ダイアモンド・ダスト

 学校祭期間はとにかく忙しくて、あっという間に時間が過ぎてしまう。

 昨日のホームルームで、今日からは一日準備に入るから授業は一切ないといわれた時に学校祭までそんなに迫っていたのだと驚かされた。

「今日も岡本部活で忙しいのー。だったら、オレが代わりに王子様役やってあげるよ」

 朝のホームルームが始まるなり西宮が岡本君に反抗的に歩み寄った。

「別にお前がやらなくたって室井がいつも通りにやればいいだろ。西宮は自分の仕事しろよ」

 岡本君も反抗的な顔で言った。

 その内容から察するに、どうやら今日も演技練習に参加するつもりはなかったようだ。

「あいにく、オレはもともと自分の仕事なんてないんだよね。はじめっから戦力外だから」

 西宮はのんびりとした口調で言う。しかし、彼のその言葉からは敵対した雰囲気が消えていない。

「……わかったよ。やるよ、本番近いし」

 岡本君は西宮の目を睨み見つけたまま立ちあがった。

「なーんだ、残念」

 西宮は詰まらなさそうに呟く。

 岡本君、やっと私とやってくれるんだ。

 嬉しい反面。それが西宮への敵対心からの行動だということと、本人の納得のいってなさそうな表情を見ていると、両手離しで喜ぶ気にはなれなかった。

 やると決めた後の岡本君の行動は素早かった。その場でワイシャツを脱いでTシャツを頭からかぶる。

 「お、岡本もついにやる気出しちゃった?」

 彩夏は目を細めている。

「桜、やっと岡本のお姫様になれるね。これは晴れ舞台だよ!」

 彩夏が私の肩を叩いてくる。

 そうだ、やっとつかんだチャンス。しっかりとものにしないと!

 私は自分で硬くうなずく。

 大丈夫。毎日練習してきたんだから。

 自身を鼓舞しながら劇の一番初めのシーンのポジションに着く。

 光咲がメガホンをとって練習開始のコールをかけようとしたその時、

「待って」

 練習開始を阻む声がした。

 声の主は琴乃だった。

「私、あんな方法で役から降ろされるなんて納得してないから!」

「何をいまさら!もう何日も桜はこうやって練習してきたわけだし」

 光咲が私の肩に手をかけ、いかにも私が可哀想だと言いたげな表情をする。

「そんなこと知ってる。だから、私とオーデションで勝負してほしいの」

 琴乃はまっすぐに私に向って言った。

「……オーデション?」

 それって、琴乃と戦うってこと?

 そんなの、私に勝ち目ないじゃん。

 琴乃はすごい。昔っから琴乃は特別な人だった。一緒にいてもスポットが当たるのは琴乃だけだった。

 そんな琴乃と、私が……?

 いつも琴乃の装飾品もしくは付属物としてしか行動することがなかった私にとって琴乃と争うことはもちろん、張り合うことさえ想像できなかった。

 私も周りの人もその可能性があれば琴乃に道を譲るように自然に行動してきた。

 どうせ負けるんだ。

 所詮は学校祭の主役。

 別にやれなくってもいいじゃないか。

 私が主役としてクラスに数日間でも関われただけで十分じゃないか。

 私の中の臆病な自分がむらむらと湧き上がって来て、対抗心を沈めていく。

 ふと、視界の片隅で岡本君が微動したのが見えた。

 あ……。

 そうだ。私は戦うって、とうの昔に決めたんじゃないか。

 先ほどまで湧き上がってきていたものが蒸気のように消えていく。

 私は、初めて琴乃に勝ちたいと思った。琴乃に勝って岡本君の一番になりたいと思った。今度は、私は逃げない!

「私、やるよ」

「え?」

 私の発言に光咲や彩夏が戸惑った声をあげる。

「私、琴乃とオーデションやる!」

 今までにない私の意志のこもった声を聞いたせいかその場の二人はもちろんのこと、岡本君もや言いだしっぺの琴乃までも驚いていた。

 しかし、琴乃はすぐに表情を引き締める。

「決まりね。これは真剣勝負。勝っても負けても文句なしだからね、桜」

 琴乃は私に向って真剣に言った。

 
 オーデションのパートは中盤のお姫様の一人語りが多いところだった。

 西の魔女の魔法でドレスアップしてもらったお姫様が、生まれて初めての舞踏会に圧倒されるシーン。

 豪華なドレスに大粒の結晶をぶら下げたお姉さま方の足並みについていけなかったり、あちこちに置かれている燭台やテーブルにぶつかりそうになったりというお姫様の危うい姿が描かれている。

