三つ子の魂は百まであるらしい。
閨の湿潤した時間がまどろむ昼下がり、浅い眠りの表層にあしらわれた砂紋のようなな由夏のささやきはまるで毒がない。音粒とともに発せられる吐息が世界を見据える眼球そのものに薄膜のように吸いついて視界を虚ろにする。あれほど慎重に閉じたはずのカーテンの隙間からこもれてくる五月の陽光は、午後だろうが曇りがちだろうがお構いなしに差し込み、この退廃的な空間の呵責を心地よく深めてゆく。由夏の半開きになった唇と乾いた頬が、脇の内側から絹すれのような触感ともない乳首へと伝う。骨盤の間から匂い立つような妖艶な芳香にいざなわれ、百までらしい、ことがなんの疑いもなく腑に落ちた。

「お願いがあるの」
危うく心までもが絆された状況で由夏はそれを下名した。
男子がいつからオスになるのか、オスがいつからか男子になるのか、そんなことを考えながらその命令から意識を遠ざけようとしたが、絡めとられた躰とその命令のとんでもなさは心を自由にさせてくれない。
そもそも、この交わりが、従う以外、すべての選択肢を断念するために仕組まれたものだと、いまさらながら気づく。しかし、そのオーダーの抜き差しならなさを含めて、それはそれで抗えるものではないのだろうと、腰から抜けてシーツに染みだした体液のように、白濁したその濃度がほどけて日常に沁みるていく。とはいえ、自分にひとが殺せるのだろうか。

元同僚である由夏と性的に関係に陥ったのは初めてだった。同僚といっても自分の方が1年遅い入社で。入社以来、営業マンとしての所作もままならない自分にいろいろと教えてくれたが、女体の手ほどきを受ける日がくるとは思いもしなかった。体育会系の多い営業セクションで唯一の女性営業だった由夏は当然のごとくちやほやされ、うらやましいほど単純な男子営業マン達はその肥大した性欲が尿道の先へと向かう勢いと同じ熱量で由夏に対し従順だった。彼らは彼女にとっての利便性によってランク付けされ、彼女のもつ時限的で女体的価値をして最大効用を得るように男どもはあしらわれていたため、当然のことながら価値のない自分はその恩恵に預かることがなかった。

彼女との性交渉は、彼女が元同僚ということ以上に深刻な意味を持っている。彼女が人妻だということ、そしてその夫が自分の今の同僚ということ。つまり、自分は自分の同僚が働いている平日の昼下がり、祖母の通院につきあうと嘘をつき有給を取得し、同僚の妻と体を交わした。普段は、いや昨夜、また数時間後には同僚と彼女が愛を育み、育みむであろうシーツの上で。
「殺されてもいいくらいの不徳の甘美を味わったのだから、人を殺すことなんてなんともないでしょ」性倫理に触れる間隔を少しも持ち合わせない彼女が相手であり、その自責の快楽を独り占めしたのだから、殺人も自分の手だけを汚すようにするべきだと、良く分からない理論を展開する由夏。悪びれず確信的に口にする彼女に接していると贖罪の機会を施されているようにありがたくもある。

「ちなみに三つ子の魂の三つ子ってのは多胎児のことじゃないんだけど」
記憶にある限り彼女に意見したことはない。が、なぜかこの時口をついた。彼女は多胎児の方の三つ子だった。
「知ってるわ、多胎児の三姉妹である前に、私だって三歳だったときもある、というかあんななんでタメ口なの?」
一回やらせたくらいで調子にのるな、お前のようなやつは本来ひと一人殺すくらいでは私とやれない分際だということをわかってないようだな...と続いた。
「三つ子ってのは大変なんだよ、見渡す限りの世界の神である親の注目を獲得するため、同じ身分とほぼ同様能力の競合がいて常に凌ぎを削らねばならねえんだ、他二人いや三人の家の一人は大人、つまり母親だからな、お前のような、クソ男になにがわかるよ」
つまり、彼女が言いたかったのは、多胎児としての三つ子として、三歳といういみでの三つ子のこのから備わっているこの他の連中皆殺し気質は変わらない、ということ。
どうにもこうにも、この状況は逃げられないらしい。

結局、彼女の計画に乗っかることになった。乗っかるといっても計画を遂行して自分になんらかのメリットがあるわけでもなく、ご褒美があるとしたら、すでに由夏と体を交わしたこと。それだけをもって自分は大前田という定年間近の男を殺害することになった。
「あんただって恨みあるでしょ」
大前田は品質保証部という部署に属する彼女の旦那の上司。そして以前、営業部で戦力外通告され、品質保証部に属していたこともある自分にとっての元上司でもある。大前田は日本が開闢以来、最も浮かれていたといわれる平成バブル期に広告代理店のトップセールスマンとをやっていたという輝かしい経歴を携え、鄙地の我が片々たる食品会社に転職してきたイケイケおじさん。たしかに、その気分が乗った時のイケイケ仕事ぶり、飽きた時の投げぷりに振り回された。挙句、とある案件で失敗の責任を押し付けられ、再び向いていない営業部へと戻された恨みがある。

