるといったら、来そうな感じがしたから。
待つと言っても、来てくれるのが優しい和臣だから。
でも、電話をしないと、和臣がどこにいるか分からない。
バイクでラーメン屋に行ったり、和臣の家へ何度か行ったことはあるけれど。あんまり道順は覚えていない·····。
というか、駅からの行き方が分からない·····。この駅で降りるのも初めてなんだから。
どうしようかとぼんやり考えていると、「こんばんわ」という声が、横から聞こえて。
「覚えてますか?」という茶髪の男が、私のことをじっと見ていた。
同い年のような男の子は制服をきてきて、突然見ず知らずの人に話しかけられた私は「え?」と戸惑ってしまった。
見ず知らずの土地で、見ず知らずの男に話しかけれる。
覚えていますか?
男の人は困った顔をして、「フジ君の彼女ですよね?」と、また驚くことを言う。
「え···?」
「覚えてないですか?前に、ラーメン屋で会ったんですけど」
ラーメン屋·····。
ラーメン屋で思い出すのは、和臣といったラーメン屋·····。
そこで会ったのは確か·····。
あ··········。と、ぼんやりと思い出して·····。
「城崎辰巳の弟っていえば、分かりますか?」と、落ち着いた声で言った。
和臣の親友の辰巳君の弟·····。
それを考えれば、少しずつ目の前にいる人を思い出してきて。
「はい·····」
「1人ですか?」
「え?」
「あ、いや···、地元こっちじゃないですよね?」
どうしてそれを知っているのか。
和臣から聞いたのだろうか?
「はい、和臣に会いに来たんですけど、どこにいるか分からなくて」
「フジ君に?」
「どうしようって思ってました」
「え? フジ君ならあそこに·····、ってか電話しないんですか?」
よく分からない顔をする辰巳君の弟。
「電話をすればきっと和臣は私を迎えにくるから、私から会いに行きたくて」
「そうなんですか·····」
「あの、和臣がどこにいるか検討つきますか?」
「多分、事務所にいると思いますよ」
事務所?
「事務所って?どこかのビルとか?」
「え?」
え?
辰巳君の弟は、少し驚いた顔をして。
「行ったこと無いんですか?」
やっぱり驚いている辰巳君の弟·····。
行ったことがない·····。
事務所とは?
「事務所ってもしかして暴走族に関係あるんですか?」
私が知らない和臣·····。
「·····そうですね、族の溜まり場です」
「私、あんまりそういうの知らなくて。総長っていうことは知ってるんですけど、それ以外はほとんど何も·····」
「··········」
「·····じゃあ、その事務所っていう所に行ってみます。どの辺りにあるか知ってますか?」
私はそう言って笑いかけた。
辰巳君の弟は私の話を聞き、何かを考えている様子で。
「あの···、つまりフジ君に内緒で、フジ君の所に行きたいって事ですか?」
まあ、そういう事になるかもしれない。
「はい」
「ちょ、ちょっと待って、フジ君が事務所にいるか聞いてみますから。いなかったらダメだし」
辰巳君の弟はそう言って、後ろのポケットからスマホを取り出した。
どこかに電話をしているのか、その場で電話をかけだした。
「あ、俺·····。兄ちゃん今どこ?·····俺はちょっと学校用事あって·····。外に·····。ってか、そっちにフジ君いる?··········ああ、うん、いや、それだけ··········。うん。·····分かった」
兄ちゃん·····。
多分、電話の相手は、兄である辰巳君·····。
「やっぱりいるみたいです」
私にそう言った辰巳君の弟。
和臣は、事務所という所にいるらしく。
「道、曲がるとこ多いし迷うと思うので俺も一緒に行きますよ」
「え?」
「フジ君の彼女を、1人で歩かせるわけにはいきませんから」
当たり前のように言う辰巳君の弟。
それって迷惑をかけるってことなのでは?
