ダイアモンド・ダスト

「あー、いたいた。どこ行ってたの。探したよー」

 教室に戻ると琴乃はとっくに箸を洗い終えて、もといた席に戻っていた。

「ごめんごめん。ちょっと職員室まで、先生のお使い」

「また雑用してたの、桜。ほんと人善すぎ。先生もひどいなー、わざわざ食事中の桜に頼まなくてもいいのに」

「いや、先生じゃないよ」

「え、違うの?」

 私は頷きながら、弁当箱を開いた。弁当に集中しているふりをして顔を俯ける。

 琴乃が次になんて聞くのか大体予想はついていた。

 そして、そしてそれを聞かれたいような聞かれたくないような微妙な気持ちに、私自身、戸惑っていた。

「誰に頼まれたの?」

「琴乃が箸を洗いに行った後、一人でぼーっと外を眺めてたら、岡本君に」

 言った後で琴乃の反応が気になってそっと顔をあげてみる。

 不釣り合いな組み合わせに「えー、意外!」なんて元気な反応が返ってくるのかと思っていた。

「ふーん。そうなんだ」

 興味なさげにそう呟いた琴乃の顔は、少し悔しそうだった。


 「数学のノート集めます」

 数学の授業終わり、恒例の声かけ。
 
 今日も武田君は黒板担当なので、私が一人で回収していた。

 文系の子たちが教卓の周りに続々と集まってくる中で、理系の子たちが隣の教室から戻ってくる。

 これで全員分かな。

 私は人が教卓からはけた後、冊数を数えていた。

 よし、オッケー。

 数研に運ぶために両手で抱える。

「貸せよ」

 量が多くてもたついていると、横から手が伸びてきてノートをすべて取り上げられた。

「この間手伝ってもらったお返しだ」

 にやりと笑った岡本君が私の横に立っていた。

「え、でも、これ私の仕事だし」

「この間のプリントは俺の仕事だった」

 私の反論はバッサリと切り捨てられた。

「じゃあ、お前はこれ持ってろ」

 納得のいかなそうな私の表情を見てか、岡本君は自分が持っていた物理の教科書を私に持たせた。

「行くぞ」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 軽々とノートを持って教室を出ていく岡本君。私はなぜか彼の物理の教科書を持って数研に向かう。

「え、桜⁉」

 ドアを出たところで琴乃とぶつかりそうになった。

 琴乃の目が、前を歩いていく岡本君と私の腕の中にある彼の教科書をせわしなく行き来する。

「え、何?どういうこと?何があったの?」

 戸惑う琴乃が私の腕を掴んでくる。

「ちょっと、いろいろ」

 琴乃の腕を振りほどいて私は岡本君の後を追う。

 何で今日はこんなに歩くの早いの!この間はあんなにゆっくり歩いてたくせに。

 駆け足で階段を降りる。

 折り返しのところでやっと岡本君の姿が見えた。安心して足さばきを緩めたら階段を踏み外してしまった。

「あっ」

 私がバランスを崩したのに気がついた岡本君は、手にもっていたノートを投げ出して私を受け止めてくれた。

 階段の途中だったにも関わらず、岡本君は鍛えられた足で私の全体重を支えてくれる。

 彼の胸の中に飛び込むような形になってしまった。

「大丈夫か?」

「うん」

 彼の腕の中でこくりと頷いてから、今の状況を理解し、飛び上がるようにして後ろに退いた。

 目の前で、岡本君が放り投げたノートが踊り場へばさばさと落ちていくのが見える。

 ちょうど廊下からは階段の途中にいる私たちの姿が見えることはない。舞い落ちるノートだけが見えているので、相当おかしな光景だったことだろう。

 その光景もさることながら、何十冊というノートが床に叩きつけられる音は凄まじかった。

 野次馬が集まってきてしまった。

 ああ、なんでいつもこうなるんだろうな……。

「まいったな、調子乗って二段飛ばししてたら転んじまった。拾うの手伝ってくんない?」

 岡本君がみんなの前でわざとらしくそう言ってから私の方を見る。安心しろ、とばかりに微笑んでいた。

 私は唖然とした。

 私に潰されかけたのに、この人は私のことをかばってくれようとしている。

「何やってんだよー」

「らしくねぇな!」

 廊下の野次馬たちは笑いながらもノートを拾って岡本君に手渡していた。

 すごい。みんなが協力してくれてる。

 ノートは一瞬で集まった。しかも、しっかりと番号順になっている。

「ありがとう」

 みんなが帰ってしまった後で私は岡本君にお礼を言った。

「いや、俺もちょっと意地悪したからな」

「え?」

「お前のことわざと置いて行っただろ」

「わざとだったの?」

 やけに歩くのが早いと思ってたけど、わざとだったのか。

「なんでそんなこと」

「だって、お前俺のこと避けるじゃん」

「それは……」

 私と岡本君が一緒にいるなんて不釣り合いだし、どうやって接していいか分からない。

「俺のこと嫌いなのかなって。だからあんなに必死に追いかけてくれるとは思わなかったよ」

 悪びれる様子もなく、いたずらっ子のように笑う岡本君。こういうところに、どうしていいか分からなくなってしまう。

「嫌いなんかじゃないよ」

「ホントに?だったら、放課後また運動場来てくれよ。大事な話があるんだ」

「それらなら今ここでも」

「ダメ、それは運動場に来てからのお楽しみ」

 岡本君はポンと私の頭を叩くと数研に向かって歩いて行った。