「89の n-1 乗分の1なのよ平均は、でもコーカサスに異常に多くて、日本でも北海道とかの一部には発生率が高いという場所があるの」
どうやら三つ子の発生率の話らしいが、それが今回の件にどう関係しているのかわからない。彼女は理系女子ということもあり、データと数理ロジックが多く、話が飛躍する独特の語り口を辛抱強く傾聴し、結局自分は何をすれ場いいのかを理解しようとする。データや臨床事例用い、あらかじめ作成された資料をタブロイドでしめされつつ、数十分要し説明を施される。周到に練り上げられた作戦のように思えたが、要約してみると、ようは高いところで酒を飲ませて頭の血管を破裂させる、と単純なものだった。

由夏がたてた作戦とは以下の容量だった
①由夏が大前田を色仕掛けで温泉旅行に誘う
②自分は集合場所である長野県駒ヶ根市で大前田と合流する
③由夏は急用のため来られなくなった旨伝える
④ホテルは予約しており、せっかくなので泊まろうと誘う(当日キャンセルは返金なし)・
⑤宿泊先である千畳敷ホテルまでロープウェイで移動する

④と⑤の間に、由夏が女体で拘束している薬学部生に仕込ませた高アルコール濃度の日本酒を大前田に飲ませるという荒業を仕掛けなければならない。それ以外のシークエンスも無理があり、作戦通りいきそうなのは由夏の色仕掛けくらいだろう。
作戦の無理を指摘すると、そこは男気の見せ所だと、涼しい顔で口にした。

作戦当日、驚くべきことに大前田はやってきた。しかも車ではなく、1時間に1本あるかないかの飯田線で。駒ヶ根駅で会い、由夏が千畳敷ホテルで待っていることを告げる。なぜ自分がここにいるのか訊きもせず、早くその場所に連れていくように命じた。車内で訊いてみると、電車で来ること、駅で自分が車で待っているのでロープウェイ駅まで乗せてもらうこと、などをあらかじめ由夏から言われているらしかった。
「それで一升瓶ってのはこれか」
大柄な大前田はリアシートに鎮座している一升瓶に気が付いた。黒がかった一升瓶に漢字でもアルファベットでもハングルでもない文字が書かれている。日本酒通の大前田に偽装だとバレないよう、よく知らないが戦後帰還しなかった日本兵が南氷洋で始めた日本酒だと説明するようになっていた。

「これを飲めばいいんだろ、由夏が言っていたが」
何も答えずに、ただ頷く。大前田おもむろに一升瓶を抱き、栓を抜いた。
「飲むわけねえだろ」
抜栓の軽やかな音の余韻が消える前に前田はそう口にした。
「どうせこいつの中には通常の日本酒の4倍くらいのアルコールが転嫁されてんだろう特殊な溶剤を加え遜色ない味にマスキングして、4分の1くらい飲めば血中アルコール濃度が0.5パーセントを越え昏睡状態になる、1時間以内に50パーセントが死ぬという危険な状態で年寄りの俺ならやられるだろう、加えて駒ヶ岳ロープウェイに乗せ高低差950メートルを7分30秒でのぼり標高2600mアップの場所に行けば逝くだろうな、気温も低いだろうし」
前田は駒ヶ根インター近くの食堂に停車することを命じた。

運ばれてきたソースカツ丼を喰らいながら、大前田は由夏が彼を殺そうとした動機について語った。来月定年を迎える大前田は離婚した妻と現在同棲中の40代女の両方と金銭的問題を抱えていた。退職金の分配についてだが、大前田が定年する直前の年度末に会社は新型コロナウィルス感染拡大に伴う業績悪化に伴い、大規模な降格人事を行った。大前田も部長から次長に降格。毎月のサラリーについては降格後、定年までに支給されるのは2か月分であり影響は少ないように思える。しかし我が社の退職金計算式は定年者が退職時にいたポジション、役職によって額が大きく変動する。部長と次長では数百万円違うことになる。

「だから由夏を脅して彼女の旦那に話をつけてくれるように頼んだ」
「旦那って、大前田さんの部下ですか、ペイペイですよね」
「だけどあいつ、今会社を牛耳ってる専務と同じ国立大学出身なんだよ」
「だからって、同じ大学出身の若者がいえばなんとかなるものでもない気がしますが」
「まあ、由夏が専務に泣きついてもいいんだがな、とにかく専務は学閥を大事にするから、同学閥の次世代リーダーと目されている男の嫁がオレと不倫していたなんて話を流されるのは困る、学閥ブランドに傷がつく」
「不倫してたんですか由夏と」
「そう、おかげで前妻と別れる羽目になった、ただ結局とちゅうで由夏も面倒くさくなっていまの彼女をあてがって逃げやがった」