いきなり現れた私を道案内なんて。
でも、この辺りに詳しくないから。そう言われるとすごく助かるから·····。
「いいんですか?」
顔を傾げて聞くと、辰巳君の弟は少し穏やかな顔になった。
「いいですよ」
少し辰巳君に似ている弟·····。
「ありがとうございます」
私は笑って頭をさげた。
「15分ぐらいでつきますから」と、私に対して敬語を話す彼は、奈央(なお)という名前らしく。
奈央君と私は歩きながら少しだけ世間話をした。その時に同い年だということを知って。
「じゃあ、普通に喋ってください。敬語もいらないので」という奈央君は、まだ敬語のままだった。
その事に対して質問すると、「フジ君の彼女に対して、普通に喋れませんよ」と、敬語をやめることはしなかった。
人気のない所だと思った。
駅から10数分ほど歩けば、住宅街から離れていき。どちらかと言えば、古びた工場地帯の方へと向かっていく。
歩く度に、バイクの音っていうのだろうか、ブロロロ·····っていう音が、耳に入ってきた。
「今日日曜日だし、そんなに人いないと思いますよ」
まず初めに、ずらりと並んでいるバイクが目に入った。広場のようになっているそこには、若い男女が喋ったりしていて。どちらかというと、男の人の方が圧倒的に多くて。
その奥には二階建てのような建物があった。
1階は倉庫のようで、シャッターが半分ほど開けられていて。
正面から見て左側に階段があり、その先には2つの扉があった。
「おおおっ、奈央じゃねぇか!久しぶりだな!!」
その時、すごく大きな声を出し、近づいてきた男が奈央君の名前を呼んだ。
「こんばんわ、湊君」
奈央君が軽く頭を下げる。
湊·····。
その名前は何度か聞き覚えがあった。
確か和臣は、湊という名前が出れば面倒くさいと··········。
「おっ、奈央の彼女か?すげぇ大人しそうな子だな!」
私に気づいた湊という男は、やっぱりテンション高く喋りかけてくる。
「違いますよ。湊君、すみませんが兄ちゃん呼んできてもらえませんか?」
「辰巳?」
「はい。お願いしていいですか?」
「なんか分かんねぇけど、分かった、辰巳な!」
やっぱりテンションの高い彼は、建物の方へ行き、2階へと続く階段へと足を向けた。
その場から動かない奈央君は、私を物陰へと連れていった。まるで、中にいる数人の男女に見せないように。
私と奈央君がここにいることを知っているのは湊という人だけということになるけど。
「中に入らないの?」
「はい。多分、湊君がフジ君を連れてくると思いますから」
和臣を?辰巳君ではなくて?
だってさっき、「兄ちゃんを呼んできて欲しい」って、奈央君が言ってたのに?
「それに俺がフジ君の彼女を、中に連れて行くわけには行かないから」
「え?」
「俺、そんな事したらフジ君にキレられるかもしれません」
キレられる?
奈央君が和臣に?
あの優しい和臣が?
「和臣が怒るの?」
「はい」
「どうして?」
「ホント言うと、こうしてここに連れてきただけでも怒られそうだから」
「でもそれは·····私が言ったから·····」
「そうだとしても、連れていくっていう判断をしたのは俺ですから」
和臣は言っていた。
私を暴走族に関わらせたくないと。
密葉は密葉のままでいてほしいと。
つまりは、私は今、和臣がしてほしくなかった事をしてるってこと。
暴走族に関わってほしくなかったから、和臣は私に何の話もしなかった。
暴走族という不良の世界に、私を巻き込みたくなかったから。
きっと、それは奈央君にも分かったんだ。
だからって、連れてきた奈央君が怒られるなんて·····。
私は奈央君が止めてきても、ずっと和臣を探し回ってた。きっと1人でもここに来ていたから。
「密葉っ!」
その時、大好きな人の声が、耳に届いた。
会いたくて会いたくて仕方が無かった存在。
和臣はここまで走ってきたのか、それほど遠い距離ではないけど、凄い勢いでダッシュしてしたのか息が乱れていた。
すごく驚いている和臣は·····。
「なんでっ」
