職員室からの帰り道は長かった。

 先生からの呼び出しを怖いと思うと同時に、先生と一対一ならすべて本当のことを話せるのではないかと思っていた。

 何もかも正直に話して謝りたい。今からでも間に合うのならそうしたいと心の底から思っていた。

 でも、先生のはなっからあなたなんて信じていませんという目と、優秀な結木さんに比べてあなたは……という憐れむような目を見た時、急に怖くなった。

 他人に従順で人を傷つけないことだけがとりえだった私。

 親友の手紙を破り捨てるような人間だなんて知られたら、もう誰も相手してくれない。結局私は白を切り通した。

「私はあの手紙を岡本君の下駄箱に入れました。その後のことは知りません」

 私はその一点張りで、最終的に先生は私に自白させることを諦めて、教室に戻って昼食をとるように促した。


 目立たないようにそっと教室の扉を開けた。

 しかし、クラスのみんなはすぐに私に気がついた。先生と私が何を話してきたのか興味をそそられて仕方がないらしい。

 岡本君は教室にいなかった。

 忙しい彼のことだ。また何かの会議かもしれない。

 それとも、彼は彼なりに教室に残るのが気まずいのだろうか。授業と授業の間の休み時間には何事もなかったかのようにふるまっていたけど。

 琴乃は教室の真ん中で光咲や彩夏たちと話し込んでいたが、戻って来た私を見た瞬間、笑顔が顔から消えた。

「大丈夫だよ、琴乃。私たちは琴乃のこと応援してるから」

 すかさず彩夏が琴乃を励ます。

 一緒にいた光咲が私の方へ近寄ってくる。

「ねぇ、なんか琴乃に言うことないの?」

 まるで、傷つけられたのは自分だという言い草だ。言いたいことなら山ほどある。それが言うべきことだってこともわかっている。

 でも、何で光咲に言われないといけないの。まともに話したのだって、委員会の仕事を頼みに来た、たった一回だけなのに。

 どうして琴乃は黙っているの。いつもだったら、

「光咲は黙っててよ。これは私と桜の問題なの」

 って言ってくれるじゃん。らしくないよ。

 でも、悪いのは全部私なんだ。私があんなことさえしなければ。

 みんなに対するどんな言い訳だって、結局は自分を棚に上げたものでしかない。

「……」

 私は光咲を無視した。それが私にできる最大の抵抗だった。

「うわっ、無視とかありないんだけど」

「人として終わってるわ」

 光咲と彩夏は私が無視したことに、ものすごく腹を立てた。笑美は二人の言葉に無言で頷く。

「琴乃、あんな奴ほっといて岡本とうまくいくための作戦考えよ」

「えっ?」

 私は思わず声に出してしまっていた。慌てて口を押えるがもう遅い。

「うわぁ~。あからさますぎてひくわー」
 
 光咲が気持ち悪いものをみたかのように顔を引きつらせる。

「自分の顔、鏡で見ろって感じだよね。琴乃に勝てるって本気で思ってるのかな。いや、直さなくちゃいけないのは中身もだけど」

 彩夏は引き笑いをしながら光咲に調子を合わせた。

「大丈夫、うちらは琴乃の味方だから」

 光咲が琴乃の肩を叩きながら言い、笑美は力強く頷いていた。そんな私たちのやり取りを満足げに眺める視線をあちこちから感じた。

 三人だけじゃない。手紙の件を知っている人全員が琴乃のことを応援している。

 もっとも手紙の件がなくたって、琴乃と岡本君が一緒にいれば自然と噂が立ってしまうようなお似合いカップルだった。

 岡本君はたくさんの女の子の憧れの存在。特定の誰かが付き合うことになったら反感を買うことになるだろう。

 実際今までもそうだったはずだ。

 でも、琴乃みたいに完璧な子が相手なら仕方ないよね、とどうやらみんなは納得できるみたいだった。

 私だってそうだ、と思ってたのにな。

 気持ちに踏ん切りがつかない。なんで琴乃に勝てると思ってるの? ほんとにその通りだ。

 批判が的確過ぎて、つまらない言い訳さえも思いつかない。

 この場に岡本君がいなくてよかった。

 私の気色悪い反応を見たら何様のつもりだって本気で嫌われてたかもしれない。

 みんなの視線から顔を背けるようにして、廊下側のすりガラスの方を見やる。

 突然、すりガラスがスライドした。こういう時に現れて場を混乱させるのは、やっぱり岡本君だった。

「悪い、誰か俺の筆箱取って。急いでるんだ」

 私はすばやく立ちあがって、最前列の真ん中の岡本君の席に足を伸ばそうとする。

 あと数歩、と言っても教室という狭い空間の中では大して近づいてもいないところで琴乃の手が岡本君の筆箱を掴んだ。

 もともと琴乃は教室の真ん中あたりで彩夏たちとしゃべっていた。

 対して私は教室の半分より後ろの席だ。はじめっから勝ち目なんてなかった。

 黙って見てればよかったのに。なんで動いちゃったんだろう。

「ねぇ、どこに行くの?」

 琴乃が岡本君に筆箱を渡しながら訪ねた。

「学校祭の縦割り決めの会議。決まった組み合わせメモんなきゃいけないのに筆箱忘れちまって。ありがとな」

