午前六時。眠りから覚めない群青の空を鋭利な紅の光が突き抜け、次第に混ざりあって斑点模様を浮かび上がらせていた。
冷たい風が私の髪をなびかせる。木立が吐く緑色の息を吸い込んだ私の身体は軽くなる。
大丈夫。うまくいかなかったらこのまま飛んで空の向こうまで逃げていけばいい。何も怖くない。
もう何度運動場を見下ろすために体を預けたか分からない手すりにサヨナラを告げて、私はベランダと教室を隔てる格子を跨いだ。
学校祭準備最終日。始発の電車が間に合わない子を除けば九割以上の生徒は教室に集まっていた。
私はぶれることなく教室のど真ん中を突き抜ける。
一歩一歩進むたびに、かけがえのない思い出の鱗片と築き上げてきた信頼が、瞬いては消えていく。教室の中央に着いた私はその軌跡を振り返る。
もう形跡を拝むことはできなかったが、代わりにそこにはクラスのみんなの顔とメールで呼び出した琴乃の顔が見えた。
一呼吸置いてから私は口を開いた。
「皆さんに話があります」
その瞬間、教室中の視線が私の方を向く。心の隙間に生じた恐怖を抑え、私は逃げ出そうとする足の裏をタイルに張り付ける。
自分を律して前を見た時に岡本君の視線とかち合った。彼の放つ不安そうな色に感情を持っていかれそうになっり、慌てて視線を逸らす。
再び真っ直ぐ、誰か一人ではなく教室全体を見つめる。
「今から言うことは全部本当のことです。私のいうことに衝撃を受ける人も嫌悪を抱く人もいると思います。混乱を招き、多大なる迷惑をかけることも承知してます。でも、どうか最後まで私の話を聞いてください」
今日の真夜中に徹夜で考えた始めの言葉。みんなは何も分からず漠然と私の話に耳を傾けていた。
「琴乃の手紙を破ってごみ箱に捨てたのは、私です。ごめんなさい」
静まり返った教室に暗澹とした私の声が響く。声は重金属のように重く、固まりきった教室を音もなく破壊した。
みんなの息を飲む声が聞こえる。あまりの驚きからか教室はざわつきもしなかった。
私は誰も見ずに続けた。
「みんなの言う通り私は琴乃に嫉妬してました。……何でもできる琴乃が羨ましかった」
本音が溢れだす。
「私には手に入らないモノを簡単に手に入れてしまう琴乃が羨ましかった。だから、私にとって大切な人まで奪われることには耐えられなかった。自分勝手なことだって、酷いことだって、十分かってる」
声が震え出す。
「許してほしいだなんて思ってない。今まで散々琴乃のこと傷つけたってわかってるから。すぐに自分がやったって謝ればよかったのにみんなに軽蔑されるのが怖くて、琴乃や岡本君に嫌われるのが怖くて。苦労知らずの琴乃の足を引っ張ってやりたいって気持ちがあって。私、正直に言えなかった……。噓を吐いてしまいました。でも、これ以上は傷つけたくないの。嫉妬してても、琴乃のことが大好きだから」
支離滅裂な文章になる。
もはや私はクラス全員に向って言葉を発していなかった。
琴乃だけに聞いてほしかった。
自己満足かもしれないけど、心の底から謝りたかった。
「傷つけてごめんなさい」
琴乃に向って深々と頭を下げる。
答えは待たず、すぐに態勢を戻す。
「皆さん、騙してしまってごめんなさい。私は、このクラスの学校祭の出し物の主役を務めるのにふさわしくありません。私は役を降ります。琴乃がお姫様をやるべきです」
今度はクラス全体に向けて頭を下げる。
予想に反して罵詈雑言は飛んでこなかった。みんなあっけにとられて声も出ないのかもしれない。
だが、静寂を切り裂いた一言に、今度は私が絶句する番だった。
「違う、立川じゃない。俺がやった」
声の主は岡本君だった。混乱に次ぐ混乱にクラスの中には空ろな目をしいてる人もいる。
「俺はあの日立川から手紙を受けとって、結木への返事に困って勝手に処分したんだ」
岡本君は真っ赤な噓を吐き出す。
「違う、私は、渡してなんてない。私が捨てたの!」
「いいや、俺がやった。立川は優しいから親友がいじわるされてるのを黙って見てられないんだ。だからこんな噓を」
「こんな人にまで、優しくなくていい!庇ってくれなくていい!」
私は混乱しながらも岡本君を止めようとする。岡本君がいい人なのは知っている。今度は私が琴乃みたいな目にあうこと心配してくれているのだろう。でも、ここまでするのは異常だ。お人よしにもほどがある。
「違うの、ねぇ。みんな、私なの」
何で、私は大切な人を傷つける結果しか導き出せないのか。
自分の疫病神気質に絶望して私は泣き崩れた。