「あの、和臣·····」
「なんでっ、なんでここに·····、奈央が連れてきたのか?」
そう言って、奈央の方を見た。
奈央は「はい」と、申し訳なさそうに呟き。
「どういう事だ」
私にじゃなく、奈央君に対して怒っているらしいは、少し低い声を出した。
「あの、和臣·····、私が連れてきてもらったの。たまたま会った奈央君に、無理言って連れてきてもらったの···。奈央君を責めないで」
私は、そう言って、和臣の服を掴んだ。
「密葉、何でだ?何で連絡しなかった? 俺、密葉が来ると思って連絡待ってたんだぞ」
「だって駅についたよって言えば、和臣は駅まで来たでしょう?」
「それは·····、密葉、道分かんねぇだろ?」
「うん、だから奈央君に連れてきてもらったんだよ」
私はそう言って、和臣に向かって笑いかけた。すると和臣は、一瞬動きを止めて·····。
「私が来たかったの、いつも和臣来てくれたみたいに、私から和臣に会いに行きたかった」
「·····密葉·····」
「本当は分かってるの、和臣、私をここに来させたく無かったんでしょう?」
「··········」
「私を巻き込ませたくなかったから」
「·····そ、うだけど·····」
「でも、来たかった。私、奈央君がダメって止めてても、ずっと和臣を探したよ」
「·········そうか」
「来たかったのは私の我儘。ごめんね」
「··········我儘?」
「うん」
「密葉が俺に?」
「うん」
「なら·····しょうがねぇな」
だって、私が我儘を言ったのは、侑李の世界を創ってから初めてのことだから。
それを和臣は分かっていたから。
「そんな顔で言われたら、怒るに怒れねぇよ」
和臣が呆れたように笑う。
「そんな顔?」
そう問いかける私の肩に腕をまわした。そのまま和臣が優しく引き寄せる。
「笑った顔、すげぇ可愛いって言ったんだよ」
奈央君に聞こえないように、和臣は優しく呟き·····。
「奈央、連れてきてくれてありがとうな」
「あ、いえ·····」
和臣はそのまま肩を抱き、中へと入ろうとする。
「え?中に入るの?」
私は驚いて和臣を見た。
「嫌か?」
嫌かというか·····、私はただ和臣に会いに来ただけだから。
「ううん、私、入ってもいいの?」
「·····いいよ。密葉は俺の女だからな」
和臣の女だから·····。
関わらせたくないと言った和臣、でも私の我儘でここに来た。
仕方がないと言った和臣は、やっぱり優しく私を抱き寄せる。
「みんなに紹介したい俺の我儘も、きいてくれよ」
呆れたように笑い、和臣は歩く。
和臣の我儘も··········。
本当は、和臣もみんなに私を紹介したかったってこと?
少し驚いて、ふふふっと笑いが漏れた。
そのまま和臣の顔を見続けると、和臣は少し顔を赤くした。「その顔、見慣れねぇ·····」と呟いた和臣は、何故か歩きながら顔を近づけてきて·····。
「おいおいおいおい!なんでフジが行ってんだよ。俺は辰巳を呼んだんだぞ、奈央と大人しめな女の子が来てる〜って! つーか、何し·····てん·····だ?」
ピタリと動きを止めた和臣は、面倒くさそうに再び顔をあげた。
「え?え·····、なんで奈央の女に、腕回してんだ?」
私達を見てビックリしている湊という男。それを聞いて和臣は、「何勘違いしてんだよ、奈央の女じゃねぇよ」と、低い声で呟いた。
さっき奈央に聞いてきて、否定したのに。
本当に勘違いしているらしく·····。
「え? じゃあその子なに?」
驚いて仕方がないという湊は、目をぱちくりさせていて。
「俺の女」
当たり前のように言う和臣。
「俺って·····、は?フジの?」
「そうだっつってんだろ」
「奈央、これドッキリか?」
「いえ、本当ですよ」
「え·····、は、はぁぁぁあああ!?!?!?」
ビクッとするぐらい大きい声を出した湊という男·····。その声のせいで、中にいる数十人の男女が驚いてこっちを向く。
「なんだ?」
「フジ君揉めてんの?」
「ってかあれ、辰巳君の弟じゃねぇ?」