 この学校では各行事で、一年生、二年生、三年生のクラスが各一クラスずつ、合計三クラスで一組という縦割りのチーム編成が採用されている。

 毎年、文化祭の少し前の時期にくじ引きで組み合わせを決めているのだ。岡本君は文化祭実行委員として会議に参加しているのだろう。

 走り去ろうとする岡本君の腕を琴乃が掴んだ。

「待って」

 言ってから琴乃はためらった。

「言っちゃいなよ、琴乃。うまくいくって! 気持ちはちゃんと伝わってるんだから」

「千載一遇のチャンスだよ。堂々とクラス全員の前でアプローチをかけられるんだから」

 追いついてきた光咲と彩夏が琴乃に小声で応援を投げかける。 

 さっきまで私たちのいざこざを興味なさそうに見ていた男子たちも、固唾を飲んで琴乃のことを見守っていた。
  
 こんなに大勢に応援されるのは想定外だったんだろう。

 少し、物怖じするような様子も見せたが、もともと琴乃は度胸がある子だ。

 数秒間目をつむったあと、なにかを決心したかのように頷いて目を見開いた。

「終わったら二人でご飯食べたい。ダメ、かな?」

 緊張した表情の琴乃。

 私も緊張しながら見ていた。大切な琴乃のことを応援したい。琴乃にこれ以上悲惨な目に合ってほしくない。

 そう思うと同時に、岡本君に断って欲しいと思う自分もいる。

 岡本君は一瞬困惑したような顔をしたが、すぐに思い直したのか

「いいよ。じゃあ、弁当持って俺と来いよ。チーム決め終わるまで待ってると昼休み終わっちまう」

 琴乃の顔がぱっと明るくなる。

「えー、まさかの逆アタック?一緒においで、とか脈ありじゃん!」

 なぜか自分のことのように、光咲と彩夏と笑美は喜んでいた。

 琴乃と岡本君が廊下を走っていった後、再び惨めな気持ちが私の中に充満してきた。

 琴乃の誘いを案外あっさりと受け入れてしまった岡本君。

 やっぱり彼は琴乃からの手紙を心のどこかで意識している。

 そして、それを満更でもないと思っているから、すぐに肯定的な反応を返すことができるのだろう。

 私は余計な手出しをしてみたが、結果的に琴乃の恋心は岡本君に伝わってしまっている。

 岡本君がいつそれに答えるかというところまで来ている。

 もはや、私の失恋は時間の問題だ。

 一連の出来事を見ていた人の中から、失笑が洩れる。私への嘲笑だ。

「岡本君、琴乃と行っちゃったね~」

 彩夏が、私が座っている席まで歩み寄って来た。

「そうだね」

 私は平常心を装って、弁当を広げた。

「本当は悔しいんじゃないの、恋敵に男とられて」

 彩夏の言葉につられて、光咲と笑美もケラケラ笑う。

「別に。私は岡本君のことのそんな風に思ってないから」

 私は三人に目を合わせようともしないでご飯を食べ始める。

「よく言うよね。さっきの見た?」

 光咲が彩夏と笑美に、大げさに肩をすくめながら言った。

「それは……」

 近かったら、と答えようとして口をつぐんだ。

 私と岡本君の席は決して近くない。どちらかといえば遠い。言い訳にしても下手すぎる。

 何も言い返せない私を見て降参したと思ったのか、三人の調子は上がっていくばかりだ。

「悪いことしたら『ごめんなさいする』のが世間のお約束ですよー。それが出来ないとどうなっちゃうのか、優しい私たちが教えてあげるね」

 小さい子を諭すような口調でしゃべった後、彩夏が私の弁当箱を取り上げて中身をごみ箱に捨てた。

「自分のこと、可哀想だなんて思わないでね。これは琴乃にひどいことした報いだよ」

「桜に仕返し出来ない優しい琴乃の代わりに、私たちがやってあげてるの」

 彼女たちは使命を全うしたような清々しい表情をしていた。

 周りで横目に見ていたクラスメイトたちがクスクスと笑う声が聞こえる。

「マジ、ウケるんだけど」

「ざまあ」

 なんて囁き声もする。

 正直、弁当を捨てるのはやりすぎだと思った。

 だから誰か一人くらい私のこと庇ってくれるんじゃないかって一瞬、期待した。

 でも、待っていたのはこの風景。

 私が悪党で、美冬たちが悪を駆逐する正義の味方。悔しくて、涙が出た。

「何泣いてんのよー。被害者ぶらないでよ。桜は立派な加害者なんだから」

「ほんっと、泣き虫。桜のそういうところが嫌いなの」

 光咲と彩夏が畳かけた。

 笑美もしきりに頷いている。泣くとこうやって弱いことを責められると知っているから、せめて人前では泣かないようにと思っている。でも、やりようのない悔しさを言葉のナイフに変えて突き返すことは、私にはできない。

 よく言えば自分の放った言葉で相手が傷つくことに臆病、悪く言えば意気地なし。

「マジ、泣かれても困るんだけど」

 限界だった。

 例え逃げ出したと後ろ指を指されても、この場所には居たくない。

 私はゴミ箱から弁当箱を拾って、教室を飛び出した。

 廊下の向こうの教室から、拍手の音が聞こえた。