最悪のタイミングで。
「こんな形で答えることになってごめん。これもオレが今まで逃げ続けてきたせいだ」
岡本君が琴乃に頭を下げる。
「なんで、岡本君は謝らなくていいのに。何も悪いことなんてしてないのに」
私は気力のこもっていない言葉を生み出す。
もともと私にクラスをまとめ上げる力なんてない。
岡本君の一言の方がよっぽどクラスのみんなの信用を勝ち取った。
「なーんだ。そう言うことだったのか。まぁ、もらった本人が処分するなら仕方ないよね」
「優しい岡本のことだから振った相手のこと考えちゃったんだね」
「でも、学校のごみ箱に捨てるのは無縁慮じゃない?それに今まで黙ってなくたってよかったじゃん」
岡本君がやったという前提で話が進んで行く。
違うのに。やったのは私なのに。
でも、私は不思議と岡本君に向く目がそれほど厳しいものでないことに気がついた。世の中は世知辛い。こんなにも人によってやることの印象が変わるものなのか。
「みんなのことを混乱させてしまって本当に申し訳ないと思ってる。でも、最後に一つわがままを許してほしい。三人で話をさせてくれないか」
岡本君の問いかけにしばらくクラスは誰も返事をしなかった。
そもそも自分には関係のないことだからと口を開くことを誰もがためらっている。
「いいんじゃねーの」
素っ頓狂な声が響く。
いつだって空気を読まないその声は、やっぱり西宮だ。
「じゃ、ごゆっくり~。みんなも早く作業場いかないと下級生に作業場とられちゃうよー」
静かな空気をぶち壊し、ガラガラと大きな音を立てて廊下に出て行く。
いつもは疎まれるだけの同調性のない行為だが、今日ばかりはこの場から逃げ出す口実だと、皆彼の跡に続く。
「あー、もー、勝手にすれば!今までのいざこざはなんだったのよ。ほんっとに人騒がせ」
光咲が悪態をついて教室から出て行く。私と琴乃を責める理由を失ってしまった光咲はもうどうしていいのかわからないようだった。
「なんなのよ。琴乃と桜のわけの分からない小競り合いに付き合わされたのかと思うと腹が立つ」
彩夏も大股で私たちの前から姿を消した。その後を笑美がコソコソ追いかけてく。
そうやって、一人、また一人と教室からは人が減っていき、私と岡本君と琴乃の三人が教室に取り残された。
冷たい風が私の髪をなびかせる。木立が吐く緑色の息を吸い込んだ私の身体は軽くなる。
大丈夫。うまくいかなかったらこのまま飛んで空の向こうまで逃げていけばいい。何も怖くない。
もう何度運動場を見下ろすために体を預けたか分からない手すりにサヨナラを告げて、私はベランダと教室を隔てる格子を跨いだ。
学校祭準備最終日。始発の電車が間に合わない子を除けば九割以上の生徒は教室に集まっていた。
私はぶれることなく教室のど真ん中を突き抜ける。
一歩一歩進むたびに、かけがえのない思い出の鱗片と築き上げてきた信頼が、瞬いては消えていく。教室の中央に着いた私はその軌跡を振り返る。
もう形跡を拝むことはできなかったが、代わりにそこにはクラスのみんなの顔とメールで呼び出した琴乃の顔が見えた。
一呼吸置いてから私は口を開いた。
「皆さんに話があります」
その瞬間、教室中の視線が私の方を向く。心の隙間に生じた恐怖を抑え、私は逃げ出そうとする足の裏をタイルに張り付ける。
自分を律して前を見た時に岡本君の視線とかち合った。彼の放つ不安そうな色に感情を持っていかれそうになっり、慌てて視線を逸らす。
再び真っ直ぐ、誰か一人ではなく教室全体を見つめる。
「今から言うことは全部本当のことです。私のいうことに衝撃を受ける人も嫌悪を抱く人もいると思います。混乱を招き、多大なる迷惑をかけることも承知してます。でも、どうか最後まで私の話を聞いてください」
今日の真夜中に徹夜で考えた始めの言葉。みんなは何も分からず漠然と私の話に耳を傾けていた。
「琴乃の手紙を破ってごみ箱に捨てたのは、私です。ごめんなさい」
静まり返った教室に暗澹とした私の声が響く。声は重金属のように重く、固まりきった教室を音もなく破壊した。
みんなの息を飲む声が聞こえる。あまりの驚きからか教室はざわつきもしなかった。
私は誰も見ずに続けた。
「みんなの言う通り私は琴乃に嫉妬してました。……何でもできる琴乃が羨ましかった」
本音が溢れだす。
「私には手に入らないモノを簡単に手に入れてしまう琴乃が羨ましかった。だから、私にとって大切な人まで奪われることには耐えられなかった。自分勝手なことだって、酷いことだって、十分かってる」