ゾロゾロと、人が出てくる·····。
「フジ、お前っ、女いるって聞いてねぇぞ!!!」
大きすぎる声を出す男に、横にいる和臣は大きなため息をついた。
「フジ君の彼女?」
「え、マジ?」
「どこっ、あの子!? 」
どんどん騒がしくなる声に、私は不安になって和臣を見つめた。
本当に私はここに来ても良かったのかと。
「事務所いくぞ、奈央も来いよ」
「あ、いえ、俺用事あるので帰ります」
「そうなのか?悪かったな、送ってくれて」
「いえ」
「待て待てっ。話は終わってない!」
「うっせぇんだよお前は」
まるで引き寄せパンダのようだった。和臣と一緒に歩く度、見つめられる視線。
階段を登る時も、その視線は止まらない。
「和臣」
「ん?」
「すごく見られてるよ?」
「見られてんじゃねぇよ、見せてんだよ」
ニヤりと、子供のように笑った和臣は、私の頭にキスを落とした。
階段を登り、当たり前のようにノックもせず2個あるうちの、手前の方の部屋を開けた。
そこにいたのは、二度見た事のある辰巳君と。
まるで俳優·····、モデルをしてそうな男性と。
明るい髪をした、凄く美人な人と·····。
「あー!やっぱり密葉ちゃんだった!」
今日も可愛い和臣の妹である胡桃ちゃんがいた。
その部屋には、大きな黒色のソファが2つ置いてあった。その間に置いているテーブル。
奥には小さな冷蔵庫や、本棚。
それから日常生活において必要なものが置かれてあり。
「いやな?俺は辰巳を呼んだんだよ。弟が来てるぞ〜って。それから大人しそうな女の子もいるって!この辺のまでの黒髪に、ちょっとタメ目でさ?肌が白い、なんかこう、守ってあげたくなるような·····。あ、花のネックレスつけてたな!なあ、辰巳、辰巳の女か?って聞いたら、なんでかフジが飛び出してよ? 聞いたらフジの女だって言うじゃねぇか!!!!」
私をソファに座らせてくれた和臣は、「何か飲むか?」と、まるで湊さんの話を聞いてないようだった。
「え?そうなの?フジの!? マジ!?」
「本当ですよ実さんっ。家にも何回か来たことありますよ!」
「はあ?胡桃てめぇ知ってたのかよ!なんで言わなかったんだよ!」
「だってお兄ちゃんに口止めされてたんだもん!」
「何だと!? つーか、辰巳、なんで驚いてねぇんだ?····知ってたのか!お前も知ってたんだな!!」
「俺は知らなかったな、フジいつから付き合ってんだよ?」
「秋から」
「おいなんで大駕に返事するんだよ!つーだ秋!? 秋ってなんだ!今は冬だぞ!! もうすぐ春だぞ!!」
どこかで見た事のある光景だと思った。和臣は私の横に腰掛け、「お茶でいい?」と缶のお茶を私に渡してきて。
「ありがとう」
「いいよ」
「なあなあ、どこで会ったんだ?名前は?歳は?つーかどこ住んでんの?この辺?」
私、和臣、胡桃ちゃんがひとつのソファに座り。
もうひとつの大きめのソファに、辰巳君。そしてとても美人な人と、とてもかっこいい男性が座っていて。
座っていない人は湊さんだけで·····、そんな彼はずっと立っていて、「どうなんだよ?」と私の顔を覗き込んでくるもんだから、ビックリして和臣に寄り添った。
「ちけぇんだよ」
不機嫌な和臣は、湊さんに向かって足をあげ蹴るふりをする。
やっぱり見た事のある雰囲気·····。
初めて行った和臣の家の雰囲気にそっくりだと思った。よく喋るお母さんと、よく喋る湊さん·····。
「ってかフジの好みって、大人しめな子だったんだ。ちょっと意外」
手足が細長く、どの角度から見ても美人な人が、口を開く。
「そうですよね実さん、私もそう思いましたもん」
と、胡桃ちゃん。
美人な女性は、実さんというらしく。
「つかフジの好みって何だよ?」
と、やけにかっこい人が口を開き。
「そういえば今まで女いなかったよな?え、じゃあ初カノ?·····初カノなのか!?」
「湊、そろそろうるせぇ」
辰巳君が低い声を出し、ため息を出しながら雑誌を読んでいた。
「だからお前に言うの嫌だったんだよ」
「何だと!? 」