 セリフの量はさることながら表情や全身を使った表現を求められる、なかなか難易度が高いシーンだ。

 しかも、オーデションはクラス全員の投票で決まるため、当然クラスメイト全員に演技を見られることになる。

 覚悟をしていたはずだったが、いざ四十人もの目の前に立つと足がすくんでしまった。

 いつも通り、いつも通りにやるんだ。心の中で唱えながら、声を張る。若干の震えを声を太くすることで必死に抑えようと努める。

 緊張で体の動きが小さくなってしまうので、無理やりにでも力をいれて腕を振り上げる。

 セリフは一番最初の単語から、芋づる式のように連なって出て来るままに発した。

 全てが終わった時、私には全く何の記憶も残されていなかった。果たしてうまくやれたのか、セリフや立ち位置を間違えずに終えることが出来たのかも定かでない。

 燃え尽きたように控え席に座って後攻の琴乃の演技を見る。

 滑らかで美しい動き、小鳥のさえずりのように繊細な声から、大空を舞う鷹のような大きな体使いまで。

 見事な演技だった。

 何より、琴乃からは全く緊張を感じない。

 プロの劇団の一人なんじゃないかって思ってしまうほどの貫禄があった。

 当然といえば当然だ。

 だって琴乃は小学生の頃から、ことある事にクラスや学年の代表に選ばれてきたんだから。

 琴乃の演技が終わってから大きな拍手が起こった。

 自分のことだから客観視が出来ていないだけかもしれないけど、心なしか私に対する拍手よりも大きかった気がする。

 私は人知れず項垂れた。

 自分でも明確に分かった。これが私と琴乃の差だ。

 本番緊張でがちがちになってしまっていたからどうだったか分からないけど、いつもの私のベストの演技と比べてみても、琴乃の演技の圧勝だということくらい私にもわかった。

「では、これから投票します。お一人ずつ名前を読み上げるので全員どちらかに手をあげてください」

 河野さんが淡々と話しを進めていく。

「まず、立川さんがいいと思った人」

 まばらに手が上がる。

 その中でひと際真っ直ぐ力強く挙げられた手があった。

「絶対桜でしょ!お姫様のキャラからしても桜の演技の方が適任だよ。琴乃選ぶ人の目は節穴なんじゃないの?」

 光咲のイライラした態度を見た数人の女子たちが恐る恐る手を上げ始める。

 それが輪のように広がっていって、男子たちも手を挙げ始めた。

 正直どっちでもいいから早く投票が終わるように票を固めてしまえとでも思っているのかもしれない。

 それほどまでに男子たちは興味のなさそうな表情をしていた。

 それを見ていた琴乃の表情が青ざめていく。

「そんなのありなの?」

 信じられないといったようについ口から出てしまった言葉を、光咲は聞き逃さなかった。

「文句なしって言ったのは自分じゃなかったっけ?」

「だってこんなの……」

 琴乃の言いたいことはよくわかる。

 これはどう考えたって不正だ。

 光咲の一言がなければ確実に琴乃が勝っていた。

 それに、純粋な琴乃にとって、勝負ごとに個人的な好き嫌いを持ち出して贔屓するなんて言語道断なはずだ。

「おかしい。絶対におかしい」

 琴乃の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「おかしいのは琴乃でしょ。直前で出しゃばって来たうえに、公平に決めた結果にケチつけるなんて最低だよ。それとも何、これも悲劇のヒロインごっこ?」

 光咲が古傷をえぐる。

「これもって、またあの手紙の話を持ち出すつもり?私が自分で自分の手紙破るわけないじゃん」

 琴乃が顔を赤らめて言う。光咲は鼻で笑って琴乃に背中を向けた。相手にするつもりもないようだ。

「私のことが嫌いでもいい。でも、オーデションは公正にやってよ!あんな不正投票で私が役から降ろされるなんて納得できない!」

 ついに琴乃の心の中でこらえていたものが決壊して大粒の涙が溢れだす。琴乃がこんなに泣いているのを見るのは、あの朝を除けば初めてだ。

「不正は琴乃の方だよ!一回勝負のオーデションで負けたからって文句つけるって小学生以下。自作自演するだけあるわ~」

「またその話……」

 琴乃は何か言おうとしたが、ひどくしゃくりあげてしまって全く言葉になっていない。

「桜がほんとに可哀想。こんな女に二度もはめられそうになるなんて」

 無意識に私の目には涙がたまり始めていた。

 傷つく琴乃を見るのが辛い。

 光咲や彩夏が吐く暴言が、琴乃の悲痛な声が、私の心に棘となって突き刺さり傷口を広げていく。

 私は琴乃がこっそり岡本君と練習していたことに焦りを感じて、また琴乃に負けるかもしれないとをひどく恐れていた。

 琴乃のことを思いやる気持ちを昔に忘れ去って、琴乃のことを追い詰めているのではないかという疑問さえももみ消してきてしまった。

 招いた結果がこれだ。