放課後の図書室は相変わらず人がまばらだった。長机を一つ占領できたので、英単語帳やら、電子辞書やら文法書やらをめいっぱいに広げていた。

 英語はそんなに苦手じゃない。分からないところは辞書を引いて地道に調べていけばいいし、数学と違ってそれほど参考書の記述に疑問を抱くこともない。

 毎日コツコツ単語や熟語を覚えていれば結果がでる教科だって思ってる。しかし……。

 あれ、この単語さっきやったはずなんだけど、なんだっけ。

 私は英単語帳をめくる指を止める。

 まただ、今日は覚えが悪い。いつもなら二回くらい繰り返せば覚えてしまうような短い単語だって今日は頭に入ってこない。

「俺は噓つきは嫌いだ」

「俺はな、人の思いを踏みにじるような奴を絶対に許さない」

「安心しろ。絶対に誰がやったのか俺が探り当てるから。そしたら、お前も立川も堂々と仲直りができるだろ?」

 岡本君の言葉が頭の中で反芻する。

 嫌だ、彼をだましたくない。純粋な気持ちで私のことを助けようとしてくれる人を、どうして自らの手で苦しめないといけないの。

 誰からも親しまれている彼のことだ。もしかしたら誰かに明確な悪意のこもった嘘をつかれたことなんてめったにないのかもしれない。だとしたら、どれほど傷つけてしまうだろう。

 頭の中にモヤモヤしたものを抱えながらも単語帳をめくる手は止めない。明日はテスト初日だ。休憩している暇はない。

 十五分ほど勉強したところで岡本君がやってきた。

「今日は練習しなかったの?」

「さすがにテスト前日だからな。六時間目終わって直行してきた」

 岡本君は数学のノートと教科書を広げ始める。

「立川、英語勉強してたの?じゃ、きりが付いたところで声かけろよ。昨日の付箋の問題、解説するから」

「ううん、単語覚えてただけだから」

 私は散らばっている英語の教材を片づけて、数学の教科書を取り出した。

「そうか、よーし、ビシバシ行くからな」

 
 岡本君の説明はすごく分かりやすくて、一時間ちょっとでほとんどの問題が解けてしまった。

「ぶっ通しで一時間説明したらちょっと疲れたな」

 岡本君は大きく伸びをした。

「チョコ、食べる?」

 私はイチゴ&きなこホイップ味のチョコの入った小さな箱を取り出した。

「よく、頭が疲れた時には糖分補給っていうから」

 個包装にはなっていないので箱ごと差し出した。

「あ、これ期間限定のじゃん。俺このシリーズ好きなんだよな。この間コンビニに買いに行ったら売り切れてて、マジでへこんだんだ。ありがと!」

 岡本君はすごくおいしそうにチョコを食べていた。私も一粒口の中に放り込む。

「うん。おいしい」

「うまそうに食うな。甘いもん好きなの?」

 岡本くんが、ニ粒、三粒と立て続けに口に入れる私を見て、頬を弛ませていた。

「好きだよ。ケーキはすごく好きなの。だから、毎年誕生日にはお父さんが車で二時間くらいかけて超一流の生菓子店に連れて行ってくれるんだ。山奥にある小さなお店なんだけどものすっごくおいしいの。中でもショートケーキが飛び切りおいしくて……ってごめん、引いた?」

 思わず夢中で話してしまっていた。隣の席が急に静かになった気配を感じて、慌てて意識を引き戻す。

「全然。むしろ、羨ましくなった。俺もケーキ好きなんだ」

「そうなんだ」

「山奥の小さなケーキ屋さんか。童話の世界みたいだ。俺も行きたい」

 岡本君はまたチョコの入った箱に伸ばそうとして、その手を止めた。箱の中はいつのまにか空になっていた。

「悪い、俺食いすぎたかな」

 照れながら頭をかく岡本君に、私も照れ笑いで返す。

「私もけっこう食べちゃったから」

「もともと立川のだろ」

「でも、女子なのに食いしん坊って恥ずかしい」

「俺は好きなように食べる人の方がいいけど。なんか、相手が我慢してると自分まで食べづらくなって。せっかく一緒に食べるならおいしく食べたいじゃん?」

「そういってもらえると気が楽になる」

「今度連れてってよ、そこのお店」

 岡本君が冗談めかして言った。

「いいよ、岡本君何が好きなの?」

「モンブラン」

「あっ、いいね。モンブラン。人気メニューだよ」

「立川はやっぱショートケーキ?」

「うん。これは譲れない」

「そんなうまいんだ」

「看板メニューだから」

「そう言われると食べたくなるんだよなー」

「私もたまにはモンブランも食べてみたいかも」

「じゃあ、半分こしようか」

「そうだね」

 私もその冗談につきあった。車で片道二時間もかかる。しかも、山奥で電車も通っていない。そんな場所に高校生二人で行けるはずもなかった。