「ちょっとー、湊はいいとして、なんで私と大駕には教えてくんなかったの?」
「大駕には言っていいって胡桃には言ってたけど。実にいったら湊に言うだろ?」
「まあ、確かにね」
「私大駕に言ったよ?どーせ酔っ払って覚えてないんでしょ」
「マジ?」
やけにかっこいい男の人は、大駕という名前みたいで。
「だからなんで俺だけはぶかれんだよ!」
「うるせぇからだよ」
和臣が突っ込みを入れていて、少し笑いそうになった。
「ごめんね、うるさくて。えっと何ちゃん?密葉ちゃんだっけ?」
大きな瞳をむける実さんという女性。
顔が整いすぎていて、話しかけられているというのに声が出なくて。
「·····いえ」
やっと声が出たと思えば、小さすぎる声で。
「まあ、俺の彼女ってことで」
和臣が私の肩に腕をまわし、引き寄せる。
和臣を見つめれば、やっぱり優しく笑ってる。
「ごめんな、うるさくて。いつもこんな感じなんだよ」
「ううん」
「しつこい奴もいるし、嫌なら言ってくれればいいから」
しつこい奴·····。
強引すぎる和臣が言うなんてと、笑いそうになった。
呆れている口調の和臣だけど、私は少し嬉しかった。
「そんな事ないよ。私、いろんな和臣の顔見れて嬉しいよ? すごく仲がいいんだなって伝わってくるから」
私が笑いながらそう言うと、和臣は一瞬動きを止めたあと、硬派な顔を崩しいつもより嬉しそうに笑った。
「え?いい子すぎない?」
「だな、フジには勿体ねぇな」
そんな声が聞こえ、私はそれを否定しようとした。
だって私の方が、私には勿体ないと思っているのだから。
「行くわ」
けども、和臣が立ち上がり私の手を掴んで立ち上がらせようとするから、そう言えなくて。
行く?
どこに?
「今出ない方がいいと思うけど」
私の手をひき、この部屋へ入ってきた扉へ向かう和臣。
そこに辰巳君が雑誌から顔をあげて言ってきて。
「あーそうだな、外凄いことになってそう」
大駕さんが、面白そうに言う。
「え?なんで?」
「あんた馬鹿ね、フジの女よ?もう10分ぐらいたってんのよ?集まってるに決まってるじゃない」
「ああそうか」
湊さんと、実さんが会話をしていて。
「いいんだよ、早く2人になりたいからな」
私を連れ、扉を開ける和臣。
「今日はもう戻んねぇから」
そう言い残し、私を連れて部屋を出た。
辰巳君が「出ない方いい」といった理由が分かった気がした。
思わず足が止まりそうになる。
手を繋ぎ、階段を降りる和臣。
反対の手には、腕に下がっている鞄と、さっき和臣がくれたお茶があって。
「来いよ密葉」
来いと言われても·····。
「早く2人になりたいからな」
視界に入ってくるのは、何十人もの男女。部屋に入る前も、確かに人はいる事はいた。
けど、人数が、ありえないぐらい増えて·····。
「あの人がフジ君の?」
「え!出てきたの?」
「ちょ、見えないし!」
何十人·····、ううん、100人は普通に越えてる。
もしかして、この人たちは和臣を見に来たの?
総長だから?
和臣が暴走族の総長だから、ここにいる人達は和臣を見に·····。
「和臣·····、いつもこんなに人がいるの?」
「いや、滅多にない。暴走ある時ぐらいじゃねぇの?」
「え、じゃあ今日暴走あるの?」
「ないよ」
ない?
ないのに、これだけ集まってるの?
「みんな密葉を見に来てるんだよ」
「私を?」
どうして私を?
「俺の女だから··族の総長の女って言うのは、それほど価値があるんだ。·····だから本音言うと、あんまり密葉をこういう目立つ存在にしたくなかった」
和臣の彼女だから·····。
目立つ存在に·····、でも私の我儘でここへ来てしまったから。
まさかここまでとは思わなかった。
ただ、和臣に会いたいだけだった。
こういうことになるなんて、思いもしなくて。
「·····ごめんなさい、こうなる事分からなくて·····、知ってたら来なかった·····」
「なんで密葉が謝るんだよ、中に入るの決めたのは俺だし。言っただろ?」
言っただろ?