声が震え出す。
「許してほしいだなんて思ってない。今まで散々琴乃のこと傷つけたってわかってるから。すぐに自分がやったって謝ればよかったのにみんなに軽蔑されるのが怖くて、琴乃や岡本君に嫌われるのが怖くて。苦労知らずの琴乃の足を引っ張ってやりたいって気持ちがあって。私、正直に言えなかった……。噓を吐いてしまいました。でも、これ以上は傷つけたくないの。嫉妬してても、琴乃のことが大好きだから」
支離滅裂な文章になる。
もはや私はクラス全員に向って言葉を発していなかった。
琴乃だけに聞いてほしかった。
自己満足かもしれないけど、心の底から謝りたかった。
「傷つけてごめんなさい」
琴乃に向って深々と頭を下げる。
答えは待たず、すぐに態勢を戻す。
「皆さん、騙してしまってごめんなさい。私は、このクラスの学校祭の出し物の主役を務めるのにふさわしくありません。私は役を降ります。琴乃がお姫様をやるべきです」
今度はクラス全体に向けて頭を下げる。
予想に反して罵詈雑言は飛んでこなかった。みんなあっけにとられて声も出ないのかもしれない。
だが、静寂を切り裂いた一言に、今度は私が絶句する番だった。
「違う、立川じゃない。俺がやった」
声の主は岡本君だった。混乱に次ぐ混乱にクラスの中には空ろな目をしいてる人もいる。
「俺はあの日立川から手紙を受けとって、結木への返事に困って勝手に処分したんだ」
岡本君は真っ赤な噓を吐き出す。
「違う、私は、渡してなんてない。私が捨てたの!」
「いいや、俺がやった。立川は優しいから親友がいじわるされてるのを黙って見てられないんだ。だからこんな噓を」
「こんな人にまで、優しくなくていい!庇ってくれなくていい!」
私は混乱しながらも岡本君を止めようとする。岡本君がいい人なのは知っている。今度は私が琴乃みたいな目にあうこと心配してくれているのだろう。でも、ここまでするのは異常だ。お人よしにもほどがある。
「違うの、ねぇ。みんな、私なの」
何で、私は大切な人を傷つける結果しか導き出せないのか。
自分の疫病神気質に絶望して私は泣き崩れた。
最悪のタイミングで。
「こんな形で答えることになってごめん。これもオレが今まで逃げ続けてきたせいだ」
岡本君が琴乃に頭を下げる。
「なんで、岡本君は謝らなくていいのに。何も悪いことなんてしてないのに」
私は気力のこもっていない言葉を生み出す。
もともと私にクラスをまとめ上げる力なんてない。
岡本君の一言の方がよっぽどクラスのみんなの信用を勝ち取った。
「なーんだ。そう言うことだったのか。まぁ、もらった本人が処分するなら仕方ないよね」
「優しい岡本のことだから振った相手のこと考えちゃったんだね」
「でも、学校のごみ箱に捨てるのは無縁慮じゃない?それに今まで黙ってなくたってよかったじゃん」
岡本君がやったという前提で話が進んで行く。
違うのに。やったのは私なのに。
でも、私は不思議と岡本君に向く目がそれほど厳しいものでないことに気がついた。世の中は世知辛い。こんなにも人によってやることの印象が変わるものなのか。
「みんなのことを混乱させてしまって本当に申し訳ないと思ってる。でも、最後に一つわがままを許してほしい。三人で話をさせてくれないか」
岡本君の問いかけにしばらくクラスは誰も返事をしなかった。
そもそも自分には関係のないことだからと口を開くことを誰もがためらっている。
「いいんじゃねーの」
素っ頓狂な声が響く。
いつだって空気を読まないその声は、やっぱり西宮だ。
「じゃ、ごゆっくり~。みんなも早く作業場いかないと下級生に作業場とられちゃうよー」
静かな空気をぶち壊し、ガラガラと大きな音を立てて廊下に出て行く。
いつもは疎まれるだけの同調性のない行為だが、今日ばかりはこの場から逃げ出す口実だと、皆彼の跡に続く。
「あー、もー、勝手にすれば!今までのいざこざはなんだったのよ。ほんっとに人騒がせ」
光咲が悪態をついて教室から出て行く。私と琴乃を責める理由を失ってしまった光咲はもうどうしていいのかわからないようだった。
「なんなのよ。琴乃と桜のわけの分からない小競り合いに付き合わされたのかと思うと腹が立つ」
彩夏も大股で私たちの前から姿を消した。その後を笑美がコソコソ追いかけてく。
そうやって、一人、また一人と教室からは人が減っていき、私と岡本君と琴乃の三人が教室に取り残された。