そして大前田はこの状況を逆手にとって由夏をやるこめることを提案した。
「結局、やつは本気で俺を殺そうなって思っていない、あれだけずる賢い女だ、本当に殺すつもりならもっと周到は手段をとる、考えてみりゃお前に命じた手順はふざけてるくらいいい加減なプロットだろ、ただ脅したいだけなんだ、遊ばれてんだよ、そしてお前はこの先、この調子でまた同じようにヤバイ案件の下働きをさせられるぜ、一発目は一発やらせてやったが、二発目以降は一発目で手を汚したことをネタにゆすってくる」
「もう逃げられないってことですか」
「そういうことだ、俺は何人も知っている」
「今ここで、俺がこの会社にいるうちに断たなきゃ一生逃れられないぜ、俺もお前も、そして世界に偏在し、あの女とかかわりを持つすべてのオスどもは」
しかし断てるものなのだろうか、三つ子の魂ってのを...。

「簡単なことさ、男との肉体遍歴を暴露すればいいんだよ」
思案している自分の傍らで爪楊枝でほじくり出した食べかすを平らげた大盛天丼の丼にリバーしている。しかし駒ヶ根のソースかつ丼のメニューには天丼もあるのか、専門店と書いてあったはずなのだが。
「旦那にですか」
「いや、やつは飼われているのかもしれない、妻が他の男に犯されるのが、いや妻が男を犯すのがか、なにしろ心地いいというふうに調教されているかも知れん、であるなら広い世間に遍く知らしめる」
「さすがにそれはこりるでしょうね、でもどうやって」
「やつは、男との性交の一部始終を録画している、だから自宅に招き入れるんだ、お前もそうだろ」
「そういえばそうです、録画は、あれですか、ゆするためですか」
「それもある、がやつが人をゆするのに証拠など不要だろ、体で縛ってマウントしてるんだから、理性しかハックできない画像なんて彼女にとっちゃ価値がない」
「では、なんのために録画を..」

「オナニーするんだよ」
彼女は男との交わりの動画を見ながら自らを慰めるという。
「慰めるというかな、その女体を使って男をなぶる様をみて、悦にいるんだ、イカれてるだろ」
たしかに尋常ではない。しかし不義のレベルが凄すぎて、仕返し、というよりこれ以上の関わりをさけるよう、良心のほてりが細かく震え悪寒となって全身を駆け抜ける。
「やりましょう、醜く無様で救いようのない世間のすべてのオスたちのために」

翌日、SNSに由夏被害者の会をコミュニティーを立ち上げた。わずか5時間後に使用規定半により削除され、2つ目は4時間、3つ目は3時間50分と削除のスピードは増えたが、その都度同士は増え、かれらが同時に新規を立てたり、プログラミングスキルフルな同士がコミュニティーを自動増幅させていく機能や一般的なSNSから独立したインデペンデンスなコミュ二ティーを作るなどして、加盟者はちょっとした新興宗教団体レベルになった。金を取られた男や、男を寝取られた女性、財布や魂を抜かれた面々なかには、とある国家プロジェクトを主導する日本を代表する天才プログラマであり世界的なハッカーが含まれていた。同天才のスキルをして、意図も簡単に由夏のデスクトップに侵入し、性交動画コレクションを入手する。そのデータは外付けHDに格納され100テラバイト。ちょっとした小学校の全生徒くらいの人数が登場し、倍速で観たとしても1年以上を要するコンテンツだった。

同コレクションをまずはコミュニティー内で共有した。それら動画は煽情的で見ごたえのある内容であり、それぞれ男は違うがそこに移りこんでいる女体は由夏のみ、だが、彼女の色っぽさ妖艶さは絡む男に応じて輝きや色合いを変え、1本1本、魅力的で、俗っぽくいうと抜けた。そのいやらしさからくる性的羞恥心は彼女以外のリアルな女体では感じえないのではないかと錯覚するほどだった。

「案外そういうものかもしれないぜ」
定年退社後久しぶりに会う大前田の目の下はくぼんでいる。彼も彼女にやられたくちだった。
「生身より映像がいいってことですか」
「違うよ生身の女より映像の由夏」
「生身の方がいい気はしますが」
「観念的な高揚だよ、なんか東南アジアとかいってよくわからん宗教儀式に参加した時に信者じゃないのにフローに入るっ感じ」
東南アジアなど行ったこともないし想像もできないという自分はまだ救われようがあるという。
「自分の性欲や性的対象が共有されていることの高揚感、結局俺たちもイカれているってことだな」
「結局、報われない恋だからこそ燃えあがるということですかね」
そういうと、大前田は大真面目な顔でこちらを見据える。全然違うということだろう。

結局、被害者の会は単なる由夏のセックス動画鑑賞会と化した。そのうち、会は分裂し、新しいおかずが欲しい派閥は由夏にマウントされその隷属者の集まりと課してしまった。
いろいろと講釈をたれていた大前田は隷属グループに属し、また弱小化した非隷属グループはほどなく消滅。自分は大前田の予言通り脱会し通常の生活に戻った。
数年の後、グループは公序良俗を乱すと当局より弾圧を受けたが、ほどなく復活。その後、当局自体をハックしてしまったのか摘発されることもなくなり、あげく水面下に隠れてしまい、今となっては世の中のどこまでが三つ子の魂に牛耳られているのかわからない。