「目立つ存在にしたくねぇって言っても、本当はみんなに紹介·····自慢したくて仕方なかったよ。密葉は俺のだって。謝るのは俺の方」
和臣はそう言い、私のおでこの上辺りにキスを落とした。
それを見た大勢の人が、騒がしくなった。
これが‘フジ’·····。
私の知らない和臣の姿。
そんな和臣を知れて嬉しいと思った。
でも、私が好きになったのは‘和臣’であり、‘フジ’では無く。
強引で、ストーカーな和臣が好きなのだから。
「うん、私は和臣のだよ」
和臣が幸せそうに笑えば私も嬉しくなる。
早く2人にきりになりたいと言った和臣は、大勢がいる中、歩いてバイクの方へと向かう。
当たり前のように2個あるヘルメットは、私を簡単に喜ばせた。
早く2人になりたいと言った和臣は、私の住む街の方へとバイクを走らせた。
「ちょ、ちょっと待って·····」
和臣は人気のない静かな公園にバイクを止めた。ヘルメットをとり、ベンチに座った瞬間、和臣が顔を寄せてくる。
「嫌」
少し強引に、唇を重ねてくる。
離れてはまた重ねてくる和臣は、なかなかキスをやめなくて。
それが嫌だとは思わない私は、和臣に体を預けていた。
名残惜しそうに離れ和臣は、私に視線を合わせ、そのまま抱き寄せてくる。
「マジで今日はなんの日だよ·····」
「え?」
「密葉から電話はかかってくるし、密葉が俺に会いに来てくれたし、こうして密葉と一緒にいれて、今日なんの日だよって」
その言葉に、くすくすと笑った。
「もう大丈夫なんだな」
和臣言う大丈夫とは·····。
「もう私自身で自覚してるから·····。本当にいきなり、気づいた瞬間世界が変わったみたいだった。·····、どうして私あんな事をしてたんだろうって思って」
「そうか」
「···和臣のおかげだよ、ありがとう」
「それは違う、密葉が頑張ったからだ。密葉が自分の意思で気づいたから」
「違うよ。和臣が私を救ってくれたんだよ」
「まあ、そうだな、俺頑張ったな」
「否定しないの?」
思わず笑いが漏れて、和臣から少し離れ、和臣を見上げた。
視線が合い、ずっと私を見つめる和臣は、触れるぐらいのキスをくれて。
「大和が言ってたんだ」
「お兄ちゃん?」
また和臣はキスをする。
キスの合間に喋るから、私の心はドキドキし続けっぱなしてで。
「昔と今の密葉の笑い方は全然違うって」
「笑い方?」
「ん、何だろな。その·····前の密葉も笑ってたけど、今は垢抜けたっつーか·····。密葉が笑ってんの好きだったけど、やっぱり違う。今日会ってびっくりした」
「びっくりしたの?」
「うん、可愛すぎてびっくりした」
「な、も、やめてよ·····」
恥ずかしくて顔を下に向けようとするけど、私の頬を包む和臣の手が許してくれず。
またキスをしてくる和臣は、今度は深く舌をゆっくりと使い、口内を動かしていく。
この公園に来てからずっとキスをしてくる。
和臣の深いキスが終わらなくて、だんだん体が熱くなる感覚に慣れず、私は和臣の服を掴んだ。
こんなに長い時間キスをするなんて今まで無かった。
唇が離れた時、大きく息を吸った。
「か、かずおみ·····」
頬にキスをする和臣は、その首筋へとキスをしていき。
「今日な」
「んっ··········」
突然首筋で喋ってくるから、変な声が出てしまい。
「今日·····、来てくれて嬉しかった」
ドクンと心が鳴る。
「電話の時も。ずっと待ってた電話が来た時もすげぇ嬉しくて。密葉が俺を信用してくれて、マジで嬉しかった」
「うん」
私を信用してくれていた和臣。
私が自分自身で気づくことを、私ならできるとずっと待っていてくれた。
私が自分自身の心の病気と向き合える日を。
「なあ」
「·····うん」
「··········やりてぇ」
「え?」
「今すぐしてぇ·····、ずっと待ってたから·····この日を」